高田克己の提案
信じられない奴だ。もう少し骨のある奴だと思っていたのに。
クソ!
俺はジャックを片腕と信頼しきった自分に腹立たしさを覚えた。
この仕事が終わった後、きっと俺の手であいつを始末してやる。
俺は、そう心に誓った、が、まず、この仕事が無事終わるかどうかが一番の問題だった。
それに、今度は一人で事を運ばなければならない。
まず、無理だろう。
俺の眼前に絶望と言う壁が立ちはだかった。
数日後、意外な人物から連絡が入った。
高田克己だ。
関東地区の広域暴力団のボス、と言っても今では光商社という上場企業の隠れオーナ。
大久保の毒牙にかかった鎌田ルミの実の父親だ。
俺に会いたいと言う内容の文面だった。
俺達は依頼人に会うことは禁じられている。
もちろん、依頼人も俺達に会う事は出来ない。
そういうシステムになっている。のだが、時には例外と言うものも出てくる。
俺達の組織では、いくらかの金を積めば全て例外は自然発生する。
上層部に大金が積まれたのだろう。
俺は依頼人、高田克己と会う約束をした。
場所は大久保が住んでいるマンションの前の喫茶店。
時間は午後十二時。
俺は一時間前にいつもの席に座った。
この喫茶店の店長にあらかじめ席を予約しておいたのだ。
その店長は俺の前に並々注いだ生暖かい水を置いてくれた。
冷たい水は体に悪いからと、人肌に暖めてくれるのだが、俺はそんなこと頼んだ覚えはない。
第一、生暖かい水などどんな寒い時期だって飲む気にはなれない。
五十は過ぎた独身の女店長。
俺に気があるのは良く分かるが、当の俺は年増は趣味じゃない。が、まあ嫌われるよりはこのペースを維持したほうが仕事もスムーズに運ぶ。
俺も愛想よく店長と無駄口を交わす事にしている。
「今日は、ここである人と待ち合わせなんだ。京子さん」
京子というのはこの店長の名前だ。
名前で呼んでくれと
店長のたっての願いを聞き入れた次第だ。
そのうち呼び捨てで呼んでくれと強請るかもしれない。
その時はその時で、まあ、お安い御用さ。
「待ち合わせって、ヒョッとして白根さんの彼女?だったら私がその女性を吟味してあげる」
そう言いながら京子の顔が一瞬だが少し険しくなった。
白根と言うのは俺の仮の名。
「とんでもない。仕事関係の人さ。大事なスポンサーだよ。彼女は今募集中さ」
「あら、そうなんだ、白根さんだったらいい人の一人や二人ぐらいいてもおかしくないのに」
「できたら京子さん紹介してよ」
「そうね、二、三人見繕って合わせちゃおうかしら」
「京子さんみたいなグラマーな女性を期待してますよ」
俺は冗談をぶっ飛ばしながら、壁掛けの時計を眺めた。
十二時になろうとしている。
そろそろ、高田が来るはずだ。
喫茶店のドアが開いた。
背の高いロマンスグレーの髪をオールバックにした初老の男が現れた。
歳は六十代半ばぐらいだろうか。
青い背広にピンクのカッターシャツ、赤いネクタイのコーディネートで現れると、言っていたが、まさしくその通りのいでたちだ。
遠目から見て頬から右口元にかけての稲妻状の切り傷の痕が日焼けした顔
に白く映える。
間違いはないだろう。
この男が関東一体を支配下に置く暴力団の大ボスか。
俺は席を立ち軽く頭を下げた。
とりあえずは、店長にこの場を離れてもらうことにした。
少し離れた窓際の席なので、周りからは目立たない。
話し声も聞かれることはない。
目の前に現れた男は、腰の低い男だった。
「あなたが私の仕事を請け負ってくれている人ですか」
俺は笑みを浮かべ頷いた。
「私は…」
高田は自己紹介するするつもりなのか、背広の内ポケットから名詞を取り出そうとしたが
俺はそれを制した。
「この場でお互いの自己紹介は止めましょう。要件だけを伺います。掛けてください」
