50話 東に向かって
——斑鳩町を出発して数刻ほど経つ。
日はすでに西に向かって落ちており、山の頂から顔を少し出しているだけ。
虫の鳴き声が私の頭を響かせ、遠くからは狼の遠吠えらしきものが聞こえてくる。
まだ満身創痍の私に肩を貸して歩いているナビィさんは額から汗を流しながらも疲労を表情に出さす歩いていた。
少々申し訳なくなり、何度も自分で歩くことを伝えたけどナビィさんはそれを断った。
そういえばチトセはどこに行ったんだろう? 出発をすることを伝えたはずだけどここに来ないなんて。
私がそんなことを思っているとナビィさんは足を止めた。
「——マカさん。ようやく集落です」
「……ここが」
ナビィさんは指で示した先にはかなり貧しい集落あり、それも安雲の小切谷村よりも貧しく、人の気配が無い怪しい感じだ。
この様子だと泊めてくれそうになさそうだ。
そんな時ナビィさんは私の考えが読み取れたのか首を縦に動かす。
「こういう場所はもしかすれば賊の根城に可能性があります。若い娘だけだと襲われます」
「襲われるって……殺されるっていうことですか?」
「——ゼロにそういうこと教わってません?」
「え? 何がです?」
私がそう答えるとナビィさんは急に呆れた顔になると私から目を逸らし腕を掴むと来た道を戻るように引っ張った。
えーとナビィさんどうしてこんなに不機嫌なんだろう?
それから腕を引っ張られた私はナビィさんに少し離れた場所のすぐ近くにある丘の上に登ると道中集めていた薪に火をつけて周囲を照らすと私の隣に座った。
「もしかしたら私たちの存在がばれているのかもしれませんね。ゼロとの旅の際にも何度も私目当ての賊が来ましたし」
「……それを兄が倒していたんですか?」
「そうですね。ゼロは一睡もせずそうしていたんです。私は何度も言ったんですけどね」
ナビィさんは懐かしそうにそう口にしていると空から何かが近づいてくる音がした途端、眉間に皺を寄せて立ち上がると脇差と取り出した。そして空を見た瞬間、呆れたように笑うと安堵の息を漏らす。
その空から来たものは一つはタコに似た妖怪みたいな神様、チトセ。もう一つはこちらに向かって落ちてくる火の玉……火の玉?
チトセは焚き火の中央に来ると頬を膨らませて私たちを見た。
「あの……僕たち置いてかないで?」
「一日経っても来なかったので。それにチトセならすぐに追いついて来れたでしょ?」
ナビィさんの冗談にチトセは若干不貞腐れた顔をして私を見る。
隣にさっきから浮いている火の玉よく見ると灯火神のヒヌカンだ。どうして連れてきたんだろう?
「ヒヌカン。マカの傷癒してあげて」
「あ」
ヒヌカンはチトセに言われるがまま私に胸に溶け込むように入っていった。すると不思議なことに体が温かくなっていき、痛みも和らいでいく。
そして痛みが引いてきた頃合いにヒヌカンは私の体から出ていった。その時体が急に冷えて少しくしゃみをした。
「ね、ねぇチトセ。どうしてヒヌカンも?」
「この子がついて行きたいって。それにマカのこと心配みたいだよ。怪我ばっかするしで」
「それは……どうも」
チトセはヒヌカンに近づき、ふんふんと会釈をして私の顔を再び見る。
「あと二十歳にもなって無謀なことするなって——」
「まだ十五歳です、失礼すぎます」
「だってさ」
ついむかっとしてきつい言い方したせいか、ヒヌカンは若干しょんぼりしたように見える。
だけどまだ十五歳の女の子相手に二十歳は失礼にも程がある。
てかチトセは知っているはずなのにわざとに違いない……だけど。
「ぷふ。あは、あはは!」
そのことを考えるとなぜか笑いが込み上げてきた。まるで馬鹿馬鹿しいチトセのふざけに呆れたからかは分からない。
だけど、いつぶりだろう。つい声に出して笑ったのは。
