第19話 祝杯
ラゲルド・コロニー、中層縁辺部の第七ドック区画。
《ストレイ・エクシード》の任務記録を圧縮したデータパケットが、管制局を経由してフリーランクスへと送信される。俺は通信用端末を手にして、深く息をつく。
――長い戦いが、ようやく一段落した。
「任務完了記録、送信完了。フリーランクスとの同期、正常終了。確認コード:XK‑78G、宛先“ホワイト・ウルフ”。……あの人の目力に負けず、報告を乗り切れることを祈ります」
ルミナの声はどこか軽やかで、嬉しそうな響きを帯びている。
「……じゃあ、行ってくる」
俺は艦外ジャケットに腕を通し、ハッチを出る。
格納ブロックを抜けて、コロニー内部の歩行通路へ。人工重力が効いた空間には、戦場では感じなかった穏やかな空気が満ちている。上層スリットから差し込む擬似太陽光が高層ビル群を柔らかく照らしていた。
カフェテラスでは住民たちが笑い合っている。
――俺は、何度か足を止める。
この平穏は、あの戦場で、あの船で、命をかけて守られたものだ。
アムニス号の救助者たちはすでに医療区画へ運ばれ、そのうち何人かは退院手続きをすませている。救った命が、ちゃんと“明日”を迎えようとしている。俺たちはその橋をかけたんだ――その実感が、胸の奥でじわりと湧いてくる。
商店街を通り抜けると、背の高い父親が子どもを肩車して歩いている。子どもは空を指さして、にこりと笑った。
俺も思わず微笑む。
こんな当たり前が、あの戦場では一番遠いところにあったんだと思う。
ターミナル前の広場に差しかかると、噴水のそばで若者たちがVRチェスに夢中になっている。奇抜な仮想駒が次々爆発しているが、誰もが楽しそうだ。
ぼんやりとその光景を見つめながら、ふと思う。
――俺たちは、こういう“なんでもない場所”を守ってるんだ。
これは命令でも義務でもない。
ただ、自分でそう在りたいと思ったからだ。
PLDからルミナの声が響く。
『艦長。こうしていると、少しだけ“まともな人”に見えますね。珍しい現象です』
「……今、いい感じだったのに」
『失礼。艦長の“いい感じ”は、放っておくと詩人モードに入る傾向があるので』
相変わらずの毒舌――けど、その声にはどこか嬉しそうな響きがある。
俺は肩をすくめて、軽く笑った。足取りは自然と軽くなっている。
そして――光が差し込む通路の奥へ、俺は再び歩き出す。
フリーランクスの中央棟、ミッション管理局。
自動受付を通過してから、まだ2分も経っていない。奥から現れるのは、やはりレーネだ。変わらずの着崩した事務服、鋭く整った眼差し――手にタブレットを持って、足取りはいつも通り速い。
「ご苦労さま。……早くて正確な報告ね。関心、関心」
「そっちが急ぎで呼びつけたんだろ」
そう返すと、彼女は口元をわずかに緩めつつ、手元のタブレットをスワイプし始める。
「データ、届いてるわ。ルミナの戦闘ログに、支援記録。……ふふっ、派手にやってきたのね」
指先は流れるように動き、確認作業は手慣れたものだ。
「宙賊艦の無力化、民間船の救出、捕虜一名の拘束と引き渡し。救助者七名、生存率100%。“艦長、死亡フラグ回避成功”……と、ルミナのログにも残ってるわ」
「余計なメモ、残すなって伝えといてくれ」
「無理よ。最重要ログ扱いだったもの。“艦長の生存率、奇跡的”って注釈つきで」
俺が頭をかいていると、レーネはタブレットを鼻先に突き出してくる。
「はい、確認して。報酬はもう振り込んであるわ。180,000S。整備と補給を差し引いても、10万は残るはず。今回の依頼、評価はAランク相当。……おめでとう。これで“なんちゃって傭兵”卒業も現実味を帯びてきたわね」
「助かるよ。やっと燃料代で赤出さずに済む」
口にしながら、報酬の数字を確認する。額面よりも、やりきったという実感のほうが胸に響いてくる。
レーネは端末を仕舞い、ふと視線をやわらげる。
「……で、報告も済んだし。覚えてる? “生きて戻ったら奢ってもらう”って話」
「ああ、言ったな」
「逃げたりしないでしょうね? 報酬受け取った瞬間に雲隠れするタイプって噂もあるけど」
「誰がそんなことを」
「あなたのAIさん、じゃない?」
