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第32話 共感の余地

 《ストレイ・エクシード》は、交信宙域を離れ、通常航行に戻っていた。艦内を満たしていた緊張もようやく解け、わずかだが“日常”の空気が戻ってきたように思える。俺たちはラウンジに集まり、久しぶりに肩の力を抜いていた。


「ふーっ……終わったー。いやあ、死ぬかと思ったわね!」


 真っ先に声を上げたのは、やはりレーネだった。椅子にだらしなくもたれかかりながら、脚を伸ばして息を吐くその姿に、いつもの余裕が戻っている。


『死なれても困りますよ。貴方の行動はすでに艦内の“変動要因”として登録されていますから』


 ホログラム越しにルミナが冷静に返した。その口ぶりは相変わらずだが、どこか日常のやりとりにも似ていて、不思議と安心する。


「変動要因って……あんたの中じゃ、私って自然災害扱い?」


『予測不能なエネルギー源ですね。少なくとも、雷雨の前触れくらいには』


「……それ、地味に傷つくわ。でも嫌いじゃないのよね、そういう言い方」


 くるくるとホットチョコを回しながら笑うレーネの目の奥には、ほんのわずかに疲れの色があった。だがそれは、戦場から帰還した者だけが持つ、奇妙な安心感でもあった。


「そもそもレーネさん、なんでそんなに余裕なんですか……」

 エリスが苦笑しながら尋ねる。


「んー、慣れ、かしらね。傭兵やってた頃、“交信相手が感情持った謎存在”とか、まあまあいたのよ。……まあ、大抵は“撃って終わり”だったけど」


『それ、“慣れ”というより“生き残りスキル”ですね』


 ルミナの即答に、思わず俺は笑ってしまった。


「今回は……うまくいったとは言えないけど、少なくとも、“通じるかもしれない”って手応えはあった」


 俺がそう言うと、ルミナが頷いた。


『ええ。ユイへの共鳴反応は明確でした。……問題は、その裏に潜む“敵意”ですが』


「ねえ、それってやっぱり、人間に何かされた……とか、そういうこと?」


 レーネが真顔になる。珍しいことだ。その瞬間、ラウンジの空気が一度だけ引き締まった。


『高確率で。……その後に“怒り”が流れ込んできたのですから』


 ルミナの声は、感情がないぶんだけ、重くのしかかる。


「……けど、感じたんだ。“さびしさ”とか“怒り”の奥に、ほんの少しだけ、何か“伝えよう”とする気持ちが」


 ユイがそう言って、俺たちを見つめた。その目には、確かな感情が宿っていた。


「私にだけ、ほんの少しだけ……触れようとしてくれた気がする」


「そこ、すごく大事だと思うわ。……共感できる相手がいるってのは、“孤独”の反対だから」


 レーネがそう言って、ふっと優しく笑った。その表情には、かつて戦場で数えきれない“別れ”を見てきた者だけが持つ、どこか切ない温度があった。


「……人間ってのはね、たいてい自分勝手で、相手の声を聞こうとしない。でもそれでも、たった一人が“聴こう”とすれば、ちょっとだけ世界は変わる。私は、そう信じたいの」


 その言葉に、しばし沈黙が流れる。


「……さすが、説得力あるな。傭兵仕込みの人生観ってやつか」


『ええ、艦長にも“戦場”にいた経験がありますし。……特に、社畜という名の“書類の海”とか』


「それに関しては、いまだ現役だぞ……」


『“現実逃避”は訓練不足の証拠です』


「ルミナ……頼むから、手加減って言葉覚えてくれ」


『適切な負荷は、成長の糧です』


 軽口の応酬に、ラウンジはまた笑いに包まれる。その中心で、ユイが静かに微笑んでいた。


 今の彼女には、きっと分かっている。こういう瞬間が、どれほど大切なものか。“普通”であることの、重さと温かさを。


 そのとき、ユイがそっと呟いた。


「……やっぱり、この場所……好きだな」


 その言葉に、ルミナが少しだけトーンを変えて応じた。


『ええ。今のところ、あなたの“存在意義”は、十分にこの艦内で機能していますから』


「ありがと、ルミナ」


『お気遣いなく。ただし、“共感してほしい”系の発言は、AI仕様上ノイズとして処理されますので、そのつもりで』


「ええ~……」


 そう言って笑うユイに、レーネが大きく反応する。


「かわいく笑ったー!」


「えっ、ちょっ……にげ、にげる!」


「その笑顔、特許ものだから!」


 ユイが逃げ出し、レーネが追いかける。ルミナのホログラムは、それを見て淡々と動線管理を始めていた。あれがあのAIの“優しさ”なんだと、今では分かる。


 博士がその光景を見ながら、湯気の立つマグを口に運ぶ。その視線は、ただ穏やかに、しかし深く彼女たちを見つめていた。


「……さて、私からも一つ、話がある」


 博士が、いつもの穏やかでいて隙のない声音で切り出した。


「博士?」と、思わず俺が振り返る。


「今回の観測結果は、デヴォルと強化体の関係性を再考するに十分な素材になる。私はそれをもとに研究所に戻り、解析に専念する予定だ」


 そう言いながら、博士は隣にいたエリスに視線を向ける。


「エリス、お前はどうする?」


 エリスは俺とユイの方を一瞥し、それから何の迷いも見せずに言った。


「艦長さんがよろしければ、このまま艦に残りたいと思います。ユイさんや艦長さんのような強化体の観察、そして実地での記録と考察……この環境でしか得られない知見がありますから」


