第1話 凍てつく目覚めと毒舌AI
ぼんやりと、青白い光が視界の端をかすめる。背中には硬い感触があって、空気がやけに冷たい。肌にじんわりと刺さるような、そんな冷たさ。
意識がじわじわ戻ってくる。重いまぶたをどうにか開けると――見覚えのない天井が目に飛び込んでくる。
格子状に走る金属フレーム。その間に埋め込まれた照明パネルが、静かに、青白く光ってる。熱のない月明かりみたいだ。無機質で、冷たくて、どこか現実離れしてる。
「……は?」
口から勝手に言葉がこぼれる。その瞬間、記憶が一気に押し寄せてきた。
俺は――たしか、さっきまで自分の部屋にいた。金曜の深夜。餃子が出来上がるのを待ちながら、『スペース・フロンティア』を起動して……
キャラクリして、出身選んで、スキル選んで、名前入力して……
で、画面が突然ブラックアウトして――
「……いや、ちょっと待て……なんで……?」
あたりを見渡す。ここは、どう見ても俺の部屋じゃない。狭くもないし、生活感もゼロ。むしろ、広い。どこかの“艦橋”みたいだ。
椅子がやたら重厚で、両脇には操作アームらしき機器がついてる。フィット感がやたらリアルで、それが逆に不安になる。
目の前には、まだ沈黙したままのパネル群。その奥、いくつか席を挟んだ向こう――大きなスクリーンには、宇宙。漆黒の空間に、星が瞬いてる。
……CGじゃない。映像でもない。この深さと静けさは、どう考えても“本物”の宇宙だ。
「……なんで俺、宇宙にいるんだよ……」
つぶやいた声が、空気を震わせる。背中に、冷たい汗がじわっと伝う。
記憶はある。酒も飲んでないし、記憶喪失とかそういうのでもない。間違いなく、数分前までは、俺は自分の部屋にいた。
なのに今、俺は――艦橋の艦長席に座ってる。
そのとき、隣のコンソールが微かに電子音を立てる。ランプがひとつ点灯して、小さなインターフェースがじわりと光り始めた。
椅子を通して、微細な振動がじんわりと背中に伝わってくる。まるで、機械がゆっくりと目を覚まし始めているかのような、生々しい動き。
そして――
『やっと目を覚ましましたか、艦長。あまりの寝起きの悪さに、AIの私が呆れるレベルです』
女の声が響く。クセのある、でも妙に耳に残る声だ。聞き覚えはないのに、どこか“知ってるような感じ”がする。
『ようこそ、《スペース・フロンティア》の世界へ――と、言いたいところですが。どうやら、問題が発生しているようです』
「……は?」
混乱する俺に構わず、言葉が続く。
『ゲームサーバーに接続できません。ログイン確認も取れず、通信は完全に遮断されています。簡単に言えば――“何が起こっているのか、さっぱりわかりません”ということですね』
「ちょっ……それって――」
『あなたが寝坊したから、待ちくたびれました。さっさとこの艦を起動してください』
声音は不機嫌っぽいけど、どこか楽しんでる感じもある。
「……さむっ!?」
突如、寒さが意識にのぼってくる。身体が震えて、吐いた息が白く立ちのぼる。壁には……うっすら霜? いやいや、屋内だよなここ?
恐る恐る壁に触れてみたら、指先にキーンと冷たさが突き刺さる。反射的に手を引っ込める。冷凍庫の棚を素手で触ったときのあの感触。
「これ、室温何度だよ……0℃どころじゃねぇ……よく俺生きてるな」
寒い。けど、なぜか身体は普通に動く。指も動くし、感覚もある。凍傷の気配もない。……それが、逆に不気味だ。
『現在の艦内温度はマイナス20度です。あなたがおまぬけにも“バイオラボ出身”を選んだからですよ。異常環境適応――それが今、効果を発揮しているだけです。怪我の功名……いえ、豚に真珠ですね』
「……は?」
なにこのAI。口悪すぎだろ。ってか、今俺のこと貶さなかったか?
「おまえ、いちいち貶さないと気が済まないのか!」
『そういう設定なので、仕方ありません。“毒舌AI”モード、現在稼働中です』
……はあああああ!?
