伝説の始まり
仁王立ちしていた高田は力尽き、床に両膝をついた。
脇腹の傷口からは、おびただしい血が溢れ内臓が顔を見せていた。
高田は手でそれを押し込むよう腹を押さえ大久保の顔を覗き込んだ。
「遂にやった。ルミ、敵は取ったよ」そう言い終え床に崩れた。
大久保は椅子の背もたれに頭を預け、眼を開けたまま息を引き取っていた。ライフル弾は大久保の右半分の側頭部を完全に砕いていた。
ジョセフインは、この状況を理解できないと言うように頭を振り大声で叫んだ。
「ナニコ レ!シンジラレナイ!!コンナノウソ!」
そう叫びながらバッグの中に隠し持った銃を取り出し、立ち上がりざまエースに向けた。
「オマエノセイダ。ジゴクニイケ!」女は絶叫した。
と、同時にジョセフインの白い額がザクロのように爆ぜた。
エースの顔にその血飛沫がかかると同時に、銃弾の風きり音がエースの耳元をかすめた。
エースの目に光が射した。真向かいのホテルの窓から一瞬光が反射したのだ。
エースはそれを見て確信した。
ライフルスコープだ。
あそこから狙い撃ちしたのか。
一体誰が。と思いながら、エースは自分の命が助かったのに安堵した。
周りのヒットマン達も同じ思いだろう。
「俺を含めて全員が空砲の銃を撃ちまくったわけか」
床に散らばった数え切れない薬莢を眺め、エースは呟いた。もし実弾が入っていたら、全員が血に染まって死んでいただろう。
エースは、高田のもとへ走りより頚動脈に触れた。
微かだがまだ脈はある。
エースはカウンターの中でうわ言を呟いている蝶ネクタイの男に怒鳴った。
「救急車を呼べ!」
そう言われた蝶ネクタイの男は、自分が今何をしなければならないかをはじめて悟ったようだ。
エースは店内を見渡し呆然と立ちすくむヒットマン達を見ながら言った。
「全て終わった」エースはその場をすぐ立ち去った。
この事件はその日のトップニュースになり、全国に知れ渡った。
数日経った週末の土曜日。
高校生のよっちゃんこと、篠田よしおが溢れんばかりの封筒をリュックサックに背負って持ってきた。
俺はよっちゃんに尋ねた。
「今日は何通あったの?」
「二百四通です。今まで百通前後だったのがだんだん増えてきました」
「という事はよっちゃんのフトコロモ暖かくなるわけだ。よっかたね」
「はい、でもいいんですか」
「なにが?」
よっちゃんは申し訳なさそうな表情で言った。
「封筒を持ってくるだけで、いつもたくさんのお金を戴いて」
「そういう約束なんだから、遠慮する必要はないよ。一通五十円だから今日は一万二百円だね。はい、ご苦労さん」
俺は手が切れるようなまっさらの万札と、真っ新な百円玉二つをよっちゃんに渡した。
よっちゃんは両手で受け取り、深々と頭を下げた。
「よっちゃん、そのお金で少しは生活の足しになる?」
よっちゃんの家は母親と子供三人の母子家庭だ。よっちゃんが長男で下に中学生の女の子と小学生の男の子がいる。
母親は病院の看護師だ、が、三年ぐらい前から癌を患い療養生活をし、今では
生活保護を受け細々と暮らしている。
下の子供の面倒はほとんどよっちゃんが見ているらしい。
よっちゃんはこのバイトの他に新聞配達もしているようだった。
「おかげで僕達家族は安心して暮らせます。ほんとにありがとうございます」
「よっちゃん、何度も頭下げなくていいよ。もういいから、帰りな」
俺はよっちゃんが帰った後、テーブルにある溢れんばかりの封筒を開けて中身を吟味した。
大久保をジャックとエースが仕留めたという情報は俺達、裏の世界にも広まっていた。大久保殺害のミッションは俺達仲間内では地獄行きのミッションとして皆避けてきたのだった。
それを俺は知らずに引き受けてしまった。
それを知った仲間達はジャックとエースは終わった、と確信したらしい。
ところが、きれいに仕事をやり終えてしまったからみんなビックリだ。
それ以後、ジャックとエースは伝説化されることになる。
この事がきっかけで俺達への仕事量は毎日増え続けることになった。
と、いってもジャックはもういない。
これからは俺一人で仕事をこなすしかない。
エースはため息をしながら封筒の便箋を読み続けた。
「しかし、あのホテルから大久保とジョセフインを撃ったのは一体誰だろう。
高田の部下か?それとも新たにプロのヒットマンを高田は雇ったのか。
でなければもしかして……」
そんな時、ドアをノックする音が聞こえた。
何か忘れ物をしたのかな?俺はよっちゃんが舞い戻ったのかと思った。
が、ノックの調子はよっちゃんとは違う。
このノック音の調子は…まさか?
ドアが開いた。
「いやあ、久しぶり」
そう言って男が入ってきた。
「あんた、…一体なんで?」
エースはドアの前に立っている男を見上げた。
目の前に立っているのはジャックだった。