嫌な予感がして、胸ポケットの端末に目をやる。案の定、ルミナの声が優雅に流れてくる。
『艦長。現時点で“報酬を出し渋って打ち上げを回避する傭兵”という行動は、統計的に“嫌われ者ルート”に分類されます。……つまり、行ってらっしゃいませ』
「背中を押すな、そんな強制力あるロジックで……!」
レーネがくすっと笑いながら、俺の腕を軽く引く。
「じゃ、行きましょ。“命を救った艦長”の、ささやかな祝杯へ」
その一言に、思わず肩の力が抜ける。俺も小さく笑い返す。
……心のどこかが、ほんの少し軽くなる。そんな気がした。
コロニー中層の酒場に座る。ノイズ交じりのジャズが低く鳴り、ネオンが静かに揺れる中で、俺とレーネは隅のボックス席にいる。
「……で、さ。アムニス号をけん引して戻ってきたってわけだ」
俺が言うと、彼女はグラスを軽く揺らしながら笑う。もう三杯目だ。
「うん、聞いてるよ。報告は読んだけど、やっぱり本人から聞くと臨場感が違うね」
レーネは一口飲んで、視線を向けてくる。余裕と、ほんの少しの興味が混じってる。
《※システム注記:艦長、相手は“お強い”方です。調子に乗ると財布が即死します》
俺は画面の注記をちらっと見て苦笑する。
「それにしても……あんた、変わったね。最初は“守るために撃てるかどうか”って顔してたけど」
「今も撃つのは好きじゃないよ。でも――守るということの意味は、少しはわかってきた気がする」
言いながら、俺はグラスの氷を眺める。わずかに揺れる音が、俺の胸の中を揺さぶるようだ。
レーネは少しだけ口元を緩め、ふっとため息をつくように笑う。
「……あたしも、最初はそうだったわよ。“ホワイト・ウルフ”なんて呼ばれ始めたのも、随分あと」
レーネがそう言ってグラスを置く。まるで今でもその時を思い出せるような、どこか遠くを見る目で。
「レーネがか?」
俺が思わず問い返すと、彼女は小さく頷いた。
「15のときよ。コロニーを飛び出して、独りで傭兵登録して。子どもだった。なのに、“戦場に出たい”なんて言って……最初の任務で、仲間が一人死んだの」
彼女の声が少しだけ低くなる。感傷じゃない。ただ、記憶をそのままなぞっているような口調。
「そいつは、私より歳下だった。私と同じく、新入り。臆病で、でも必死に前に出ようとしてて。……結局、無線も届かないタイミングで、遮蔽の裏から飛び出して、被弾して……あっけなかった」
レーネの指がグラスの縁をなぞる。その音が、やけに静かに響く。
「そのとき、思った。“この世界で生き残るには、牙がいる”って。優しさや戸惑いだけじゃ、誰も救えない。だから私は、噛みつくように戦った。敵にも、状況にも、自分にも」
その言葉には誇張がない。むしろ、淡々としていて、重い。
「それで、“ホワイト・ウルフ”?」
「ええ。無駄に白い装備で固めてたせいもあるけど……“敵を逃さない戦い方をする”って、いつの間にかそう呼ばれるようになってた。自分じゃ、笑えるくらい似合わないと思ってたけどね」
俺は黙って彼女を見ている。酒場の音も、照明の瞬きも、どこか遠ざかって感じる。
「けど、最後の任務でね。救えなかったのよ、民間人をひとり。状況は最悪だったし、言い訳はいくらでもできる。でも――助けられるかもしれなかった」
その一言に、彼女の目がほんのわずか、揺れた気がした。
「それが嫌だった。結果じゃない、“かもしれない”が、私を辞めさせたの」
沈黙。俺はグラスの中の氷を見つめる。何かを言おうとするけど、軽い言葉では足りない気がして、口を閉じる。
「今は、こうして管理局にいて、あんたみたいな変わり者を見送る立場になった。皮肉ね。牙をしまっても、まだ戦いの匂いの中にいるなんて」
レーネはまた酒を口にする。そして少しだけ、笑う。
「でも、今はそれでいいと思ってる。あのときの私がいたから、今の私は、あんたの帰還を信じられるようになったんだから」
俺は黙って頷く。たぶん、俺にはまだその重さは背負いきれない。でも、わかる。彼女が、ただの“元傭兵”じゃないってことが。
「……あんたも、いつか似たような決断をするかもね。でも、それでいい。どんな理由であれ、戦いの先に誰かが生きてるなら、それは間違いじゃない」
「……ありがとな」
