59話 飛騨への旅路前
飛騨への旅路前、マカは少しづつ心労に侵され始めていた。
それは禍の神に勝てるのかと言う不安、禍の神の肉体がすでに復活しているという焦り、そして狛村にいるカグヤの安否の不安がマカを押し潰そうとしていた。
——明朝マカたちが飛騨国に向かっている頃、チトセは吉備の大麻部にある館の門で空を見上げていた。
その後ろにはユミタレが従者を連れて立っている。
二人はしばらく黙っているとチトセは深刻な顔で振り返るとユミタレを見る。
「ユミタレ様。飛騨国について知っているよね?」
「あぁ、直接は見たことないが。二人の王が君臨する国というのを幼いころに乳母からは聞いたことがある。不思議な術を巧みに扱える者で、聞けば神にしか出来ぬ黄泉に封じる大技を繰り出すことができるとか」
ユミタレの言葉にチトセは口だけ笑うと再び背中を向ける。
「大正解。——希望は絶たれたようだけどね」
「——禍の神か」
チトセの言葉にユミタレは一瞬肩から力が抜けるがすぐに姿勢を正し冷静を装う。
チトセは既にツムグより飛騨に向かうことを聞いており、彼らが飛騨に向かい宿儺両王に会い、禍の神の僕を討伐と黄泉に封じる術を聞き出すことも全て。
しかし、チトセは勘が鋭い。既に飛騨国は禍の神の手に落ちてしまっていることを理解していたが、どうマカたち伝えようか悩んでいた。
ユミタレはチトセの横に立つ。
「チトセよ。マカたちに教えた方が良いのではないか? マカは私の許嫁だ。頼む」
ユミタレの言葉にチトセは下唇を噛む。
「そう、だね。飛騨のことは言うよ。だけどこれからマカはどう動かそうか? 多分、飛騨を救ってはくれるけどあの感じ、かなり希望持ってそうなんだよね」
そうチトセは善意と板挟みになっている息苦しさにユミタレから目を逸らしたくなるが、真剣な眼差しでチトセを見下ろす。
「少なくとも、今のマカなら大丈夫だ。マカは飛騨の後はウガヤに連れて行った方がいい。そして伊予に行って月神に封印の策を聞くのが先決だ。それともお前が伊予に行くか?」
「伊予か。そうだね。伊予には僕が行く。その後の指示は君にお願いしてもいい?」
「——分かった。そうしよう」
チトセが何か言おうとした時、ユミタレはその場で地面に膝を付くとチトセの頭を撫でた。
「不死山にいたのは手先ではなく、手先に操られた神。そして飛騨にいる手先を討てば残り三柱か。ならやはりウガヤに戻さなくて良い。高志を見に行かせよう」
「——あぁ、けどあそこは」
「気掛かりなのは一度禍の神に味方をした火を吹く蛇と氷を吹く蛇。そして最後は傀儡人だ」
チトセはユミタレの言葉に「あぁ、彼らまだ生きているのか」と口にすると宙に浮いた。
「火を吹く蛇以外は確か死んだはずだけど、手先として知らぬ間にこっそり封じられている可能性があるね。無論、火を吹く奴も警戒だけどね」
「うむ、伊予は恐らく禍の神に落とされている気がするが、気をつけてくれ」
ユミタレは少し笑みを浮かべ、チトセを見る。チトセはそれを見て少し微笑んだ。
「ありがと。じゃ、伊予に行くよ」と言ってそのまま空の彼方に飛んで行った。
その時チトセはボソッと「禍の神の肉体、どこに逃げたんだ?」と口から溢した。
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夕刻、私はは不死山を降りて麓をぐるりと大回りして進みようやく反対側にある小さな集落の豪族、不死和爾草の館に泊めてもらい、ちょうどワニクサたちこの集落の豪族一族と食事をしているところだった。
ワニクサは少々小太りながら気がいい人そうだけど酔った勢いでナビィさんの隣にいるけどナビィさん、今にでも短剣で刺したいのか懐に手を入れてる。
ワニクサは自身の命に危機が迫っていることに気づかず、盃に山盛りに入った酒を一気に飲み干すと私を見た。
「して、マカ殿よ。これより飛騨に向かうのですな?」
「はい。そこで少々用がありまして」
ワニクサはほほうと口にしながらナビィさんの肩に手を乗せる。やめた方が良いですよ殺されますって。
