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どうせ去るなら爪痕を。の続き。

【短編】どうせ去るなら爪痕を。

作者: ぽんぽこ狸




 自分のいる世界が美しいおとぎ話の世界であると信じてやまない少女というのは、総じて美しく才能にあふれ天真爛漫に笑みを浮かべられるものだ。


 今、エミーリエが見ている彼女がそうだ。


 彼女の名前はロッテ・フォルスト。婚約者であるエトヴィン・フォルストの年の離れた妹であり、このフォルスト伯爵家で一番大切にされている存在。


 ロッテは友人たちを呼んで庭園のガゼボでお茶会を開いていた。


 こんなに美しい庭園を一人で利用できて、友人たちに身に着けている美しいドレスやアクセサリーを褒められて無邪気な笑みを浮かべている。


 本当に輝かしいほどに美しい、エミーリエの義理の妹。


 けれどもその輝かしさは、元来のものだろうか。そう考えてしまう醜いエミーリエは自分があまり好きではなかったが、思考は止まらない。


 毎日友人たちと遊んで暮らし、ダンスも歌も絵画も得意で、彼女は才能にあふれている。


 一方エミーリエは実家が没落し、貴族らしい生活を送ることが出来なくなりやむなく婚約者のお屋敷でもう五年以上前からお世話になっている。


 ここにきて生活の面倒を見てもらうようになって以来、エミーリエの得意なものはすべて奪われた。


 ロッテより優れたものを持つことは許されなかったのだ。だからこそ、エミーリエは奪われなかった自分の唯一の価値である仕事をこなす日々が続いている。


 日の当たる美しいガゼボでのお茶会も、エミーリエは一度も経験したことがなかった。


 日の当たらない角部屋からひっそりとロッテを見つめながら、結婚して子供を産む日を夢に見ていた。


 実家が駄目になった厄介者の居候から、フォルスト伯爵家跡継ぎの妻となり、エミーリエにも価値が認められる。


 だからそれまでの何もかも奪われた生活も、こうしてお世話にならせてもらっている以上は受け入れることができる。


 こなしている仕事も大変だとは思う事はあるけれど、それでも立場さえ手に入ればエトヴィンもエミーリエの進言を聞いてくれるはずだ。


 そうすればすこしは立て直すことができるだろう。

 

 だからこそ、成人する日を心待ちにして、ただ静かに過ごしていた。







 成人を間近に控えたある日の事、エトヴィンに呼び出されて、エミーリエは彼の執務室を訪れた。


 きっと結婚生活についての話題だろうと心を躍らせて彼の元へと向かう。


 それに、いつだってエトヴィンに会えるということはとてもうれしいことだ。彼は結婚することが決まっている大切な人だ。金色の髪に青い瞳、このフォルスト伯爵家の人たちはとても美しい容姿をしている。


 地味なエミーリエとは違って、彼らはまるで物語の主人公のような人たちだ。


 そんなエトヴィンに、エミーリエは淡い憧れにも似た恋心を抱いていた。


「失礼します。エミーリエです」


 扉をノックして、返答が返ってきたら扉をひらき、小さく微笑みを浮かべて執務室へと入った。


 扉正面の大きな執務机にはとても真剣そうな顔をして彼が座っており、視界に入るだけでドキドキしてしまうのはエミーリエが小心者だからだろうか。


「やっと来たか。遅いぞエミーリエ」

「はい。申し訳ございません。……それでお話というのは、なんでしょうか」

「……なに、それほど大層な話じゃない。ああ、それよりもな、お前に任せている。長雨の対策や隣国から続く街道の話はどうなっている?」


 エトヴィンはすぐに本題に入らずに、最近の仕事で滞っている部分について聞いてきた。


 しかし、手紙でも何度も催促されてはいるのだが、何度聞かれても催促されても困る。


 隣国との国境に存在しているこのフォルスト伯爵領だが何かと災害が多い土地だ。


 この屋敷がある北側は問題がないが南側の土地に今年は長雨が続き土砂が街道をふさいでしまっているのだ。


 そのせいで多くの商人や隣国からの来訪者が立ち往生する羽目になり、今のところ身分の高い使者などは特別に別ルートから通すことにしているが、それには多くの費用が掛かる。


