52話 カグヤの綻び(前編)
私は今の時代ではカグヤと呼ばれ、六百年前にはカグヤヒメとしてアハバを源大浜と共に討ち取った。
そしてもう二度と禍の神がこの地に蘇らないようにと月神に己が人柱になり天人となることで禍の神を月に封じるようにお願いした。
だけど、最近もう一つの声が聞こえる。
その声の主は天宮輝比売としか名乗らない。そして不思議の彼女の記憶が頭の中を透き通るように映し出される。
禍の神によって殺されたゼロと呼ばれたサガノオの側でナビィが泣き崩れ、アマミヤテルヒメは自己満足のために遠き時の彼方から呼び出した挙句、自身は何も出来ず見殺しにしてしまったことを憎んだ時の光景。
その時に彼女はもう二度と誰も悲しませたくないと彼女は自己犠牲に突き進むことを決意したのだろう……。
その心は繰り返される魂に刷り込まれ、今の私にも受け継がれている。
——大切な人の妹と、彼の大切な人であるナビィの涙は見たくない。
己を犠牲にしてでも、今度こそ永久に禍を封じこめねば。
私は心の奥底で輝く夜空に浮かぶ月に祈った。
————。
早朝の涼しい風が鼻を燻り、人を目覚めに誘う。
私の名前は天河千穂多路。天河村の族長。
村は先の天人の来襲によって壊滅してしまった。そして現在村の再建のことは兄であるチホサコマにお願いし、私は天人と禍の神に関する調査をカグヤさんとしている。
けど、先日よりカグヤさんの様子がどこかおかしい。
今まではどこか村娘のような素朴さが垣間見えていたのに、今ではその感じが消えてしまいどこか高貴な身分にでもなったかのような仕草だ。
そして今、私はカグヤさんとイナメさんらと囲炉裏を囲んで朝食を共にしているが、食事の作法もまるで私たちがしているような感じ。
マカから教わったにしても突然こう変わるなんてことあるのかな? だってそれまではかなり大雑把な感じだったのに。
それから食事が終わり、食器をイナメさんのお孫さんが運んでくれた後カグヤさんはまた調べに行くと言ってこの場を後にした。
そして私も続いて向かおうとするとイナメさんに止められた。
「チヒオオロ殿。少し良いか?」
「えぇ、構いませんが」
私は再びその場に座るとイナメさんは姿勢を正すと眉間に皺を寄せた。
「カグヤちゃん、少し様子がおかしくないか?」
「——分かっていましたか?」
イナメさんは重い息を吐く。
「長く共に過ごしたから分かる。急に仕草が変わったのだ。まるで人が変わったように。もしや、前にお前さんが話したカグヤヒメと呼ばれた時の記憶が目覚めたんではないか?」
イナメさんは悩ましい顔をしながら頭を抑える。その言葉に、私が答えられずにいるとイナメさんは眉間を摘む。
「もし、そうであれば一度あの子に話してみるとするか」
「えぇ、その方が良いと思います」
イナメさんは何やら決心した様子で息を呑むと腰を伸ばした。
「あ、イナメ様。実は一つお聞きしたいのですが良いですか?」
「ん? 構わんぞ」
「……徳田神社は古の記録とはもっとありませんか? 九百年前のものとかを調べさせて欲しいのです」
「それは難しいな。古文書はお前たちに見せたもので全てだ。……いや、待て。一つ心当たりがあるぞ」
「心当たりですか?」
「ちょっとついて来てくれ」
私はイナメさんに腕を引っ張られるようにしてある場所に連れて行かれた——。
それから私とイナメさんは徳田神社を出ると森の中を通って坂道を登った先にある一軒家に案内された。
そういえば兄さんは森の奥にマカさんの家があるって言っていたっけ。
私はマカさんの家に案内されると、イナメさんは堂々と倉庫の鍵を外した。その様子に私が驚愕しているとイナメさんはこちらを見た。
「あ、マカには内緒でな」
「いや、堂々と鍵を開けているのにちょっと反応が……」
