噂を聞けば
なんでオンナ達は、こんなにも噂話や陰口がすきなのだろう。
わいわいがやがやと、何が面白いのか判らない。しかも集団の一人が少し席を外したら、その人の陰口を言い出して、そしてその当人が戻ってくると、笑顔でまた違う人物の噂話を始める。俺には絶対無理だ。そんな恐ろしい真似。
思い返せば小さい頃から、女子集団の陰口や笑い声は、俺にとっての毒だったっけ。俺が働いているスーパーマーケットの従業員はほとんどが30台~40台女性だから、話の内容は家庭の愚痴や上司への不満だ。学生時代の女子達の噂話とは雰囲気も違うけど……共通点もある。
「みてみて、この新曲のプロモ。格好よくない?」
「うんうん。誰が好き? メンバーの中で」
ミーティングが終わった控え室ではパート女性がスマートフォンを見つめている。どうやら最近人気の韓国アイドルグループの動画らしい。
共通点、それは好青年の話。
学生のときは学校内の男が対象となっていた。格好いい、スポーツマン、話が上手い、そんなやつら。職場では芸能人がそんな話題の中心になっていたが、最近では――
「宮田さん、明日の品出し作業、どこからですか?」
「あ、あぁ……今日とおんなじだよ」
二週間前に入ってきた新人アルバイトの、大橋だ。こいつが入ってきたときから、職場の雰囲気が一新した。高身長、すらりとした体格、整った顔立ち。まだ高校三年生なのに派手にちゃらちゃらはしていなく、上品な親しみやすさがある。女なら大抵は惹かれるだろう。数少ない男性アルバイトの俺が、こいつの指導係になった。
パート女性陣からしたら息子世代の年齢だろうに、アイドルを見るような眼で見つめ、一オクターブ高い声で話しかける。そして大橋が「お疲れ様でした」と帰っていくと、「あと10歳若かったらな〜」なんて笑いながら噂話を始める。俺は「……おつかれさまでした」と呟いて、その場から立ち去った。聞きたくないし、見苦しい。
パート連中からしたら見苦しいのは俺だろうな。23歳にもなってフリーター。親や教師に言われるまま三流大学に入り、卒業はしたが就職浪人となり、アルバイトをずるずると続けている。身長も小さく見た目も地味で、コミュニケーション下手なオタク系男だ。どうせ彼女もいないだろう、なんて陰口を言われているんじゃないか……実際いないが。
大橋は、地元の名門校に通い、推薦で国立大学に進路が決まったからバイトを始めたという。きびきびと動くし体力もあるから、運動神経もいいんだろう。彼女も絶対いるよな。俺みたいな男は絶対に近寄れないような、レベルの高い彼女が。
これらの情報は全部、パート連中の噂話から知ったものだ。大橋に対する色々な噂を、なぜか俺は気に掛けていた。いつも女達の噂や陰口は無視していたのに。
……妬み、だろう。見苦しい俺とは正反対の人間への嫉妬だ。研修期間という事で一緒に行動しているだけだから、大橋とは会話なんて必要最低限の事しかしていない。どうせ俺とは話も合わないだろうし。
「このまえ急に辞めた惣菜売り場の子、妊娠してたんだって」
「そうなの? まだ若かったし、それに学生だったよね?」
「出来ちゃった結婚かぁ、大丈夫かね」
今日もまた職場の控え室では噂話が渦巻いている。
「大橋君は、カノジョさんとかいないの?」
パート陣の中心格の人物が、傍に座っていた大橋に話を振る。パート仲間の噂や陰口をばらまくのも中心格のこの人物を、俺は心の中で『東スポ女』と呼んでいた。
「いないですよ。今までは勉強だけでしたし」
「じゃあ大学行ったら作るの?」
男が女に言ったらセクハラなんて言われるだろう、そんな質問をぽんぽんと大橋に投げつける。しかし大橋は怒る様子も戸惑う様子もなく、爽やかに受け返す。
「まだ判らないですよ。それに、大学も勉強するために行くし」
ほぅ、と控え室全体にときめきのため息が満ちる。
「大橋君ってしっかりしてるのね。うちの息子に見習ってほしい。女にだらしなくて」
