ミッチーは俺の推し ~男の娘その1~
(い、息が出来ねぇ。胸がチョー苦しい。心臓がバクバクして、変な汗が出てきたぜ。畜生―っ! 目が離せねぇ。腹まで痛くなってきた。何か変な物食ったっけ?)
「……ズサ、谷原アズサ君!」
「う、あっ?」
「お腹でも痛いのですか?」
「何故、分かる? カヲル」
「だって、脂汗掻いて、お腹押さえているから」
アズサは、知らずに両手で腹を押さえて、長身を前屈みにしていた。
「トイレは、あっちみたいですよ」
幼稚園の時から、ずっと一緒の玉山カヲルは、文具屋の店内を見回して、指差した。
「ち、ちげーよ、腹は痛いが。そうじゃねぇ」
そうじゃないんだと言う、アズサの目線の先を追ったカヲルは、合点がいった。
色素薄い系の二人の少女が、楽しげにファンシーコーナーでグッズを選んでいる。一人は、私服でウルフカットのボーイッシュな少女。もう一人は、柔らかそうな巻き髪を制服の肩に散らした、少女漫画のヒロインのような子だった。
「どっちなのです?」
「み、右」
スキニージーンズにレイシーなチュニックを着た、スレンダーな方だった。
「ふむ、確かに綺麗な子達ですね。私も男として、ちょっと気になります」
「どっち?」
「私は、左の子かな」
「左の子の制服は、うちだよな。ってことは右の子も夢ヶ丘かなぁ。入学式の時に、気付かなかったぜ」
「もう少し、側に寄ってみましょうか」
カヲルは、ビビるアズサの腕を掴むと、商品を見る振りをしながら、二人に近付いた。
「ミッチー、見て、見て、これ可愛い!」
ふんわり巻き毛が、ウルフカットに、緑色の何かを差し出した。
「うっ、モモコ。それはちょっとマニアック過ぎる」
艶のあるアルト声の主は、別の物を手に取って巻き毛に勧めた。
「じゃあ、ミッチー、これオソロにしよう。約束ね。明日、スクールバッグに付けて学校に来ること」
「オソロは、ちょっとハズイから、僕は目立たない所に付けるよ」
「えーっ、ハズくないよ」
そう言うと、二人は変顔の猫のマスコットを持ってレジの方へ歩いて行った。
「ミッチーって言うのか。ミチ? ミチコ? ミチヨ? ミッチェル?」
いつの間にか、腹の痛みを忘れている。
「ボクっ娘でしたね」
「『明日、学校に付けて来る』ってことは、やっぱり夢ヶ丘だな。二人は、親友同士なのか?」
「それとも、百合って奴でしょうか」
「ゆ、百合? じゃあ、男子の出る幕はないってか?」
アズサは眉を曇らせる。
「まぁ、アズサならもしかしたら、振り向いてくれるかも? ですよ」
翌日、アズサ達は、昨日のボクっ娘を探した。
制服の新しさからして、自分達と同じ一年生で、変顔の猫のマスコットを付けている子。すぐに見付かると思ったのだが。
「いねぇええええ。何でだ」
「巻き毛の子は、三組の速水モモコさんと分かりましたが。僕っ娘は、今日は欠席なのでしょうか」
カヲルも首を傾げる。
昨日の様子だと二人は、かなり親しいようだから、モモコの身元が割れれば、すぐに辿り着けるはずだった。
「大丈夫だ。変顔の猫のマスコットを見付ければいいんだ」
ここ夢ヶ丘高校に入学して、まだ二週間。時間は、たっぷりある。
捜索の範囲を全学年に広げてみようと、アズサは言った。
しかし、ゴールデンウィークが過ぎ、梅雨になっても『ミッチー』の身元は分からなかった。
「速水さんは、別の女子といるのを、よく見掛けますね。時々、彼氏なのか、男子と下校していますよ」
「彼氏いるのかよ。じゃあ、カヲル、失恋じゃん?」
「私は、元々そんなには。どちらかと言えば、ミッチーさんより、速水さんかなって、思っただけです。……本命は他に居ますから」
「なんだそうか。てか、ミッチーは、誰なんだ。この学校の生徒じゃねぇのか。こうなったら、手紙書くわ。んで、速水から、ミッチーに渡してもらう」
「ラブレターですか。アズサって結構、古風なのですね。直接、速水さんに尋ねるというのはどうなのですか?」
「お前さぁ、いきなり知らん奴から『何月何日にファンシーショップにいましたね。一緒にいた人は誰ですか』て訊かれたら気持ち悪くねぇ?」
