第61話 囮作戦
航路は静かだった。電子音とエンジンの唸り、ただそれだけが響く、退屈で――平和な時間。だが、その静けさを破ったのは、ユイのかすかな声だった。
「……来る」
その響きに、俺とエリスは同時に顔を上げた。
「来るって……何が?」エリスが眉を寄せる。
ユイは視線を宙に向け、額に小さく皺を寄せていた。
「……近づいてる。重たい、濁った波みたいな……。これまで何度か感じたのと、同じ」
その言葉には、かすかな緊張こそあれ、恐怖に呑まれる色はなかった。
――こいつも、もう何度か修羅場を潜ったんだよな。
ルミナが端末に指を走らせ、静かに言葉を重ねる。
「センサー反応。距離0.9AU、不規則な推進波形を確認。通常の商船とは異なる軌道です」
ユイが小さく頷いた。
「……やっぱり、間違いない。こっち来てる」
「宙賊か」俺が吐き出すと、ルミナは首をわずかに傾げて、冷徹に答える。
「確定はまだ。ただし、航路を交差させるよう調整してきています。襲撃行動と判断して、差し支えありません」
エリスがユイの肩に手を置き、覗き込む。
「怖くないですか?」
ユイは少し考えてから、小さく笑った。
「……ちょっとは、怖い。でもね、何度か見たからわかるんだ。あれは、人を襲う気配」
その言葉の重さに、俺は思わず黙り込んだ。
ルミナは即座に補足を入れる。
「感応系能力による事前察知は、センサーを上回る精度です。あなたの直感は極めて有効です」
「ありがと、ルミナ」ユイが照れくさそうに微笑む。
そのとき、ホークからの通信が飛び込んできた。
『おい!センサーに変な反応出てんぞ!』
ニコの声が、わずかに上ずって響く。
続けざまに、子供たちが騒ぎ出す。
『ホーちゃん狙われてる!?』
『ホーちゃん迎撃準備!』
『ホーちゃん、ぜったい勝てる!』
「落ち着け!まだ確定じゃねえ!」俺は制止するが、騒ぎは一瞬で学級崩壊状態になった。
ルミナが冷徹に結論を下す。
「識別コード偽装、確定。艦影は宙賊船と推定されます」
ユイが息を吐き、落ち着いた声で言った。
「――じゃあ、いよいよだね」
エリスが目を見開き、俺は小さく笑うしかなかった。
「……くそ、俺の胃が先に悲鳴あげそうだ」
星図の上で、赤い点がじわじわと近づいてくる。囮作戦の幕が、ついに上がろうとしていた。
ホークは速度を落とし、推進波形をわざと乱すように調整していた。
――演技だ。
ただの輸送艦が慌てて舵を切り、制御を持て余しているように見せかける。
『もっと右に!いや、違う!逆だ、逆!』
ニコの声が艦橋に響き、操舵を担当するレンがわざとらしくパネルを押し間違える。
『ぐらぐら揺れてる!まるで素人丸出しだぜ!』
艦載AIリーナが悪ノリし、子供たちは笑いを堪えるのに必死だ。
――その裏で。《ストレイ・エクシード》は、ホークの後方数万キロの距離をとり、ステルスモードで追随していた。こちらから見れば、ホークはただのカモ。宙賊にとってもそう見えているはずだ。
そして。不意に、交信チャンネルが割り込まれた。スクリーンに、粗暴な笑みを浮かべた男の顔が映る。
『商船ホーク!航行停止しろ!積み荷を渡せ!』
その声は甲高く、ノイズ混じりだが、十分に下卑た威圧感を帯びていた。
『抵抗は無駄だ!――って、おいおい……マジかよ』
相手が一瞬言葉を切り、画面越しに目を細める。
『……子供が船員って、本当だったんだな。ははっ、笑わせる。抵抗できるわけねえだろ』
艦橋の子供たちの顔色が、さっと変わった。
『ガキどもは……そうだな。どっかにまとめて売り飛ばすか?』
『臓器か、娼館か……ま、どっちにしろ金になるだろうな!』
宙賊の下卑た笑いが、スピーカーを震わせた。
『……ッ!……了解。停船する』
操縦桿を握るニコの赤い瞳に、怒りが燃え上がる。子供たちも唇を噛みしめ、笑いは跡形もなく消えた。だが、操縦桿をゆっくり倒し、わざと推進を落とす。艦体が減速し、いかにも“抵抗する気がない”動きに見せる。
俺は《ストレイ・エクシード》の作戦席で、息を呑む。
――よくもまあ、笑いながら言えたもんだ。
胃の奥で、鈍い痛みが走った。
ルミナが冷静に告げる。
「襲撃意志、確定しました」
――作戦開始だ。
俺は《ストレイ・エクシード》のモニター越しに見守りながら、小さく息をついた。
(よし……ちゃんと芝居できてるな)
ホークの艦橋では、子供たちがそれぞれ端末を操作していた。
『距離、あと0.03AU。接舷可能範囲に入ります』ナギが冷静に報告。
『武装、スタンバイ。外殻パネル開閉シークエンス、待機完了』レンも緊張した声で続ける。
『主砲冷却ライン、圧力正常。発射準備よし』ハヤテが端末を睨みながら告げる。
そしてニコが低く命じた。
『――よし、接舷直前で反撃する。全員、タイミング合わせろ』
子供たちの返答は、もはや遊び半分の掛け声ではなかった。
『了解!』
『了解!』