 隣国はなにやら王位継承の件について揉めているらしくこちらの国にやってくる人間も後を絶たない。


 それを何度もやっていては、財政的に厳しいフォルスト伯爵領の財政悪化につながるだけだ。


 どうにかする必要がある、ということは彼らもわかっているのだが、どうにかしろとエミーリエにせっつくだけでどうにもなっていないのが現状なのだ。


「何度も申し上げていますとおり、復旧改善には多額の費用を要します。それに今後の災害対策の費用も捻出し予め対策を行っていかなければ、長雨のたびに多大な出費を必要とすることになるでしょう」

「ああ、良い。そういう面倒くさい話は。そうじゃなくて、適当に必要ない所から金を出して使えばいい。もちろん必要最低限な!」

「……ですが、すでに売り払える不動産や、事業などは売ってしまっています。これ以上どこからどのように金銭を出すおつもりですか」

「だから! 必要ない所を切ればいいだろ! そうだ! 教会と共同出資している救貧院への出資を取りやめろ。そうすれば復旧費用の足しなる!」

「それは……あまり望ましい行為とは思えないのですが」

「黙れ! じゃあどこから金を出すっていうんだ。言ってみろ」

「……」


 威圧的に声を荒げるエトヴィンにエミーリエは押し黙ってただ俯いた。


 どこからと言われれば多額の費用をかけているロッテの教育費から出すのが一番だと思う。


 正直なところエミーリエから見てもこの領地の限界は近い。


 それは今でも蝶よ花よと育てられている何も知らない彼女の為に使われている予算が莫大だという事と、それ以前の問題もある。


 フォルスト伯爵家……というよりもフォルスト伯爵夫妻は、長い間不妊に悩まされていた。彼らはどうしても可愛い女の子が欲しいという理由で第二子を望んでいた。


 そして懸命に治療に励んでいたが、その子供にたいする強い思いを利用され、治療とは言えないような莫大な金銭が必要となる不確かなものに収入の多くをつぎ込み、そのあたりから家業が傾いた。