そんなパートの言葉に、セクハラ発言をしていた東スポ女は笑いながらこう言った。
「それが普通よ〜。健全な男子高校生なら。アイドルとかマンガの中の女の子を俺の嫁、とか言ってる男よりはいいんじゃない?」
……嫌味か。
俺は早足でその場から去った。――俺にだって彼女がいた事はある。大橋と同じ、高校生の時の話だ。半年程付き合っていたが、突然「他に好きな人が出来た」と振られた。
男子ロッカールームで着替えていると大橋が入ってきた。
「お疲れ様です」
「あぁ、お疲れ」
しゃんと背筋を伸ばして、皺にならないようにして制服の上着をハンガーから外している。ぐちゃぐちゃな俺のトレーナーとは大違いだな……ってなんで洋服にまで劣等感抱いてるんだろう。
もやもやした気持ちをごまかそうと、俺は何気ないそぶりで大橋に話しかける。
「大橋って、ああいう事言われて嫌じゃないの?」
二週間指導係をしているが、俺から話しかけたのは初めてだったかもしれない。大橋は俺のほうを向いて問いかけた。
「ああいう事、って何ですか?」
顔を見ながら話す事が苦手なタイプの俺と違って、こいつはどんな時も、相手の顔をしっかりと見ながら話す。
「さっきの『彼女いないの』とかだよ。パート連中の」
「嫌ではないですよ。興味を持ってくれるのは嬉しいですし」
視線を避けるように座り込んでロッカーの荷物をあさりながら、俺は大橋からの返答を聞いていた。
「なんだそりゃ。母親世代の女から興味を持たれて嬉しいの? おまえ、熟女好き?」
そんな俺の言葉に大橋は黙りこむ。やばい、嫌な気分にさせたか? ごまかそうと言葉を繋ぐが、どんどん嫌味ったらしくなっていく。
「まー好みは人それぞれだしなー。それ言ってみれば? きっとパート連中大喜びするよ」
大橋との会話を避けていたのは、こいつ、もしかして俺の事見下しているんじゃないか、なんていう劣等感からだった。でも今、からかいの言葉をぶつけているのは、俺だ。こいつは本当に真面目なやつなのに……また自分が嫌になる。もう帰ろう、そう思って立ち上がると、突然大橋が俺に疑問の言葉を投げかけた。
「宮田さんは俺に興味ないんですか?」
疑問の意図がよく判らなかった俺は思わず、大橋に顔を向けた。
「俺は、宮田さんにとても興味がありますよ」
じっと俺の顔を見つめ、ゆっくりと言葉を繋ぎながら、大橋は手に持っていたメタルフレームの眼鏡をかける。……確かこの前、パート連中が、大橋君って仕事のときだけコンタクトなのね、とか言ってたっけ。眼鏡だとまた違う雰囲気で素敵、とかなんとか――そんな事を思い出しながら思考を紛らわそうとするが、俺の顔の真正面に目線を向けて、大橋は言葉を続ける。
「いちゃいちゃしたり、色々な事をしてみたい」
大橋の綺麗な顔にかかった眼鏡のレンズには、俺の間抜け面が写る。
「そのときあなたがどんな表情をするのかも――」
バタン、とロッカーを閉めて、俺はその場から立ち去った。
冗談だよな?あいつは俺に同情して、なんか冗談を言って笑わせてあげよう、気分を良くしてあげよう、とか思ってあんな事を言ったんだ。普通は、誰だっていきなりバイトの後輩に(しかも男の)あんな冗談を言われたら、不快な気持ちになるだろう。けれど……俺の心の中に怒りや苛立ちは無かった。あいつが普段は真面目だから? あいつの表情や口調がなんか真剣だったから? 自分でも判らないが、ただ、戸惑っていた。次の大橋とシフトがかぶる日はいつだっけ? じっくりとシフト表を見直す。こんなにも真剣にアルバイトの事で悩んだのは、初めてのことだった。
開店準備をしている俺に向かって、「先日はすいませんでした」といきなり大橋は謝ってきた。やはり冗談だったのか、と落ち込んだ様子の大橋に俺は「もういいよ」と言った。
「おまえ、ああいう事言う奴だったっけ?パートの人達の前ではあんな真面目なのに」
呆れながら言った俺を、大橋はまた呆れさせた。
