第25話 博士
ラゲルド・コロニー、自由傭兵統括組織――その一階、受付ブースは相変わらず静かに賑わっていた。久々にこの場所へ戻ってくると、予想通り、そこには“例の人”がいた。
レーネ・カルティア。
視線は複数のホロウィンドウを滑らせながら、手元ではデータパッドをリズミカルに叩いている。相変わらずのマルチタスク女王だ。動きに一切の無駄がなく、それでいて、どこか優雅ですらある。人間っぽくないくらい“効率的”な動作なのに、どうしてこうも、目が離せないんだろうな。
近づくと、彼女は指先を止めることなく、ちらりとだけこちらを見た。
「最近、グレイ・ラボリントで子ども相手に“施し”してる傭兵がいるらしいね」
はい、挨拶終了。いつも通りだ。
俺は何も言わず、深いため息を飲み込む。顔に出したら負けだと思ってる。
「……知ってる」
「へえ、そう」
パチン、とパッドを閉じる音が廊下にやけに響く。レーネはそのまま目をそらさず、まっすぐに俺を見てくる。ああ、この感じ、あんまり長居すると面倒なやつだ。
「まさか、自分のことだとは思わなかった――なんて言わないでよね?」
「言わないよ。ただ……“施し”なんかじゃない。必要そうなもんを置いてくだけだ」
「それ、同じじゃないの?」
即答。間髪入れずに突いてくるあたり、レーネの口撃力はやっぱり健在だ。でもその一言で、胸の奥が少し引っかかる。図星ってわけじゃないけど、ぐっと刺さる。傍から見れば、確かに“施し”かもしれない。けど、俺の中では、違うんだ。
「……違う。俺は“してやってる”つもりはない。ただ……もし俺が背を向けて、何もしなかったら、たぶん、自分で自分を許せない。だから、やってる。ただそれだけだ」
レーネは腕を組んで、しばらく黙る。言葉はないのに、なんかこう、見透かされてる感じがある。あの目で見つめられると、無意識に背筋が伸びる。
やがて、小さく息を吐く。
「で? あんた、背負う気なの? その子たち」
その問いが、不意打ちみたいに胸に刺さる。優しい声なのに、内容がキツい。ほんとこの人、効くところ狙ってくる。俺はちょっとだけ目を伏せて、言葉を探すふりをする。いや、実際探してる。でもそれ以上に、自分の気持ちを整理する時間が必要なんだ。
そしてようやく、口を開く。
「……背負うなんて無理だ。俺にはできねぇ。ただ……見捨てないってことだけは、決めた」
それは綺麗ごとじゃない。大義でもない。ただの、本能に近い反応だ。放っておけなかった。ただ、それだけの話。
レーネは黙ってる。相変わらず俺の顔をじっと見てる。でも、視線の質が少しだけ変わった気がする。さっきまでの“試すような眼”から、“見守る眼”へ。
「……はぁ。何を言っても、もう聞きそうにないね、あんたは」
小さくため息をついて、肩をすくめる。その仕草に、諦めと、少しだけの優しさが混ざってる。
「やるなら、とことんやってみな。どうせ止めたって無駄でしょ?」
その言葉に、俺は何も返さない。ただ、小さくうなずく。それだけで十分だった。
PLDからルミナの声がそっと入る。
『“強情な理想主義者にありがちな情熱の暴走”ですね。……ご参考までに、過去データによるとこの種の人物は、非常に頑固で面倒です』
「それ、お前の艦長ディスってないか?」
『事実を述べただけです。“愚直な継続力”もまた、あなたの数少ない美点ですから』
「少ないって言うな」
『多いとは言えませんので。……ですが、レーネの言う通り、止まらないなら、前へ進むべきです。ついでに、怪我だけは控えめにお願いします』
俺はふっと笑いそうになる。あの冷静で手厳しいAIが、こんなにも気を使ってくれるなんて、ある意味奇跡だ。
「それはそうと、いいタイミングだったわ。あんたにちょうど話したいことがあったのよ」
その言い方が、すでにただの雑談じゃないと知らせていた。俺は気を引き締め、カウンターに肘をつける。
「また命のやり取りか? 最近ようやく胃の痛みが引いてきたところなんだが」
「違うわ。今回はちょっと特殊。あんたにとっても……悪くない話だと思う」
そう言って彼女は画面を一枚スワイプし、俺の前にタブレットを突き出してくる。そこには一枚の依頼書と、見慣れない名前が記されていた。
――ヴェルナー・ゼクト。
精神医療および生物学領域の“研究者”、あるいは“医師”という扱いになっている。
「……誰だ?」