 現在はその家業すらも売り払い、大きな街道の使用費が主な収入源なのだが、それも危うい状況だ。


 だからこそ、今はすこし質素な暮らしになったとしても復旧費を捻出するしかない。


 救貧院への支援を打ち切るなんてことをすれば治安の悪化につながるし、教会からの不興を買うことになる。


 なにより救貧院に頼るような人間には後がないのだ。今は我慢できる人間が我慢するべきではないだろうか。彼らからこれ以上奪っては立ち行かなくなってしまう。


 そう口にしなくとも、エトヴィンはその今の状況をわかっているはずだ。


「……」

「言えないなら、さっさと俺の言った通りにしろ。わかったな」

「……はい」


 それでも彼は、自分たちの生活……ロッテの夢のような生活を守ろうとしているというだけだ。


 可愛らしい彼女を夢みがちなままの少女でいさせたいという気持ちがその選択をさせている。


 それはきっとロッテの為ではない、自分たちの可愛い彼女を愛しているという幻想に酔っているだけだ。


 彼女の事を思うならもっと他に策はある。


「ああ、それでお前に言うことがあったんだった」


 思い出したように話は、エミーリエを呼び出した本題へともどった。


 それになんだか、嫌な予感を覚えつつもエミーリエはエトヴィンへと視線をもどす。


「お前との結婚だが、取りやめることになった」


 なんてことないように言うエトヴィンにエミーリエは呆然と「は?」と声を漏らした。


 そんなエミーリエの声など聞こえていないような様子で、エトヴィンは適当に続けた。


「つまりは婚約破棄って事だ。まぁ、仕方ないだろ。跡継ぎの俺に子供や嫁がいたら、ロッテの将来の子を跡継ぎに据えてやれないし」

「……」

「ただ、お前を今更放り出すほど俺たちも鬼畜じゃない。これまでもお前はよく働いてくれたしな、正式な妻ではなく、愛人としてここに置いてやろう」


 まるで慈悲深い事を言っているような顔つきをしているエトヴィンは、いつもと変わらずかっこよく見えてしまって何を言っているのか正しく判断できない。


「今までと同じように仕事もさせてやるし、何なら、一人ぐらい子供をもうけてやってもいい。公的な権利は一切ないけどな」


 ……仕事……子供……。


「お前みたいな没落貴族の娘をここまで好待遇で住まわせてやるやつなんて他にはないぞ、これからもよく俺たちに尽くしてくれよ」


 ……もしかして、初めからそのつもりで……。


「話は終わりだ。婚約破棄の手続きはすでに終わってるから、お前はこれまでと変わらずにあの角部屋で静かに過ごしてくれ」


 一方的に話は打ち切られて、エミーリエは目の前が真っ暗になったような心地がして、頭がくらくらした。


 そしてそのまま部屋へと戻った。



 呆然としたままエミーリエは数日間を過ごした。その間に言われていた仕事をこなし、土砂災害の復旧工事に手を付けた。


 ただ自身の事は何も考えられずに、落ち込んだまま救貧院の支援を打ち切り、ロッテを甘やかすことに全力を尽くしている、フォルスト伯爵家の人間の代わりに教会とやり取りをした。


 教会から送られてきたのは災害の爪痕がのこっている村の風景や、今でも困窮している人々のスケッチなどだった。


 これらの事がすべてフォルスト伯爵家のせいではない。しかし領民からの税収があるからフォルスト伯爵家は領の統治に専念することができ、領民は安心して仕事に専念できる。


 元から貴族と領民の関係は、それが正常なのだ。


 その象徴ともいえる救貧院という福祉施設をこの多くの人が被害に遭ったタイミングで見捨てて、自分たちの生活をとることはやってはいけないことだ。


 けれどもエミーリエに力はない。


 従う以外の術を知らない。こうしてただ多くの可能性を失って、さらには希望さえも失って搾取されるだけの人生を送る。


 そのスケッチを見て、領民からの声を聞いて、エミーリエはやっとフォルスト伯爵家にとって自分もただそうして奪われるだけの領民と同じ、踏み台に過ぎなかったのだと気が付いた。


 初恋はとっくに枯れ果てて、干上がった心に悲しい手紙が次々届いてどんどんと心が苦しくなっていく。


 エミーリエもまた、誰かから奪い搾取することに加担して、何も知らないロッテは今日も天真爛漫に笑みを浮かべてガゼボでお茶会を開いているのだ。


 あまりにも自分とはかけ離れていて、彼女のせいでという気持ちが生まれそうになる。


 けれどもそうではないだろう、ロッテはただ大切にされているだけだ。夢を見せられているだけなのだ。


 そしてその夢を見せることこそ至上の喜びとしている人がいる。彼らは、エミーリエにとても大きな傷をつけた。もう尽くした時間も、自分のやった人を不幸にしてしまう仕事も戻ったり無くなったりしないのだ。


 であればどうすることが正解か。


 エミーリエは、コルクのボードに教会からの手紙を纏めだした。ショッキングで悲しい事実をわかりやすく切り貼りして纏めていく。


 せめて受けた傷跡には及ばずとも、爪痕ぐらいは残していこうとそう思った。





 今度の日曜日は友人であるマリーの誕生会だ。


 だからこそ友人の中でも一番仲のいいロッテが一番高級な誕生日プレゼントを贈ってあげたいと思う。


 だってそれが友情ってものだ。そうエトヴィンに言ってもなかなか兄は首を縦に振ってはくれなかった。


「だから何度言ったらわかってくれるの? もう!」

「で、でもね。ロッテ、誕生日プレゼントに凝りたいのはわかるけれどな、もう少し予算を下げないと……」

「そんなこと言って友情に亀裂が入ったらどうするの! お兄さまったら責任とれる?」

「いやぁ、そう言われると弱いんだ」

「そうでしょ? だって私たち仲良し四人組はずっと一緒なのよ。それはもう洗礼の前からずっと! これからも一生の付き合いになっていく相手に、お金をかけないなんてケチな子だと思われちゃうわ」

「ああ! ああ! そうだな」

「だからとーってもプレゼントは大切なの! わかる?」

「わかってるさ。ロッテ」


 ロッテは一生懸命に誕生会と友人へのプレゼントの大切さを説いて兄を真剣に見つめた。


 そうすると兄は可愛い妹からのお願いに相好を崩して、やっと重い腰を上げたようだった。


「よし、そこまで言うのなら、エミーリエに言って用意させるかな」

「ほんと? やったぁ! 嬉しい!」

「そうだろうそうだろう。じゃあお兄さまにぎゅ~っとしてくれ」

「うんっ」


 ロッテはソファーから飛び上がるように立ち上がってエトヴィンに思い切り抱き着いた。いつだってロッテを甘やかしてくれる兄の胸の中はとても居心地が良くて思わず胸板に頬をこすりつけた。


