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第73話 スピカ

 艦の食堂は、いつになくにぎやかだった。というか、うるさい。


「兄貴! パンがねえ! 俺の皿から消えた!」

「馬鹿、お前の口の端にパンくずついてるぞ!」

「ちげえ! そっちは食ったやつ! 今なくなったのは――あっ!」


 視線の先。ユイの肩から飛び出した小さな影が、テーブルの上を疾走していた。白銀の毛並みが揺れ、宝石器官がちかちかと光る。


「スピカ! 返せーっ!」

「キュイイ!」


 小動物はパンを丸かじりしたまま、子供の皿から皿へと跳ね回る。一瞬でベーコンをかすめ取り、次はサラダ、次はゆで卵。皿を持って逃げる子供たちを軽々と追い抜き、まるで小さな台風だった。


 俺は思わず頭を抱える。

「こいつ、完全に食卓ジャックしてるぞ!」


「ま、まって、スピカ!」

 ユイが慌てて両手を伸ばすが、スピカは器用に肩を飛び越え、ふわりとテーブルを駆け回る。その尻尾が皿をひっかけて――


「ぎゃあああ! 俺のスープ!」

「服にかかったー!」

「熱っつ!」


 食堂は一瞬で阿鼻叫喚になった。


 その混乱の中心で、ルミナがカップを片手に平然と座っている。彼女は小さく一口コーヒーを啜り、端末を操作しながら淡々と口を開いた。


「捕食行動は成長期において正常です。特に感応器官を有する個体は、高栄養食を本能的に選択します」


「冷静に解説してる場合かああああ!!」

 俺の叫びを無視し、ルミナはさらに続ける。


「なお、成長期における摂食量は、体重比で通常の二倍に達する可能性が――」


「倍ってなんだよ! じゃあコイツ、毎日俺らの分も食うのか!?」

「その場合、追加予算として一日約三十ソリオンの食費が必要です」


「胃薬代の次はペット食費かよ!! 俺の財布が死ぬ!!」


 その横で、スピカはちゃっかりユイの皿に戻ってきて、ちいさな前足で器用に果物を転がしながら頬張っている。ユイは困り顔で笑いながら、指先でスピカの背を撫でた。


「……ね、ちゃんと“おいしい”ってわかってるんだよ。スピカは」

「キュイ」

 宝石がぱちんと光り、スピカはユイの手にすりすりする。


 それを見た子供たちが一斉にブーイングした。

「ずりぃ! なんでユイの皿だけ無事なんだよ!」

「俺のベーコン返せー!」

「うわっ、もうカスしか残ってねえ!」


 俺は額を押さえながら、食堂中に響き渡る声で怒鳴った。

「全員! 落ち着け! そいつはもう“家族”なんだから、許してやれ!」


 静まり返る子供たち。そして、ぽつりとひとりが言った。

「……じゃあ、スピカの分の皿も最初から用意すればいいんじゃね?」


「……あ」

「……だな」

「最初から専用の席作れば解決じゃね?」


 一斉に頷く子供たち。スピカはというと、言葉がわかったのか、ユイの肩で嬉しそうに「キュイ!」と鳴いた。


 ……。