私が顔を上げるとチトセはまるでこの世の終わりみたいな顔をし、ナビィさんは母性溢れる顔で私を見ながら少し笑っていた。
後でチトセとは話す必要がありそうだ。
そしてチトセは私に近づくと申し訳なさそうな顔をする。
「それでさマカ。何も宿ってない空っぽの勾玉はあるかな?」
「え、勾玉ですか?」
「ヒヌカンの居場所だよ。このままだと彼は休めないんだ」
「えーと……あぁ、小切谷村で借りているものならありますけど」
私がそう口にすると腰につけた袋の中から真っ白の綺麗な勾玉を取り出す。
するとヒヌカンは待っていましたと言わんばかりの速さでアガたまに飛び込むと一瞬だけ勾玉は白く輝いた。
しばらく目を点にしているとチトセはぼそっと「気に入ってくれたみたいだよ」と口にした。
————。
それから四日ほど険しい山道を歩き続ける。
蒸し暑い山道は辛く、虫の鳴き声が頭に響き渡る。途中整備されている道が急に途絶え、獣道になったり、近道があると試しに通ると盗賊に襲われたりと散々な目に遭いつつも峠をなんとか超えることができた。
私たちは日が落ちて暗くなったあたりで洞穴の中に入り野宿の支度をする。火はヒヌカンのおかげですぐに薪に火をつけることができた。
私たちは焚き火を囲うように座り、近くの川で取った魚と山菜の汁物を夕飯に食べる。
ナビィさんがいうには明日一度山を降りてすぐ近くにある大きな港町の桑名の町に寄るみたいだ。
目的としては天人の動向や異変がないかの確認。遊ぶためではない。
そんな時ナビィさんは食事の手を止めると空を見た。
「……前までは満月に天人がきましたけど、今では満月でなくても天人が来るんですよね。変に油断ができなくなりました。けど、不思議です。なぜ天人は私達を襲わないのでしょう?」
チトセは汁物を一気に飲み少し咳き込んで後、口だけケラケラ笑う。
「もしかしたら、天人は一枚岩じゃないんじゃない?」
「そうなんですか?」
「これは予想だけど、天人の中でも禍の神の力に溺れた一派と、禍の神に反発している一派がいるに違いないよ。僕的には……アタベの前に来た天人がこちら寄りじゃないかって思うんだ」
「アタベの前って……テレルイ?」
「うん。予感だけど彼がカグヤを探しているのって……」
その時周囲の雑木林がざわざわと不自然に音を立て始める。私は咄嗟に剣を握り立ち上がると周囲を見渡す。
林の中に何かがいる。それも心の奥底からザワザワする感じ!
その時林の奥から白い光の筋が周囲に広がると天女……よりも一際背が高い月を模した仮面をつけた女性が出てきた。
彼女の手には武器がない、だけど天人ということだけは分かる。
女性はゆっくり、まるで中に浮いているかのように滑るようにして私たちの前に移動した。
その不気味な行動に怖気つきそうになるも敵意だけは感じない。
だけど万が一のことがある。
私は剣を天人に向ける。
「な、何しにきた……。これ以上近づいたら殺す!」
私の強い言葉に反応したのか天人は足を止めた。
『失礼。我の名はツキマロと申す』
「——」
天人——ツキマロと名乗った彼女は透き通るほど冷たい声色を私の頭の中に響かせる。
『我、月の大神より伝言を其方らに授けることを命じられたし』
「い、一体何? その伝言って?」
『カグヤ姫様を私たちに引き渡してほしい。彼女の力を使って我が月の都で暴虐を働く禍の神を封じたい。だが、お前たちの結界が強すぎる。これでは彼女に会うことができない』
「封印って……あなた達は禍の神を解き放とうとしているんじゃないの? 信用できるわけがない!」
ツキマロはただ私をじっと見るだけで何も言わない。
不気味な仮面の奥で浮かべているのはどんな顔か? だけどそもそも天人に素顔なんてあるのか分からない。
私が今まであった天人達は心など存在しないかのように無慈悲なことをし続けていたからだ。