 兄にはとても有能な従者の女性がいて名前をエミーリエという。


 彼女はとても控えめな性格をしている人でありながらも、この領地の仕事を一手に担っている仕事大好き人間なのだ。

 

 そんな彼女ならマリーの誕生日プレゼントをきちんと調達してくれるだろう。


 兄にお礼を言ってロッテは、ルンルンな気分で自分のお部屋に帰る。途中で、野暮ったい茶髪のやつれた女性が角を曲がっていくのが見えて、思わず駆け寄った。


「エミーリエ!」

「……」


 ロッテが後ろから声をかけると、エミーリエは少し間をおいてからゆっくりと振り返った。

 

 彼女は相変わらず、顔色が悪くてせっかく可愛い顔をしているのに碌にお化粧もしていないせいで酷く野暮ったく見える。


「私の部屋の近くにいるなんて珍しいね! 何か用事があったの?」


 彼女の手をつないでぶんぶんと振りながら問い掛けると、彼女はいつも浮かべている薄ら笑みを消して、それから静かに、膝を折ってしゃがみロッテと目を合わせた。


「所用がありましたが、もうすみました。……ロッテ…………」


 ロッテの名前を呼んだまま何も言わずに止まってしまう彼女に、ロッテはおかしくて笑った。


 だってこんなに口下手だなんておかしいじゃないか、もっと元気でハキハキしている方が皆だって楽しくなって話をしたいと思うはずだ。


 というかそんなだから仕事が趣味になってしまうのだ。ドレスだって野暮ったいし、つまらない人間は友人ができないと兄たちはよく言っている。

  

 だからこそ流行を追いかけていろんなことに興味を示していかないと。


 そう大人みたいにロッテは考えながら口を押えてくすくす笑った。


「……ロッテ、楽観的に物事を見ることは悪いことではないと思います。


 しかし楽観的に見ることと、未来を考えないことは別のことです。私はただ、爪痕を残したいという気持ちもありましたが、物事を正しく知らせる良い機会になればとも考えています。


 どうか正しい選択をしてください」

「え? どうしたのエミーリエ。仕事のし過ぎで疲れちゃったの?」

「そんなところです」


 彼女はそれだけ言って、ロッテの頭を緩く優しくなでてから、振り返って去っていく。


 ロッテはあまり意味が分からなかったけれど、心配のしすぎだろうと思う。だって今日までも、これからもロッテもロッテの周りも一切変わっていないし、何も起こりようがない。


 起こるわけもない可能性を考えて悲しくなったり疲れたりしていたらバカバカしいに決まっている。


 そんな風だから友達の一人もできないのではないだろうか。


 決してエミーリエの事を馬鹿にしているわけではないけれど、ロッテはそう考えてちょっと彼女の事を心配に思ったのだった。だってなんだかとても疲れている様子だったから。


 それからロッテはルンルンな気分を取り戻して、自分の部屋の扉を開けた。


 しかし少しだけ、おかしいような気がして首を傾げた。


 なんだか、雰囲気がいつもと違う気がして、部屋付きの侍女を呼び出すためにベルを鳴らしつつ、自分の趣味が詰まった可愛い大好きなお部屋を眺めた。


 するとレースカーテンの隙間から差し込む光に照らされて、何か見慣れないものが沢山壁にかかっているのが見えた。


 ……何これ?


 首をかしげながら近づく、部屋付きの侍女がまったく出てこない事を不思議に思いながらも、所狭しと並んでいる雑多なスケッチや汚い文字で書かれている言葉を目で追った。


『フォルスト伯爵領南区水害記録』


 一番大きなスケッチに先ほど会ったエミーリエの字でそんな言葉が記されていた。


 そしてそのスケッチは、大雨の中土砂に押し流される人が血を流しながら倒れている様がとても生々しく描かれている。


 まるで雨に打たれながら書いたのではないかと思うほどに、緻密にかかれているスケッチだった。


 それを瞳に移した瞬間、ロッテは意味が分からなかった、しかし何故か恐ろしくて同時に目が離せない。


 スケッチの血の部分だけが赤黒い何かで色付けされていて異様な雰囲気を感じて一歩下がる。


 これまでロッテは絵といえば美しい絵画以外は見たことがなかった。ロッテの世界には美しくきれいなものしか存在しないし、こんな醜くて恐ろしいものロッテは知らない。


 しかし、どうしてか目が離せなかった。怖くてたまらないのにボードに張り付けられている別の手紙に目を通した。


 そこにはフォルスト伯爵家に対する遠回しな糾弾が書かれていた。

 

