57話 不死山の戦い
時の渦によって九百年前に渡ったマカ。
彼女はそこでゼロとナビィの不死山での戦いを補佐するため暗躍するのであった。
「うわぁ!」
時の渦がある洞穴に飛び込み、一瞬意識を失った。そして身体中を包む死を予感させる冷たい水の中にいるような息苦しさによって目が覚めた。
あたりは夜空のように星々が煌めくも、星々は奇妙なほど大きく、すべての星が人のような顔をしている。
一つの星は笑っていたり、泣いていたり。はたまた怒っていたり真顔だったりとさまざまだ。
そして徐々に痛みと共に頭が覚醒したのに合わせて瞬く間に体を無理やり引き伸ばされる感覚が全身を走る。腹の中にあるものをつべて吐き出したくなるぐらい気分が悪くなる。
息も吸えず、苦しく、もがくほど深淵に落ちていくようだ。
頭の中は中身がゆらりゆらり揺さぶられ、耳鳴りが鳴り響く。
『——! ——!』
耳鳴りの間にどこか聞き覚えのある声が聞こえてくる。
それはどこか温かく懐かしい。
『————! ぶか?』
この、この声知ってる。聞いたことある!
使者のような冷たさが無く、暖かさにあふれた兄心を感じる声。誰よりも知っている声。
その時、徐々に心の奥底からこれまでの感情が湧き出る。
痛み、恐怖、怒り、血のつながった人にしか話せないことなど。
私は身体中に痛みなど関係なく、涙が溢れ出す。
「——お兄ちゃん!」
その言葉を口にした時、目の前は真っ白に、身体中には死を予期させるほどのあまりにも冷たい水の感触が広がった。
————。
「くしゅん!」
私はどうやら真冬の不死山に湖の中から飛び出したようで、近くにいた男の人に助けられ、近くの山小屋まで運んでくれた。全身がずぶ濡れで、体が冷えないように着ていた衣服を脱ぎ、男の人が来ていた大きい衣で体を覆い隠す。
その男の人は今隣で囲炉裏を焼いて小屋の中を暖かくしてくれている。
そして隣にいるのはナビィさんだろう。私のいた時代よりかなり古風な衣で、私のいた時と同じ見た目だけどかなり若々しく、少女らしい。
私のいた時代では大人びて儚さを感じさせる女性だったから、ナビィさんにとって私の兄の死がどれほど辛いものだったのかがわかる。
で、私を助けてくれたその人は銀色の髪に赤いまなこの男の人。髪は未面に結び凛々しい顔たち。
けど、私は彼を見ても惚れる気もしないどころか、嬉しさでニヤつく顔を抑えるので必死だ。
そう、なぜなら彼こそが私の兄、ゼロだからだ。
私は自身の髪を見る。
九百年前に行く前は銀髪だったのに黒髪に戻っている。そういえば私のいた時代は兄がいなくなった瞬間に私の髪が銀色になった。
もしかすると銀色は私にはこの時代の禍の神とは戦わなくてはいいということを示しているのかな?
兄さんは手を止めると私を申し訳なさそうな目で見る。
「すまない。男の衣、臭いだろう?」
「えぇ、大丈夫です。その……」
「そらゼロの衣は血や汗の匂いで滲んでいるので臭いですよ。好きと言って嗅ぐ物好きは数少ないのが普通です」
「そうか。なら、その物好き様は今俺の目の前で嫉妬してそっぽむいている娘かな?」
「——ふん」
兄さんの言葉にナビィさんは子供のように拗ねた感じになる。
初めて見たけどナビィさん、兄さんの目の前というか、この時代では本当に子供みたいだ。
この光景を見ると不思議と兄の懐かしい顔にまだ喋りたいという感情が湧き出る。
だけどもしそれを湧き出してしまえば時の流れがおかしくなってしまうからそれを我慢する。
「あのあなた方のお名前、改めてお聞きしても?」
「あぁ、すまない。忘れていた。俺の名前はゼロ——いや、サガノオだ。そしてこの子はナビィだ」
「——どうも」
兄さんの言葉にナビィさんは軽く頭を下げるも私をじっと睨むように見てくる。
恐らくナビィさんの気持ち的には私のゼロだからと警戒しているんだけどそれはない。私は実妹だからむしろ手を出しに行く方がおかしい。
じゃ、ここはゼロ様の方が身分上あっているはずいや、サガノオ様? この際せっかくだし実名で呼びたいからそうしておこう。