「名前、聞いたことない? まあ無理もないわね。いまや現場からは退いてるし、一般にはほとんど知られてない。でも専門家の間じゃ、今でも“別格”よ。生体構造と精神干渉の統合理論を打ち出した、最初の人物って言われてる」
「それ……マジで? ルミナのデータベースにも出なかったぞ、そんな話」
「当然でしょ。だいぶ昔の極秘研究に関わってた人だからね。軍の神経適応プロジェクト、その裏側の主任顧問だったって話もある」
レーネは肩をすくめて、意味ありげに笑った。
「私が見つけたのは、“ちょっと特殊なルート”からよ。フリーランクスの事務方としてね……まあ、“誰かが見落としてる情報”ってのは、案外どこかに転がってるものなの」
俺は眉をひそめながら、画面をスクロールする。
「なるほど……それで、その博士をどうするって?」
「依頼の内容はこうよ。“博士をある宙域まで送り届ける”――目的は、デヴォルとの交信。あの沈黙の異形と、会話を試みるらしいわ」
「交信、ねえ……できたら苦労はしないだろうに」
「ええ。でもその道中、博士は“可能であれば診断や観察も行う”と明言している。つまり、ユイの状態を診てもらえるチャンスってこと。今のところ、彼に接触できる唯一の機会よ」
俺は無言で、しばしタブレットの文字列を眺めていた。
――神経適応、精神干渉、交信計画。どれも未解明な要素だらけ。けれど、ユイを目覚めさせる手がかりがそこにあるかもしれない。
「……任せていいのか? 本当に信頼できる人間か、確認できてるのか?」
「信憑性は未知数。でも、“何かを変えたい”って思ってるなら――試す価値はあると思うわよ?」
レーネの目は、いたずらっぽく笑っているようでいて、どこか真剣だった。それは、ただの管理官の視線じゃない。ちゃんと、俺の“決断”を促す目だった。
「……わかった。行く。あんたがそこまで言うなら、信じてみるさ」
「ふふ、素直でよろしい。それともう一つ――今回は私、休暇取って同行するから」
「えっ、マジか。レーネが“私用”で艦に乗るってか?」
「驚いた? こう見えても、面倒見はいいほうなのよ。……それにね、たまには仕事をちょっと脇に置いて、艦の中でのんびり過ごすのも悪くないでしょ? ま、戦闘になったらそのときはそのとき。銃器類の制御は任せて。元傭兵だし――腕が鈍ってなければ、だけどね」
彼女はタブレットを閉じると、軽くウィンクしてみせた。
「……まったく、アンタって油断ならない女だな」
「それ、今さら?」
そして俺は、依頼書に電子サインをした。
《ストレイ・エクシード》艦内にて、レーネはドックから続く乗艦スロープを一歩踏み出すなり、目を見開いた。
「……ちょっと。これ、ほんとにあんたの艦? でかいって聞いてはいたけど、豪華すぎない?」
彼女の声には呆れと若干の感動が入り混じっていた。俺は肩をすくめて答える。
「いや、まあ、いろいろあってね……」
「いろいろで済むなら世の中苦労しないわよ」
案内がてら、まずはメイン通路を通り、艦長専用区画、医療ブロック、そして艦の心臓部とも言える中央艦橋をざっと見せる。すべてが最新鋭、かつ贅沢なつくりだ。
「うわ……床、絨毯って。しかもこれ、本物の繊維じゃない……?」
「静電気防止を兼ねてるらしい。細かいところは俺もよく分かってないけど」
「ふーん。まあ、見た目は悪くないわね。ちょっとセンスは古臭いけど」
そう言いながらも、レーネの目は楽しげだった。
そのまま観測ドームへ案内すると、彼女はしばし無言で窓外を見つめた。透明なシェルガラス越しに、群青の宇宙と点滅する星々が広がっている。
「……なるほどね。確かに、悪くない」
その小さな呟きは、どこか“現実逃避”にも似た響きを持っていた。
そのとき、天井スピーカーから聞き慣れた毒舌が響く。
『お客様には誤解なきよう補足いたします。この艦は“プレミアム課金特典”の象徴ですので。……要するに、艦長の“散財と衝動”の結晶です』
「なんの特典よそれ……。っていうか、あんたも一応AIなんだから主をもう少し褒めてやりなさいよ」
『十分すぎるほど評価しております。艦長は“自爆フラグ回避成功率、歴代トップ”ですから』
「褒めてんのかそれ……?」
『私は常に事実だけを述べております』
レーネは笑いながら、小さくつぶやいた。
「……でも、ここで暮らすのも悪くないかもね。家賃次第で考えるわ」
「ちょっと、ここお前の家じゃないからな?」
そうこうしているうちに、メインダイニングへ到着した。