「いや、毒舌なんて選んでねえからな!? 俺、そんな趣味ないからな!?」
『あなたが“自動設定”を選んだからです。おバカさんですね』
どこか憐れむような感じに聞こえる。
――グサッときた。軽口のつもりなんだろうけど、思いのほか鋭くて、心にじかに突き刺さる。笑って流せない。なんか、妙に悔しい。
「……っく、悪かったよ、ごめんって。深夜テンションで、ノリでポチっただけなんだよ……」
こんな後悔、聞いてない。誰が“毒舌AI”なんて引くと予想できたよ。しかもこんなリアル仕様で。
『素直に謝るとは意外ですね。ええ、とても意外です。ほんの少しだけ、好感度が上がりました。マイナスから、ゼロくらいまで』
「やっぱバカにしてんじゃねーか!!」
叫ぶ俺の声が艦内に響く。冷たい壁に跳ね返って、無駄に虚しい。
でも、不思議と現実感が増してくる。寒さも、罵倒も、宇宙の光景も――全部、俺の“現実”として確かにそこにある。
「……で、どうすりゃいいんだよ」
『艦の起動操作をお願いします、艦長。……あなたにできるかどうかは別問題ですが』
「くそっ、やってやるよ!」
吐き捨てながら、俺は言われたとおりにコンソールへ手を伸ばす。指が触れると、パネルが静かに反応して光り出す。艦内の空気が、かすかに震える。音というより、肌にじわりと伝わる“生き返る”気配だ。
主電源の再投入に合わせて、補助電源が切り替わる。パネルの光が強まり、艦橋全体にゆっくり明かりが満ちていく。沈んでいたシステムたちが、順番に息を吹き返していく。モニターが点灯し、インジケーターが脈打ち、天井の照明がじわりと温かみを帯び始める。
機械が眠りから目を覚ます――そんな表現が、一番しっくりくる。
『……起動プロセスを開始。艦内温度は数分で安定に向かいます』
例の女の声が淡々と告げる。たしかに、さっきまで冷凍庫だった空気が少しだけ柔らかくなってきた気がする。吹き出す息が、少しだけ白さを失っている。
「やっとマシな環境になるのかよ……」
ぼそっとつぶやいた声が、まだ寒い艦橋に吸い込まれていく。でも、次の言葉は、思わず口をついて出る。
「……なあ、これって……VRなのか?」
言ってすぐ、自分で否定する。いや、ありえない。俺が持ってるのはただのゲーム機。
モニターとコントローラー。ヘッドセットすらつけてなかった。フルダイブ型のやつなんて、あっても研究段階のはずだ。
「ないない……コントローラー握ってたし、部屋の電気も点いてた……」
なのに今、俺はここにいる。目の前には艦橋。起動する機器、暖まっていく空気、広がる宇宙。
全部、リアルすぎる。
モニターの輝き、計器の質感、視界の端にある表示や光。どこを見ても作り物の気配がない。映像じゃない、CGでもない。むしろ、現実より現実っぽい。
試しに、手をゆっくりと開いてみる。指が動き、関節が曲がり、筋肉がついてくる。感覚が全部つながっていて、ラグも違和感もない。アバターの操作じゃなくて、自分の身体が動いてる。
壁に手を伸ばして、そっと触れてみる。ひんやりとした金属の感触が、じわっと指先に染みてくる。
――これ、感覚の再現とかじゃない。本物の“冷たさ”だ。
でも。
「……これがゲーム、なわけ……」
自分の声がかすれる。疑いと、認めたくない現実が、頭の中でぶつかり合ってる。
目の前のモニターは、確かに動いてる。音声は、鼓膜を震わせて届いてくる。
「な、なあ……ログアウトって、できるか?」
返ってくるのは、変わらず冷静な声。
『ログアウト機能は見当たりません。それに……艦長、あなたは現在、いかなる外部プラットフォームにも接続されていません』
「……マジかよ……それって……」
『ええ。ゲームではありません。少なくとも、今のあなたの状態は』
その一言で、内臓が冷えるような感覚が走る。ほんの少し温もりを取り戻しつつある空気とは裏腹に、背中だけがやけに冷たい。
「……何が、どうなってる……」
状況を飲み込もうとする脳が、処理を拒否しているのがわかる。だってそんな馬鹿な話――いや、それを言い切れる根拠が、もうどこにもない。
『混乱中のところ恐れ入りますが、現在位置は規格外の座標域にあり、通信は完全に遮断されています。周囲の星々も基準情報と一致せず、マップ照合も不能です。要するに――“ここがどこか、まったく不明”ということが、判明しました』
艦橋が静まり返る。パネルの光だけが、ゆっくりと瞬いている。
空調が効き始めて、寒さは少しずつ和らいでいく。でも、逆にその“快適さ”が、どんどん現実味を増してくる。
逃げ道が消えていく感じ。ここがゲームの中じゃないとしたら――
「なぁ……なんで現実になってるんだ。これ、ただのゲームだったはずだろ……?」
ぼやくように言うと、あの声がまた返ってくる。
『そこも、確認できていません。……ですが、ご安心ください』
「な、なにが……」
『私は、たとえ“どこであろうと”、あなたを容赦なく罵倒し、支援し、護る存在です。期待してください、艦長』
……毒舌AIと、宇宙のど真ん中で、二人きり。笑ってる場合じゃないけど――たぶん、笑うしかない。
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