「まぁ、そう言われればそうですね」
「こんなに気になっちまうのに、誰だか分かんねぇし。速水しか手掛かりがねぇんだ。仕方ねぇじゃん」
今までずっと、そのハーフっぽい容姿で、女の子には不自由しなかったアズサが、片想いに悩む姿は新鮮だ。カヲルは、面白いと思う反面、自分の中の見知らぬ気持ちに戸惑った。
数日後、アズサは、三組の入り口にモモコを呼び出すと、ミッチーへの手紙を手渡した。
「ミッチーに?」
モモコが、ふわりと巻き毛を揺らし小首を傾げると、乙女チックな香りが漂った。
「渡して貰えれば、分かるからっ。頼んます!」
後も見ず小走りに、アズサは、その場を立ち去った。心臓がバクバクして、腹が痛くなってきた。
俺ってチキンだなと、トイレの個室で気を鎮めていると、どやどやと複数の男子が、トイレに入って来る気配がした。
「おい、小池。速水さんが、さっき一組の男子に手紙貰っていたぞ」
「マジ? どんな奴?」
「何ていったっけ、女みたいな名前のチャラい奴。アンズ? アとズが付いた」
「アズ……サ、だっけ?」
「そうそう、ソイツ!」
小池と呼ばれた男子が、他の男子達に「しっかりしろよ」と言われながら、声は遠ざかって行った。トイレが静かになってから、アズサは呟いた。
「チャラい? 余計なお世話だっつーの。小池って奴、カヲルが言っていた速水の彼氏か? 勘違いするんじゃねぇ。俺が好きなのは、ミッチーだ」
「今日、アズサって奴から、手紙貰ったんだって?」
学校の帰り道、小池ミチオは、隣を歩くモモコに訊ねた。不機嫌さを抑え、できるだけ軽く言ったつもりだ。
「うん。よく知ってるね」
無邪気にモモコは笑う。
「ソイツ、チャラくて、おかっぱ頭の男といつも一緒にいるって。お前、二股かけられているんじゃないか? 気を付けろよ」
「あら、お相手がいるの? でも、手紙読むだけ読んだら……?」
「はい」っと、手紙を差し出した。
「えっ、読んでいいの?」
「うん。だってそれミッチーに渡してって頼まれたの」
「へっ?」
手に取ると宛名に『ミチ○様へ』と毛筆で書いてある。
「何だよ『ミチ○』って」
封筒も便せんも和紙だった。ミチオは、手紙を開いた。
『こんにちは、ミチ○様。俺は、変しちまった。初めて見掛けた時、心臓がバクバクして、腹が痛くなった。それから、考える度に腹が痛くなる。どうしてくれるんだ。このまま、済ます訳にはいかない。次の土曜の昼頃に、ハチ公の所で待っているから、絶対来てくれ。異議は認めない。 谷原アズサ 』
達筆だが、誤字がある。
「何、これ?」
「果たし状かなぁ? ほら、だってここ、『どうしてくれるんだ。このまま、済ます訳にはいかない』って書いてあるよ」
「僕の所為なの? お腹が痛くなったのって。何か変な物食べたんじゃないのかなぁ」
「どうする? ミッチー」
「行くしかないか。だって『異議は認めない』って、釘刺してるし」
アズサという奴は、チャラい上に訳の分からない奴だと、ミチオは思った。
「それじゃあ、速水さんに、手紙頼んで来たのですね?」
「ああ、バッチリだ」
「書き方を事前にレクチャーしようと思っていたのですが。アズサは達筆ですが、その、作文がアレですから」
「大丈夫だよ。俺、十三回読み返したし、宛名も、こう」
さらさらと筆を運ぶ真似をする。
十三回とは不吉なと呟いて、カヲルは更に訊ねた。
「『ミッチーさんへ』と書いたのですか?」
「まさか。初めて手紙出すのに、そんな失礼なこと書けねぇよ。で、ミチの下が分かんねぇから、『ミチ○様へ』って書いた」
アズサはドヤ顔をする。
「えっ」
続いて手紙の下書きを読み、カヲルは絶句した。パッツンと眉の位置で切った前髪を掻き上げ、額に手を当てる。
「果たし状っぽいですね」
「そうか?」
「恋が変になっているのは、お約束としても、『このまま、済ます訳にはいかない』って……」
あの娘は来るのでしょうかと、カヲルは心配になった。