けど、ワニクサは本気に家来に再び酒を注いでもらう。
「飛騨はワシも昔一度だけ行ったことがある。山奥にある国で農耕が盛んな場所でな、いろんなものが取れるんだ。民も王も優しかったのを今でも覚えていますよ」
「そうなんですね。あと、ワニクサさん。ナビィさん未亡人で愛人以外にくっつかれると素手嫌がるんでやめてくださいね」
「え、あぁ! すまんつい癖が出た!」
私の言葉にワニクサはすぐに謝罪して離れる。
根は悪くない人なんだろうけど、ただ女好きが難点かも知れない。
私は、後ろを見て男衆に舞を披露しているツムグさんを見る。
ツムグさんはなんだろう、みんなから女じゃなくて愛娘に対してのように声援をもらってる。
私は再び視線を戻すと今度はワニクサは私の隣に来る。
「が、にしても二人の愛らしい女子が来るとここまで嬉しいものか。が、源氏様というからには許嫁がいるからこれ以上は近寄らん。が、見るだけは許して欲しい」
「——あの、ナビィさん。本当に短剣出すのはダメですって」
「え?」
私の言葉でナビィさんは短剣を鞘に戻す。
ワニクサと周りに家臣たちの空気が一瞬だけ凍る。そして家臣たちは私たちに無言で頭を下げるとワニクサを私から引き離した。
そんな時、宴会の場にいた侍女がワニクサを呼び出すとこの場からいなくなった。
ナビィさんは私の隣に来る。
「あの、やはり野宿が良かったですね」
「ナビィさん。泊めてもらう身なんですから我慢しないと」
「ゼロだったら本気で斬ってましたよ。私にあそこまで近づいたら」
多分言葉で怒鳴っていただけだとは思う。
兄は意味のない殺しはしないと思うから。
そして、再びワニクサは頬をアザを作り、しょんぼりしながら戻ってくると私たちの前に座る。
「妻に、殴られました。まぁ、とりあえず飛騨は良い国ですが、一つ懸念があるのです」
「懸念?」
「禍の神が、そう黄泉に封じる術を持つ彼らを生かすかどうかです。本当に使えるのかも噂程度だったはずなのであまりお勧めはできませぬ」
「噂程度…確かに使えるのなら最初から使うはずですし、それを長い年月で一度も使ったという話はないのですか?」
「そうですな。そもそもこの話自体、ちょっと失礼」
ワニクサは私に耳に口を近づけると私以外には聞こえない声を出す。
「そもそもこの術自体、百年かけて先先代の大王が命じて編み出させたものらしいのです。が、先代の時に禍の神が復活恐れはないと見て宿儺の元に送っていた部民たちを国に帰したと言います。もしかすると宿儺はそのまま研究を続けていたのでその話が広まったかもしれませぬ」
「へぇ、要するにあなたの懸念は彼らの命が下手をしたら奪われているかも知れないと?」
「そうです。なのでお気をつけてくだされ」
私はワニクサの言葉を心の奥に入れた。
それから寝室に案内された。
そして三人で川の字で寝ようとしている時、ツムグさんは宴会でみんなに褒められたのが嬉しかったのか興奮して鼻歌を歌っている。
「ねぇ、ツムグさん。そんなに楽しかったんですか?」
「まぁね。安雲の蝦夷の里にいた時もだけど僕は家族らしい家族はいなかったから、すごく幸せになるんだよ。不思議とね。あと、今日はこうでもしないと」
「——?」
ツムグさんは急に深呼吸をする。
その情緒の変わりようにすでに寝ようとしていたナビィさんも不安がりゆっくり体を起こす。
「あの、ツムグさん?」
ナビィさんがそう口にするとツムグさんは姿勢を正す。
「えっと、マカ、ナビィさん。まず悲しいお知らせがチトセ様より来ました」
「う、うん……」
お願い、最悪な方じゃないで欲しい——。
「宿儺王が二人とも禍の神の手によって葬られた」
ツムグさんの言葉に私は開いた口が塞がらない。
そしてツムグさんは続けて話す。
「聞いた感じその禍の神の手先はアハバらしくて、二人を殺した後分裂して、二人になり変わっているみたい。民たちも従者たちも気づいていないから厄介かも」
「——国全体を敵に回してしまうかも知れないですね」
ナビィさんは冷静にそう口にした。