店長の京子が水を持ってきた。
「何になさいますか」
俺は京子の代わりに高田に尋ねた。
「熱いコーヒーを」
「はい、スペシャル・ホットですね」
京子はこの店にしか通用しない英語を発して立ち去った。
「どうですか、仕事の目途は?」
高田は俺に尋ねた。
「今、思案をしているところです」
俺は正直に答えた。全く先の見えない思案だ。
「提案があるんです」
高田はそう言った。
「提案?」
「ご存知ですか?あの大久保は人を操る事ができるのです」
高田は大久保の秘密を知っていた。
俺は少し腹が立った。知っているならなぜ、その事を事前に連絡してくれなかったんだ。
俺は頷き言った。
「そのことで少し苦労してるんです」
高田はテーブルの上に肘を載せ身を乗り出し、俺に話しかけた。
「大久保を仕留めるたった一つの方法を考えたのです。今、考えられる最良の方法を」
「なんですか、その方法とは?」
「それは…」
京子がコーヒーを持ってこちらにやって来た。
俺達は、会話を中断した。
テーブルの上に分厚い陶器のコーヒーカップが置かれた。
香ばしいコーヒーの香りがテーブルの周りに漂う。
「豆はジャマイカ産のブルーマウンテンです。
酸味を抑え、多少の甘味を含んでいます。まずは砂糖を入れずに
単味で味わってください」
高田は京子に言われるまま、何も加えずブラックで一口飲んだ。
「おいしい」
京子はその言葉に満足したのか、最高の笑みを浮かべながらその場を離れた。
「で、最良の方法とは?」
俺は、高田に訊いた。
「大久保は、自分に危険を及ぼす人間を事前に察しその人間の心に入り込み自在にコントロールします。今まで、それで三人の請負人が失敗し、そして亡くなりました。三人の請負人の中で三人目の男が考えたのです。大久保がコントロールできる人間が一人だけなら、複数の人間が一度に大久保を狙えば成功するのではないかと考えました。その請負人は仲間を四人集め大久保を狙ったんです」
俺は高田の話に身を乗り出した。
「それでもだめだったわけですね」
「そうです。奴は一人の心だけでなく、一度に複数の人間をもコントロールできる能力を持っているんです。しかも同時に」
「全員が殺された?」
「はい」
俺はもう大久保を殺害する気力が失せた。
奴はもう不死身に等しい。
「で、私の案は、もう一度複数の人間で奴を狙うんです」
「えっ、また複数で?」
「そうです」
高田はこう言った。
今度は数十人と言う数で大久保を狙うという案だ。要するに数撃ちゃ当たるという事らしい。
何だいこの人?
人数の問題ではないはずだ。
俺はもう完璧に落ち込んでしまった。
「高田さん、残念ですがそれだけの仲間を集める程、僕には余裕がないんです。それに僕の考えに集団で実行する作戦はありません」
「数は全て私が用意します。あなたは決行の日取りと、場所と時間を知らせてくれるだけでいいんです」
「もし断ったら…」
俺はどう考えても成功するとは思えなかった。
「成功しようがしまいがこれを最後にします。もちろん成功の可否に関わらず報酬は全額あなたの口座に振り込みます。どうかお願いします」
高田は深く頭を下げた。
俺は考えた。
高田は自分の部下、つまり組員を差し出すのだろう。
数十人が一斉に銃弾を大久保めがけて発射すればそのちの一発ぐらい大久保に当たるかもしれない。
万に一つもないが…。
しかも、この作戦を最後に、この仕事から解放される。
だが、この仕事が俺の最後の仕事になるかも知れない。
要するにこの仕事で俺はあの世行き。
だが、失敗しても金は入る。
他に手立てはない、としたら、高田の意見を組み入れてもいいんではないか…。
と、俺は思い始めた。
「分かりました。やりましょう」
その時の俺の顔はきっと青ざめていただろう。