「その、ゼロ様。助けてくださりありがとうございます。その、お二人の目的は?」
「だからゼロじゃなくて……まぁいい。俺たちは不死山の主に憑いた禍を払いに来たんだ。どうにも禍の神がいる神域には禍付神の力を奪わねば結界が払えぬのだ。あの結界がある限り禍の神のもとにはいけず、そのままにしておくと完全に力を取り戻してしまう。早く行かないとな」
ゼロの言葉にナビィさんは呆れる。
「けど、あなたの人助けでかなり時間がかかってますけどね。最初はさっさと姫を助けて一言文句を言ってやるって豪語したくせに」
「——そうだな。けど、だからと言ってやはり困っている人は見過ごせない」
兄さんはナビィさんの言葉に軽く言い返す。
この感じ、やはり私の知っている兄さんで間違いないようだ。
私が思っているより元気で、少し楽しそうな感じ。私のことを思ってくれているとは思うけどやはり寂しい。
兄さんからすればもう未来に帰れないわけだから私を喪失したことを乗り越えただけだとは思うけどね。
「……お兄ちゃん」
「ん?」
つい漏れ出た私の言葉に兄さんが反応してしまった。
まずい、あまりにも悲しい思いのあまりに。
「あ、いえ。その……」
焦っている私がおかしいのか兄さんは笑みを浮かべた。
「そういえば湖で溺れそうになっている時にも俺を見て嬉しそうに兄さんと呼んでいたな」
「その、実兄に雰囲気が似ていたので間違えて……ごめんなさい」
「別に謝らないでいい」
兄さんはそういうと囲炉裏の火を見つめる。
「ただ、君を見ていると遠い居場所に一人残してしまった大切な子と照らし合わせてしまう。君みたいに元気に健やかに育ってくれているとありがたい。いっそ、俺のことを忘れて仕舞えば幸せなはずだ。そして俺が禍の神に勝てば、きっと……」
兄さんの言葉に私は下唇を噛み締めることしかできなかった。
私は兄さんが思うほど、幸せじゃない。忘れられるはずなんてないのだ——。
そして兄さんがここで勝っていれば遠い未来の私は兄と離れずに済むかもしれない。私は既に先の未来では負けていることを知っている。だけど……。
勝てるって希望ぐらいは与えたい——。
————。
——。
それから翌日、私は三人で一夜を小屋で過ごしてようやく乾いた衣を着て持ってきた弓と短剣、弓束を装備する。
時は朝で日がまだ東から出たばかりのはずだけど高い山の上だけあってすでにあたり薄くもぼんやりと明るい。
そして兄さんも荷物をまとめると私と共に小屋から出た。
そして兄さんは私を見る。
「そう言えば、君の名前は?」
「私はフイヒメと申します」
「——そうか。この山は寒い。降りるのなら早く降りるのだぞ」
「……はい。その、一つだけ」
「——?」
私はゆっくり兄に近づくと優しく抱きしめた。
そして耳元でゆっくり歌う。
少し、ぎこちなく恥ずかしい気持ちを抑えながら冷静を装う。
そして歌を言い終えると私はゆっくり離れる。
昔、イナメさんに教えられた古の思い人に送る歌を兄に対してするのは恥ずかしいけど、これしか思い浮かばなかった。
「どうか、禍の神に負けず、それだけに一心にならないで今生を長く幸せに生きることに使ってください。お隣の思いびとも、それを望んでいるはずです」
私の言葉にナビィさんは顔を真っ赤にして口をパクパクさせ、兄さんは驚いた顔をすると、徐々に顔を崩して軽く笑う。
「そうだな。その言霊、心に留めよう」
兄さんがそう口にするとナビィさんは私と兄さんの間に割って入ると私から引き離す。
「こ、この人は渡しませんから!」
「こらこら……」
ナビィさんの嫉妬に兄さんは困った顔をしながら微笑む。
そう言えばナビィさんって兄さんと肌を重ねているんだよね。なら、少しだけからかってからフジズキヒコに会いに行こう。
私はナビィさんに近づくもナビィさんは一瞬警戒する。私は大丈夫だろうとそのまま近づいて耳に口を近づけナビィさんにしか聞こえない声で耳に息を吹きかけように話す。
「お二人、肌を重ねた仲なのでしたら、私が歌った君が代はナビィさんが歌った方がよろしいですね」
「——な、何を!?」