次の土曜日、梅雨の中休みで、空は嘘みたいに晴れ渡っていた。ハチ公前広場に、ハーフっぽい顔立ちの少年が、植え込みの縁に腰掛け、長い足を投げ出している。タンクトップに、てれっとしたシャツを羽織り、ダメージジーンズを穿いていた。アズサだ。
カヲルは、ちょっと離れた所から、こっそりと観察していた。
例によって例の如く、男女問わず、行き交う人に声を掛けられている。
以前、一緒に居た時には、芸能プロのスカウトに声を掛けられた。目立つのだ。
アズサは、面倒臭そうに片手を振って、「NO」の意思表示をした。
「さてと、ミッチーさんは来るでしょうか」
カヲルは、独り言を言いながら、周囲を見回した。此処は、みんな待ち合わせ場所にするけれど、いつも人が多いので相手を見付けにくい。待ち合わせ場所としてどうなのだろうか。
その時、カーゴパンツにパーカーを羽織った少年が、アズサに近付いて行った。色素の薄い髪が、日に透けて輝いている。
「あれは、確かモモコさんの彼氏」
会話を聞く為に、カヲルはキャップを深く被り直して、近付いた。
「……の手紙は、君がくれたの?」
カーゴパンツの少年は、アズサに手紙を差し出した。
「おわっ、何でお前が持ってんだよ? てか、誰?」と言いつつ、どこか見覚えがある気がした。
「僕は、小池ミチオ。君がモモコに、僕に渡すように言ったのでしょ?」
「お前に? 俺は、ミッチーに渡してくれって頼んだんだぜ」
「だから、僕でしょ?」
「あぁ?」
アズサは、全く意味が分からないといった風に眉根を寄せて、小池ミチオを見詰めた。
「速水の知り合いに、他にミッチーがいるだろ? その子に渡して欲しかったんだが、間違えちゃったみたいだな」
「他のミッチー?」
「ああ、こう、すっとスレンダーで、ボーイッシュな女の子」
「……どこで、見た?」
「速水と一緒に、変顔の猫のマスコット買っていたな。俺、一目惚れしちまったっつー訳」
ミチオは、何故か赤くなって俯いた。
「……残念だけど、諦めてくれないかな」
「何でだよ。てか、何でお前にそんなこと言われなきゃならないの? お前は、速水の彼氏なんだろ? まさかミッチーと二股かけているとか? そんなこと、許さないぜ」
「いや、そうじゃないんだ」
「じゃあ、何だよ」
黙ってしまったミチオを前に、アズサはイラついて貧乏揺すりをした。
思案顔で逡巡した後「仕方ない」と言うと、ミチオはメッセンジャーバッグから、それを取り出した。まるで水戸黄門の印籠のように、アズサの目の前に掲げる。『この紋所が目に入らぬか』的な感じになった。変顔の猫のマスコットだ。
「それは!」
「君が見たミッチーは、僕なんだ」
「は?」
「僕が、じ、女装していたんだ……」
カヲルは、声を上げそうになって、慌てて口を押さえた。
代わりに、アズサが叫んだ。
「えーっ!」
ハチ公前広場に居た人々が、何事かと、一斉に二人の方を振り返る。
「と、とにかく、こっちに来て」
ミチオは、アズサの腕を掴むと、モヤイ像の辺りまで引っ張っていった。
この辺は、割と空いている。
「どーゆーことなのか、ちゃんと説明してくれよ。俺、お前の所為で腹痛くなっちまったんだから」
「君のお腹と、どういう関係かは知らないけど。君の見たミッチーは、僕なんだ」
「お前、……オカマなの?」
「違うよ。ちょっと訳があって、子供の頃から女装している」
「つまり、その、……変態なのか?」
「それも違う。……あー、こんな事話したくないのに」
まぁ、座ろうよと柵を背に腰掛けると、ミチオは、心を決めたように話し始めた。
「モモコとは、家が隣同士で幼馴染なんだ。で、小さい時から、よく遊んでいた。モモコは一人っ子で、僕は上に姉が二人居る。その姉達と一緒に、僕を着せ替え人形にして遊んでいたんだ」
「着せ替え人形……!」
モヤイ像の裏側に隠れているカヲルは、思わず小声でハモってしまう。
「ん?」
アズサは、キョロキョロと辺りを見回した。
「それが、女装するようになったきっかけ」
「だけどよぉ、もうガキじゃねぇんだから、嫌なら断れば良いんじゃね?」
「……嫌じゃないんだ。姉達は家を出て、今はもういないけど。モモコとのコミュニケーション・ツールっていうか……」
