26話 禍のモノ
———筑紫の東にある久那県に聳え立つ雪化粧で染まっている阿我山。
イジが話すには太古にかつてこの地に住んでいた人を一晩で滅ぼし数千年も人々を住めない様にしたと言う。
私は何日も歩き続けて重くなった足を動かし、イジさんと少年を先頭に歩いた。
そして昼頃には山頂に到達した。
しかし、その山頂は私の予想とは反していた。
山の頂の先は大きな窪みとなっており、真ん中の窪みの中央には小山がありその周辺には村々が見えた。
私とカグヤ、ツムグさんにその光景に驚愕しているとイジさんは小山に指を差す。
「あの子山の頂に山の中に入る洞窟がある。あの中に大神が住んでいる」
「あそこに大神が……。えっと、で、イジさん。どうするんですか?」
「あぁ、作戦は至って簡単だ。カグヤ、山に登る前に服を余分に着せただろ。一番上の服をこいつに渡せ」
「え?」
少年を試しに見ると恥ずかしそうにしながらもどこか嬉しそうな顔をしている。
ちなみに道中イジさんから少年の名を聞いた。
彼の名前は岩戸手首という。
カグヤはテクミを見ながら意味が分からなかったのか首を傾げながら上着を脱ぐとテクミの頭の上に被せた。
「これでいいの?」
テクミは恥ずかしそうに「は、はい。そうです」と小声で喋ると着物を着る。
テクミはまだ声変わりをしておらず、そのせいか女の格好をすると違和感がなくなる。
髪も腰まであり、ずっと手入れをしているのかその黒髪は光沢がある。
それにしてもヤトノスケ……かぐやに恥じらいを教えなかったのかな? いや、イナメさんに問題があるの。
イジはテクミを見ると満足そうな顔をして顔に化粧を施す。
それにしても作戦とは一体……。
イジはある程度テクミに化粧を施すと重い腰を上げる。
「作戦はだな。まずカグヤを大神の妻としにきたと言ってな。そこでカグヤをツムグに村に帰らせて影武者のテクミを大神のところにマカと共に向かう。おそらくだが寝床まで案内した後に怒り狂ってマカを襲うだろうな」
「——えっと、その手しかないんですか?」
「奴は警戒心が強く純粋だ。どうして直接話したかったのかを拳で伝えたら満足するだろう」
イジはあまりにも無謀な作戦を口にする。これ私の負担が大きくないだろうか?
「あの、イジさん。他に手はないのですか? 殴り合いと言っても仮に大神とされる方なのですが……」
「——まぁ、本気で怒れば大災害を引き起こすが本人も人が無くなれば己が欲求を満足できなくなるから本気で怒らないだろうな。ただ、オオトカゲだから執念深いのが問題だけどな」
「なおさらダメじゃないですか」
私がそう言うとイジは笑みを浮かべたまま小山に向かって歩き始める。
するとテクミは私に近づくと両手を握った。
「私めにお任せください。私は女子のフリをして今まで筑紫原家のために勤めてまいりました。恐れることなどありません」
——良いのかなそれで。
——————。
それからはイジが言った通りの物事をただ船を辿る様に遂行した。
まず夕方で薄暗くなった頃合いに小山を登り洞窟前の鳥居に着くとイジは先んじて妻を寄越しに来たと大きな声を発すると追い風が洞窟に流れるのを感じた。
カグヤは珍しく張り詰めた顔をし、ツムグさんは不安そうな顔をする。
イジは二人のその顔とは相反して勝ちを確信した顔つきをしている。
そんなイジは私を見るとゆっくり頷く。
私は大きく息を吸うとテクミの手を優しく握り共に洞窟の奥へと進んだ。
洞窟の中は入る時は真っ暗だったが、入った途端赤く輝きまるで昼の様に明るい。
振り返ると入り口はなぜか真っ暗で先が分からない。
もしかしてここは神の結界が張られているのか。
再び前を向くと私は歩き始めた。
テクミは女物の着物では動きづらいのか度々転けそうになりそのたびに私が支える。
そのせいかせっかくの綺麗な着物の裾が既にボロボロで阿我大神の元に着く頃には既に足の脛が見えてしまうかもしれない。
————
迷路のように道が入り乱れ、奥に進めば進むほど熱くなる。
そしてようやく大広間についたかと思えばその中央には岩が溶け赤い光を発した湖があり、その湖には大きなトカゲが顔を出してこちらをギョロリと目を動かして見ている。
