第39話 共鳴の果てに
《ストレイ・エクシード》は、ステルス航行モードを維持したまま、《ハーヴィア》の消失座標へと静かに進入した。艦内には緊張が走り、艦橋は静まり返っていた。コンソール上では、微弱ながらも継続的に発せられる異常信号の解析が進んでいた。
その波形は複雑で、周期のない揺れを伴いながらも、不気味なほどに安定している。自然現象とも人工ノイズとも言い切れない異質な信号に、誰もが言葉少なに端末へ視線を注いでいた。
『発信源の再特定完了。信号は《ハーヴィア》本体からではなく、その側面に接続された未知の小型艦から検出されています』
ルミナの報告が静かに響く。
前方スクリーンには、通信不能となっていた《ハーヴィア》の姿が拡大表示される。その船体は損傷も見られず、エンジンも沈黙していたが、あまりに整然と静まり返っており、不自然な気配すら感じさせた。そして、その右舷には――艶消しのブラック塗装が施された、明らかに軍規格外の小型艦がドッキングしているのが確認された。
「……あれが、原因か」
《ハーヴィア》は、すでに無人だった。内部の熱源反応は検出されず、制御系統も切断されていた。まるで誰かに“使い捨て”にされたかのような状態だった。隣接する小型艦――おそらく宙賊によるものだろう――は、接続ポートから直接のシステムに侵入し、通信と電源系を掌握していた痕跡があった。
「ルミナ、通信ログを抽出」
『照合中……一致。過去24時間のうち、この宙賊船は周囲の他輸送艦に向けて複数の誤警報を発信しています』
ホログラムが開き、隣接宙域の艦船ログが次々と表示されていく。その中には、異常に高温化したエンジン警告、電磁シールドの急激な揺らぎ、果ては内部のバッテリー過負荷など――いずれも重大性が高く、乗員が優先して対応せざるを得ないレベルの誤警報が記録されていた。
「……わざとだ。注意を散らすために、信号をばら撒いたんだ」
『はい。その影響で、他の艦は《ハーヴィア》の沈黙や異常に気づけなかった可能性が高いと推定されます。さらに、これらの誤警報は本来のシステムログとは別系統に記録されており、多くが“非公式の警戒記録”として分類されています』
つまり、記録はされていたが、後から丁寧に検証されない限り、見逃されてもおかしくないレベルだった。宙賊はそれを見越していた。痕跡を極力薄め、すべてを“事故”として処理させるために。
「……狙いは、《ハーヴィア》の積み荷か。複雑なようでいて、実に宙賊らしい展開だな」
無人化した輸送艦を見つければ、即座に略奪に移る――彼らにとっては日常の延長にすぎない。
だがーー宙賊船の通信を解析していたルミナが、突如として警告を発した。
『この信号……通常の通信波ではありません。微弱ながら、“感情波”に近いパターンを検出しました』
「感情波……?」俺が眉をひそめると、ユイが小さく肩を震わせた。
「……聞こえる。ノイズに混じって、何かが呼んでる……言葉じゃないけど、感じるの。“知ってる声”に似てる……」
彼女の声はかすかに震えていた。目を閉じ、額に手を当てたその姿は、どこか苦悶にも似た様子を見せている。
ルミナが即座に信号波形をホログラム化し、比較データを重ねた。
『照合完了。このパターン――以前、“デヴォル”の残留波長と一致します』
その一言が、場の空気を一変させた。
「デヴォルですか、ですがなぜ……どこにも見当たりませんよ?」
「私も感じた……あの、深くて、広がっていくような……でも今回は、どこかに“混ざりもの”がある気がする」ユイが不安そうに目を伏せながら答えた。
「確かに何かがノイズに覆いかぶさってるような違和感があるな」俺も同感だった。
エリスが眉をひそめながら端末を操作する。
「信号の強度は微弱ですが、安定しています。通常の自然干渉では説明がつきません」
『直接確かめる必要があります。ドローン偵察を提案します』
ルミナの冷静な提案に、俺はうなずいた。
「ああ、やってくれ。」
数分後、ルミナは偵察用のドローンを静かに自動展開させた。
『バックドア認証コード、照合完了。システムへの侵入を開始します』
ルミナの声と同時に、ドローンが静かに《ハーヴィア》へと接近。補助電源ラインを通じて端末への接続に成功し、そこから宙賊船へとリンクを拡張していく。
『ログ解析開始。……内部記録にアクセス成功。翻訳・解読を行います』
「何が見える?」と俺が訊ねると、ルミナがやや間を置いて答えた。
『……宙賊たちは、数週間前に流通船団を襲撃した際、“正体不明の結晶体”を回収していたようです。ログでは“異様な輝きを放つ鉱石”として扱われていますが、明確な分析は行われていません』
