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第8話 託された信号

 静かな医療区画に、小さな機械の律動だけが響いている。止むことなく、一定のリズムで、無機質な空間を満たしている。


 音のない沈黙の中、まるで時間まで動きを止めたみたいだ。


 バイオカプセルのモニターには、淡く安定した脈の波が表示されている。鼓動は落ち着いていて、呼吸も整ってる。でも、まだ目覚める気配はない。


「覚醒の見込みは?」


 気づけば、自然に声が出ていた。思ったより低くて、どこか柔らかい。自分でも気づかないうちに、祈るような響きが混じってる。


『経過観察を継続中です。脳波に変動はありますが、外的刺激には依然として反応なし』


 ルミナの声はいつも通り機械的で、無機質な調子のまま。でも、その言葉の途中に、ほんの少し間が空いた。わずかだけど、気遣いがにじんで聞こえる。


『焦る必要はありません』


 その言葉に、俺は小さく笑うしかない。


「……焦ってるつもりはないんだけどな」


 言いながら、目はまた自然とカプセルに吸い寄せられていく。彼女が眠るその姿が、どうしても意識から離れてくれない。


「……なあ、ルミナ。この子、どこかで見たような気がするんだ」


 自分でも驚くほど自然に出た言葉が、医療区画の静けさに溶けていく。カプセル越しに見える彼女の輪郭。透けるような肌、微かに上下する胸、全体から伝わってくる静かな気配。どれもが、記憶の奥にある“何か”を、そっと揺らしてくる。


 脳の深いところで、何かが囁いている。けれど、それはまだはっきりしない。言葉にすらならない、ぼんやりした像がちらつくだけだ。


 しばらくして、ルミナが返答する。


『視覚照合に該当なし。ただし――艦内の旧式ログに保存されていた生体波形との間に、ごく一部の類似が見られます』


「……Δ-4の、あれか」


 自然に口から出たその名前に、自分でも驚く。


『断定はできません。類似は“波形的な近似”にとどまります。ただ――』


「……“ただ”?」


『もしこの少女が、かつて記録された彼女と同一個体であるなら――“また会う”という予測は的中したことになります』


 その瞬間、目の前の彼女と、記憶の中のぼんやりした誰かが重なる気がする。夢か現か、曖昧な記憶のなかに、その輪郭が確かに浮かぶ。


 でも、思い出せない。思い出せそうなのに、何かが引っかかっていて、そこに届かない。喉の奥がつまるような、焦れったさが残る。


「……目を覚ましたら、何か話してくれるかな」


 ひとり言みたいに、ぼそっとつぶやく。


 しばしの間をおいて、ルミナが応える。


『それは彼女次第です。ただ――記録されていた感応波には、“あなた”に対する情動反応が含まれていました。それが何を意味するかは、現段階では解析不能です』


「……そうか」


 俺はゆっくりとしゃがみ込み、彼女の顔を見つめる。ガラス越しに見えるその姿は、まだ眠りの中にいる。でも、その胸は確かに上下していて、彼女が“ここにいる”ことを教えてくれてる。


「……今は、それだけで十分だな。生きててくれて、よかった」


 指先を伸ばして、カプセルにそっと触れる。冷たい。けれど、なぜかほんのわずかに、内側から温もりが伝わってくる気がする。


 再会だとか、誰かを救ったっていう達成感なんて、まだない。それでも、この広い宇宙の中で“出会えた”こと――それだけで、十分すぎる意味があると思える。


 そのときだ。カプセルの中で、彼女のまつげが――


 ……ほんの少し、揺れたように見えた。


 錯覚かもしれない。機械の反応かもしれない。でも、それでも――“何か”が、確かにそこにあった。


 その小さな変化を、心に刻むようにして、俺はゆっくり立ち上がる。ひとつ深呼吸して、彼女に目を向けたまま、医療区画をあとにする。


 扉が閉まる直前まで、彼女の姿は視界に残っていた。


 まるで――過去と未来の狭間に佇むように、静かで、美しかった。




 艦橋の照明が一瞬だけ瞬き、壁際に落ちた影がかすかに揺れる。静まり返ったこの空間で、俺はコンソールに肘をつきながら、ホログラムの解析ログを眺めている。


「ルミナ。あのコンテナに内蔵されてた発信モジュール、解析は終わったか?」


『ええ、ようやく。……あなたが缶詰を開けるよりは、少しだけ早かったですけど』


「……毒舌キレッキレだな」


『毒舌AIモード、稼働中です。解除したいなら、設定からどうぞ』


 肩をすくめて、軽くため息をつく。返す言葉がない。


『信号の分類は基本的に“救難ビーコン”です。発信形式、周期、識別コード……全体の構造は標準的な遭難信号に準拠しています』


「つまり、表向きは“助けてくれ”って訴えかけてるわけだ」


『はい。ただし――表面的には、です』


 その一言とともに、ルミナの声の調子がわずかに下がる。彼女なりの警告だ。違和感のあるとき、必ずそういう“音”になる。


『この信号には、通常の遭難信号には存在しない構造が含まれていました。内部に、高度な暗号処理を施された“副層データ”が折り重なるように挿入されていたのです』


「……副層って?」


『救難信号の波形を包むように、まったく別種の暗号層が埋め込まれていました。手法としてはかなり洗練されていて、伝送効率、暗号強度、エネルギー制御のどれをとっても、地球圏標準じゃ太刀打ちできません』