その一言だけを返す。するとレーネは、少しだけ肩の力を抜いてグラスを掲げる。
「じゃあ、改めて。“生きて帰った艦長”に――乾杯」
「――乾杯」
グラスが静かに触れ合う音が、テーブルの上で響いた。
しばし、静かな時間が流れる。ジャズのノイズが、妙に心地よく感じられる。戦場では聴こえない種類の“雑音”だ。今この瞬間だけは、誰も撃たず、誰も撃たれない。
レーネがグラスを置き、ふっと息をついた。
「殺すだけじゃ何も残らない。あんたみたいに、命を抱えて帰ってきた奴が、本当の傭兵になるんだと思う」
その言葉が、グラスの氷の音と一緒に胸に染みる。気のせいか、酒の熱が喉元で止まったまま、言葉の重みが内側に沈んでいく。
《※分析結果:今のセリフ、95点です。なお、デレ警報発令中です。ご注意を》
ルミナの毒舌は相変わらずタイミングがいい……いや、悪すぎる。
「……そういうの、酔いがまわってるときに聞くと、余計に重くなるな」
「そう? じゃあ、もっと酔わせてあげましょうか?」
レーネがいたずらっぽく笑いながら、グラスをくいっと傾ける。見た目は涼しい顔だが、すでに三杯目。俺はもう、軽く限界を超えてるってのに。
「やめろ。財布が空になる」
「いいの。今夜はあんたのおごりでしょ?」
言いながら、レーネはグラスを置いて、少しだけ身を乗り出してくる。その動きが妙に静かで、どこか慎重にすら見える。
目が、ほんのりと潤んでいる気がする。酒のせいか、それとも。
「……ふふ。ねえ、あんた。“祝杯の夜”ってさ、本当はどう過ごすものか、知ってる?」
その声は、やわらかく、少し熱を帯びていて、冗談と本気の境界線が曖昧だ。
「ちゃんと覚えておいてよ。――これが、最初で最後とは限らないんだから」
テーブル越しに向けられる視線に、俺はしばらく言葉を失う。心臓の鼓動が一拍遅れて聞こえてくる。言い返せるようなセリフも、気の利いた返しも、今は頭に浮かばない。
《※最終通告:艦長、ここから先は“修羅級”イベントです。心して挑むことをおすすめします》
……目が覚めた瞬間、まず感じたのは、頬に伝わる柔らかい感触だった。
あれ……?
意識がぼんやりしていて、状況が飲み込めない。寝返りを打とうとして――気づく。顔の両脇が、何かに挟まれてる。ふわっとして、あたたかくて、柔らかくて……まさか、これ。
視界をそっと動かすと、すぐ横に素肌の肩。細くて、白くて、そしてその先には銀髪。俺の頭を、自分の胸に抱き寄せるようにして――レーネが寝ている。いや、寝てるフリをしてる。
その証拠に、微かに唇が動いた。
「……おはよう。早いのね。まさか、逃げようとしてた?」
「いや、違う。逃げるわけないだろ……」
でも、顔が熱い。というか、動けない。物理的にも、心理的にも。この角度じゃ、ちょっとでも動けば柔らかさが倍増する。危険だ。
「……なんか言いなさいよ。黙って抱き着かれてると、逆にこっちが照れるんだけど?」
「いや、お前が……包み込んできたんだろ」
「違うわよ。あんたが寝言で“もう少しだけこのままで……”とか言うから、仕方なくそのままにしてたの」
嘘だな。絶対、それ楽しんでたやつだ。
けど、正直……気持ちよかったのは、事実だ。温かくて、柔らかくて、安心感があって――戦場の記憶が、少しだけ遠ざかった。
「……たまには、こういう朝も悪くないでしょ?」
レーネがそっと腕を緩めて、俺を見下ろす。その瞳が、やけに優しい。
俺は仕方なく、という体で布団を抜ける。視線を合わせるのが少しだけ気まずくて、後ろを向いたまま口を開く。
「……ありがとな、いろいろ」
「ん。どういたしまして、“艦長”」
後ろからクスクス笑う声が聞こえる。
頭が重い。酒のせいか、緊張のせいか、昨夜のことがじわじわと記憶をなぞってくる。
《スピンドル・バー》での祝杯。ジャズ、ネオン、レーネの笑顔。そしてあの――
「ふふ。安心して。私は訴えたりしないから。合意だったものね?」
レーネが肩まで布団をかぶったまま、ちょっとだけ顔を出してそう言う。悪戯っぽい微笑みと、どこか真剣な光を帯びた目。
俺はゆっくりと身を起こし、天井を見上げる。見慣れない天井。狭いベッド。妙に静かな空間。
「……そろそろ艦に戻る。やることがある」