「結晶体……?」エリスが首を傾げる。「エネルギー反応の記録は?」
『ごく微弱ですが、数日前からパルス反応が増加傾向にありました。貨物室に保管されていたその物体が、航行中に共鳴を始めたようです』
俺は眉をひそめた。「それってまさか――」
『ええ。分析結果から判断すると、その“結晶体”は、かつて遭遇した存在――“デヴォル”の破片である可能性が極めて高いです』
ユイが小さく息を呑む。「……やっぱり、あのときと似てる……重くて、遠くて、でも確かに“見られている”ような感じ……」
『しかも問題はその後です』ルミナが続ける。『宙賊船の通信モジュールと擬装信号装置が、破片のパルスに反応して誤作動を起こしました。暗号化周波と共鳴し、偶発的に“擬似的なデヴォル信号”を形成・発信していたようです』
「つまり……奴らは気づかないうちに、デヴォルの信号を発してたってことか?」俺の喉が乾く。
『はい。そして、発せられていたのは“模倣された存在”の波長――それをデヴォルがどう受け取るかは、未知数です』
エリスが呟く。「……ただの売却品のつもりが、最悪の招待状になったってことですか」
「まさか、破片一つで……」俺は頭を抱えた。「けど、ルミナ、確証は?」
『この共鳴反応は極めて珍しく、通常の機器では記録されません。しかし《ストレイ・エクシード》の感応装置とユイの反応、そして過去データとの照合結果を踏まえると、信頼度は89%以上です』
ユイがそっと言う。「……近づいてきてる。確かに、何かが、ここに来ようとしてる」
「……全部、偶然だったんだな。けど、結果は“確実に”引き起こされてる」
俺たちは、ただ黙って画面に表示されたログを見つめていた。そこに記されていたのは、愚かで、しかし止めようのない“呼び声”の痕跡だった――。
「……近づいてきてる。確かに、何かが、ここに来ようとしてる」
ルミナの指先が、解析中の波形に止まる。『反応増大。波長密度が指数的に増加……これは』
「来るぞ……!」俺は息を呑んだ。
コンソールの波形が突如ノイズ混じりになり、警報が鳴る寸前――
“それ”は、現れた。
宙域の“深部”――光も電波も届かぬ暗黒の空間から、巨大な影が実体化するように現れた。ゆっくりと姿を表したのは、あまりに異様な存在。複雑に入り組んだ構造体が蠢き、まるで空間そのものがねじ曲がったような錯覚を与える“それ”は、確かに――《デヴォル》だった。
その巨影は、迷いなく《ハーヴィア》と、ドッキングしていた宙賊船を包み込むように呑み込み、自らの内部へと引きずり込んだ。まるで“回収”でもするかのように、無機質で、それでいてどこか獰猛な動きだった。
その瞬間、通信チャンネルが突如開き、割れたノイズの中に、断末魔のような声が混じる。
『く、来るなッ! な、なんだあれは……!?』『……反応しない……どうして……』
音声は乱れ、最後の一声は、かすれた息のように途切れた。
助けを求める叫びではなく――まるで、自分たちが“何かに理解されないまま終わる”ことへの、静かな絶望だった。だが、すでに遅すぎた。彼らの声は、やがて何かに呑まれるようにフェードアウトし、通信は完全に沈黙した。
「……来た……!」
ユイの声が震える。彼女の瞳には、恐怖を押し殺し、何かを伝えようとする強い意志が宿っていた。
ユイは静かに感応を開始する。意識を深く沈め、あの存在との“接触”を試みる――だが、その直後、全身を貫くような拒絶の波動がユイを襲った。
「――っ!」
彼女は肩を震わせ、後ずさる。
「どうした!? ユイ!」
俺が駆け寄ると、ユイは力なく首を振った。
「……だめ……今回は……拒絶された……」
「模倣された」「冒涜された」――感情ではなく、概念そのものがぶつかってくるような、圧倒的な“声”だったという。その波動には、怒りに似た熱を含んだ衝撃が伴っていた。人間の理解を超えた知性が、不快と警告を放っていた。
そして、事態はさらに変貌を遂げる。
《デヴォル》は、自らが取り込んだ宙賊船の残骸を内部で変質させ、それを核とするかのように姿を変えていく。鋭利な外殻、脈動するような光、機械と有機の中間にあるような構造が蠢き、ついには――“変異体”としか呼べない、攻撃的なフォルムが完成した。
「……なんだよ、あれ……」
俺が呟いたその声は、ほとんど誰にも届いていなかった。
艦橋では、すでにルミナが全システムを戦闘モードへ移行していた。
『敵性反応、接近中。距離、14000。――このまま進行を続けた場合、約70秒後に交戦圏に入ります』
冷静な声が、しかしどこか張り詰めた緊迫を孕んで響いた。
「判断を――」とルミナが言いかけた瞬間、俺は短く命じた。
「……やるしかないな」