 災害で寄る辺を失った人々の集まっていた救貧院への援助を打ち切り、街道沿いの町として栄えていたとある町は街道が動かずに仕事を失った人々であふれかえっている。


 彼らは、生活の苦しさにあえぎ、体の弱いものから死んでいっている。


 水没した村の診療所には溢れかえるほど人がいる。そのスケッチも載っていて、読めば読むほど体が震えて、恐ろしくて涙が出てきた。


 名指しで、ロッテを中傷するような言葉もあった。こんな手紙を貴族に送るなんてありえない。すぐに殺されたっておかしくないのに、どうしてこんなものがここにあるのか。


 とにかくそんな頭のおかしい事をする人間の言う事なんて気にしなくていいはずだと思うのに、これを見てしまえば、そう投げやりになるほど困窮していたのではないだろうかという思いも浮かんでくる。


 侮辱された怒りよりも、事の顛末まではっきりと一目でわかるように書かれているこのボードのせいで悲しみと恐ろしさが勝ってロッテはそのまま数十分それを端から端まで見つめていた。


 それから座り込んで、頭がめちゃくちゃになって、ボードを掴んで床に叩きつけようとした。


 しかし外したところで裏にもびっしりと手紙がついているのを見つけて、思わず甲高い悲鳴を上げた。


「いやっ! いやぁぁああ!!」


 頭の中はすでに誕生日会の事なんか考えられなくなっていて、家族にたいする酷い不信感と、こんなものの上に成り立っていた生活は、まるで全部ままごとだったかのような気がした。


 頭を抱えて泣いているといつの間にか兄や父、母がロッテの元へとやってきた。


「どうしたの? ロッテすごい悲鳴……」

「おい! 部屋付きの侍女はどうした何故出てこない!」


 父と母は取り乱しながら中に入ってくる。そんな中いち早く、兄であるエトヴィンがロッテに駆け寄り、その肩を抱いた。


「どうしたんだ! ロッテ、可哀想にこんなに震えてっ」


 心配そうに言うエトヴィンの声、優しい言葉、いつもだったら兄に縋りついて泣いていたのに、端から端までボードを読んだうちの一つに、エミーリエからの手紙があったのを思い出す。


 実家の事情で勤めながら暮らすことになった仕事が大好きな従者だと思っていたエミーリエは、実は兄の婚約者だった。


 しかし兄はロッテにはあんなにやさしい顔をしていても、その裏で女の恋心を弄んで、仕事を押し付けることしかしない酷い人だった。


 父や母も同罪だ。こんなにやさしくしてくれるのに、それは全部……。


「いやぁ!! 触らないで、嘘つき!! 嘘つき嘘つき!!」


 なにが本当の事かまったくわからない、涙を流して暴れるロッテに彼らは皆ただ茫然としているのだった。





 エミーリエは手近にある金目のものだけをトランクに詰め込んで、屋敷を出た。


 ロッテの件もあってすぐにエトヴィンたちに捜索されるだろうし、いそいで行方をくらませる必要があったのだ。


 しかしだからと言ってもいく当てはない実家を頼ることもできないし、エミーリエは孤独だ。


 それでもやるべきことだけはある。街へと降りて乗り合いの馬車に乗り、教会と救貧院のある南区へと向かった。


 そこは復旧工事のおかげで少しずつ交通が再開しているせいかとても賑わいを見せていて、ほっとする気持ちはありつつも貧しい人々は教会の周りに多く、中に入れば礼拝堂の中には敬虔に祈る人々の姿があった。


 この町の住人だけではなく、旅路でこの場所を通る芸人や、深くローブをかぶっている人もおり、長く立ち往生させてしまって申し訳ないという気持ちになりつつも、エミーリエは修道女に声をかけた。


