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第29話 再会

 それは、《ストレイ・エクシード》の静寂を再び裂く波紋だった。まだ前回の戦闘の余韻が艦内の空気に残っている――そんな時期だった。


 数日後、観測系が遠宙域からの“波動異常”を拾った。干渉波のパターンは、以前交戦した“デヴォル”のものと類似しているという。だが、俺の胸に拭えない違和感が残った。


「これは……攻撃というより、むしろ“呼びかけ”に近いですね」


 ホログラムの前に立つエリスが、目を伏せながら呟いた。その静けさが、妙に耳に残った。


「波動の強度は中程度。ただし……構造が不安定だ」


 博士が端末を指で弾くたび、彼の表情は険しさを増していく。その目は、明らかに何かを警戒していた。


「敵意、あるいは意思の混濁か? どちらにしても、前回より“揺れて”いる」


 俺たちが遭遇した“それ”は、機械でも有機体でもなかった。まるで、問いかけるような、だが何も語らない“存在”。今回の波動もまた、言葉にならない何かを放っていた。無視できない。不定形の意志が、こちらを覗き込んでいるような感覚。


「これ……前の交信記録と照合したら?」


 レーネの声が、空気の緊張を割いた。すぐにルミナが反応する。


『了解。比較解析モード起動――デヴォル第一遭遇時、および戦闘終盤の波動ログとの相関……一致率、43%。ただし、同期傾向を検出。一定間隔で重なるパターンを確認しました』


 博士の眉間に刻まれた皺が深まる。


「繰り返し、かつ変化を伴う波動構成……こいつら、“探している”のかもしれんな。何かを。あるいは、“誰か”を」


 次の瞬間だった。医療区画からアラートが鳴り響いた。


 ルミナの報告は簡潔だったが、その声に明確な緊張が宿っていた。


『精神波、急激な変動を検出。――共鳴反応、再発生の可能性あり』


 ユイ――。迷いなく、俺は医療ブロックへ走った。


 そこには、静かに揺れるカプセル。まるで、内側から“呼ばれて”いるように震えていた。


 博士はすぐに装置を覗き込み、診断を開始する。


「……やはり来たか。これは“刺激”だ。前回と同様の波形――いや、それ以上の同調率だ」


「ユイは……どうなります?」


 喉の奥が詰まるような感覚の中で、ようやく絞り出した俺の問いに、博士は即座に答えた。


「目覚めるかもしれん。……いや、すでにその過程に入っている。眠っているだけの状態では、もはやない」


 ユイの表情に、明確な変化が現れていた。まぶたが微かに動き、眉間に僅かな皺が寄る。呼吸は……確かに、力強くなっている。


『反応しています。外部干渉に対して――彼女は、自分で答えようとしている』


 ルミナの言葉に、エリスが小さく息を呑んだのが分かった。


「……目覚めが、近いのですね」


 そうだ。確かに、彼女の“内なる時計”が動き出していた。


 あの“デヴォル”の波動――あれが何を意味していたのか、俺にはまだ分からない。だが、それがユイを目覚めへと導く刺激となったのは間違いない。




 デヴォルからの新たな干渉が検知された、翌日のことだった。艦内に満ちる空気には、言葉にしづらい緊張と……それに混じった、ごくかすかな期待があった。


 ユイの精神波――その揺らぎは、これまでのものとは明らかに異なっていた。波形はわずかに安定しつつも、時折、鋭い変調を見せながら跳ね上がる。まるで何かに呼応するように。彼女の深奥から、沈んでいた意識が手探りで浮かび上がろうとしている。もがくように、呼ばれるように。


「……この変動。外的干渉によって強く引き出されている。だが、単なる反射反応ではない」


 博士がモニターを見つめながら、低く重い声を発する。


「ユイ君の精神は、もはや“閉じた眠り”にはない。我々の働きかけを――受け止められる状態に近づいている」


 エリスが、わずかに息を呑むのが聞こえる。


「……触れられる、ってことですか?」


 博士はゆっくりと頷いた。


「ああ。だが慎重にだ。こちらからの感応リンクを通して、彼女の意識に接続を試みる。人為的な覚醒は危険も伴うが……今の状態なら、可能性はある」


「実施するなら、俺がやります」


 自分でも、声が出た瞬間に分かった。ためらいはない。


 博士は一瞬、目を伏せたあと、静かに告げる。


「……そのつもりでいた。だが、リスクは大きいぞ。精神的負荷が一定以上に達すれば、記憶混濁や意識損傷の恐れもある。即座に遮断する構えは取っておくが……それでもやるか?」


「やる。俺が一番、彼女と……話さなきゃいけない」


 口にして、初めて思い知る。俺はあの時から、ずっと……この瞬間を恐れ、同時に待っていたんだ。


 短い沈黙ののち、博士は頷いた。そして、指示が飛ぶ。


《ストレイ・エクシード》の医療区画。その一角にある感応リンクユニットが、静かに起動を始めた。


 ユイのカプセルには、脳波測定用の微細電極と精神波インターフェースが接続され、慎重に同調調整が進められていく。俺は隣の椅子に腰を下ろし、こめかみにリンク補助装置を装着される。冷たい金属の感触が、やけに現実的だった。