ルミナが頷き、照準系が唸りを上げてロックオンを完了する。《ストレイ・エクシード》の砲塔が、空間に漂う“変異体”へと焦点を合わせる。
――それは、異形の進化だった。
《デヴォル》は、取り込んだ宙賊船の構造を自身に融合させていた。黒金色の外殻が脈動し、かつての船体の面影を残した装甲片が脊柱のように浮かび上がる。眼状のコア発光部からビームチャージの兆しが漏れ、表層には半透明の偏光バリアが展開されていた。
「……あれ、ビーム兵装と防御シールドを再現してるな」
俺は前方スクリーンに映る怪物を見つめ、低く呟いた。
『宙賊船の艤装データを吸収・解析、最適化したものと考えられます』
ルミナが淡々と告げる。
「つまり……一隻分の武装をそのまま敵に渡したってわけか……」
「来るよ!」
ユイの声が響いた刹那、敵影が空間を裂いて瞬間移動した。
――ビームだ。
直後、光の奔流が艦体をかすめる。高出力ビームの直撃だ。だが《ストレイ・エクシード》の位相遮蔽シールドが即座に反応し、波形をずらしながらエネルギーを空間へと散らす。残余の熱量が分子装甲に達する頃には、既にその大半が拡散されていた。表層の自己調整素材が収縮し、残る熱も最小限に吸収・放出していく。
『主砲装備、全系統起動。可変粒子砲、充填開始。マルチレールキャノン照準完了。可変プラズマ、砲塔回転開始!』
ルミナが叫ぶ。
「重力投射、まだか!? あの外殻、普通の火力じゃ通らねぇぞ!」
俺は叫びながら操縦桿を握り、機体を加速させた。
「え、えーとっ、じ、重力投射砲、収束率76%。あと12秒で照準完了します!」
エリスが声を張る。
《ストレイ・エクシード》は回避軌道を取りながらプラズマランチャーを斉射。淡い青の弧が敵のバリアに命中、だがはじかれる。敵は防御特化した偏光シールドを展開し、明確な熱源と照準に反応して跳躍する――その動きは機械というより生物に近い。
「撃て!」
俺の指示と同時に、マルチレールキャノンから徹甲弾が発射された。だが《デヴォル》は触手の一部を盾のように展開し、運動エネルギーを受け流す。被弾部がわずかにひび割れるが、瞬く間に再生が始まる。
『重力投射砲、収束完了。解放します!』
空間が歪み、重力投射砲が砲口を開いた。圧縮された質量弾が重力波と共に発射され、敵の下腹部に直撃。バリアを貫通した衝撃が、装甲内に波紋のように広がる。
『損傷確認、外郭の再生速度低下……! 一部弱点部位、露出あり!』
「今しかねぇ! 全火力集中! 外殻が塞がる前に叩き込め!」
《ストレイ・エクシード》は粒子砲を発射し、誘導ミサイルを連射、同時にダミーホログラムを展開し敵の照準をかく乱。複数の火線が交差し、《デヴォル》の露出コアに向けて集中していく。
「……っ、いける……!」
だが、敵も黙っていなかった。
《デヴォル》は自らの装甲片を分離し、周囲に衛星のように配置。それらが突如、第二射線を形成し、四方八方からエクシードを狙い撃つ。
「多方向ビーム展開! 回避不能か!?」
『位相遮蔽シールド、即時起動。防御モードに転移します』
ルミナの声と同時に、艦の周囲が揺れる。空間そのものがざわつくような感覚。目には見えない、でも確かにそこにある“何か”が振動を始める。シールドの位相がずれ、敵のビーム波長をずらして干渉。進行方向が狂い、エネルギーの整合性が崩れる音が、五感を越えた何かで伝わってくる。
高出力の光束が雨のように降り注ぐ。だが、直撃はない。ビームは艦の“周囲”でねじれ、反射し、まるで重力に反発されたかのように逸れていく。この艦が“そこにあるはずなのに、存在していない”ように錯覚させるほどの防御反応だ。
『ビーム強度、散乱率97%。残余エネルギー、装甲到達前に消散。被害、ありません』
ルミナが淡々と報告する。
だが次の瞬間、彼女の音声がわずかに乱れる。
『――っ。第2射……波長が異なる!? 干渉、すり抜けます!』
警告と同時に、艦が大きく揺れた。
「直撃!? 今の、通ったのかっ!」
体が一瞬浮く。艦橋全体が警告音に染まり、計器が一斉に赤を示す。
『後部装甲に熱圧反応! 冷却層の一部損傷、推進炉の出力が減衰中!』
エリスが即座に反応する。
「第2射、位相撹乱式! 通常干渉で防げない……変調パターンを分析中!」
ルミナのホログラムが一瞬揺らぎ、補正アルゴリズムを走らせているのが見て取れる。
『敵、こちらの位相反応を測って撃ってきてます。すでに一手読まれている可能性あり――対位相ノイズを加えて防御フィールド、再構成します』
「急げ……! 次の一撃は正面に来る!」
舌打ちする間もなく、俺は操縦桿に手を戻す。反撃の余地を探りながら、推進ノズルを半回転。敵に背を見せるわけにはいかない。まだ終わってねぇ――!
