ジャックが抜ける
あのホテルの一室で一年ほど前にライフルで自殺した男がいた。
新聞には自殺と書かれてあった。が、間違いなく大久保によって殺されたのだ。
死んだ男はたぶんヒットマン、いや確実にヒットマンだ。
自殺するのに望遠装置を取り付けたライフルを使う奴はいないだろう。
しかも、わざわざ窓ガラスに円形の穴を開けた後に自分の頭を打ち抜くなんて理解不能だ。
その不可解な部分をマスコミはこう解釈した。
そこから無差別に人を狙い撃ちにした後に自殺を考えたが、良心の呵責を覚え
それを思いとどまった。
俺に言わせればそんな事はまずあり得ない。
自殺する人間は二種類いる。
一人で決行する者、と他人を巻き込む者。
自殺願望の人間にとって自分を殺すのも他人を殺すのもたいして違いはない。
それだけ、命を軽んじているからだ。
やっかいなのは他人を巻き込む者だ。
他人を殺すのに躊躇はしない。
なぜなら奴等は道連れがほしいからだ。
凶器を持った自殺願望者は他人の命を奪うことに無頓着だ。
間違いなく良心の呵責などおきる訳がない。
だから、ジャックの予想は正しい。
ヒットマンは大久保によって心を奪われ大久保によってライフルのトリガーを引かされたのだ。
きっと、自殺や事故死で亡くなった大久保の女たちも同じように殺されたのだろう。
俺は自分のマンションの一室で大久保の殺害計画を練っていた。
人の心を自由に操る大久保を抹殺するにはどうすればいいだろうか。
大久保は既に俺たちのことを知りぬいている。俺達の考えは手に取るように分かるのだろう。
そんな奴をどのように暗殺すればいいのか。
そのときドアのチャイムが鳴った。
午前零時。
こんな時間に尋ねてくる人間はまずいない。
「まさか」
俺はテーブルの引き出しの銃を取り出した。
ドア近くの壁に身を寄せながら、尋ねた。
「誰?」
「俺だ、ジャックだ」
ジャック?
確かにジャックの声だ。
だが、一体何の用で俺のマンションに来たのだろうか。
今まで、お互いの住まいは知っているが、行き来したことはない。
プライベートはお互いに干渉しない事にしている。
どちらかと言えば俺よりもジャックの方がそれに関して徹底している。
そんなジャックが俺を訪ねてくるのはどう考えてもおかしい。
ジャックの身を借りた大久保の可能性だってある。
俺は銃を持ったままキーを外し、チェーンのロックはそのままにしてドアを開いた。
ドアの隙間からジャックが見える。
「本当に、あんたジャックなのか?」
「ああ、そうだ。君こそほんとにエースか?銃で俺をまた狙ってるんじゃないのか」
「銃は持っているが、今の俺は俺だ」
「エース、君が俺だという証拠は」
「そんなものない」
「おれもない。だから、とりあえずお互い信用するしかない」
「じゃあ、聞くが。いったい何しに俺のところに来たんだ。今まで俺のマンションに来たことがないのに」
「君に伝えたいことがあるのだ」
「明日、事務所で伝えればいいじゃないか」
「いや、今日どうしても伝えておきたいんだ。もう君とは会えないからな」
「どういう事だ?」
「俺はこの仕事から降りる」
「え?仕事を降りる。止めるという事か」
「そうだ、それを言いに来た。じゃあ」
「ジャック、ちょっと待て」俺はドアチェーンを外し、ドアを開けた。
ジャックはどうやら大久保に支配はされていないようだった。
俺は改めてジャックに尋ねた。
仕事を降りるという子細を。
「どう考えても大久保を仕留めることは無理だ。エース、君もそう思うだろう。どんな作戦を練ろうと奴はそれを見抜いている。俺達の上手を奴は仕掛けてくる。間違いなく俺達は返り討ちに会うぜ」
「ジャック、いったん引き受けた仕事を投げ出す事はどういう事か知っているのか?」
「もちろん、だから今日の夜日本を発つ」
「どこへ逃げるんだ?」
「それは君にも言えないな。命に関わることだからな」
「一生逃げ続けるわけか。世界中のヒットマンに狙われるんだぞ」
「かまわん。逃げ切るさ」そう言い残し、ジャックは部屋を出て行った。