「この倉庫は徳田家と源氏の双方が使用する物なんだがマカのやつ、個人用の倉庫が一杯になったからといって私物を沢山入れてな、しかも勝手に開けないでくれといったもんだから困ったよ」
イナメさんはそう口にしながら倉庫を開けると中にはいる。
私もそれに続いて中に入るとたくさんの木箱が意外と綺麗に整頓されて置いてある。
「全く。意外と几帳面な奴め。箱の中身を木簡で記して分かりやすくしているな」
イナメさんの言葉に私は木簡を見る。
不思議とマカさんの普段の真面目さが垣間見えて少し面白い。
イナメさんは木簡を頼りに倉庫の中を探っていると「おい、あったぞ」と口にした。
そして私は箱を受け取る。木箱はかなりの重さで、一旦床に置いて蓋を開けると中には一冊の分厚い書物が入っていた。
そして書物の題目は「大源史」と書かれている。
「……これ、最近書かれたやつですか?」
「そうでもない。確か私が十歳の頃に当時の源氏の当主が記録を残したいと言って作ったんだ」
へぇ……なら中々の代物。
私は書物を開き、パラパラと流しながら読む。
「……これは凄い。けど、書かれている人物はサガノオだけなんですね」
「あの人はこのサガノオに憧れていたからな。語り部によく聞いて紙に残したくなったのだろう。そういえばカタベの奴はサガノオの話が好きで私にずっと逸話とかを聞かせてきていたな」
「……ん?」
私はイナメさんの話を横で聞きながら書物に目を通す。
書かれている内容はおそらく安雲に伝わるサガノオの神話を集めただけなのか聞いたことがある話しか書かれていない。
イナメさんは過去に読んだことがあったのか、面目無さそうに肩の力を抜く。
「多分、聞き覚えのある話ばかりだろ? 禍の神に挑んで一度は負けるも、再び立ち上がって禍の神を封じた逸話だ」
「……けど」
「けど?」
「いいえ、何でも」
流石に数百年前とあれば言い伝えも変わってくるし、特に伝えたい重要な情報以外は徐々に消えていく。
もしかすればカグヤヒメとチトセ、マカさんが以前教えてくれた六百年前に現れた本当の源氏の勇者、源オオハマもそう言う時の渦潮にかき消された人物なのだろう。
「——でしたらイナメさんはこの書物にないもので知っていることはあります?」
「ん。確かカタベがサガノオには付人がいたと話してたな」
あぁ、多分ナビィさんのことでしょう。なら聞いたことありますね。
そんなことを知る由もないイナメさんは懐かしそうに続けて話す。
「二人が旅をしていたのは禍の神を討伐することなのは知っていると思うが、天宮輝比売と言う人を救うためであると吉備に住むとある妖怪が王族たちに話していたようなんだ。もしもサガノオの子孫が来れば手助けできるようにとな」
「……マカさん。そう言えば吉備についてあまり話さなかったですけど、何か情報を掴んでいるかもしれませんね」
「そうなのか。なら、今度聞いてみると良いな。では、戻るとするか」
私はイナメさんの言葉で書物を木箱に戻し、元の場所に置くと倉庫を後にした。
それからイナメさんとは倉庫で分かれた後、私はマカさんの家の中に入った。
もちろん、イナメさんの許可を受けてから。
そして奥に進むと、ポツンの今の中央にカグヤさんが一人で座り、何かぶつぶつと口にしていた。
私はバレないように隅に隠れると耳を向ける。
「天宮輝比売。あなたはもう私なの。己を犠牲にしてもあの人の妹、マカを死なせないようにしなくてはだめ。もし死なせたら、あの人とナビィが怒る——チヒオオロ様、いるの?」
カグヤさんは突然ぶつぶつ言うのをやめると、首を動かさず私の名前を口にした。
この時、もうカグヤさんは人ではなくなったのを実感してしまった。
それにしても天宮輝比売って、イナメさんもさりげなく口にしていたけど一体誰なんだろう?