「……あの、これをすべて救貧院の運営費にしてください」

「え? あ、寄付のご申し出ですね。ありがとうございます。窓口の方へとご案内いたしますのでついてきてください」


 少し戸惑った様子でエミーリエを見る修道女の言葉に、頭を振ってトランクを押し付けた。


 エミーリエがこの場にいたという履歴を残すつもりはない。


 それにもっと遠くに逃げなければ、たとえ事実を伝えただけとはいえロッテの世界を壊したことをフォルスト伯爵家の人間は許さないだろう。


 なににせよさっさと別の領地に移らなければならない。


「よろしくお願いします。急ぎますので」

「えっ、困ります! 必要な手続きなどもありますしっ、あのっ」


 無理矢理受け取ってもらい、エミーリエは身を翻して人の多い礼拝堂を出た。


 周りにいた人間はエミーリエに注目しており、よく考えると人目を避ける必要もあったのに、ローブの一枚も羽織っていないエミーリエは、平民の教会にいるには高級すぎるドレスを着ていた。


 しかし、そのことからどういったことが想像できるかという点について頭が回るほど、エミーリエは自分のことを考えられてはいなかった。


 このままではいられないと去る決意をして爪痕も残したのに、こうして飛び出してきてしまうとそれだけで満足してしまったような気がして、これ以上何をしたいのかするべきかということもわからない。

 

 しかし歩みを止めるわけにはいかず、また乗り合いの馬車に乗ろうと足を進めていると、案の定というのかそれとも不運にもというのか、救貧院の周りにいたガラの悪い男たちに行く先を阻まれた。


「おっとぉ、嬢ちゃん。とっても素敵な服着てるじゃねぇか」

「その可愛いドレスもっとよく俺らにみせてくれよぉ」

「ほっそい腕だなぁ、おらっ、こっちこい!」

「……」

 

 腕を掴まれて引きずられ、それでも周りの人間は見て見ぬふりをする。

 

 それを見つめながら、エミーリエはなるほどと思った。


 こういうことになるのかとまるで他人事のように考えた。


 それから、抵抗する手立てがないわけでもないが、考えるのも動くのも億劫に感じるほど疲れ切っていて、そのままずるずると引きずられた。


 ……このまま、私の人生はただ終わるのかもしれません。


 それもいいかと思うほどに、エミーリエの心の傷は開きっぱなしになっていて、どうしたら治るのかもわからない。


 しかし、「ガッ」「ギャ」「ごぉ」と変な声をあげて、エミーリエの腕を引っ張っていた男たちが次々と道端に倒れこんでいき、石畳に頬を打ち付けた。


 その光景をまじまじと見つめながら、鞘をつけたままの剣を持っている女性を目で追う。


 彼女は三人のごろつきを見事にのした後に、ローブを深くかぶり直した。それから素早くエミーリエの後ろに走り抜けていく。


「怪我はありませんか。そのような格好でこのあたりをうろつかれるのは大変危険ですよ」


 そのまま振り返れば礼拝堂の中にいた、ローブをかぶった男だということがわかる。ごろつきを倒した女性は、彼の騎士のように後ろにつき、視線を伏せる。


 そのしぐさから察するに彼が助けろといったから、エミーリエを助けたのだろう。


「…………」

「何かトラブルで屋敷に戻れなくなったのでしたら、教会に事情を説明して一度匿ってもらい迎えに来てもらうのが一番安全です。そのようにしたらいかがですか?」


 その提案ができるということは彼も、多少なりとも高貴な身分の人間だということがわかる。ローブの隙間からちらりと除く金髪は、貴族に多い髪色だ。


 この場所は隣国からの訪問者も通ることが多い……しかし、貴族の場合は隣国から直接連絡が着て、迂回路を使うことが出来るはずだ。


 それでも復旧途中のあまり安全とは言えないこの道を使うということは、お忍び、もしくは彼もトラブルの真っただ中で秘密裏に入国している可能性が考えられる。


 そんな風に彼の素性について考察してみたが、だから何だというのだという気持ちがもたげてきて、エミーリエは適当に話をした。


「帰る家も行く当てもないだけですのでお気になさらず。助けていただいてありがとうございました」


 なにかそれらしい理由をつけて断ればよかったのだが、その理由を考えることを放棄した結果の返答だった。


 頭を下げて、振り返る。


 エミーリエは自分の人生がこれまでのすべてが無駄だったように、きっと今も同じように、面倒くさい事情を持っていそうなエミーリエのような女を彼が引き留めるとは考えられなかった。


