第4話 艦内散策②
『さて艦長、少し息抜きでもしますか』
「息抜きって……宇宙漂流中に?」
『状況は非常時ですが、心のケアは常に優先事項です。ご案内します、プレミアム艦専用のメインダイニングへ』
耳元に響くルミナの声に従って、俺は廊下を歩いていく。どこまでこの艦は無駄に豪華なんだと半ば呆れつつ進むと、やがて見えてきたのは、他と違って妙に洗練されたデザインのドア。
スッと開いた先に広がる光景に、思わず言葉が出ない。
――ここ、本当に艦の中か?
天井には光沢のある金属パネルが並び、柔らかな間接照明が空間を優しく照らしている。壁はチタン調のマット仕上げ、床は無駄に高級感のあるカーボンパネル。中央には、明らかに乗員数を超えた10人以上は座れそうな長テーブル。その脇にはバーカウンター、調理ユニット、ドリンクサーバーまで完備されていて……もはや宇宙のレストランというより高級ホテルのラウンジだ。
「……いや、これ食堂ってレベルじゃねえぞ」
『プレミアム艦の基本仕様です。“おまぬけ艦長にも優雅なひととき”を、という設計思想ですね』
「いま素で俺のことバカにしたよな?」
『気のせいです。それでは、まず艦内の食事環境をご案内します』
ルミナの声と同時に、壁の一角からパネルがスライドして開いた。中には、すっきりとしたデザインの調理ユニットとドリンクサーバーが並んでいる。
『調理ユニットは、レシピ指定から自動調理まで全自動対応。フードプリンター機能も完備。素材を使用する場合も、冷凍/常温問わず最適加熱を行い、プロ級の仕上がりが期待できます。また、カロリー調整や塩分制限など、健康モードへの切り替えも可能です』
「……おまえ、絶対こっちの生活レベル知ってて皮肉混ぜてるだろ」
『飲料サーバーは、温冷24種対応。コーヒー・紅茶・果汁飲料・合成エールなど各種をお好みで抽出できます。“艦長の疲労状態に応じたおすすめドリンク”を自動提案する機能もございます。ご安心ください、睡眠不足にはノンカフェインです』
「余計なお世話な気がしてきた……」
『では、冷凍庫の一部をご紹介しましょう』
ルミナの声に合わせて、壁際のユニットがスライドして開く。中には、まるで展示品みたいに美しく並べられた冷凍パッケージの数々。どれも高級感バリバリで、ひとつひとつに精緻なラベルが貼られている。
『こちら、冷凍保存食ラインナップです』
ルミナの解説モードが始まる。すごく流暢で、すごく無駄に丁寧。
『高級保存食“宇宙黒トリュフの生パスタ”。マイクロ加熱制御により、香りの立ち上がりまで完全再現です』
「……なんかもう、すげぇな……」
『無重力対応炙り寿司。疑似重力センサーで米粒の飛散を防止。シャリの温度変化もシミュレート済みです』
「ちょっと待て、意味わからん」
『プレミアム栄養ゼリー。全12種、フルーツから海藻、和風だし味まで。戦う胃袋に、彩りを』
「なんで最後だけキャッチコピー風なんだよ……」
そして、最下段の棚。ひときわ目立つパッケージが、視界に入る。
「……え、これ……?」
俺の目が吸い寄せられる。ラベルに記された、見覚えのある名前。
《餃子ライク・メモリアルエディション》
「…………なんで俺の晩飯が保存されてんだよ」
『あなたの“原初の味覚体験”として、特別レシピに登録されています。再現度98%。ラー油と味噌ダレの比率も、当時のログから正確に復元済みです』
「いや、いらんから!!」
食堂を出て、しばらく無言で廊下を歩く。足音だけが、艦内の静けさにコツコツと響く中――耳元に、あいつの声が届く。
『ここで一息、艦長。左側、スライドドアの向こうです。艦内リラクゼーションルーム――通称、“クルーラウンジ”となります』
「リラクゼーション……つまり、休憩室ってことか?」
『はい。乗組員たちが仮眠・会話・娯楽を行う共有空間。ですが現在、乗組員はあなただけですので……独占利用が可能です』
ドアが静かに開き、中を覗いた瞬間――足が止まる。
……広い。想像よりずっと広い。
部屋の中央には、低めのラウンドテーブルと、その周囲を取り囲むモダンなソファたち。壁際には、物理書籍と電子書籍が混在したブックシェルフがずらっと並んでいて、昔懐かしい小説から、未来的なデータ集っぽい何かまで、ジャンル無視のラインナップが詰め込まれている。