「『いちゃいちゃ』という言葉はすでに死語ですし、いやらしい表現でした」
ああいう事、ってそのフレーズに対してじゃないんだが……。こいつ、思ったよりたちが悪い。こんなやつのいう事は、軽く流しておいたほうがいいだろう。
「そういう冗談は、女に言ったら最低、とか言われるからさ、男に対しても言うなよ」
「冗談、に聞こえたんですか」
大橋は、俺の顔を見つめると、一呼吸置いて、力強い口調で告げた。
「俺は、本気で、宮田さんの事が、好きです」
……タイミングがいい事に開店のアナウンスが鳴り、店内には客が続々と入ってくる。「仕事だぞ」そう言って俺は大橋に背を向けた。
「噂をすれば影」なんて諺があるが、イケメン芸能人の噂なんかは聞き流していた俺も、大橋の名前が聞こえてくるとなんだかこっそり聞き耳をたてていた。だから、大橋は俺にかまってくるようになったんだろうか。けれども、噂話の中の大橋は真面目な好青年だが、俺に対する大橋は変人だ。
数日後、休憩時間に大橋はまた東スポ女と喋っていた。どうやら恋愛話らしい。
「大橋君はこんな娘がタイプ、とかないの?」
「理想なんてないです。付き合ってみないとその人の本当の良さは判らないから」
「本当に真面目なのね〜。本当の良さ、なんて言葉、普通言えないわよ」
「好きになった人の本当は全部知りたいですよ。良さも、悪さも」
……なんだろう。大橋のその言葉の目線が俺へと向いている気がする。今までもアルバイトは憂鬱だったが、最近はその憂鬱度がどんどんと増してきた。だが、無理矢理に休む事も、辞める事も俺は嫌だった。金銭面まであいつの冗談に振り回されたくないから。だけど大橋の研修期間はまだある。それまでやつと行動を共にしなければいけないのか。
「さっき「理想なんてない」とかおまえ言ってたけど、じゃあどこから、俺の事を好きになったんだ?」
二人で品出し作業をしながら、ちゃんと俺は判っているぞ、と指導員の気合を込めて、たちの悪い冗談を取り消そうとした。
「上手くは言えないんですが、一目見た瞬間電流が走った、というか」
こんな言葉で返されたら、気力は抜け去った。冗談でもよくこんな恥ずかしいセリフ言えるな。こいつ、やっぱり変人だ。
「でも俺の理想は、まずお前じゃないからな」
「理想に近づけなくても、宮田さんを幸せにする自信はあります」
駄目だ。このままこいつと会話を続けていたら仕事に集中できなくなる。商品の配置を終えると、「別行動」そう言って俺はさっさと隣の棚に向かった。
「俺、宮田さんの事、もっと知りたいんです!」
大声で叫ぶ大橋を無視してさっさと移動すると、そこで作業をしていたパート女性が、不思議そうな目でこっちを見ていた。
「彼、なにか判らない事あるの? 知りたいんです、とか聞こえたけど」
「いっ、いや、たいした事じゃないですよ」
「それでもしっかり教えてあげてね。指導係なんだから」
移動したパート女性の背中を見て、俺は深くため息を吐く。大橋の変人発言をごまかせた事に安心して、そして、疲れた……。
そして数日が過ぎて、大橋は変わらず俺に色々な言葉を投げかけた。視線をまっすぐ、俺の顔に向けて。ドラマの中に出てくるようなセリフの数々を。そのたび俺は顔を背ける。軽く受け流そう、振り回されまいと。そして、研修の最終日がやってきた。
「……なんで嬉しそうなんだよ」
なぜかこいつは上機嫌だった。これからはシフトも別々になるだろうに。俺が色々悩んでいるのが楽しいのか? ……こいつ、そういった変人面もあるのか。
「色々と俺の事を考えてくれているから、最近の宮田さん」
「それはお前が変な事ばっか言ってくるからだろうが!」
「好きな人と色々な事を話したいと思うのは自然なことでしょう」
こいつはただの変人だ。だけど俺はそんな変人発言に振り回されている。こいつの噂話に過剰反応したからか? だからその当人が、俺に過剰にかまうようになったのか?