「相手は今、急速再構築中。次で決めなきゃ――やられるぞ……やれるか!?」
俺は汗を拭い、目を細めて叫ぶ。
俺の問いに、即座にルミナの声が返る。
『可能です。重力砲とプラズマ照射の同時照準――敵装甲の応力分布から、侵入角度を算出済み』
「つまり……一気に叩き割れるスキマができるってことか」俺は短く確認する。
『成功率、現在22.4%ですが上昇中』
「……ギャンブルだな。だが、乗るしかねぇ――ルミナ、シーケンス連動、砲門一括制御だ!」
『承認。戦術連動モードへ移行。目標、デヴォル中枢領域。5秒後に照準同期』
ナノフィルムの粒子撹乱が収束し、艦体の表面が青白い発光を取り戻す。《ストレイ・エクシード》の艦首がゆっくりと敵の重心軸へ向き直った。
「――照準固定。撃て!」
先行して放たれたのは、収束式重力投射砲。敵装甲の一部を歪ませ、局所的な重力断層を形成する。それに続いて、可変プラズマランチャーが中央核付近へと集中射撃を加えた。
ビームと重力波が交差する領域で、《デヴォル》の装甲が音もなく剥がれ落ちる。内部に現れたのは、脈動する有機質のコア――金属とも肉ともつかぬ、異様な輝きを放つそれが、確かに“心臓”だった。
『レールキャノン、装填完了!』
「撃てぇぇぇぇっ!!」
超加速された徹甲弾が、すべての砲撃を貫いた空間を突き抜け、正確に敵のコアを穿つ。閃光が走り、爆音ではなく――まるで金属の悲鳴のような振動が宇宙を揺らした。
《デヴォル》の動きが止まった。触手が垂れ下がり、周囲の装甲片がゆっくりと漂いはじめる。
『……沈黙を確認。動力波、消失』
ルミナが静かに告げた。
艦橋の空気が、一気に緩んだ。
「やったん……ですか?」
エリスの声が震える。
「……ああ。やった。今回は、倒せたんだ」
コアの残滓が、ゆっくりと宇宙の中に消えていく。その光景は、どこか祈りのようでもあった。
《ストレイ・エクシード》の艦内に、短いが確かな勝利の静寂が訪れた。
次に向かうべき道はまだ定まっていない。しかし、この瞬間――人類は、未知の脅威にひとつの“抵抗”を示したのだった。
戦闘宙域の彼方では、コアの残滓がゆっくりと消えていく。その光景は、どこか祈りのようでもあった。ユイの頬には、気づかぬうちに一筋の涙が流れていた。
「……もしかしたら……ちゃんと話せる日が、来るかもしれなかったのに……」
彼女の声はかすかに震え、そのまま身じろぎもせず、消えていく光に視線を固定していた。その瞳には、敵意ではなく、失われた可能性への哀しみが滲んでいた。
「模倣されたことに怒ってた……でも、本当は……ずっと、誰かを探してるみたいだった。……もし、それが私たちだったとしたら……」
言葉の先は続かなかった。ユイはただ、胸の奥に沈む答えのない問いを抱えながら、消えゆく存在の残響に、静かに祈るような仕草で目を閉じた。




