前世の祈り
買い物も最近私が行く事にしている。
母は一日、自分の部屋や、リビングで
何を見る訳でもなく、ぼんやりしている
事が多くなった。
夕飯は作る事ができるが、たまに作り方
を忘れてしまう。
さり気なくキッチンに私が立ち、手伝う。
こんな日々がこれからも続くのか。
これからもっと酷くなっていくのか。
やり切れない……。
全て夢であって欲しい。元の家族に
戻りたい。
私も、父も妹も、きっと母だって、
そう願っているに違いない。
病院から処方された薬を、少し貧血
気味だから。という理由で、母に
飲ませる。母が比較的穏やか時、
薬にあまり疑問を持たずに飲んでくれる。
しかし、あくまでも治る訳ではない。
それでも薬に頼るしかない。
現実……。
私はこの頃から、自分の生まれた土地の、
お宮参りをした小さな神社に、頻繁に
通う様になった。
"神頼み" なのかも知れない。
神様に祈る事、感謝する事。
私はそういう事が大切だと、両親に
教えられてきた。神様にお願いをしては
いけない。
感謝する事、そして自分の様々な行い、
良い事、悪い事。
それについて神様にお詫びをし、
感謝する。
どこかの宗教に入っている訳ではない。
土地の神様。氏神様に手を合わせる。
それが大切だと。
なので、今回の母の病の事も、自然と
神様に手を合わせ、報告する。
私の中では当然の行い。
いつもの様に神社に行き、お参りをし、
帰ろうとした時、出会ったのだ。
白い着物、水色の袴の人物に。
「何故、私の悩み、分かったのかな」
一人部屋で呟いた。
「悩むな。と言っても、無理だよ」
誰に言う訳でもなく、ベッドの上で
今日の出来事を思い出していた。
ーー深夜ーー
眠っていた私は、ふと目を覚ました。
時計を見る。
一時三十分。
(こんな夜中に目を覚ますなんて)
私は怖さと眠気の中、ベッドから降り
部屋の電気をつけた。
ガタガタ。
風が部屋の窓を揺らす。
不気味な音……。
私の部屋は、家の二階、道路側にある。
静かな住宅街の一軒家。
うちは庭が広く、様々な木や花、植物
が植えられている。
家の前の道は狭く、車一台が通るのが
やっと。
庭には桜の木が植えられていて、
私の部屋の窓から、桜の木が見える。
小ぶりの桜だが、春には綺麗な花を
つけ、毎年家族で小さな桜を囲み、
ちょっとしたお花見をする。
私はそれが好きで、楽しみの一つ。
今は秋で、桜の木には、数枚黄色い
葉がついているだけ。
夜風で葉が揺れている。
窓の下を見回す。
私はカーテンを閉め、部屋の電気を
消そうとスイッチに手をかけた。
……ふと。
部屋の中に、誰かの気配を感じた。
物凄く心臓がバクバクし始め、スイッチに
手をかけた手が震える。
(誰かいる……)
どうしよう。このままドアを開け、
逃げようか。
一瞬が長く感じ、色々な事をグルグル
考えた。
「すまぬのぉ。こんな夜更けに」
私の後ろで、しわがれた男の人の
声がした。
瞬間、私は振り返る。
あ……。
大声をあげそうになった。
しかし、私の前に凛とした姿の老人が
立っていた。私はその人物を見て、声を
のみこんだ。
「神社で……」 私は、震える声で、
言った。
私の前には、神社で私に声をかけた
あの人物がにこにこしながら立っていた。
背筋を伸ばし、両手を後ろで組んでいる様だ。
私をじっと見つめる。
「いやいや、すまぬ。驚かしてしまった
様じゃな」
長い白ひげを右手でなで、目を細め
笑った。
目元のシワが目立つ。一体いくつくらい
なのだろう。
て言うか、何故私の部屋に……。
パニック寸前の私をよそに、その人物が
「そなたのお母上、ちいと病に
おかされておりますな」
私は驚いた。何故そんな事を……。
家族以外、その様な話など知らない。
私は神社にお参りした時も、口には
出さず、心の中で母の事を報告した。
黙り込む私。
ゆっくりと、その人物が話を始めた。
「驚かせてすまぬ。そなたがこのところ
熱心に神社に足を運んでいるのでな。
ちいと気になって」
そう言うと、よっこらしょ。絨毯の上に
正座した。
私も恐る恐る、少し距離をあけ、
正面に正座した。
「だいぶ、お疲れのご様子。まあ、
無理もなかろう……」
頭を左右に振り、話を始めた。
「遥か昔、あの神社に、そなたと同じ
年くらいの娘さんが、やはり自分の
母君の事で、毎日神に祈りを捧げに
来てのう……。 それはそれは熱心に。
母の病が良くなる為にと、雨の日も、