『信用。してくれないのですね』
そんな時ツキマロは手を動かすと仮面を取り外した。
初めて見る天人の素顔、人と変わらない顔付きをしていた。だけど中でも心の奥底から悍ましく感じたのは涙を堪えた表情をしていることだった。
————。
ツキマロは仮面を手に握ったまま私に近づくと私の剣に触れると辛そうな顔をした。
『やはり……この剣は完全に力を取り戻している。ただ触れただけでここまで苦しい気持ちになるなんて思わなかった』
「さ、触るな!」
威嚇のつもりで剣を振るとツキマロはサッと後ろに下がる。
『だけど、お願いです。カグヤ姫を私の元に連れてきてください。彼女がいないと月の都は……』
ツキマロが何かを言おうとした時、チトセは私とツキマロの間に入る。それに合わせるようにナビィさんは私の隣に来ると肩に手を置いた。
「マカさん。とりあえず落ち着いてください」
「ナビィ……さん」
私が剣を下げるとチトセはツキマロに近づくとニヤリと笑った。
「まぁ、そんなことよりさ。天人の中でも月神の加護を得てない人たちはみんな禍の神の手駒になっているんじゃない?」
『——』
チトセの言葉にツキマロは何も言わず、頷くだけ。
「もしかして、ここに君の仲間がいるんじゃない? 教えてくれたら何もしないよ」
ツキマロはしばらく葛藤したのち。小さな声を出した。
『月神様は禍の神に囚われてしまい、私たち加護を受けたもの達は地上に今隠れています。私は……その一人に会いにきました。場所はどこかの井戸の中です』
ツキマロの言葉にチトセは満足そうな顔をすると触手をツキマロの胸の上にのせた。
「ありがとう。お礼に神の契りを交わす?」
『——?』
「え、あぁ……うん。ごめん忘れて」
ツキマロの何もわかっていない反応にチトセはしょんぼりする。隣にいるナビィさんを見るとチトセの背中を冷ややかな視線で突き刺している。後で理由でも聞いておこうかな。
そしてツキマロは私たちの方を見ると再び仮面をつけた。
『カグヤ姫をお渡しいただけないのなら、月神様をお助けくれることを約束してください。できなければ強硬手段を取らせていただきます』
「分かった。良いよねマカ?」
「え?」
チトセの言葉につい唖然とした返事をすると、ツキマロは満足そうに眩しい光を一瞬解き放った。あまりの眩しさに手で目を覆い少しして前を見ると姿を消していた。
私は少しチトセを睨むと、チトセは「まぁ、彼女は何もしないと思うよ」と楽観的な言葉を口にした。
もし何かがあれば全ての責任をチトセに押し付けよう。そう心に決めた。
————。
それから私達はとりあえずこの日は眠りについた。
翌日、私達はすぐに荷物をまとめると早朝に桑名の町に向かって出発した。
ここから町まではそう遠くなく、山を下った先にある。
街に入った後、ナビィさんとチトセはこの人混みに慣れているのか気にならないようだ。
私もだいぶ慣れてきたとは言っても、やはり驚きを隠せない。これはなんとか治さないと。
そして街中を歩き、ツキマロが話していた井戸を探す。
だけど井戸と言われてもいくつかあるからどれか一つに絞ろうにもできない。
そんな時、チトセは突然私の頭の上に乗ってくると触手で頬を叩いてきた。
「何?」
チトセは私の声に対して無言で触手を廃屋に向ける。
「あそこから天人と同じ気配がする。あそこにも井戸があるのかも知れない」
「——あそこですか? 分かり…っ!」
私は一瞬だけ廃屋の中からこちらを見る存在が目に映った。それは星神の島で見た姿。まるで私より背が高い土偶のような見た目で、目に光が宿っている。まるで生き物とは思えない無機質な感じ。
「……星神、どうしてこんなところに?」
遠い西国にいるはずの星神がここにいる事実に、私は唖然とするしかなかった。