「つまり、お前は速水が好きで、好きな子と一緒にいたいから、女装続けているってこと?」
「まぁ、そういうことかな。モモコは、僕の事を異性だと思ってないみたいだけど、女装すれば喜んでくれるし」
「それで良いのか?」
「自分も楽しいしね」
俯き加減に膝の間で手を組むミチオは、先日の『美少女ミッチー』を彷彿させる。あの時は、薄くメイクしていたが。
女顔で、全体的に色素が薄い。小柄ではないが体つきは華奢で、組んだ指先もほっそりとしていた。
(姉さん達が、着せ替え人形にしたくなる気持ちも分かるぜ。って、何、共感しちゃってるんだよ)
「まさか、あの日、君に目撃されていたなんて」
可愛いグッズが好きなのだが、一人では買いに行けず、女装してモモコと一緒に行くのだという。
「で、でもよぉ、似合っていたぜ」
「それって、褒め言葉なのかな?」
顔を上げたミチオは、困った様に微笑んだ。
(やべぇ、マジやべぇ。また、腹が痛く……ならねぇ。腹じゃなくて、胸がキュンて)
アズサは胸を押さえた。
「褒めてるつもり、ダゼ」
どこかぎこちない。
「ありがとう。でも、この事は、人に言わないで欲しいんだ」
「分かった。男と男の約束だ」
「よろしくね。あ、そうだ」
ミチオは、バッグの中から小さな箱を取り出した。
「これ、整腸剤。お腹弱そうだから、出掛けに薬局で買って来たんだ」
「俺に?」
ミチオは、にっこりと頷く。
「『どうしてくれるんだ』って書いてあったでしょ」
「サンキュ。マジ嬉しい」
アズサは、大事そうに受け取った。
「さて、これで誤解も解けたみたいだし」
ミッチーが立ち上がったので、アズサは、すかさず言った。
「あ、あのよぉ、その、俺も、ミッチーって呼んでいいか?」
「えっ、うん。じゃあ、僕は君のこと、何て呼べば良いかな?」
「アズサちゃんで、お願いします!」
「可愛い名前だね」
艶のあるアルト声が心を震わせ、アズサは、柄にも無く真っ赤になった。
じゃあ、僕はこれで。ミチオが手を振って帰って行くのを、夢心地で見送った。
「ミッチー……」
小声で呟いてみる。
「アズサちゃん!」
名を呼ばれ、飛び上がって振り向く。
「カヲル! なんで、お前、此処にいんだよ?」
「あははは。つまり、アズサが心配で」
カヲルは、変装用キャップを取って、おかっぱの黒髪を風になびかせた。
「どの辺から聞いていたんだよ」
「うーん、最初から。ハチ公前からね」
「てめぇ、良い趣味してやがるぜ」
「そういうアズサは、趣味が変わったのですね?」
「あぁ?」
「いや、何でもない」
カヲルは、にんまりした。
「お前が、そういう顔するとロクな事がねぇ。何、企んでんだ?」
「人聞きの悪い。何にも企んでなんかいませんよ」
「まぁ、聞いていたなら話は早い。つー訳で、俺は失恋? しちまった。俺の、この二ヶ月間は、一体なんだったんだ。選りに選って、女装男子に恋しちまうなんてよぉ。ああ、アイツが女だったらなぁ」
「男女の違いなど、大きな問題ではないですよ。その証拠に、アズサは失恋したといっても、そんなにこたえてないじゃないですか」
「実はそうなんだ。あんなに好きだったのに、あんまりこたえてねぇのが、不思議なんだが。男女の違いは大きな問題だろう?」
カヲルは、ゆっくりと首を横に振り、切れ長の瞳でアズサを捉えた。
「相手の呼び名が変わっただけですよ」
「呼び名?」
「女の子ミッチーから、男の娘ミッチーへ」
「はぁあ? そ、そんなことはねぇ」
「おや、何をそんなに、うろたえているのですか?」
「カヲル、てめぇ、テキトーな事言うんじゃねぇよ」
と言いながら、胸はザワワと落ち着かない。
「俺、帰るわ」
「え、これからランチでもって……」
カヲルの言葉を最後まで聞かずに、アズサは、立ち上がった。
大股で、人込みをずんずん歩いていく。前を向いているが、前を見ている訳ではない。反射的に人を避けながら、考え事をしているのだ。
一連の動作を無意識にこなして、気が付けば電車に揺られていた。
(……ったく、カヲルの奴)