声が重なり、艦橋の空気がきゅっと引き締まる。
宙賊船は完全に油断していた。
『へっ、やっぱただの商船か。接舷用意――』
その瞬間。
『展開!』ニコが叫ぶ。
外殻が一斉にスライドし、砲塔と砲口が姿を現す。貨物船の皮を脱ぎ捨て、牙を剥いた“鷹”がそこにいた。
『主砲、発射!』
レンの声とともに、光の奔流が宙を駆け抜けた。閃光が宙賊船をかすめ、外板を焼き裂く。
続けざまにナギが副砲を指揮する。
『副兵装、照準同期――撃て!』
粒子弾が雨のように降り注ぎ、宙賊船のシールドを削り取っていく。
宙賊船の通信が悲鳴に変わった。
『な、なんだ!?商船じゃねえ――!』
慌てふためく声が飛び交う。
その直後、ルミナの声がブリッジに響いた。
「新たな反応、三隻。後方から二隻、側面から一隻――距離、接近中」
俺は小さく息を吐く。
「……やっぱ、そうなるか」
胃の奥がきりきりと痛んだ。
『三隻!?』ノノが一瞬だけ声を裏返らせる。
『落ち着いて!予定通り動けばいい!』ナギがすぐに制した。
レンも端末を叩きながら叫ぶ。
『照準補正済み!いつでも撃てる!』
艦橋の空気は一瞬ざわついたが、すぐに引き締まる。ニコが操縦桿を強く握り、赤い瞳をぎらつかせた。
『――全部まとめて、返り討ちにしてやる!』
モニター越しに見ている俺は、思わず頭を抱える。
「……頼むから、その気合で暴走すんなよ……俺の胃が死ぬ」
ルミナは淡々と冷静に告げる。
「敵艦、射程まで十秒。対応準備を」
子供たちの声が一斉に重なった。
『了解!』
宙域に、鋭い赤点が複数浮かんでいた。《ホーク》を中心に、前後左右からにじり寄る宙賊船。大小合わせて四隻。
「囲まれた……」
エリスが小声で呟く。
「戦術的には自然な手です。逃げ場を塞ぐ形で接舷を狙ってきている」
ルミナの声は冷徹で、淡々とした解析音がブリッジに響いた。
モニター越しに見える《ホーク》は、古びた外殻をきらめかせながら、ゆっくりと旋回していた。それはただの輸送艦が慌てふためき、進路を失っているようにも見える。だが、艦橋の中で交わされている声は――違った。
『前方艦、距離詰めてきてる!』
『左舷、射程内!撃てるよ!』
『まだだ!タイミング合わせろ!』
ニコの声が、張りつめた空気を支配する。
それに続いて、子供たちが即座に動く。レンは照準を調整し、ハヤテが冷却シークエンスを回し、ナギが副兵装を一括管理する。訓練で叩き込まれた連携だ。荒削りではあるが、確かに艦を動かしている。
「……あいつら、ちゃんとやってる」
俺は作戦席でモニターを見つめながら、わずかに息を漏らした。
――ほんの数週間前まで、ただの孤児だった連中が。今は、立派に“艦の牙”を操っている。
だが。
宙賊船の包囲は、じりじりと狭まっていく。正面の一隻を牽制しても、後方から二隻が回り込む。そのたびにニコは操縦桿を捻り、子供たちは端末を叩き続ける。一瞬でも指示が遅れれば、たちまち隙を突かれる。
『ぐっ……!シールド、右舷に偏る!』
『左が薄くなる!』
『補正する、待って!』
通信の中で、焦りと必死さが入り混じる。
「……まだ均一に捌けてねえな」
俺は胃を押さえながら低く呟いた。
「四隻に囲まれての多方向戦闘は、訓練でも難しいです」
ルミナが淡々と分析を重ねる。
「現状では、じきに防御を突破されます」
ユイが唇を噛みしめた。
「……助けに行こう」
俺はわずかに笑みを浮かべ、操舵席に声を飛ばした。
「エクシード、前進――ステルス解除だ」
――瞬間。
闇に溶けていた《ストレイ・エクシード》の巨影が、宙域に姿を現した。漆黒の艦体に青白いエンジン光が走り、戦闘態勢へと移行する。
「全砲塔、敵艦に照準!ルミナ、射撃管制を!」
「了解。ターゲットロック開始……同期完了」
エリスが深呼吸し、声を張り上げる。
「対宙賊艦作戦――開始!」
――次の瞬間、エクシードの主砲が火を吹いた。濃紺の閃光が宙域を横切り、包囲に回り込んでいた宙賊船の一隻を直撃する。外板が閃光に呑まれ、爆散した火花が虚空を彩った。
『な、なんだ!?もう一隻……!』
『罠か!?』
残る宙賊船が混乱に揺らぐ。
《ホーク》の艦橋では、ニコが大声を張り上げた。
『チャンスだ!前方艦に集中砲火!』
『了解!』
子供たちが一斉にキーを叩き、副砲の粒子弾が雨のように降り注いだ。
正面の宙賊船が慌てて回避行動を取る。だがその動きは鈍い。
――囮を狙ったつもりが、逆に狩られる側に回ったのだ。
「……よし」
俺は息を吐き出した。まだ胃は痛む。だが、目の前に広がるのは確かに優勢の光景だった。
「行くぞ……狩りの時間だ」
虚空に、二隻の艦の連携砲火が轟いた。《ホーク》と《ストレイ・エクシード》。双翼が広がり、宙賊を討つ牙を剥いた。
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