「待ってください」


 しかしその、人生に対する絶望を否定するように声が届いて、力強く腕を握られた。


「いく当てがないといいながらどこに行くつもりですか?」

「……それは……」


 まっとうな質問のはずなのに、答えられない。だってどこにも行く気がないからだ。


 しかし、行く当てはなくても、今から向かう場所はある。少し考えてから、エミーリエは答えた。


「村の乗合馬車の乗り場に向かうつもりです」

「礼拝堂を出てすぐに絡まれたのに、村にこのまま徒歩で向かうつもりですか?」

「はい」

「それはまた、すぐに絡まれることは容易に想像がつきます。それをされに行くということで間違いないですか?」

「…………」


 彼の言葉に、その場しのぎの答えを返すと、エミーリエのやろうとしている行為がどんなものだかはっきりと言葉にされて、ハイとは言えない状況になった。


 なんせエミーリエは破滅に向かっているだろうとは消極的に思っていたが積極的に破滅に向かっているつもりはない。


 こうしてはっきり言われると否定するほかない。


「そんなつもりはありません」

「ではどういうつもりですか。あなたのようなうら若い女性が一人で行く当てもなく彷徨えばどうなるかわかるでしょう? 悪い事は言わないので、教会に戻り、頼れる伝手を探す方が賢明です」

「……」

「それもできないような状況ですか?」


 問いかけられ、その言葉がなんだか妙に温かくてエミーリエは変な表情になった。どうしたらいいのかわからなくて困惑しつつも、泣いてしまいそうなまま、自分でもよくわからないまま頷いた。


「……私は、ユリアンと申します。こちらはアウレール」


 言いながら彼はゆっくりとローブのフードを外した。


 その瞳には美しい深緑の瞳が輝いており宝石みたいで神秘的だ。


 そして、すぐに正体にピンときた。まさか彼のような人物がこんな場所にいようとは思っていなかった。


「一緒に来ますか? 私も故郷を追われて帰る場所を失った身です。とても他人事とは思えません」

「……」

「それに、今のあなたはとても危うげに見えます。このまま手を離したら不幸になるように見えるんです。あなたはそう思いませんか?」


 ……思わないとは言えません。


 ぽつりとそう思って、エミーリエはまた頷いた。すると彼は人好きのする笑みを浮かべて「では共に行きましょう。丁度二人きりで、会話にも飽きてきたんです」といい、数奇なことに、エミーリエは危機を脱することになった。


 そうしてユリアンについていき、エミーリエは彼の行き先であった、隣国の王族の傍系である貴族の屋敷で働きながら暮らすことになったのだった。




~その後の二人~




 この国の王族と祖国の王族はとても血が近いが、それだけで親戚かと言われると正直怪しい。


 しかしこのあたりの国の貴族には、王族の血が流れているものが多く祖国にこの国の王族の傍系一族がおり、この国にも祖国の王族の傍系が貴族として存在する。


 そんな二つの国の間に高貴な身分の親族が跨って存在していることによって、お互いにとって戦争の抑止力となっていた。


 なにか不都合が起きてもお互いに支援し合うことができるし、もし国内の王族だけでは後継者が見つからないような事態になったとしても養子にとって時間稼ぎをするようなことも可能だ。


 国民感情としては複雑な思いもあるとは思うが、安全策として機能している。


 そしてもう一つ、王位継承権争いに敗れた王族を匿うことも公にされていないが傍系の王族がいる理由だ。


 だからこそ、ユリアンはこうして祖国を追われるように飛び出し、隣国の地へと足を運んだ。


 この国での身の振り方については正直なところ考えてもいなかったし、まさか自分がこんな扱いになるとも思っていなかった。


 ユリアンはもともと補佐の為に育てられた第二王子だ。実務は得意だったし、人当たりもいいが、いつの間にか担ぎ上げられて王位継承争いに巻き込まれ、すべてを失った。


 残ったのは自分の騎士となってくれていたアウレールだけだった。


 なぜ自分が追われなければならないのか、何が間違っていたのか、何も分からなくなりただ言われるまま馬車に乗った。


 そして鏡で見た自分と同じような顔をしていた、少女と出会った。


 迷子になった子供のように、どこにも行く当てがないと言う彼女の手を引きたくなったのはきっと同情からだったと思う。


 しかし連れて行ってみるとエミーリエはとてもよく働く女性だった。


 素性のしれない女を置くのを渋る屋敷の人間にも、信用を得るまで不審な動きは一切しないと宣言し、まったくその通りにしつつ、代筆、作詞、刺繍、相談なんでも仕事を請け負いなんでもこなす機械人形みたいな完璧な人だった。