車両は比較的空いていた。ドア付近に寄り掛かり、後方へ流れる窓の外を見るとはなしに見ている。
(俺が、男のミッチーを好きだって? 考えられねぇ。そうじゃなくって、気持ちの座りが悪いのは……)
容姿の所為で、小さい頃から色々とトラブルがあった。変なオッサンに、誘拐されそうになったり、『女の子みたいで可愛いね』と、上級生や先生にセクハラされたり。それで、父親は、護身術として合気道を習わせたのだ。
『女っぽさ』を払拭したかった。敢えて汚い言葉を使って、『男っぽさ』を強調してきた。幼稚園の時から、やたらモテたが、『男』をアピールする為に、女子と遊ばなかったし、中学の時は、それを『男が好き』と誤解されないように、告って来た女子とテキトーに付き合った。好きで付き合っている訳ではないから、次々に相手を変えて、一人に固定しないようにしていた。
(そうやって気を使って生きて来たんだ。なのに、アイツときたら。好きな女の為に女装するだって? 他人の目を気にして生きてきた俺って、どうなのよ)
一つ前の駅から乗り込んで来た、ドブネズミ色のサマージャケットを着た年配の男は、ドア前座席横のコーナーに、アズサを閉じ込めるように立った。
チラリと視線を送り牽制したが、男は知らん顔で、窓の外を見ている。アズサは、自分の思考に戻った。
(今回は、マジ一目惚れだったんだぜ。告ったのも、付き合って欲しいって思ったのも、生まれて初めてだった。まぁ、アイツは、女じゃなかったけどな)
ミチオの姿を思い出して、溜め息を吐いた。
(アイツだってあの容姿だから、色々あったはずなのに。そうなんだよ、俺が動揺しているのは、アイツが、俺と真逆の方向を目指しているからなんだ。好きとかそんなんじゃねぇ……と思う。いや、どうだろう。好きかも知んねぇな。べ、別に変な意味じゃねぇ。そう、例えば、こんな野郎から、守ってやりてぇって思う!)
さっきから、下半身に触れる不快感がある。アズサは、前に立つ初老の男の前腕を掴み、合気道の技で床に転がした。
「この変態野郎! 汚ねぇ手で、俺に触るんじゃねぇ!」
その時ちょうど、駅に着いてドアが開いた。
周囲の客が避けたスペースに倒された男は、アズサが手を離すと、想いの外、すばやく起き上がり、乗り込む客にぶつかりながら、そそくさと降車して行った。
「お兄ちゃん、良いの? 逃げちゃうよ」
近くにいたリーマン風の男が言った。
「良いんだ、別に」
捕まえることではなく、止めさせることが目的なのだからと説明する。
(男のなりをしていても、痴漢に遭うのだから、女装したミッチーなら尚更じゃねぇのか? 危ねぇ。やっぱ、俺が守ってやらねぇと)
「で、何でそうなるのです?」
一週間後、アズサの部屋で、カヲルは思いっきり怪訝な顔をした。
「だってよぉ、ミッチーを守る為には、混ざらねぇとなんないじゃん?」
ネット通販で購入したという、金髪縦ロールのウィッグを着け、ゴスロリのワンピースを着込んだアズサは言った。
やたらと似合っている。口さえ利かなければ、ハイソなお嬢様で通るだろう。
「んで、化粧の仕方も習わねぇとな」
母親が面白がって貸してくれた化粧道具を、「何だこれ」と言いながら摘んで眺める。
「あー」カヲルは、額に手を当てた。予想の斜め上を行くアズサが心底面白い。
「分かりました。私もお付き合いします」
「えっ? 何でお前まで」
「今日から、私はカヲル姫でよろしく。それ、ちょっと貸して頂けます? ほら、こっち向いて、目を閉じて」
カヲルは、メイクアップベースを受け取ると、慣れた手付きで、アズサの顔に伸ばし始めた。
「カヲル、いやに慣れてねぇ?」
「よく、母親の化粧を見ていましたから」
カヲルの母親は、有名なモデルで、数々のファッション雑誌の表紙を飾っている。幼い頃から、撮影スタジオに連れて行かれ、母親の仕事を間近に見ていた。時折、子供モデルに混ざってポーズを取ったりもしたという。
鏡の中の自分を、アズサは不思議な気持ちで眺めた。一つの工程が終わる度に、魔法のように妖しく綺麗になっていく。
(何だ? わくわくしてきたぞ!)
