見えない現実
秋の虫の声が、庭から聴こえ、夜空には
三ケ月。
風流とも言えそうなこんな夜に、
私の部屋の中は、どんよりとした空気が
流れる。
今更何を三人で話したところで、この
現実からは逃れられない。
そう思うけれど、やはり家族が何とか
しなければ。
「母さんのこれまでの言動を見聞きして、
やはり病院で検査をさせた方がいいか
と思うんだが」
疲れた様子の父が、小さな声で切り出す。
「いきなり病院へ行こうと言っても、
難しいと思うけど……」
妹が父に言う。
「しかし、このままでは……。 やはり、
母さんの事をはっきりさせた方が、
今後の対応も違ってくるだろう」
父の言葉に意をとなえる事もなく、
私達は、母を病院へ連れて行く事にした。
怪しまれない様に、健康診断。と言う
名目で。
抵抗されてしまえば、どうにもならない。
自治体の行なっている、健康診断。
さりげなく誘う。
予め、病院の先生に相談に行き、母の
状態を説明した。
そして、健康診断の名目で連れて来る
ので、話を合わせてもらう様に頼んだ。
私達家族の内情を聞いた先生は、
「分かりました」短い言葉で承知して
くれた。
先生の言葉の中に、理解していますよ。
そんな意味がある様に感じた。
健康診断の日、少し嫌がる母を説得し、
私と妹は、母を病院へ連れて行った。
父が本来連れて行く予定だったが、
急に出張が入り、行けなくなった。
平日で、私も妹も学校があったのだけれど、
母が心配であるし、先生とも話をしたかった
ので、付き添いをした。
「わざわざ健康診断に二人もいらない
のに」 今日の母はいつもの母。
けれど、いつ変化するか分からない。
当たり障りなく、バスに乗り病院へ
行った。
バスの中から見る景色。木々の葉が
秋めいてきている。時折、吹いているで
あろう風に、落ち葉が舞う。
病院に着き、受け付けをすませる。
普段の健康診断の段取りで、検査が
進められていく。
MRIの検査。最後の検査であって、
最も重要な検査。
不思議がる母。普段の検査項目には
ない。
すかさず近くの看護師さんが、「オプション
で付けられるのよ。検査するからには
色々診ておいた方がいいわよ」
そう説明してくれた。
通常この様な検査は、あまりしないで
あろう。
看護師さんの言葉に納得した母は、
素直に検査を受けた。
そして、先生の診察。先生の質問に、
母は淡々と答え、少し話をし、診察を
終えた。
「では結果は来週に……」
私達は家路についた。
帰り道、私は母の検査結果が気になった。
しかし、どうしようもできない。
ある程度の覚悟をするしかない。
見上げる空は、夕焼け。
明日はお天気だなぁ。
一週間後。
私と父、妹が、内密に病院から呼び出され
た。
母には悟られない様に、病院へ
出向いた。
静まり返った診察室。
母のMRI画像が、パソコンの画面に
映し出されている。
私達には見ても分からない。
「うーん……」 唸る先生。
私達も落ち着かない。
暫くして、先生が切り出した。
「お母様ですが、脳が少し萎縮し始め
ています」 パソコンの画面を私達の
方へ向け、先生が説明を始めた。
「身体の異常は特に見つからなかった
のですが、脳の方が……。 いわゆる
認知症と言えましょう。 脳が縮んで
きている事から考えても、認知力の低下
等の症状が進行しています。
今の段階では、お薬で進行を遅らせるしか
ないと……」
淡々と、しかし丁寧に説明をする先生。
けれど、どんなに説明をされても、
ある程度の覚悟をしても、この現実を
受け止めるには、時間がかかる……。
避けては通れない道に直面した。
「そうですか。では、投薬治療と
言う事で?」 冷静に、先生と話す父。
黙り込む私と妹。
平和ボケをしていた家族にやってきた
冷たい現実。
何気なく、流す感じで今まで母と接して
きたけれど、改めて病名がつくと、重い。
家族の深刻な問題。受け止める側の私は、
他人事の様にも感じていた。
最近の母は、日に日に変化している。
最悪の方向に。
人への八つ当たり。突然怒り出す。
こちらの対処で、母は良くなる事も
ある。一つ一つ気を遣いながら、
私達は生活するしかない。いつまで
続くのだろうか。先の見えない現実が
そこにあった。