冷たい雪降る日も、一生懸命祈りを
捧げて……」
遠くを見るかの様に、そう言った。
私は、自分とその娘と、どう関係が
あるのか、分かる訳なくただ話を
聞いた。
突然、その人物が何かを思い出した
様に、「おお、そうじゃった。 まだ
わしの名前を言っておらなんだ」
白髪頭をポンっと叩き、「我が名は
イチョウ。イチョウの木にやどる
精霊」 そう言った。
「イチョウのせいれい……?」
私は呟く様に繰り返す。
「あの神社の祭神、スサノオノミコト
に仕える者の精霊と思って頂ければ、
良いかの」
いまいち言っている事が分からない。
あの神社の主たる神の仕いのつかい。
随分遠い。しかし、精霊と言ったら
もっとこう、若い感じの女の人かと
思っていたので、こんなお爺さんだった
のか。と言う事に、ちょっとイメージが
崩れた。
と言うか、精霊が私の部屋に来て、
私と会話をする。
あり得ない。
あり得ないが、最初は驚いたものの、
今は精霊と名乗る、このお爺さんと
話をしている。
夢を見ているのだろうか。違う……。
しかし、この人、陰陽師ではないのか。
私が一人、あーでもない、こーでも
ない。と言う感じでいると、「ほほう。
色々と考える事がおありの様じゃな。
しかし、話の続きをしても良いか
のお」
精霊が話を始めた。
「我が主は、スサノオノミコトに仕える
者。 千年以上昔に生きていた、 そなたの
信ずる陰陽師。
突然、陰陽師と言っても、驚くかと
思い、言い方を変えたがの。 あのお方、
我が主は多くの神々にお仕えして
おる」
……陰陽師。そうか。
不思議と驚きは消えている。
今のこの状況すら非現実的だ。
精霊であろうと、陰陽師であろうと、
驚かない。
私は「あの、精霊さんは、陰陽師と
仰いましたが、平安時代の……でしょうか……」
私は、私の好きな、あの平安時代の
陰陽師だと期待をしつつ、穏やかに
尋ねた。
精霊は、ほっほっ。と笑い、「そうで
ある。と言って欲しいのであろう。
そなたは実に分かりやすいのお。 目を
見るだけで、考えが伝わってくる」
愉快そうにそう言った。
私は恥ずかしくなった。何を言っている
のか。
うつむく私に「まあ、我が主は千年
以上も前の人物じゃて。 今の世の人物
ではないが、そなたの様に慕う者あれば
陰陽師冥利につきるはず……」
優しい顔つき。私は何だか久しぶりに
自分の心が軽くなった様に感じた。
「さて、話がそれてしまったが」
精霊が真面目な顔つきをした。
「先ほど、そなたと同じ様に、神に
祈る娘さんの話をしたが。 驚くでは
ないぞ」 真剣な眼差し。
少し強めの声。
「その娘さんとは……。 そなたの
前世なんじゃ」 唐突に切り出した。
……私の、前世……?
人は今の世に生まれる前、別の時代にも
生きていた。それが前世。
別の時代、別の自分。記憶などあるはず
もなく、前世と言うもの自体、非科学的
とされている事が多い。
それをあっさりと、明かされてしまう。
もう、どういう対応をしていいか
分からない。返す言葉もない。
そんな私をよそに、また精霊が話を
続けた。
「人は、死してなお、修行する身に
おかれる。 この世の修行が足らぬ者は、
生まれ変わり、また修行する。 修行と
言っても、滝に打たれるとか、経を
読むとか、その様な事ばかりではない。
人としてどう生きるか。 行いをどの様に
するか。 それも修行。神の定めし寿命が
尽き、あの世に戻る。 しかし、また
生まれ変わる者もあり……。 そなたは
前世で修行をつんだ。 身体の弱い母の
ため、懸命に働き、神に祈る。 毎日
その様な生活をしておった。 しかし、
やはり人間。 心に宿る物があった……。 悪しき物が……」
ため息をつき、悲しそうに話す。
私も、度々神社にお参りに行き、神に
手を合わせる。母の事を思い。
元の母に戻って欲しい。現在、完治は
無理だとされている病におかされた母。
日に日に変わりゆく母の姿を、見て
いられない。
八つ当たりをされ、悪く言われ、なじられる。現実が分からない時があったりと、
明るく穏やかな母の姿が遠く感じ、
悲しみや、時には母に対して苛立ちが
募る。
何故私達が、ここまで母に酷く言われる
のか、悪口を並べられ、私の作った
夕飯も棄てられる。
正気を失う母が、悲しくもあり、憎らしい
し、つらい。病気のせいだと理解しつつ
も、心と頭、私の中では……繋がらない……。
私は目を閉じ、心の中で、母の言動を
思い返していた。