あんなに一線を引きたかったはずなのに、『女の子』に変身する自分を、割とすんなり受け入れられる。化粧を施すカヲルの手も優しくて心地良かった。
「結構、楽しかったりするぜ」
アズサの化粧を終え、自分のメイクを始めたカヲルを眺めながら白状する。
「アズサは元々美人だから、化粧映えがしますね」
カヲルは目尻に紅を差しながら言った。
「そう言うカヲルこそ。ちょっと待ってろ、お袋に何か着る物借りてくるから」
アズサは、エレベーターで階下へ降りて行った。マンションの一階がテナントになっており、アズサの母親は、そこで高級ブティックを経営している。
メイクを終えたカヲルは、アズサを待ちながら、勝手知ったる部屋の中を見回した。
壁には、数々の書道コンクールの賞状や、合気道の段位証書、道着姿の写真が飾られている。最近、合気道をやめたらしいが、小学生の時から熱心に道場に通っていたのを知っていた。
「アズサは、もっと自然体になれば良かったのですよ。側で見ていて少し辛かったです」
本人には言わない言葉を、カヲルは呟く。
「……しかし、遅いですね」
待てど暮らせど、下に降りて行ったアズサは、ちっとも帰って来なかった。
やがて、アズサがパニエの裾を揺らし、息を切らして部屋に駆け込んで来た。
「参ったぜ。店に行ったら、客やスタッフが騒いで、帰れなくなっちまった。振り切ろうと、階段を駆け上がって来たんだが、厚底靴が走り難くてよぉ」
ほれ、これを着ろと、和服地で出来たマキシ丈のストンとしたワンピースを差し出した。
それは、黒髪ボブで切れ長の瞳のカヲルに、よく似合った。和風美人といったところだ。
「で、これからどうするのです?」
「写真をミッチーに送る。俺の決意表明だ。この間アカウント交換したからな」
「決意表明ですか?」
「ああ、今後、俺はミッチーを守り、応援するっていうな」
和洋両極の二人は、にっこりと顔を寄せ合い、写真に納まった。
「返信来たああああ! うおっ、ミッチーの写真も添付されている」
かわええ、と画面を食い入るように見詰めるアズサを、カヲルは、ちょっと複雑な思いで眺めた。
「女装男子の同好会立ち上げたいとか、言っているぜ?」
「ミッチーさんは、隠して置きたかったはずなのに、正々堂々と女装する道を選んだのですね」
「女装仲間が増えて心強くなったんじゃね?『みんなで着れば怖くない』みたいな」
「アズサが、ミッチーさんの心に寄り添ってあげようとしたからかもしれませんね」
「私は、アズサに付いて行きますよ」と、カヲルは笑う。
「お前も、物好きだな」
「はい。アズサと居れば、退屈しませんから」
「なぁ、カヲル。俺さぁ、ミッチーと出会ってから、何だか身も心も軽くなった。てか、息をするのが楽になった気がする」
「良かったですね。自分らしくいられるのが一番です」
「お前この間、『男女の違いなど、大きな問題ではない』って言ったじゃん? そうなのかもな」
男だと分かった今も変わらず、モモコを想うひたむきさも含めて、ミッチーが生き易い様に支えてやりたい、守りたいと思う。この気持ちを何と呼ぶのだろう。
(もしかして、恋ー?)
そう思った途端、めちゃくちゃ動揺した。
「あのよぉ、お、俺がミッチーを守りたい、応援したいって思うのは、その、こ、恋ナノダロウカ?」
昔から、自分で分からない時は、カヲルに訊くと良い。
アズサは、初めて恋したお嬢様のような瞳で答えを待った。
カヲルは当惑しつつ答えを探す。
「うーん、それって、推しと言うのではないですか?」
「推し? 俺はサイリウムを振り回したいわけじゃねぇんだ」
「別にサイリウムを振り回さなくても、推しは推しですよ」
アズサは、アイドルヲタのことが頭に浮かんだようだ。
「私が思うに、推しはちょっと片思いに似ている気がしますが、推しと恋愛とは違うそうです。諸説ありますが、推しは他人に勧めたいけど、恋愛は独り占めしたいとか。しかし、推しにガチ恋することもあるようなので、実は、境界は曖昧なのかもしれませんね。アズサは、ガチ恋なのですか?」
少し探るような口調になった。
「な、なに言ってやがる。推しだ、推し……たぶん」
ふふっとカヲルは笑う。
「三人で女装男子の同好会、作っちゃいましょうか。そうしたら、一緒にいられる時間が多くなるかもですよ。推し活しましょう!」