奥の方では、ホログラム投影式のミニシアターが目に入る。天井を這うようにアーチ状の照明レールが走っていて、部屋全体を優しい光で包んでる。床はやわらかくて、足音がすっと吸い込まれていく。空調も完璧で、なんかこう……空気に“森林っぽさ”を感じるくらい、心地いい。
「……なにこの癒し空間。これ、前の職場にあったら俺、辞めずに済んだかもしれん」
『その選択は、艦長ご自身の問題ですね。でも、お気持ちは理解します。ちなみに中央のソファは、重力調整付きマッサージユニットです』
「まさか……ここにも“プレミアム仕様”?」
『もちろんです。“プレミアム艦長は、戦いの合間に深く癒されるべし”――開発チームの理念に基づいた設計です』
恐る恐るソファに腰を下ろすと、背もたれが自動で動き出し、理想的な角度にリクライニングしていく。その瞬間、ふくらはぎから肩甲骨にかけて、心地よくて深い圧がじんわりと体を押し包んでくる。
重力制御も絡んでるのか、体がふっと軽くなったような感覚すらある。
「……なにこれ、天国かよ」
『正確には、艦内ラウンジです。ただ、死ぬ前に味わうには、少々贅沢すぎるかもしれませんね』
「やめろよ。そういう縁起でもないこと言うなって」
『冗談です。死なせません。プレミアム艦長は、高級マッサージチェアに座ったまま、何十戦も勝ち続けるべきですから』
「……そのうち、“スパエリア”でも案内されるんじゃないかって気がしてきたぞ」
『ございますよ。“量子蒸気浴室”と“無重力リフレッシュ水槽”が、医療区画に完備されています』
「……完敗だ。この艦、なんなんだよマジで」
リラクゼーションルームを出て、広めの廊下をのんびり歩く。足音が、金属床に控えめに響いて心地いい。照明もやわらかくて、宇宙船の中ってことを忘れそうになる。
廊下を進んでいると、不意にルミナの声が耳元で響く。
『ここです、艦長。左手、スライドドアの前をご覧ください』
指示された方向を見ると、他のドアより一回り大きく、装飾も凝った扉がある。明らかに“それなりの部屋”っぽい雰囲気を放っている。
『こちらが、乗組員の標準居住区です。もちろん、プレミアム仕様となります』
「……標準なのにプレミアムって、矛盾してないかそれ」
『“最低ラインが高い”という意味です。あなたのようなおまぬけ艦長でも覚えられるように、仕様表にはちゃんと星マークがついています』
「うるせぇよ」
ドアが静かにスライドして、目の前に現れた部屋を見て、思わず息が漏れる。
……なんだこれ。普通にホテルじゃねぇか。
広さは10畳以上、ベッドはフルサイズで、壁際にはパーソナル端末つきのデスクと人間工学チェア。ユニットシャワーと簡易キッチンまで完備されていて、完璧すぎて逆に不安になるレベル。
「ちょっと待て、これ“乗組員用”の部屋だよな? 艦長室との差、ほぼないんだけど」
『それがこの“プレミアム艦”の標準です。“艦長だけが快適”ではなく、“全員が快適”――それが設計理念です』
「なにこのホワイト艦……地球のブラック企業が泣くぞ、マジで」
気になって、他の居住区もいくつか見て回る。どの部屋も同じスペック。どれも使用した形跡がなく、扉には未使用表示のホログラムタグすら残ってる。
「……ってことは、ここ、誰も使ったことないってことか?」
『正確には、ログ上“最初から搭乗者なし”です。つまり、あなたがこの艦の、唯一にして最初の乗員です』
「準備だけは完璧にされてて、俺が最初の一人? どういう計画だったんだよ、この船……意味わかんねぇ」
ルミナの声が、いつもより少しだけ柔らかく聞こえる。
『ご安心を。艦長には、私がついていますから』
「……それ、フォローしてるつもりか?」
『どうせひとりで暮らすなら、毒舌AI付きの方が、賑やかで楽しいでしょう?』
「……お前、自覚あるんだな」
乗員区画から専用エレベーターに乗って、一層下のフロアへ降りる。扉が静かに開いた瞬間、空気の質がほんの少し変わった気がする。
『こちらがサブブリッジ。正式名称は“補助管制室”です』
耳元に響くルミナの声に促されながら、一歩踏み出す。
「サブブリッジって……副操縦士とかが使うやつだろ?」
『その通り。非常時の操縦、戦術管制、緊急回避処理を担います。メインブリッジが使用不能になった場合のバックアップでもあります』
覗き込むと、部屋はメインブリッジに比べてずいぶんコンパクトだ。けど、並んだコンソールや、中央の半円形の司令席、視界に浮かぶ多面ホログラムのディスプレイ群――そのすべてが、無駄なく機能に特化している。