オオトカゲは私たちを見ると嬉しそうに笑うと舌を出す。
『おぉ、美しい我が妻よ……。溶岩の中で待っておったわ。ほれ、近くに来い』
あれが阿我大神。
私は足を止めると頭を下げる。
「阿我大神様。私の名は源マカと申します。隣の娘はテクミと言います」
テクミは唾を飲み込むとゆっくりと近づく。
すると阿我大神は機嫌を悪くしたのか目を赤く充血させる。
『このたわけがぁ!』
「は?」
「え?」とテクミは素で驚いた顔をしてこちらを向く。
阿我大神は息を荒くすると湖からゆっくり出て、巨大な体が露わになる。
体は大広間ほど大きく、しっぱと頭は簡単に私を食べたり潰したりできるほど大きい。
阿我大神は私を見下ろすと私に鼻を近づける。
『我輩はなんでも見通せるぞ……悪事も善行も服の中もなぁ……。その隣の幼児には小さいが逸物が付いておる』
テクミは顔を赤くすると着物の裾を抑えた。
なんだろう、これは不味そうだ。
私は剣に手を添えテクミの間合いに隠す。
阿我大神は舌を伸ばすと私の顔を舐める。
『逞しい女じゃ。ちゅらも同じく我輩に挑み脳天に剣を突き刺した』
阿我大神は徐々に息を荒くすると口の隙間から炎が少し漏れ始めた。
『あぁ腹立たしい! 思い出せば思い出すほどぉ! 殺す殺す殺す殺す!』
阿我大神が叫び始めたのと同時に地面が激しく揺れ始め、天井から岩が降り始める。
私はテクミを後ろに押す。
「テクミ逃げて! あとは私がなんとかする!」
「わ、分かりました!」
テクミは素直に頷くとで口に向かって走る。同時に出口が崩れた。
『ふぅ、幼児は逃げたがまぁ良い。今ここでお前を噛み殺してやる! 心の臓まで焼き尽くされるが良い!』
阿我大神は大きな口を広げると火を吹き始める。
私は咄嗟に避けるが阿我大神はそれを見越していたのか大きな体をぐるりと回し始める。
『我の炎からは逃げられぬぞ!』
私は目の前まできた炎を伏せて避けるがその時後ろに束ねていた髪の先が触れて焦げる音がしたため咄嗟に剣で切り落とした。
『——っ!』
阿我大神は急に驚いた顔をすると炎を吐くのをやめた。
よく分からないけど今しかない!
私はナビィの勾玉に触れ、この場になかった弓を取り出すと額を撃ち抜いた。
『——っ!』
阿我大神は痛みに苦しみ暴れ始めるとその場に横転する。
顔を見るとどこか物悲しい顔をしている。
私は自身の髪を触る。
もし兄が戻ってきた時、昔の自分に戻れる様に伸ばした髪は首までしか無くなっている。
——元に戻すまでこれは何年もかかるな。
阿我大神に近づくと彼はゆっくり口を動かす。
『——お前、見覚えがある。ナビィという女と共に昔訪ねてきた男に似ている。血の繋がりがあるからかもしれぬが友に似ているせいで怒るのも馬鹿らしくなった』
「——ナビィさんと一緒に来た?」
もしかしたら絹物主が話していた源再護男かも知れない。
「あの、その男の人は……」
『お前は何しに来た? 嫁の話が嘘なのは分かっている』
「天の結界についてです。天地の結界を再び強めるのに協力して欲しいのです」
『天地の結界か。——おかしいな力は変わっておらぬ筈だ。日向神に命じられ作り出し今日に至るまで穴もない』
「ですが、天人が襲来しています。それをどう説明しますか」
『あの結界を潜れるのは禍で穢れたものだけ。禍だけは断ち切れんのだ』
「禍だけ……。では、天人は禍に犯されていると!?」
『そういうことだ。禍の神はナビィと共にいた男が封じた後、日向神が弟の月神の元で清めようと月の送った。あの日に天地の結界を作り出したのだが、禍の神が己を復活させようとちょくちょく地上の配下の神に力を送りそのたびに結界を強めている』
「では、天人をどうにかする為には禍の神をどうにかする他ないと」
『うむ。では、外に送ってやろう。すまなかったな』
私の体がみるみるうちに青い光の粒となっていく。
禍は天地の結界を超えてやってくる。天から来るとはすなわち天人自体が禍に犯されていないと不可能。
だけどそしたらなんでカグヤを狙うのだろう?