『精神波位相調整中……レベル4共鳴域にて安定確認。相互干渉許容値内にて、接続可能です』


 ルミナの淡々とした音声が、鼓動の中に滑り込んでくる。


 博士が深く息を吐いた。


「……では、リンク開始」


 俺は目を閉じた。深く、ゆっくりと息を吸い、吐く。すべてを静め、ただひとつ、“ユイ”という存在を思い浮かべる。


 ――その瞬間。


 視界が、白に包まれる。


 まるで光だけでできた世界。音も、重さも、時間の流れすらない。静寂という言葉では足りない――世界が、丸ごと息をひそめているような、そんな場所だった。


「……ここが……」


 自分の声は、どこか遠く、反響すらなかった。けれど確かに、ここはユイの内面――彼女の意識の中だと、そう分かった。




 気がついた時には、もうそこにいた。静かな世界だった。空も、地面も、曖昧で、輪郭というものがない。音も、風も、匂いも――何もない。まるで夢の中に迷い込んだような感覚だ。


「ここが……ユイの“中”か」


 声に出してみた言葉は、自分の耳にすら届かない気がした。だが、それでもここが彼女の意識の内側だと、なぜか確信できた。


 ふと視界の奥、白い光の向こうに、ひとつの影が見える。


 細い背中。幼くて、寂しげで、肩を小さく震わせている。膝を抱え、孤独をそのまま形にしたような姿だ。


 ゆっくりと、俺はその影へ歩み寄る。


「……ユイ?」


 その名を呼んだ瞬間、影が静かに振り返る。


 そこにいたのは、少女だ。どこかあどけなさを残しながらも、気高く、神秘的な雰囲気を纏っている。長い髪が肩に流れ、瞼の奥にはまだ眠りの名残がある。けれど――その瞳の奥に、確かに“意思”が灯っている。


 彼女の体つきは、細く、整っている。太ももも、腰回りも、均整のとれたラインを描いている。だが、その美しさは過度なものではない。まるで、誰かの“意図”がそこに込められているような、そんな整い方だ。


 だけど――そこに感じたのは、欲望じゃない。俺の中に湧き上がったのは、なぜか、哀しみに似たざわめきだった。そして、ひとつの問いだった。

――この子は、いったい何を背負わされてきたんだ?


「……誰……?」


 ユイが、かすれた声で問いかけてくる。まるで、霧の中で何かを探すような、不確かな響き。


「俺だよ。君を……迎えに来た」


 その言葉に、彼女は少しだけ目を見開いた。その目には、迷いと恐れが渦を巻いている。


「ここが……どこなのか、わからないの。

全部……怖いことばかりで、寒くて、暗くて……誰も、いなくて……」


 その言葉とともに、空間の周囲に黒い影がにじみ出る。断片的な映像が浮かび上がる――拘束されていた施設、無機質な観察室、赤く光る記録装置。冷たく響く足音。怒声。無関心な視線。


「私は……人間じゃないんでしょ? “被検体”って……そう呼ばれてた。私は……ただの実験だったんでしょ……?」


 俺は、そっと膝をつき、彼女と視線を合わせる。


「違う。どこで生まれて、何をされたとしても――今ここに“君”がいること。それが、全てなんだ」


 ユイは戸惑ったように目を伏せた。


「でも、私は……また、みんなを傷つけるかもしれない」


「君は、俺たちを守ったんだ」


「……!」


「覚えてないかもしれない。でも、あのとき――君の意識が俺たちを包んでくれた。あの冷たい波動を、跳ね返した。君がいなかったら、今、誰もここにいなかった」


 ユイの唇が震える。その手が、そっと俺の腕に触れる。


「……私は、いてもいいの?」


「当たり前だろ」


「……戻ってもいいの?」


「俺たちは、ずっと君を待ってたんだ」


 沈黙が、少しだけ続いた。そのあと、ユイの表情に、静かに光が差し始める。恐れと不安に押しつぶされていた顔が、少しずつほどけていく。そして、涙をこぼしながら、彼女は微笑んだ。


「……また、会えたね」


 その言葉が胸の奥を締めつけた。“初めて会った”はずなのに――どうしてだろう。その声が、心の深いところを揺さぶる。


「そうだよ。また会えた」


「ありがとう……私、戻るよ。ちゃんと、“ここ”に」


 俺の手を握り返してきたその力は、確かに――“今ここにある”意志だった。


 そして、光が満ちていく。世界が、もう一度、白く包まれていく――ユイと共に。




 リンクが切断された瞬間、俺は目を開ける。


 横にあるカプセルの中で――ユイが、ゆっくりとその瞳を開いていた。

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