「宮田さんがもし、今の俺が嫌なら、俺、変わりますから」
自分自身の劣等感と……昔の嫌な思い出に振り回されているんだ。俺は。それはもう判っている。それでも俺は、大橋を怒鳴りつけた。
「おまえ、ヒマで俺の事からかってたんだろうけど、そういう冗談全部、笑えないからな! もう俺に話しかけんな!」
もし俺がこいつの言葉を本気にしたら、きっと笑い物にするのだろう。馬鹿らしい冗談を本気にするやつ、なんて言われる。そんなのはもう嫌だ。
彼女に振られたとき、俺は女子達の陰口の的になった。
このひとが好きなの、ごめんなさいと彼女は泣いていた。泣いている彼女の頭を、彼女が言う『このひと』らしき男がよしよしと撫でていた。周りのクラスメイトは俺達に注目の視線を浴びせていた。高校生の俺にはプライドがあったから、嘘を吐いた。
「別に俺、お前の事好きで付き合ってたわけじゃなかったし」
俺ひとりが悪者になってやる、なんて、思い返すと下らない意地だ。
そして、俺の周りにはたくさんの嫌な言葉が飛び交った。
「好きでもないなら何で付き合ってたの?」「最低男」「心変わりもするよ」
俺はそれらの言葉を黙って聞いていた。
ミーティング終わり、また大橋は東スポ女と話をしていた。周りには他のパート女性陣も集まっている。何、話してるんだろう? こいつの変人発言、最近場所をわきまえなくなえなくなってきてるから……なんかやばい事言ってるんじゃないだろうな? そんな不安感から、俺はこっそりと耳を傾ける。すると俺の耳に入ってきたのは――
「なんだ〜やっぱり大橋君、彼女いるんですって」
――俺は初めて、大橋に対して怒りを覚えた。こいつは他人の会話に聞き耳を立てるような俺の情けない性格を知っていて、今までの俺への告白を、冗談でしたよ、と間接的に言っているんだ――。今日、俺が怒鳴りつけたからか? でも、「本当は俺、彼女いるんです」なんて直接俺に言えよ。あんな恥ずかしい冗談言えるんだから。
「まだ恋人、とは呼べないのですけど」
でも自分から話題にするくらいだから、自信はあるんだろうな。恋人、なんて大人びた言葉で表現しているんだし。まあ俺が言われたような言葉、女が聞けば喜ぶだろう。大橋みたいな男が言ったらだけど。もし俺が言ったとしたら、気持ち悪がられるだけだ。
こんな風に、これからまたこいつに劣等感を抱き続けるんだろうか。俺は。
「友達以上恋人未満、って所なの?」
パート達は笑いながら「いいわね〜青春」「大丈夫よ、アプローチしてみれば?」なんて大橋をからかっている。自分からからかいの対象となって、嫌ではないのか、あいつ。
騒がしい方角をちらり、と見ると大橋の視線がぶつかった。何故だろう? 人と話すとき、こいつは必ず相手の顔を見るのに。今は俺の顔をまっすぐと見つめている。
目と目が合ったら、なんとなく胸騒ぎがしてきた。嫌な予感が。
大橋は椅子から立ち上がり、大股で俺のほうへ向かってきた。そして俺の両肩をがっしりと掴み、力強い口調で告げた。
「俺、宮田さんの事が好きです」
嫌な予感は的中した。
「年下だし、まだ知り合ったばかりだけど、でも俺、本当に宮田さんの事……」
「おっ、大橋っ!」
――今思えば、そのとき俺の頭は、人生で一番のフル回転を始めていた。なんとかこの場をごまかさなければ、と。
「ごめんっ、まさか本気にとるとは思わなかったんだけど、お前真面目だからな」
椅子をひっくり返す勢いで立ち上がり、まだ両肩の上に置かれた大橋の腕を外した、そしてパート達の方を向いて頭を下げ、頭の中にとっさに浮かんだ物語を早口で告げた。