 博士は満足そうに頷いた。


「解析と現場、2方向からのアプローチは理にかなっている。いい判断だ」


 ……いや、ちょっと待ってくれ。


「ちょ、ちょっと待った!」と思わず割って入る。


「博士、それ本気ですか? エリスって、未成年ですよね? この見た目で船に置くのは……しかも俺、男で艦長で……いろいろその、誤解とか心配とか――」


 その時だった。ルミナの声がすかさず割り込んできた。


『ご安心ください艦長。現在のあなたの“信用度スコア”に基づけば、“そういった事態”が発生する確率は3.2%以下と算出されています。なお、異性関係における行動活性値は――』


「それ以上言うなっ!!」


『事実に基づいた冷静な観測結果ですが』


 俺の顔から火が出そうだった。だが博士は涼しい顔で肩をすくめる。


「何を言っている。エリスはもう二十歳だぞ」


「……えっ?」


 信じられずに彼女の方を見る。柔らかな笑顔は、どう見ても十代半ば。


「ほ、ほんとに?」


「はい。見た目の問題は……ずっと言われてきましたから、慣れてます」


 ルミナがさらに容赦なく補足する。


『エリスの体内成長係数は遺伝的影響により抑制されており、視覚年齢との差分はおおよそ“7.4年相当”と推定されます』


「やめてくれ! 俺の理性が試されてるみたいで落ち着かないから!!」


『では、このやり取りは“非公式ログ”に分類し、後ほど分析レポートの付録に――』


「しなくていい!!」


 俺の叫びがラウンジに響いた直後、レーネがクッションを抱えて笑い転げた。


「やだやだ艦長、ちょっと前に私と関係あったってだけで、過剰反応じゃない?」


「それを言うなぁぁぁっ!」


 顔が真っ赤になるのが自分でも分かる。それを見ていたユイが、くすっと笑いながら、ぽそりと口を開いた。


「……でも、シンヤなら……変なことしても、いいよ」


 ――沈黙。ラウンジの空気が、凍った。


「いやいやいや!? なに言ってんのユイ!?」


「ん? ダメなの?」


 あの無垢な目で見上げられて、俺の理性が絶叫する。頼むから、これ以上は俺を壊さないでくれ。


「やめてくれ……俺の理性にバグが出る……!」


 またレーネが吹き出す。


「やっば、最高。こういうの見れるなら、この艦に残るのもアリだわ~」


 そんなこんなで、ラウンジはまた笑いに包まれていた。


 俺の精神は瀕死だが――不思議と、その空間があたたかくて、どこかほっとする自分がいた。




 ラウンジの賑わいがまだ遠くに残っていた頃――深夜の艦内通路で、俺は後ろからかけられた声に足を止めた。


「……シンヤ君。少し、いいか」


「ん……博士?」


 振り返ると、穏やかなはずのその顔に、わずかに硬さがあった。


「さっきの件だが。私は本気で、エリスをこの艦に預けるつもりだ」


「ああ、だから俺も――」


 そう言いかけた俺の言葉を遮るように、博士は立ち止まり、少しだけ表情を崩してこう続けた。


「エリスは、成人だ。自分の意思で選び、自分の責任で動くことができる」


 その言葉に、俺も小さくうなずく。


「……はい、わかってます」


「だからこそ、私は何も干渉しない。ただし――」


 そこで博士の声が、少しだけ低くなる。一瞬で、空気が変わったのがわかった。


「……ただ、一つだけ釘を刺しておこうか」


 俺の目をまっすぐ見て、博士はわずかに眉を上げた。


「過去に“レーネ君という実績”のある君に対しては、ね」


「うっ……」


 ぐさっときた。痛いところを、正確に突かれた気分だった。


「もし、エリスと何かあったとしても、それは“彼女の意思”に基づくことだ。だがそのときは、“君も同等の責任を持つべき”というだけの話だ」


 その言葉が、どこか重く胸にのしかかる。


「……責任、ですか」


「そうだ。恋愛だろうが、研究だろうが、どちらも“誠意”がないなら害にしかならん。大人としての分別を頼む」


 誠意。責任。普段、冗談交じりで笑い飛ばしていたそれらの言葉が、今はどうにも真っ直ぐに響いてくる。


「……了解です。変なことはしません、たぶん」


「“たぶん”では困るが……まあ、期待しておくよ、艦長」


 博士はそう言って、軽く俺の肩を叩いた。


 その手のひらの重みが妙に温かくて――気づけば、彼の背中がゆっくりと夜の通路の先に消えていくのを、俺はしばらく黙って見送っていた。


 艦内は静まり返っていたけれど、博士の言葉は、妙に静かに、でも確かに、胸に残り続けていた。

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