「はいはい。“艦長殿”はお忙しいことで」
レーネは手を軽く振る。その仕草が、やけに柔らかい。
「でもね、忘れないでよ。あんたは命を救って、それを誰かにちゃんと見せた。そういう夜が、たまにはあってもいいのよ」
布団の中から、今度はひょいと顔を出して、にやりと笑う。
「あ、ちなみに……今夜のこと、あんたが“忘れたふり”するなら、私が“ぜんぶ覚えててあげる”から。細かいところまで、ね?」
俺は黙って服を拾い上げ、襟を直しながらぼそっと答える。
「ああもう……お前って、ほんと油断ならねぇな」
「んー、女ってね、“面白かったこと”だけは完璧に記憶する生き物なの。特に、あんたみたいな“初心な艦長”の反応とかはね」
ウィンク一発。こっちは正気を保つので精一杯だってのに。
何も言わずにドアを開ける。振り返らずに一歩、また一歩。
……なのに、背中に残るのは、くすくす笑う彼女の声。その響きが、いつまでも耳の奥に残って離れない。
《ストレイ・エクシード》艦内。帰艦手順を終えてブリッジへ戻ると、ルミナの冷静すぎる声が出迎える。
『艦長、おかえりなさい。……なお、生命検知ログに“不規則な接触反応”が複数記録されておりますが、詳細報告は任意です。……というか、聞いても引きます』
「ちょっと待て、今の引いたよな!? 明らかに引いたろ、それ!」
『艦の環境記録は常に完全ですので。データは無言ですが、とても雄弁です』
くそ、こいつ、平然と爆弾投げてきやがる……。
頭を振ってその話題を打ち切り、医療区画へと足を向ける。カプセルの中で眠る、ユイの様子を確かめに。
――変わらず、静かに眠ってる。
けれど、なんだこれ。口元……拗ねてる? 気のせいか? いやいや、まさかそんな。
「なあルミナ、これって……」
『はい、艦長の行動に対する“やや不満げな”表情パターンに該当します。脳波反応にも微弱な活性が見られました。……おそらく“嫉妬”ですね』
「はあっ!? いや、待てって。なんだよ、“嫉妬”? そんなの解析できるもんなのか!? AIが断定していいのか、それ!?」
『精密なパターン認識と感情アルゴリズムに基づく推定です。あくまで“高度に信頼できる仮説”にすぎません。――ただ、ほぼ確信してますけど』
やばい、声にすでに愉快モードが混じってる。
「冗談じゃない……寝てるのに!? ずっとカプセルの中だったのに!?」
『それでも“艦長に反応してしまう”あたり、やはり感応型の適性が高いのだと思われます。……おそらく、恋愛イベント時には最も扱いにくいタイプですね』
「誰がそんなカテゴリ作ったんだよ!」
『艦内非公式ランキングです。“乙女モード搭載の眠れるヒロイン部門”堂々の一位です。……ちなみに、艦長は“フラグが多すぎて自滅しがちな男部門”首位を独走中です』
「やかましいわ!」
思わず頭を抱える俺の前で、カプセルの中のユイは……やっぱりちょっと、笑ってる気がする。くすっと、内側で。
「……これ、本格的に起きたら絶対言われるやつだよな。“昨夜のこと、全部聞いてた”とかさ……!」
『“正直に話してもいい”と思いますよ。どうせ隠しても、バレますし。――それに彼女、艦長がどんな選択をしても、たぶん怒りません。ちょっと拗ねるだけで』
「それが一番タチ悪いってわかってんのか、お前」
『はい。だから私は、せめて艦長の“精神的逃避ルート”を全力でサポートして差し上げます』
「逃避って言ったな!? 今、堂々と逃げるって言ったよな!?」
『では最後に一言。――艦長、せめて“言い訳のバリエーション”だけは、今のうちに用意しておいてくださいね。彼女、たぶん根に持ちます』
くそ……。この艦には、敵よりタチの悪い“皮肉屋AI”がいる。
ため息をひとつ吐きながら、俺は静かに、眠る少女を見つめる。口角が、やっぱりちょっとだけ上がってる。夢の中で何か言ってそうな顔だ。
――起きたとき、何を話そうか。何を伝えるべきだろうか。
それはきっと、戦場を生き延びるより難しい。けど、それでも――
俺は向き合うしかない。この艦にいる誰よりも、まず最初に。
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