「すいません! 今日こいつ、いや大橋君が、仕事中ちょっとしたミスをしまして、それで自分が、『この罰ゲームとして、皆の前で俺に愛の告白しろよな』ってからかったんです。でもまさか本当にやるとは――」
……きっとパート達は俺に対して、軽蔑の視線を向けてくるだろう。「そんな冗談を真面目な後輩に言うな」と。怒鳴りつけられるかもしれない。しかし、パート達はくすくすと笑いはじめ――そしてその場は大爆笑になった。
「いや〜〜びっくりしちゃった。でも大橋君てホント、馬鹿みたいに真面目なんだ」
「二人って仲良かったのね。宮田君普段無口なのに。そんな風に話してたなんて」
笑いながらパート達は話しかける。びくびくしながら頭を下げている俺と、馬鹿な冗談を真面目に受けた大橋をなだめるような優しい笑顔で。この人達は、あの女子達とは違う人間だ。若い奴の馬鹿な冗談なんて、笑って受け流してくれる大人なんだ。そんな当たり前の事も、人と向き合う事から逃げていた俺は判っていなかった。
「あの……すいません、でした。お騒がせして」
今まで勝手に『見苦しい』なんてけなしていた反省も込めて、俺は深々と頭を下げた。パートさん達は「いいの、いいの。お疲れ様」「面白かったわ、ありがとね」と笑いながら帰っていった。
「お前なぁ……冗談もほどほどにしろよ!」
帰り道、俺はまた大橋を怒鳴りつけた。でも前のようにヒステリックに怒鳴った時とは違う、呆れた口調で。
「冗談ではないですよ。本当の事です」
容姿、学歴、性格、全部が完璧なのに。やっぱりこいつは変人の馬鹿だ。大勢の前で、俺みたいなやつにあんな事言うなんて。
「あそこで俺が普通に断ってたら……おまえだけ陰口の的にされるんだぞ?」
「大丈夫ですよ。もし断られても、諦めはしませんから」
そうしたらもっとまずい事になるだろうが……こいつ、噂の的にされたり、陰口を叩かれた事がないのか? 怖くないんだな。羨ましい。でもこいつに対するこの感情は、妬みではなくて――憧れだ。こんな風に堂々と、馬鹿な真似ができるなんて。
俺とは別次元のやつ、なんて俺は大橋を避けていた。性格も、雰囲気も、恋愛関係も、全部噂の中の大橋だったのに。そこからどんどん劣等感を膨らませていった、そんな俺も馬鹿だな。馬鹿は馬鹿同士、仲良くやっていけるかもしれない。そんな風に思った俺は、今までずっと言えなかった疑問を思いきってぶつけてみた。
「本当にその……俺の事、好き、なのか?」
大橋は無言で、力強く頷いた。
「その、好き、って気持ちに俺が応えたら……どうするんだよ」
「関係をより深めるには、現在の日本は同姓婚は認められていないので難しいですが――」
「そこまで将来的な意味じゃねえよ!」
やっぱりこいつはただの変人だ。でもそんな変人に俺は憧れてしまっている。駄目だな。さらに質問をぶつけてみた。
「大学入ったら、辞めるんだろ、ここのバイト」
「シフトは減らすけれど、辞めはしません」
「それって、俺の傍にいたいから?」
それはからかいの言葉だったのだが、そんなものこいつには通じなかった。にっこりと頷いて、大橋は自然と俺の手のひらに指を絡めてきた。ぎょっとして周りを見回したが、誰もいない。隣では大橋がにこにこと笑っている。
まあ、いいか。ただの変人の同僚、そう思っていよう。大学に入ったら、大橋もすぐに俺なんか忘れて本当の恋人を作るだろう。そしてこうやって手を繋いで、いちゃいちゃして……って何で俺、こんな妄想の中で嫉妬をしているんだろう。未来の大橋の噂を勝手に考えている。そしてまずい事に今の俺は、その噂の中の大橋の恋人に嫉妬している。