 俺は深く息を吐き、椅子に沈み込んだ。

「はぁ。まあ……それで平和ならいいか」


 ルミナがすかさず端末に入力する。

「了解しました。《艦内給食システムに“SPK-01専用食”を追加》」


 俺は反射的に叫んだ。

「待てぇ! 仕事早すぎだろ! 登録すんなああああ!!」


 食堂には、子供たちの笑い声とスピカの鳴き声が響いていた。戦場じゃない、束の間の“うちの朝”だ。


 ――そして、その“朝”はそのまま穏やかな時間へと続いていった。


 艦内のリビング。朝の光が差し込むテーブルで、ユイはスピカを胸に抱えながら座っていた。スピカはユイの首元にすり寄り、宝石器官をちろちろと光らせている。


「……そうなの? ふふ、うん、ちゃんとあとで一緒に遊ぼうね」

 ユイは誰かに話しかけるみたいに微笑んだ。


 スピカが「キュイ」と鳴き、ユイの指をちょんちょんと前足でつつく。

「……あ、もうお腹すいたの? さっき食べたばかりなのに」

 くすくす笑う声が、自然すぎて違和感がない。


 俺はカップを持ち上げたまま、思わず固まった。どう聞いても、ただの鳴き声なのに――ユイは迷いなく“会話”を続けている。


 ちょうどそこへ通りがかったエリスが足を止めた。

「……本当に最初から感応器官を備えてるんですよね。すごいです」

 わずかに震えた声が漏れる。


 ユイは振り返り、少し照れたように笑う。

「うん。スピカはね、言葉じゃなくても“話そう”としてくるんだ。……気持ちが、まっすぐ伝わってくるの」


 スピカが「キュイ!」と鳴き、ユイの頬をぺろりと舐める。ユイは嬉しそうに抱きしめた。

「ね、“家族になれてよかった”って言ってる」


 その仕草に、子供たちが一斉に群がってきた。


「うわっ、俺の手も舐めた!」ニコが笑いながら指を差し出す。

「……くすぐったいよ」ノノがくすくす笑い、毛並みをそっとなでる。


 ユズは真剣な顔で、膝にちょこんと座らせて体温を確かめるみたいに抱き上げた。

「ふふ……あったかいね。ほんと、生きてる宝石みたい」


 タウロは無言で近寄り、指先で頭を軽くぽん、と叩いた。

「……よし」


 その一言に、子供たちが笑い声を上げる。スピカも「キュイ!」と胸を張るように鳴き、場の空気は一気に和んだ。


 俺は額を押さえ、深く息を吐いた。――またひとつ、守らなきゃならないものが増えた。


 そうしてゆったりとした時間を過ごしていると、突然スピカがユイの胸元から顔を出し、宝石をちろちろと赤く光らせながら耳をぴんと立てた。


「……どうした?」


 ユイの声が不意に強張る。

「……きてる。よくないものが、こっちに」


 俺は思わず眉をひそめた。次の瞬間、呼び鈴が艦内に響いた。


 エアロックのハッチに向かい扉を開けると、そこに立っていたのは身なりの整った初老の男。艶のある外套に身を包み、深々と頭を下げる。だが、その動作は妙に整いすぎていて――まるで芝居の一幕を見せられているようだった。