自動スライドドアが開くと、そこには無人とは思えない完璧なセッティングが施されていた。柔らかい間接照明、艶やかなテーブルクロス、そして――
「何これ。高級レストランのフルプレートってやつじゃない……?」
テーブルには、肉料理、彩り豊かな副菜、香ばしく焼かれたパン、さらには温かいスープまでが完璧なタイミングでサーブされていた。
「えーと……AIが張り切っちゃってさ」
「張り切りすぎでしょ。こっちは昨日、カフェで乾燥パン食べてたのに……」
ルミナの声が食事の香りとともに滑り込む。
『艦長が“見栄を張るな”と命じれば、即座に質素な内容に切り替え可能です。……たとえば、クラッカーと再生水などに』
「やめて、今は空気読んで」
『承知しました。“お客様対応モード”継続中です』
レーネは席に腰を下ろし、ナプキンを丁寧に膝に広げながら呟いた。
「……ま、今日はごちそうになるわ。ついでに、明日もってことで予約しとこうかしら」
「いつの間に泊まる気満々だよ……」
《ストレイ・エクシード》医療区画。静かな電子音と、一定間隔で点滅する機器の光の中、レーネは足音を忍ばせるようにカプセルの前まで歩み寄った。
「……この子が、ユイ」
その言葉は、静かだったが、妙に胸に残る響きを持っていた。
カプセルの中、ユイは静かに眠っている。まるで眠っているというより、夢の中を旅しているような穏やかな表情。レーネはしばらくその姿を見つめ、ふぅ、とひと息ついた。
「綺麗な子ね。……あんたが、こんなに本気になる理由、少しだけ分かった気がする」
俺は何も言えず、ただ頷くことしかできなかった。
「……昔、似たような子がいたのよ。名前も顔も、今じゃもうぼんやりしてるけど……」
レーネの指が、カプセルの外縁にそっと触れる。彼女にしては、珍しく感傷的な動作だった。
「その子も、あたしの判断で命を繋いだけど……助けきれなかった。だから、あんたには、ちゃんと救ってほしいのよね。あたしができなかったことをさ」
少しだけ自嘲気味に笑って、レーネは目を細めた。
「……でもまあ、こうして一緒に宇宙を旅することになって――過去の代わりってわけじゃないけど、少しだけ肩の荷が降りた気もするわ」
「レーネ……」
「勘違いしないでよ? べつに泣いたりしないから。あたしはそういうの、柄じゃないからさ」
その言葉とは裏腹に、彼女の声には微かに揺れるものがあった。だが、それはすぐにいつもの調子に戻る。
「でも、この子が目を覚ましたときは、ちゃんと伝えなさいよ。“お前のこと、守るって決めたやつがいた”って。そうすりゃ、きっと強くなれる」
俺は静かに頷きながら、ユイの寝顔を見つめた。その小さな胸が、かすかに上下している――それが今、この空間に確かな“命”として存在していることを示していた。
レーネは最後にもう一度ユイを見つめて、ぽつりと呟いた。
「……起きたら、あたしのことも紹介しといて。“ちょっと口が悪くて酒癖も悪いけど、悪い人じゃない”ってね」
「いや、フォローの分量が足りない気がするんだけど」
「足りないのは、あんたの甲斐性でしょ」
そう言って、レーネはようやく笑った。それは、少しだけ救われたような笑顔だった。
スペースコロニー《オルディス-6》。ラゲルド・コロニーからは四つ隣の恒星系に位置している。港湾区画の照明はくすんでいて、どこかくたびれた空気を漂わせていたが、その奥――研究棟のエリアに足を踏み入れると、空気ががらりと変わった。灰色の壁面と整然と並ぶ無機質な建造物群。そこには、生きた知識の気配が静かに満ちていた。
《ストレイ・エクシード》を接岸させてからしばらく、俺とレーネは着艦ベイで依頼人を迎える準備をしていた。
やがて現れたのは、ヴェルナー・ゼクト博士。精神医療と神経生物学の分野で、知る者だけが知る異才。かつて軍の神経適応研究部門に籍を置いていたという話もあるが、それらの情報はほとんどが表に出ていない。今回の依頼にあたり、レーネが古い資料の奥底から掘り起こしてきた人物だ。
白髪をひとつに束ね、整然とした研究者服に身を包み、柔らかながらも深い探究心を宿す眼差しでまっすぐにこちらへ歩いてきた。その背後には、数名の白衣を着た助手たちが従っていた。資料ケースや端末を手にした彼らの動きは静かで洗練されていて、誰もが自分の役割を心得ているのが一目で分かる。
そして、その中でもひときわ目を引いたのは――ひとりの少女だった。
