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第3話

 


 セレスト美術館はフランスの郊外にある。

 大企業の社長であり、美術が趣味だという(やなぎ)道長(みちなが)が10年前に創設。

 敷地内にはヘリポートやカフェが併設され、外観は街並みに溶け込むようルネサンス様式がベースとなった美術館だ。

 

『間もなく到着いたします』

 

 アナウンスで教えてくれるのは、空飛ぶクルーズ船ともいわれるスカイクラフト。

 10畳ほどの機内には簡易的なキッチンとテーブル、ソファがあるプライベートジェット機だ。垂直離着陸機のように助走なしでも飛行可能であり、完全自動操縦のため最低限の知識とお金があれば購入できる。

 段々と下がっていく高度に、緩めていたネクタイを締めなおす。身長は5年前から8センチ伸びて178センチになり、仕立て直した黒いスーツに袖を通した。

 

『到着いたしました』

 

 ファスナー式のアタッシュケースを持って外へ出ると、カラッとした晴天が世界を包んでいる。

 太陽を気持ち良さそうに受ける草木に案内されながら石畳の道を往く。

 3分もかからず見えたチケット売り場には、スタッフらしき女性と自然な白髪が印象的な男性が立っていて、こちらに気が付くと女性は軽く挨拶をして奥に下がった。

 

「やぁ、久しぶりだね。セレスト美術館にようこそ」

 

 穏やかな話し方にチェック柄の背広が良く似合う彼は、まさに老紳士という言葉が似合う。

 

「お久しぶりです。柳館長」


 柳道長は5年前に日本で『天使』の展示を許された青柳美術館の館長でもある。

 半年ほど前、両親から最後の誕生日プレゼントは何が良いかと聞かれたとき、もう一度『天使』が見たいと伝えた。残念ながら日本での展示予定はなかったが、柳館長に連絡を取ると偶然にもセレスト美術館で公開されるとの話だったらしい。

 お誕生日おめでとう、とかけられた祝福の言葉にお礼を言いながら美術館の入り口に向かう。


「開館は10時だからあと1時間は貸し切りだ。もちろん、閉館まで好きに見てくれていいからね」

「ありがとうございます。今日を楽しみにしてきました」

「光栄だよ」

 

 胸に手を当てるお礼の仕方も彼がすると様になる。

 

「それにしても、本当にいい息子さんになったね。見た目も大人っぽくなった」

 

 ご両親に似て注目の的だろう? と柳館長は楽しそうに笑う。

 アーモンド形の目に、主張しない鼻と口元。痛んでいない黒髪。人から言われたことを総合するとそんな見た目だ。

 確かに、両親は息子である自分から見ても整った顔立ちをしていると思うので、遺伝子的には当たり障りのない顔をしているのだろう。

 天使のことばかり考えていて、恋愛に現を抜かしている暇はなかったけれど。

 

「おっと、もう着いてしまったね。私はこれから外に行くけど、何かあったらスタッフに声をかけて」

「お忙しい中、ありがとうございます」

「いいんだ。作品も自分を好いてくれる人に見られると嬉しいんだよ」

 

 君にとって良い時間になることを願うよ、と柳館長は去って行った。

 彼は本当に作品が好きなのだろう。

 だから意味もなく、心の中で申し訳ないと思う。これから大切な展示品を盗むのだから。

 僕は計画を変更する意思なく、高さ10メートルを超える入り口を通り抜けた。



 中は建物自体に様々な装飾が施されおり、シンプルな青柳美術館とは全く違う造りになっている。

 展示室も白壁だけでなく、作品を引き立たせる赤や青の壁紙。建物全体にUVカットのガラスが使われているらしく、長い廊下の連続した窓から惜しむことなく入る光に照らされるように彫刻などが飾ってある。

 美術館として建設されていなかったとしても、この建物だけで十分に価値のあるものだろう。

 僕は走ることもなく、まるで天使に会うことを焦らすように作品を鑑賞しながら歩いた。

 もう二度と見ることのできない作品たちを通り過ぎていくことが、天使に会うまでのカウントダウンに思えたのだ。


 次の展示室へ行く前に、一度足を止める。

 あと数歩進めば通るアーチ型入り口は、両開きの扉が開いたまま固定されて奥に真っ白な壁が見える。展示品はまだ見えないが、きっとこの部屋に天使がいるはずだ。

 5年間、天使を見ることはなく探してもいない。誕生日の後も会いに行かなかった。

 一刻も早く天使と鳥籠の外で会うため、天使が住む家はどうするのか、どうしたらその家で生きていけるのか。この世界から天使を隠し続けるためには、自分の脳内を現実にするためのお金をどうやって稼ぐのか…、そんなことばかり考えていた。

 目を閉じて深呼吸をすると、自分の中で何度も反芻した声が聞こえる。


 手を伸ばせば、もう戻れない。

 分かっている、戻る気もない。


 自分しか分からないくらい、小さく頷いて踏み出した足。


 扉の先には5年前の展示室より倍ほど広く、絵具で世界の全てを白く塗りつぶしたような空間が広がっていた。

 窓も装飾品もなく、小さな汚れ一つ許されない、一作品を飾るためだけの部屋。

 左を向くと部屋の中心に置かれた『天使』に、二度目にもかかわらず呼吸を忘れてしまう。

 頑丈な鳥籠、積み上げられた本、白いベッドに白い服は何一つ変わっていない。

 唯一違うのは、既に天使がベッドに座って本を読んでいたこと。


 僕の足音が響くと本を脇に置いて無表情でこちらを見つめた。

 僕のこと、覚えていてくれはしないだろうか。

 鳥籠の前、天使の正面に立って「久しぶり」と言ってみる。

 届かない声に天使は答えることなく、耳に髪をかける仕草はどこか妖艶さを感じさせた。

 女性特有の丸みもなければ、男性特有の骨ばった骨格でもないように見えるけれど。

 どちらの性にも見えてどちらにも見えない天使は、この世界の性別など当てはまらないのかもしれない。

 ……直接話せたら、天使のことを知れるだろうか。


「ここから、出よう」


 まだ決まっていない未来を見たくて、すぐ計画を実行することにした。

 天使はゆっくり立ち上がると、長い爪でガラスを叩く。

 声が聞こえないにしてはタイミングが良過ぎるから、やはり聞こえているのかもしれない。なんてことを、こちらには一切音が伝わってこないのに半分本気にしながら思う。

 僕はアタッシュケースからサイレンサーを装着したピストルを取り出してロープを跨ぐ。多少弾の威力は落ちるけれど、鳥籠のドアに付いている鍵穴くらいは壊せるだろう。

 

 5年前は超えることのできなかったロープ。天使との距離は1mもない。

 宝石の埋まっている目がわずかに見開かれ、眩しさに目を細める。

 ずっと、見たかった光。


 本当はもっと見ていたい。けれど、悠長にしている時間はない。

 これから数えきれないほど見れると信じて、足早に鳥籠の真反対にあるドアへ回り込む。

 パンパンパン。

 躊躇いなく鍵穴に弾を撃ち込み、小さな握り玉を回す。

 案外軽いドアを引くと、本来であれば防犯アラームが作動するはずだが反応はない。

 良かった、依頼先がきちんと仕事をしてくれたようだ。

 ただ、部屋の構造のせいか、思ったよりも響いた銃声に人が集まることは容易に想像できた。

 急いでピストルを腰につけ、天使に手を伸ばす。

 

「来て」

 

 僕と天使を隔てるものは何もない。

 手を取ってくれなければここで終わり。

 僕は目も当てられない恥ずかしい勘違いをした人間として、新聞の片隅くらいに載るだけだ。


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