乳母から小さい頃に天河の巫子が大王に嫁いで生まれた娘から派生した天宮氏に関連する人?
私は観念して立ち上がると、カグヤさんの隣に座る。
カグヤさんは何も言わず、俯いている。
「カグヤヒメ。今のあなたはそうでしょう?」
「——いつから知っていたの?」
「だいぶ前ですね。星神の島で天人と戦う時ぐらいに」
「……マカも知っているの?」
「えぇ、天人との戦いに携わった人なら知っています。イナメさんも」
カグヤさんは私の言葉に何も言わず、ただ俯くだけ。するとゆっくり手を伸ばしたかと思えば、私の手を優しく握った。
「チヒオオロ様。多分天人はここに攻めてくる。早くて三日後に」
「なぜ分かるんですか?」
つい懐疑的な反応をしてしまった。
するとカグヤさんはその場から立ち上がると私に額に手を当てた。
「禍の神は天宮輝比売が持つ清らかな魂が嫌い。彼女の魂がある限り自身の荒ぶる魂が穏やかになってしまうから。だから意地でも殺そうとここに僕となった天人を送り込む。私は……天人となったから彼らの動きがわかるの」
「……そうですか。で、天宮輝比売。彼女は何者なんですか? 元は天河に出自を持つこと以外、名も知られていない人」
「あの人はサガノオが助けようとしたけど助けられなかった人。肉体は救われたけど心は救われなかった。もし、自分を犠牲にしていたらって思い続けていたから私に生まれ変わったの」
「——では、オオハマがサガノオと同名になったのは?」
「あの時の大王から見れば再びサガノオが現れたかのような希望だった。だから同じにされたんだと思う。それも庶民から見てもそうだったからみんなサガノオって言ったの。私がいた六百年前にもサガノオって呼ばれたから間違い無いと思う」
「——そうですか」
私は長話になると思い、途中で話を切り上げる。
カグヤさんは話し終えると私から手を離し、どこか苦しそうな顔で作り笑いを浮かべる。
「チヒオオロ様。お願い。マカには私が犠牲になろうとしていることは言わないで。ただ、村に人たちやマカたちに天人が来ると言うことだけを伝えて」
カグヤさんは涙目で私にそう言葉を投げかけた。
彼女はマカさんにとって妹のように大切な人。そんな人を私の都合で放置して良いわけがない。
私は息を大きく吸って息を胃よく手を伸ばすとカグヤさんの腕を強く握った。
「ダメです。もしそうしたら私がマカさんに殺されますから」
カグヤさんを無理やり引っ張り、私はマカの家を後にして徳田神社に向かった。
——————。
私はカグヤさんを徳田神社に連れていくと、全てのことをイナメさんに話した。
最初はイナメさんは信じられない顔をしていた。
だけど、徐々に受け入れていくように顔を軟化させていくにつれて「そうか、そうか」と首を動かした。
この場には私たちとイナメさんしかいない。
イナメさんなりにカグヤさんのことを気遣ってのことだ。カグヤさんはずっと暗い顔でただ俯いている。そしてイナメさんは私を見る。
「チヒオオロ殿。とりあえずタキモトと協力して村ものたちを集めて……とりあえず小切谷村が安全か。あそこには猿神がいるからな。それから安雲都に向かおう。一応、今日は準備で非難あ明日と伝えてくれないか?」
「分かりました。では、小切童子には先に小切谷に村人を非難させるように伝えてきますね」
私はこの場から背中を向けて立ち去ろうとした時、一回だけ立ち止まると振り返ってカグヤさんを見た。
彼女はどこか深刻そうな顔で明後日を見ているようだった。