ナビィさんは居取りながら後退りして目を泳がせる。
うん、おふざけはここまでにしよう。
私はナビィさんから離れ、頭巾を深く被る。
「それではお二人様。どうかご武運を。不死の主様をどうかお救いくださいませ」
「あぁ、任せてくれ。フイヒメ。旅路、気をつけるんだぞ」
「はい。ありがとうございます」
私は彼らが山を下るのを見届けた後、南にある不死山の頂に向かって歩き始めた。
——。
ほんの少し気を抜けば雪に飲まれ、雑木林から飛び出す妖怪たちを撃退しながら前に進んでいくちようやくフジズキヒコがいる社に到着した。
そして鳥居に近づくとした時、頭の奥が痺れ始める。
「な、何?」
その痺れは徐々に声に、それもよく知っているチトセの声にかなり近いものだった。
そして鮮明になってきた時、チトセに似た声が頭の中ではっきりと聞こえた。
『鳥居を通り抜けた先、君の後ろにフジズキがいるはずだけど名前を言ってはいけないよ。知らないフリをして彼の名前を当てるんだ』
「チトセ?」
チトセの声に似た主は何も答えないまま何処かに消えたような感じだけが伝わる。
もしチトセなら彼は本当に隠し事が好きなようだ。多分、私が本当に欲しいことしか教えないそんな人だろう——いや、タコか。
私は彼の言葉に従って無防備に鳥居を通る。次に瞬間背後からの悪寒に横に避けると私がいた場所に鉾の先が隼のように私の目の前に現れた。
そして鉾が北方向に視線を移すとフジズキがいた。
彼はこんなご時世からなのか警戒を解かず、私から離れるも矛先を向けたままだ?
「——お前は、何者だ」
「——フジズキヒコ様。ですね。不死の主の使い」
「——何処で知ったのだ?」
「未来の貴方のお願いできました。不死の主には天人の矢でないと意味はないのでしょう?」
私はそう口にして天人の矢を見せるとフジズキヒコは驚愕な表情を浮かべて私に近づいた。
「なんと! この世には存在しないと言われた天人の矢が何故ここに? その証明はあるのか?」
「証明……」
何も考えていなかったどうしよう。
証明って……あぁうん。
「その、そう言えば山の下でお二人、ナビィ様とゼロ様がおられたのですが。天人の弓がないなら彼はどうやって不死の主を鎮めるのです?」
「——太平の剣と私が梨花らを注いだ不死の矢で止めると向かった。五分五分なのに」
「——なるほど。できないわけでは無いけど難しいと」
「神の奇跡に祈るしかない。……もし、未来からこの私がお前を送ったのであればお前がその奇跡のはずだな。もし、この私に信じて欲しければ一つの頼みを聞いて欲しい」
「えぇ、私は最初からそのつもりでしたので」
————。
私はフジズキから話を聞いた。
最初彼は私のことをどうやら兄さんを後ろから刺すんじゃ無いかと警戒していたようだけど話して行くうちに態度が軟化していった。
もちろん未来のことを話したわけでもなく、彼自身が心のうちに秘めている思いで同意しただけ。
そして彼は私を見るとほんの少し笑みを浮かべた。
「お前の思いは伝わった。確かにお主の信念は誰かの為、それも良く方向でのな。だからお主を信用しよう」
「ありがとうございます。では、流れとしては彼らが不死の主の封印を解いた時、不死の主の内なる禍の権化に目掛けて天人の矢を射れば良いのですね」
「うむ。場所は荒嶽水山。ここの道をずっと降りた先にある大きく窪み、そこが見えない場所がそうだ。かつては山だったが禍の神によって完全に沈み今では名前のみ残りすっかりと大穴となった」
「大穴……時歌岳にある祠ではないのですか?」
「あぁ、封印されているのはそこだが暴れた時きっと祠と繋がっているあの穴から出るはずだ。というかこの私が祠を守るためにゼロにここから空高くに登って戦うようにと言ったのだ」
「そうなんですか。一応繋がったことを確認してくれていたのはありがとうございます」
それにしても大穴なんて私の時代では見ていないからきっと埋まってしまったのだろう。だけど、この戦いで私がいないと兄さんたちが危ない。
そして、私が向かおうとすると袖を引っ張られた。振り返るとフジズキが私を見ながら頷く。