なんというか、ここは“飾りじゃない”って空気を感じる。
「……意外と地味だけど、けっこう重要な場所じゃねぇか」
『ええ。艦長が“おまぬけで艦橋を壊した場合”でも、ここから全システムを再起動できます』
「壊さねぇよ! ていうか俺の扱い、いつもそこから始まるな!?」
『AIは最悪の事態を想定して行動するよう設計されています。でも……今の反応を見る限り、ほんの少しだけ信用してもいいかもしれませんね』
「……今の、ちょっと優しさ混じってなかった?」
『気のせいです』
ルミナの声は、相変わらず冷静だ。でも、トーンがほんの一瞬だけ柔らかくなったような気がして、なんとなくツッコミを控える。
『なお、このサブブリッジには緊急用の簡易AI操縦モードが独立搭載されています。音声、視線、思考インターフェースによって、直感的に操縦可能です』
「つまり……“俺が叫べば動く”ってこと?」
『言い方はアレですが、概ね正解です。叫び声で通じる操縦系があるのは、プレミアム艦ならではの贅沢ですね。現実には“焦ってる人間が使う”ことも想定されているので』
「……俺のこと完全に混乱要因として設計されてない?」
『気のせいです』
『一旦ここを最後にしましょう。こちらが艦の食料保管室です』
「ほう……冷凍庫ってやつか?」
『広い意味ではそうです。“戦闘艦クラス対応・長期航行仕様の保管施設”。食料、調理素材、調味液に至るまで、すべてが自動で管理されています』
ドアが静かにスライドして開くと、ひんやりした冷気が頬を撫でてくる。中を覗けば、縦に抜けた天井の下、ずらっと並ぶ金属ラック。奥には冷凍・冷蔵兼用の大型ユニットがいくつも据えられていて、壁際には監視センサーと質量計付きの棚。
「……意外と広いな。研究所の備蓄庫って感じだな、これ」
『その感覚、正しいです。この施設、実は“調理用”と“研究用”でゾーンが分かれています』
「研究用……って何用なんだよ」
『バイオラボ系の補給資材、試験食材、栄養実験用のサンプルが保管されています。“被検体関連資材”も一部に含まれているようです』
「……それ、俺の“出身”と関係あるってことか」
『断定は避けます。ただ、無関係とも言い切れません。もともとのプレイヤーデータや出自設定が反映されている可能性は十分に考えられます』
棚をひとつ引いてみると、透明ケースがカチリと音を立ててせり出してくる。中にはラベル付きの物資がぎっしり――「栄養補填ジェルG‑Rx1」「筋組織安定サプリ」「生体適応グルー」……とか、まるで実験室の在庫表みたいな内容だ。
「……なんか、じわじわ怖くなってきたな」
『無理に摂取する必要はありません。代わりに、冷蔵棚の奥に“高級宇宙プリン”がございます』
「あるのかよ! てか差が極端すぎるわ!」
冷気の残る保管室を出て、再び廊下を歩く。静かな艦内で、自分の足音だけがやけに響く。なんとなく気になって、口を開く。
「なあ、ルミナ。この艦ってさ……まだ俺が知らない場所って、どのくらいあるんだ?」
『質問の意図を確認します。“未確認区画の数”ですか? それとも“アクセス可能な機能一覧”ですか?』
「いや、そんなガチじゃなくていい。もっとざっくりで。“まだ行ってないとこある?”くらいのノリで」
『もちろん、あります。複数区画が未訪問です。たとえば――』
ルミナの声に連動して、視界にホログラムが展開される。艦の立体マップが、目の前にふわりと浮かぶ。
『医療区画、戦術演算室、エンジンルーム、補給資材倉庫、格納庫下層、重力制御中枢、艦外エアロック、娯楽用シミュレーター室、艦内訓練ブロック……それと、封鎖中のセキュリティ区画がいくつか』
「けっこう残ってんじゃねぇか……」
『はい。この艦は一人乗りとは思えないほど多機能ですから』
「乗組員、俺だけなのに贅沢すぎだろ……」
そう言いながら、浮かんだホログラムマップをぼんやりと見つめる。
「でも、落ち着いたら……ちょっと見て回ってみたいな。訓練ブロックとか、気になるっちゃ気になるし」
『了解です。余裕ができ次第、順次ご提案します。……まずは“運動不足の解消”から始めましょうか?』
「……おい、鍛える気だな」
『ええ。“おまぬけな体力”の改善は、私のサブ目標のひとつですので』
「余計なお世話だっての……!」
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