 それから屋敷にもなじみ仕事仲間としても安定してきた頃。ふと気になったというような様子で、エミーリエはユリアンの執務室で書き物をしながら聞いてきた。


「……ところでずっと気になっていたんですけど質問してよろしいでしょうか?」

「はい。突然ですね」

「すみません。なんだか最近、落ち着いて物事を考えられる時間が増えてきて、過去の事もよく考えるんです」

「そうですか、どうぞ」


 ユリアンはエミーリエの事を機械人形みたいだなんて思っていたけれど年中そばにいる護衛騎士のアウレールからすれば、パキッとした二人の話し方を聞いているだけで、肩がこる。


 エミーリエはもちろんユリアンも事務的で、機械の会話ではないかと考える様な会話の内容が多いのだった。


「フォルスト伯爵領にいた私をどうして連れて行こうと思ったんですか?」

「……これまた急な話ですね」

「そうですね。答えづらい質問だったでしょうか?」

「いいえ。問題ないですよ」


 そう言ってユリアンは確認していた書類にサインをしつつ、顔をあげてエミーリエを見た。


 彼女も同じタイミングで顔をあげて、ぱちりと目が合った。


「……あの時の私の状況を考えてくださると、わかると思うのですが、国を追われるように飛び出し君と同じように……その、情けのない話ですが、気落ちしていて苦しげで希望のない目をしていた君と私は同じだと思ったんです」

「……」

「同じ目をしていたと思います。私たち」


 自らの瞳をさして、彼女を見る。


 あの時はなんて暗い目をしているんだと思ったけれど、普通に見てみると彼女はただ光彩が黒いタイプの人だったことに気が付いたときには少し笑った。


 そんなことを思い出し笑いしてしまう。


「今ではこうして、穏やかな生活と領地運営の補佐の仕事をすることによって安定した生活を手に入れられていますが、あの時は気が気じゃなかったんです」


 ユリアンはすこし気恥ずかしくなりながらも、彼女もわかっていたはずであろうことを口にした。


 しかしエミーリエは予想外の返答だった様子で、意外そうに目を見開いた。


 見開くと黒曜石のような瞳に光が差し込んで、美しくきらめいたような気がする。


「意外な返答でしたか?」

「……はい」

「では、あの時は君は私の事をどう思いましたか? 参考までに聞かせてください」

「……あの時は……」


 エミーリエは思いだすように視線を空に置いて、それからユリアンに視線を戻した。


「あなたの瞳はとても美しいなとそう思いました」

「……」


 そういってにこりと微笑むエミーリエの笑顔は、とても穏やかでおっとりとしている。


「あなたにとって暗く陰った瞳だったとしても、私にとっては希望の光のように美しいものにうつりましたから。……今でも素敵だと思っています。ユリアン様」


 打算も、欲求も何も含まれていない純粋な言葉だった。


「これからも末永くよろしくお願いしますね」


 目を細めて笑みを浮かべて、また書き物に戻る彼女に、ユリアンは言葉を返せずについじっとエミーリエの事を見つめてしまった。


 簡素にまとめた落ち葉色の髪はうつむいたことによってさらりと落ちてきて、それをゆっくりと耳にかける。


 そんな些細な仕草に、ユリアンは妙に心臓が大きく音を鳴らして、変な動悸がしてくる。


 ……驚いた。そういう感性は君にはまったくないものだとばかり……。


 出会った時以来、感情をあらわにすることがなかったエミーリエがふとしたタイミングで見せた純粋な好意にユリアンは突然心を打ち抜かれて、どうしようもなくときめいてしまった。


 そして、その二人の会話をまったく動揺せずに聞いて、いつもの調子でそばにいたアウレールは、ようやく何か進展しそうな二人の展開の遅さにうんざりしつつも、今日も今日とて平和な時が続いてくれて嬉しく思うのだった。





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― 新着の感想 ―
お二人の今後も気になるし、あの家族も気になりますね!
メリットのない婚約者を棄てて、お金のある令嬢と新たに婚約するというなら現状を考えたら貴族として仕方がないとは思うけど、妹の子供を後継にしたいから?それなら白い結婚のお飾りの妻がいた方がいいと思う。そう…
アウレールさんにも幸せが訪れますように。 思わずそう願いたくなる、エミーリエとユリアンが苦難の果てに辿り着いた穏やかで秘めやかな平穏が尊く感じました。
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