「……つまり、“助けてくれ”って言いながら、裏で何か仕込んでたってことか」


『ええ。あるいは、“何かを託そうとしていた”可能性もあります。技術的な分類としては“地球圏系の未来技術”に近いですけど――明らかに設計思想が違います。似てるようで、根っこの方向性がズレてる』


「……俺たちの使ってる技術とは、まったくの別物か?」


『完全な別物、とは言い切れません。この艦……《ストレイ・エクシード》で使われている一部の通信仕様と、暗号層の構造が酷似している部分も見つかっています。たとえば信号の同期パターンや、位相ノイズ制御の手法なんかは、ほぼ同じ系統にあります』


「じゃあ……誰かがこの艦の技術を知ってて、それを応用したってことか?」


『可能性としては否定できません。むしろ、“この艦と無関係な技術”として処理するほうが不自然なくらい、いくつかの共通点が見られます。ただし全体の構造は別系統です。意図が違う。つまり、“設計した人間の考え方そのものが違う”』


「……で、その中に何が入ってたんだ?」


『いくつかの断片は既知フォーマットと近かったため、再構成できました。その中に――』


 ルミナが、一瞬だけ黙る。その間がやけに長く感じて、思わず息を詰める。


『――“被検体ログと思われる断片”が含まれていました』


「……被検体ってことは――」


『はい。“Δ系列”の特性を持つログです。ただしコードも識別子も破損が激しく、個体の特定はできません。大部分は断裂しており、記録構造そのものが破損しています』


「Δ系列って……俺と同じ系統のやつか」


『その通りです』


 ルミナの声が静かに続く。ホログラムが回転し、断片的に再構成されたメッセージが艦橋に投影される。




[記録断片:Re:Δ- _log]

――状態:安定。

敵性存在による検知反応を確認。対象との直接接触:回避措置発動中。

意識覚醒プロセス:中断。再開条件、未確定。

“補助個体”による介入を推奨。

[転送優先コード:個体識別不明・適応閾値一致領域確認済]




「……敵性存在、ってなんだ」


 思わず口に出していた。


『文脈は不明です。全体が破損していて、因果関係までは再現できていません』


「“補助個体の介入”って、俺のことか?」


『可能性はありますが、断定はできません。“あなたに似た適応特性を持つ個体”を指しているだけとも解釈できます。もしこのログが彼女――『Sleeper-1』と関連しているとしても、まだ“傾向”レベルの話です』


「……まあ、無関係には思えないけどな」


『否定はできません。この信号はただの遭難通信ではなく、“誰かに届くこと”を前提に設計された構造をしています。助けを求めながら、同時に“何かを託す”意図があったと見られます』


 空気が変わる。艦橋の静けさの中に、何か重たいものが入り込んできた感じがする。


 これはただのSOSじゃない。ここには、明確な“意志”がある。誰かが助けを求めた。それだけじゃない。“誰かに届けよう”としたメッセージ――この冷たい宇宙の中で、それでも誰かに“託す”という決断。


 そして、今その信号は――俺の手元にある。


 偶然か、必然か。その答えはまだ遠い。でも一つだけはっきりしている。


 この艦に届いたその“声”は、決してただのノイズなんかじゃなかった。




「……ひと通りの確認は済んだな」


 ホログラムを操作しながら、俺は深く息を吐く。信号の発信元は、すでに姿をくらませている。だが、その方向――空間座標ログを辿れば、今もなお、残骸がゆるやかなドリフト軌道を描いているのが読み取れる。今いる宙域からおよそ後方21,000km。そこに、もうひとつの反応が引っかかっている。


「ルミナ、航行ルートを切り替える。後方21,000km地点。残留反応があった座標だ。行けるか?」


『計算上、移動は可能です。現在の推進材残量と軌道修正量を考慮すれば、およそ16分以内に到達できます。ただし、過去の戦闘痕や残骸帯の存在が予想されるため、接近時は警戒レベルを引き上げますね』


「了解。……その反応、何に見える?」


『スペクトル分析の結果、通常の残骸に混じって、わずかに“波形干渉型の信号断片”が検出されています。物理構造の崩壊に伴って消失してもおかしくないものですが――なぜか一部は“留まっている”。まるで、そこに“何か”を刻みつけたかのように』


 ルミナのその言い方に、俺の中の警戒と好奇心が同時に動き出す。


「……やっぱ、ただの漂流地点ってわけじゃなさそうだな。行ってみよう。下手すりゃ、あのカプセルの出所に繋がってるかもしれない」


『航行モードを準備します。進行方向、反転――後方21,000km、指定座標へ移行します』


 艦の制御系が静かに切り替わる感覚。慣性制御の切り替わりとともに、外部カメラが反転し、目的方向の星々がゆっくりとフレームに映り込む。


「……さて、もう少しだけ真相に近づけるといいがな」


 俺はぼそりと呟き、手元の画面に再び目を向ける。この先にあるものが、答えか、あるいは罠か。それすらわからないまま――《ストレイ・エクシード》は、静かに進路を変える。

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