それから私はこの場を後にして小切童子にこれから天人が来襲することを伝えた後、その事をマカさんの師匠であるタキモトさん、それから私と共に安雲都から連れてきた護衛の兵士たちにも同じ事を伝えた。
村人たちは突然のことで少し慌てながらも、タキモトさんが宥めてくれたおかげでそこまで騒動にはならなかった。
そして夕方になって村中に非難する事を告げ終えたあたりで徳田神社に戻り、イナメさんに報告した。
「あの、カグヤさんは?」
私がそう聞くとイナメさんは悲しそうな顔をする。
「寝床に引きこもってしまった。あの子は多分全て自分で解決したいと思っていたんだろうな。誰かを巻き込んで死なせたくないと。まるでマカみたいだ」
イナメさんは無理して笑うと縁側に出て夕陽を眺める。
「カグヤヒメと言う古の姫は、あの時何を見たのかは我々には分からない。だが、我々が想像しているよりもはるかに辛いことがあったはずだ。だから出来ることは側にいてあげるだけ。長生きしているババアが言うんだ。信憑性はあるだろ?」
「そうですね。お年寄りは寂しがり屋が多いのもなんとなく分かりました。けど、カグヤさんの場合はもっと甘やかせてあげないといけないですけどね」
「だな」
私は黄昏時に染まる空を眺めながら、悲しい気持ちになった。
——————。
それから翌日のまだ日が上りきってない時間帯に私たちは村人たちをつれて小切谷村へと出発した。
狛村は意外と人がいるため、大人数で女どもがはぐれないように列の端にはタキモトさんや狛村と天河の兵士たちが誘導している。
私は列の先頭付近をイナメさんやカグヤさんと歩いている。
道のりは予想以上に厳しく、昼頃になってようやく一つの山の山を超えた。その理由は村人たちが家財を過剰に持ってきているからだ。
みんなが額から汗を流し、水や昼食を取っている時空から聞き慣れた声が響き渡った。
「なんで村から出たんだ! 出たら余計に狙われる! 兵士たちは今すぐ武器を手に取るんだ!」
「——チトセっ!」
カグヤさんの声と同時に先ほどまで休憩していた兵士たちは咄嗟に武器を手に取ると次の瞬間林の影から天人たちが生み出したのだろう、人と同じほどの大きさの岩石のような姿をした人間が飛び出してくると道を塞いだ。
「空からの声はチトセ……」
そして岩石たちが私たちに向かって突撃してくると間一髪で兵士たちが三人一組で一体の岩石を食い止めて応戦する。
「皆の者! 後ろに下がれ!」
「走れ! 慌てずに落ち着いて走るんだ!」
兵士たちの言葉に列は大きく乱れて一気に後ろに下がったせいで何人かがが外から落ちてしまう。あたりには阿鼻叫喚で人の声がまるで獣の叫び声のようにあたりに響き渡る。
私は何もできずに呆然としているとイナメさんに腕と掴まれた。
「ほれ、早く逃げないと」
「け、けど!」
後ろを見るとちょうど一人の兵士が岩石に顔面を叩き潰される姿を見てしまった。
「うぐっ!」
「見るな!」
私は吐き気を抑えて、足を回して後ろに向かって走り出す。
その時、同じく隣にいたカグヤさんが顔を真っ青にしてこう言った。
「私の、私のせいで……全て狂った……」
そう口にした——次の瞬間。
背後から岩が砕け散る音が聞こえた。
その時、微かに頭の中に聞き覚えのない声が響き渡る。
『逃げろ。狛村は禍物を拒む場所。そこから出るんじゃない』
その声の主の話し方は、まるでマカさんに似ているようだった。
裏話:
天宮輝比売。
九百年前にいた姫巫女。
サガノオに救われたものの、彼の死と引き換えであったことから彼への償いの意味を込めて生涯独身を貫いたと言う。