「いや、私もついて行こう。神に仕えるものが何もせぬと思われたら良い気はせんよな」
私はフジズキに案内される形で荒嶽水山に向かった。
フジズキに案内されながら進みながら辺りの風景を見る。私の時代では見たことのない光景が広がっていた。
辺りの木々は枯死し、大地は茶色く毒々しい色で覆われている。
足元もほとんどがまるで沼地で足首まで埋まってしまい歩きずらい。
よく兄とナビィさんはこんな道を通れる。そりゃナビィさん私の時代では平気で長旅できるわけだ。
私だったら嫌でゴネていたのがわかる。
私がふとよそ見をして転けそうになるとフジズキが呆れたように息を吐いた。
「これ。危ないぞ。むしろここはまだ安全な方だ」
「安全?」
私は姿勢を正すと再びフジズキについていくとフジズキはあたりを警戒しながら話す。
「高志は雹を吹く吹く蛇に苦しめられ、吉備は牛鬼によって手では数えきれぬ数の大山が火を吹いて国土の大半が焼き尽くされ、ウガヤの都は毒の湖に沈められ、筑紫は全てが荒野となった。蝦夷の地は山が腐り、不死山は主の暴走で時が不気味なほど止まっているのだ」
「——私のいた時代とは大違い」
「——未来のことは口にするな。人は変に希望を与えられるより、今に生きる方が強くなれるのだからな」
「分かりました。気をつけます」
それからかなり長い距離の悪路を進んでいき、夕方になる頃にフジズキが話していた場所だろう荒嶽水山に到達した。
この場所はフジズキが言っていたように不自然にぽっかりと大穴が開いており、一つの山が丸々崩れ落ちたような形だ。そして私はこの山の一部だったのであろう、崖から落ちないように少し身を出して穴を見下ろす。
そして耳を澄ませると穴の奥から激しい騒音が鳴り響いている。それも徐々に近づいてきている。
「あの、もしかして」
「あぁ、来るぞ。弓を構えるんだ」
フジズキの言葉に私は弓を構えるto
大穴の底から騒音が徐々にこちらに向かって登ってくる。
まるで大嵐という言葉が似合っている風が私を吹き飛ばそうとするほど荒れると大穴から胴が天までの長さがある大蛇——不死の主が唸り声を上げながら飛び出す。
そしてほんの一瞬、頭の上に兄さんが鱗を掴んで乗っているのが見えた。
私は息をのむと大蛇に脳天に天の矢を向ける。
不死の主の口からは黒い霧が吐き出され、おでこには禍々しい血の色をした目玉がギョロリギョロリと泳いでいる。
「お前、天の矢は言い伝えでは禍の穢れを払う。が、今はまだ撃つなよ」
「なぜ? 数本あるんですよ?」
「一発で消滅させたい。ゼロの戦いの邪魔をするな」
「——」
私はフジズキの言葉に従い、しばらく傍観する。
大空の上で不死の主が暴れるのは見えているけど兄の姿は見えない。だけど、戦っているということだけは感じている。
そして夕日が山の背に隠れようとした時、不死の主が体の穴という穴から黒い煙を出したかと思えばこちらを見ると口元を赤く光らせた次の瞬間こちらに向かって風が吹くと頭巾が吹き飛ばされた。
「まずい、逃げるぞ!」
「だめ! 逃げたら!」
私は声を荒げると不死の主の口から吐き出された真っ赤に染まった光の筋に向かって矢を向ける。
「——その髪は!?」とフジズキの声を無視して矢を放つと矢は光の筋を打ち消して不死の主にそのまま当たったのか不死の主から黒い煙が消え去った次の瞬間、不死の主の額にあった赤い目玉が黄色い光を噴き出しているのが見えた。
私は肩から力を抜き、勝ったことに安堵をするとフジズキは頭巾を持って私の元に近づいてきた。
「——その髪色、源氏だったのか」
「え?」
試しに髪色を見ると銀色に戻っている。
フジズキは何も言わず私に頭巾を被せた。
「では、早く戻るぞ。ゼロたちが来たら厄介だぞ」
私は駆け足で戻っていくフジズキに続いて社に向かって走った。
不死の主:
ある人が言えば時の神。
ある人が言えば時を司る妖怪。
ある人が言えば国産みの夫婦の神より先代の神の生まれ変わりとも言う。
チトセより遥かに格上たる彼がいつ生まれ、いつ信仰されたのかは誰も知らない。