吉備とは違って禍の神は今度は内部から乗っ取るなんて。下手をしてたらアハバがわざと内乱を引き起こして国を弱体化させ、一気に禍の神の手によって各地を滅ぼすのかも知れない。
ツムグさんは一瞬だけ悲しい眼差しを私に向けるも、すぐに真剣な眼差しに戻す。
「マカ。次は君が本気で怒るかも知れない。暴れないって約束できる?」
「——っ」
ナビィさんは何も言わず私の手を握る。
多分、ツムグさんがそう言うなら相当悪い話なんだろう。
いい、私は大人にならないといけない。一々ここで怒っていたら何もならない。
「良いですよ。言ってみてください」
「まず、カグヤを天人から守るためにチトセ様がカグヤを祠に封印したんだ」
「——えっと、どこに怒るんですか?」
「え?」
ツムグさんは驚いた顔をする。
「いや、カグヤに寂しい想いをさせてたから怒るかもって」
あぁ、そう言うことか。
私は首を横に振る。
「別に、そこまで怒ってないです。分からないですけど、きっとカグヤが望んだはずなので」
私は袖を強く握る。
「ナビィさん。禍の神の手先の祠を絞ったのは良いですが禍の神の肉体は復活してます。もし、彼が地上で禍の力を蓄えたらどうします? 先に彼を倒す方が——」
「——その気持ちはわかります。けど、肉体を追っている間に祠を開けられたら意味はありません。なので、とりあえず力の強い手先を倒すしか」
「——」
ツムグさんは私の隣に移動する。
「マカ。アハバは禍の力が神同然にある。もし、彼女を禍の神が吸収したら惨事だよ」
「——すみません。焦ったばかり変なことを」
「マカ……」
気づけば腕が震えている。
私は、私は今なんとか怒りを抑えているんだ。
禍の神を倒すためにに古今東西大勢の人が悲しみ、死んでく。
早く、早く倒さないといけないのに!
私は深く息を吸い、ゆっくり吐いて理性を保つ。
「マカさん。禍の神は、倒せずとも封じる手段はいくつもあります」
ナビィさんが手を肩に置く。
「最悪、私の命を犠牲にしますので」
「それは——」
「禍の神を封じるには清らかな力が詰まった塊が必要。それはテルヒメの魂と日向の神の魂を一部頂いた私自身。私の場合は、命を犠牲にと変わりませんが」
その言葉にツムグさんは声を出す。
「ナビィさん、それはダメです。マカが、マカの心が持ちません」
「良いんですツムグさん。ナビィさんなりに私を安心させるつもりなんです。よね?」
「……はい」
なら良かった。
きっとカグヤは己を犠牲に禍の神を封じようとしているからナビィさんがその犠牲になると言って落ち着けてくれようにしたに違いない。
だけおd、私は誰も犠牲になってほしくない。私の代で禍の神との戦いを終わらせるんだ。
私はそう心の中で思い、眠りについた。
————。
それから翌日、私たちは再び飛騨に向かって歩き始め六日経つころにようやく飛騨国境に到達した。
飛騨国はワニクサが話したように本当に山々の中にある国でひたすら登って足が破裂しそうだ。
現に今ツムグさんはナビィさんに背負われている。
そしてそのまま国境を通ろうとすると草藪から仮面を被った兵士たちが出てくる。
しかし、彼らは敵意を向けず私を見るとその場で膝をつく。
「源氏様ですね。ウガヤの大王が天人への備えの筆頭として銀髪で赤き目の少女がいると聞いて待っておりました」
「——便利ですねその髪」
ナビィさんは後ろで少し笑いながら言う。
兵士は立ち上がり私に近づく。
「とりあえず我らが都にご案内します。後ろの従者もどうぞ」
「ありがとうございます」
私がそうお礼を言うと後ろでツムグさんが私にも聞こえる声で「いい人だねこの人ら」と口にした。
いや、吉備だけじゃなかったっけ結構怖かったの?
その時木陰からひっそりと禍の神が私を見つめていることに気づいた。
禍の神を封じる術:
太古昔より、禍の神は源氏の勇者が禍の力を払い肉体を巫女が封じてきた。
そして今、肉体は復活するも元の禍は月にある。
されど禍は穢れより生まれる。地上は尊き清らかさと忌むべき穢れが併存する。
月に禍あれど、地上の禍もまたあるのだ。