「いやぁ、突然の訪問失礼いたします」

 男はにこやかに笑った。だが、その目は笑っていない。

「こちらに《アルカ・フェレット》がおられると伺いまして。ぜひともお譲りいただきたいのです」


 俺は目を細める。

「……どこで聞いた? その話は、まだどこにも伝えていないはずだが」


 男は肩を竦め、涼しい顔を崩さない。

「それは何とも……。こちらも信用の問題がございますのでね。ただ――“さるお方”がどうしてもとお探しになっておられるのです」


 懐から差し出された端末に、金額が表示される。

 ――【10,000,000 S】。


 俺は思わず息を呑んだ。戦艦が買える額だ。


「この金額で、いかがでしょう」

 男はにこりと笑う。


「帰ってくれ」俺は即答した。

「スピカを売るつもりはない」


 男は軽く首を傾げる。

「そうですか。本当によろしいのですかな?」

 声は柔らかいのに、言葉の端に棘がある。

「いえ、ご心配させていただいているのですよ。……この宙域、物騒ですからな。大切なものを抱えていると、どこで狙われるか――」


 俺は一歩踏み出し、声を低くした。

「……どういう意味だ」


 男は首を傾げたまま、涼しい笑みを浮かべる。

「はてさて。私からは何とも申し上げにくいですな。……それでは、お邪魔してしまったようですので。またお伺いします」


「二度と来るな」


 ハッチが閉じられた後も、スピカはユイの胸元で光をちらちらと揺らしながら、じっと入口を睨み続けていた。


「……ユイ。お前、どこかでスピカのことを話したか?」

「ううん。そんなの、誰にも言ってないよ」ユイが首を振る。


 エリスも真剣な表情で言う。

「私もです。医療区画での検査記録もすべて内部保存、外部送信はしていません」


 ルミナが端末を操作しながら淡々と続けた。

「外部発信ログ、ゼロ。私からも一切情報は出していません」


 子供たちに目をやると、ニコが頭をかきながら答える。

「だってよ、スピカってすげー高いんだろ? 外で言いふらしたらやばいって思ったから、誰にも言ってねえよ」

 他の子たちもうんうんと必死に頷く。


 ……となると、心当たりはひとつしかない。

「――フリーランクスか」


 俺は端末を取り出し、支部の管理係官レーネへ暗号通信を入れる。数秒後、疲れたような顔がホログラムに浮かび上がった。


「……あーあ。やっぱり来たか、そういうの」

 レーネは額に手を当て、ため息をつく。

「悪いけど、うちから漏れた可能性が高いわ。ゼファー絡みの裏切り者どもが、まだ潜んでるかもしれない」


 俺は奥歯を噛みしめる。

「やっぱり……」


「こっちでもすぐ洗う。でも、そっちも気を抜かないこと。アルカ・フェレットなんて希少種、狙う奴は金だけじゃなく“別の理由”で動く場合もあるから」

 レーネの声が、いつになく低く響いた。


 レーネの声が途切れ、ホログラムが消える。しんと静まり返ったリビングに、スピカの「キュイ……」という小さな鳴き声だけが残った。


 ユイはスピカを胸に抱き、ぎゅっと力を込める。

「……大丈夫だよ。絶対に、離さない」


 俺はその横顔を見て、拳を強く握った。




 艦内、通信制御室。暗い照明の中、ルミナの指先が端末を滑り、立体映像のウィンドウが幾重にも浮かび上がる。


「対象:初老の男。外套の繊維パターンから居住圏データを逆算……ヒット。ここデルフィナ宙域のカルナス恒星系に位置する《ガンド・ステーション》の居住者」

 無機質な声で告げながら、彼女の瞳には青白い光が走る。


「現在は――ラゲルト・コロニー下層グレイ・ラボリント。裏通りの宿に滞在。……表向きは安宿ですが、実際は高額な裏取引に利用される隠れ場です」


 俺は眉を寄せる。

「やっぱり、真っ当な客じゃなさそうだな」


 ルミナが指を止めることなく告げる。

「宿への出入り記録を照合……護衛に数名。全員、フリーランクス登録傭兵」


 俺は低く唸った。

「……正式な組合所属だと?」


「はい。ただし“名義貸し”の疑いがあります。ゼファー絡みで除籍処分を受けた者の身内、あるいは借金を抱えた傭兵――そういう連中が名前だけ登録して、実際は裏仕事に流れているケースがあるようです」


「つまり、フリーランクス自体が黒いわけじゃないが……一部にゼファーの手が回ってるってことか」


 ルミナは小さく頷く。

「資金の流れを解析中。……十日前に大口の送金。匿名化されていますが、暗号パターンの癖がゼファー関連のものと一致します」


 俺は奥歯を噛みしめ、深く息を吐いた。

「……やっぱりな」


 ルミナの視線がこちらを射抜く。

「団長。あの初老の男は、ただの使い走りです。本命はもっと後ろにいる。……どう動きますか?」


 俺はしばし沈黙し、ユイとスピカの笑顔を思い出す。

「……まずは調査からだ。その宿を引き続き監視するぞ」


 ホログラムに映る金の流れを睨みつけながら、俺は低く付け加えた。

「……奴らが本当に欲しがっているのは“スピカ”なのか、それとも――別のものか。正体を引きずり出してやる」

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