十代半ばほどの年齢に見えるその子は、他の助手とは異なる雰囲気をまとっていた。幼さの中に、完成された知識と理性の気配がある。目の奥には、迷いなく観察し、判断し、そして理解する意志が宿っていた。
「やあ、フリーランクスの若き傭兵諸君。初めまして。依頼を請けてくれて感謝する――ヴェルナー・ゼクトだ。さて、艦内に珈琲の備蓄はあるかな?」
その飄々とした挨拶に、思わず肩の力が抜けた。レーネが「……か、変わってるわね」と呟いたのが聞こえる。
「シンヤ・クラタです。今回の依頼、デヴォル出没宙域への移送および交信観測支援で間違いありませんか?」
「うむ。“未知との接触”を観測できる環境が必要でね。」
そう言った博士の眼差しが、俺の視線を捉えた。静かに、だが鋭く。
このときだ。俺は、ずっと迷っていた言葉を口に出すことを決意した。
「博士。ひとつ、お願いがあります」
「ん? なんだね」
「うちの艦に、ユイという少女がいます。ある宙域で一人救出された生存者です。……以来、ずっと目を覚まさないままなんです」
博士は何も言わずに頷いた。俺の話を最後まで聞こうとしてくれているのが分かった。
「彼女は、普通の状態じゃありません。艦載AIのルミナでも解析に限界があるほどで……。もしかしたら、博士のお力を借りられるかもしれない。診ていただけませんか」
その言葉を聞いて、博士は小さく頷いた。そして、背後にいた少女に目を向ける。
「エリス。どう思う?」
少女――エリスは一歩前に出て、穏やかな声で言った。
「私にも診させていただけますか。祖父の助手としてですが、医療と精神についてはそれなりの知識があります」
「彼女は私の孫でね。年齢の割に、よくできるんだよ」
博士の軽い言葉に、レーネが思わず「孫なの!?」と小声で驚いたのを、俺は聞き逃さなかった。
「ありがとうございます。案内します」
俺たちは《ストレイ・エクシード》の医療区画へと向かい、ユイが眠るカプセルの前にたどり着いた。博士とエリス、助手たちは慣れた手つきで端末を接続し、モニターに次々とデータが映し出されていく。
やがて、博士が唸るように言った。
「……これは……非常に興味深いな。彼女は“先天的な強化者”だ。遺伝子段階で組み込まれた処置……それも、非常に洗練された手法だ。“感応型”――情動に対して高度に反応する構造を持っている。だがそれだけではない。彼女は、周囲の精神波、神経信号、知覚の微細な揺らぎ、さらには空間の変調や波動的な異常までも感知できる――いわば“高性能艦載レーダー”そのものだ。対象の感情や思考だけでなく、環境全体に対する感応範囲を持ち、通常の人間では到底察知できない領域までを、無意識下で探知している可能性がある」
俺は思わず息をのんだ。
「ユイが……そんなに」
「“Δ”――かつてそう呼ばれていた研究系列に、非常によく似ている。だがその存在は、記録上では抹消されていた。私が見たのも、数百年前の断片的な古文書だけだ」
『当艦AIより補足します』ルミナの声が割って入る。『“Δ系列”に関する正式な記録は本艦に存在しません。データそのものが封鎖されている可能性が高いと推測されます』
博士は静かに笑った。
「だが、確かに彼女はここにいる。“消されたはずの成果”が、こうして生きているのだよ」
そのとき、エリスが俺を見つめ、静かに言った。
「ユイさんは、まだ眠っているだけ。でも、あなたがそばにいると、微弱な脳波変化が見られました。きっと――あなたの呼びかけに応えてくれます」
俺はカプセルの中のユイに視線を落とした。彼女の寝顔は静かで、けれどどこか、苦しそうにも見えた。
「……お願いします。どうか、彼女を……助けてやってください」
深く頭を下げる俺に、博士はにっこりと笑いかけた。
「もちろんだ。ただし、条件がある。“デヴォル”との交信には、彼女が重要な媒介となる可能性がある。君の情動が、彼女を目覚めさせる鍵になる。だからこそ、この実験に協力してくれ」
レーネが小さく息を吐いた。
「ほんと、変わった人。でも……本気ってのは、わかるわね」
俺は深く頷いた。
「……やってみます。俺にできることがあるなら、何だってやる」
ヴェルナー・ゼクト博士は、満足そうに助手たちに指示を出しながら、こう付け加えた。
「ではまず、診断記録を整えよう。……珈琲は、そのあとだ」
変人としか言いようのないが、人間味あふれるその言葉に、俺は心からの信頼を覚えた。
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