私がそのことを聞こうとした時には周りが光に包まれていた——。
————。
気がつくと私は洞窟の外におり、入り口は塞がっている。
あたりは真っ暗で何も見えない。
すると草木の音がした次の瞬間林からテクミが飛び出してきた。
テクミは息を荒げながら近づく。
「マカ様! ご無事でしたか!?」
テクミはずっと待っていたのであろうか着物は泥だらけで、さらに雪に覆われているところにずっといたのか手足はさっきからさすり続けている。
「いや、私より君が危ないよ。ほら、背中に乗って。その様子だと凍傷だし」
「す、すいません」
私はテクミをおんぶすると山を降りていった。
月明かりに照らされた山道はぼんやりと辺りが見えるだけで細かくは分からないため、慎重に歩く。
背中ではテクミは声を震わせた。
「申し訳ございません……。あの時もっと女らしくしていれば」
「ううん。大丈夫だよ。阿我大神のあの感じは最初からおもちゃみたく壊す予定だったのかも知れないし。だけどあの後は色々教えて貰えた」
「そうですか……なら良かったです」
「そういえばテクミはどうして女の格好をするのだっけ? 筑紫原家の為とはいえここまでするのに何か理由があるのかな?」
「——話せば長くなるのですが私の家、岩戸家はかつて大王を裏切った本当の筑紫の王家なのです。積もりに積もった不満が爆発して反乱を引き起こした結果、領地を奪われ、朝臣であった源氏の所領となりました。その際、家を存続するを懇願した際に昔の当主が忍びとして忠義を尽くすと宣言しこの様な形となったのです」
「——そうだったんだ。だけど、テクミは別に嫌がってはないよね?」
「——意外と良いですよ。私は可愛いと言われるのは嫌ではないです。それに女子の気持ちも分かってむしろこっちの方が私らしいというか……」
先ほどまで苦しそうにしていたのが嘘のようにテクミは喋り始めた。
「へぇー。なら良かった」
世の中、色々な人がいるんだ。
すると突如後ろから追い風が吹き荒れた。
振り返るとそこには白く輝き甲冑で身を包んだ古の勇者——源再護男が目を赤く輝かせてこちらを見ていた。
そしてしばらくしていると頭の中に声が響き渡る。
『よくぞこの神の話を聞けた。禍は結界を突き抜ける。であれば安雲に今すぐ向かわねばな』
源再護男を見ているとテクミは不思議に思ったのか「マカ様?」と弱々しい声を漏らす。
——ごめん、すぐに終わらせる。
「安雲には何が?」
『あそこには禍の神に見惚れ、禍の力に溺れた姫が眠る山がある。お前も見たはずだ、津翁に取り憑いて天河を滅ぼそうとしたやつがな』
「——アハバ!」
私の言葉に源再護男は頷く。
『天河の族長はもうじき禍の神について気づき策を取る。それを頭に入れろ』
「——」
チホオオロさんは頑固だ。私が居ないうちに動いて取り返しがつかないことをするかも知れない。
源再護男は伝えたいことを伝え置いたのか静かに闇の中に消えた。
——明日には村を出て安雲に向かおう。
私は駆け足気味に山から降りた。
————。
そして月が空の真上に来た頃にようやく麓の集落に到着し、テクミにイジとカグヤ、それからツムグさんの三人がいる家に案内してもらい、中に入るとカグヤとイジが囲炉裏を焚いて起きていた。
ツムグさんは疲れたのか囲炉裏に温まるかのように眠っている。
カグヤは私に気づくとすぐに駆け寄り、身体中を心配そうに見る。
「また怪我してる。あと、その髪の毛は?」
「ごめん、結構大ごとになっただけ。見るならテクミを見てくれる。凍傷ぽいから」
「分かった。——だけどその髪先が焦げてるから後で手入れしてあげる」
「うん、ありがとう」
私がテクミを下ろすとカグヤは囲炉裏にテクミを近づけ、お湯を沸かし初めた。
それを見届けるとイジはようやく私と視線を合わせる。
「その様子だといけたか?」
「はい。思いの外あっさりと」
「その傷であっさりと豪語は少し恥ずかしいぞ。だが、相手は荒ぶる神だ。四肢が無事なだけでも上出来だな」
「——」
するとイジは囲炉裏に上に置いていた釜の蓋を取るとお椀に粥を入れた。
「思いの外早くて良かった。そろそろこの残りをカグヤに食わせようとしていたんだ」
私はイジの親切な心に甘え、粥を食べた。
——————。
翌日、目を覚まして荷物をまとめた後、私たち四人は村を出て七日間掛けて伊都に辿り着きイジに港に案内され船頭を紹介された。
この日の朝はまだ凍てつく寒さだが人々の活気を見ると少し暖かく感じる。
私たちが船に乗り込むとイジとテクミが手を振るのが見えた。
カグヤはテクミの手に巻かれた包帯を見ると胸を撫で下ろす。
「あの子、ひどい凍傷だったけど切り落とさなくて済んで良かった」
「カグヤが献身的に帰路も見てくれてからだよ。ツムグさんもカグヤを見てくれてありがとうございます」
「ううん。気にしないで。だけどマカとイジさん心なしか似ているよね」
「そう?」
ツムグさんはすでに豆粒ほどの大きさとなったイジを見る。
「あの人、口調は男っぽいけど仕草が凄くお姫様。口調はマカとは正反対だけど仕草の癖が凄く似ているのが面白かったよ。ね、カグヤ?」
カグヤはツムグさんの言葉にうなづく。
「うん。粥を三人で分けた時もマカみたいに自分だけ少なくして私たちには多めに入れてた」
「——へぇ」
カグヤは育ち盛りだしツムグさんは大食いだから仕方なく自分の分を減らしているんだけど意外とバレてたんだ。
まぁ、良いか。
私たちは船に乗って安雲に向かった。




