第5話 アゲハプロジェクト
トマトオル――本名、戸間徹が何者かに連れ去られたのは、カマタマが変異した赤子鬼に襲われる数時間前のことだった。
「何モンなんだ、アンタらは」
頭に被せられていた麻袋を剥ぎ取られたトオルは、目の前にいる男たちを睨みつけた。
場所は薄暗い室内である。家具の類は一切なく、窓には分厚いカーテンがかけられて外の様子は見えない。どうやら自分は、部屋の中央にある木製の椅子に座らされているようだ。そして目の前には、白衣を着た黒髪の美女がいた。
「手荒な真似をしてすまない。それと、私たちは君を害するつもりはないと言っておこうか」
女は隈のできた顔で微笑を浮かべながら、彼に向かって酷く瘦せ細った手を差し伸べた。とはいってもトオルは手足を拘束されており、彼女の手を握り返すことは叶わない。
「(なんなんだ、この胡散臭い連中は)」
トオルは自分の安アパートで寝ていたはずだった。次の日は早朝から工事現場でのアルバイトがあるというのに、急に押し掛けてきて問答無用で誘拐されてしまった。
こんな状況で危害を加えないと言われても、信じろという方が難しい。
だが彼の思考を読んだのか、彼女はシンプルな名刺をトオルの眼前に突き出した。
「私は2nd.ユニバースを運営している株式会社『アゲハプロジェクト』の代表、逆左 凪だ。気軽に『ナギ』と呼んでくれ」
「……会社やアンタの名前なんてどうでもいい。俺をこんな所に閉じ込めて、一体何をするつもりだ?」
胡乱な目で見つめると、彼女は少しだけ目を伏せてから答えた。
「なに、簡単なことだ。端的に言うなら、君は選ばれたんだよ」
「はぁ……?」
意味が分からない。
この女は何を言っているんだ、と困惑していると、彼女は続けてこう言った。
「戸間徹、年齢二十六歳。最終学歴は高卒で現在はフリーター。家族を幼い頃に亡くしており、恋人は無し。バイト先に好きな女性がいるが、声を掛けることもできず毎晩隠し撮りした画像で自慰を――」
「お、おい待て止めろ! どうしてそのことを……」
「――そして十年前。動画配信サイトにて、トマトちゃんねるを開設。あらゆるゲームのやり込み実況を配信することで一世を風靡。一時はチャンネル登録者数は百万人を超える人気を博していた――が」
そこで言葉を区切ってから、ナギと名乗った女性は冷淡な視線を向けた。まるで彼のすべてを否定するかのように。
「とある事件を境に大炎上を引き起こしてしまい、運営から警告を受けて活動休止を余儀なくされる。以降は姿を晦まし、現在に至る……といったところか。なにか質問はあるかな?」
「あんたらは何者なんだよ。どうしてそこまで知ってるんだ」
トオルは顔を真っ赤にしたり、青ざめさせたりしながらも訊ねる。すると彼女は愉快そうに笑い出した。
「クフッ。ふ、ハハッ! まさかここまで調べ上げているとは思わなかったか? そうだ、我々はその道のプロだからな。君が言う一般人の個人情報など、簡単に手に入る。なんなら君が気になっている女の子の、キワドイ写真もね」
「ふざけんじゃねぇ! アンタらは俺を嘲笑うためにここへ呼んだのかよ?」
怒りを隠そうともしないトオルの言葉に、ナギは小さく首を振った。
そして慈愛に満ちた瞳で、彼に告げる。それは救いの手を伸ばす聖女のようだった。
しかし同時に、悪魔のように残酷でもある。そんな矛盾したものを感じさせながら、彼女は言い放った。救済という名の、死刑宣告を。
「いいや。むしろ逆だ。私たちは君を高く評価している。だからこそ、こうしてスカウトにやって来たのさ。我々と一緒に世界を救ってほしい!」
両手を広げて、高らかに宣言する。
トオルは呆れたように鼻を鳴らした。
「……なにが世界を救ってほしいだよ。正義のヒーローでも気取ってんのか?」
「ふふふ、そうだよ。ただしヒーローには、君になってもらう」
ナギは不敵な笑みを浮かべた。まるで自分の勝利を確信したような表情だ。それが気に障り、彼は眉根を寄せた。
「実は数時間前、とある会社が運営する仮想世界に異変が起きてね……」
ナギは白衣のポケットに両手を突っ込みむと、溜め息をひとつ吐いてからゆっくりと語り始めた。曰く、外部攻撃によって仮想世界2nd.ユニバースにバグが生じたらしい。
「……バグ?」
「あぁ。ゲームカテゴリーを管理しているセクションが被害に遭った」
2nd.ユニバースはカテゴリー毎にサーバーが存在し、それらはセキュリティーの厳重な場所で秘匿管理されている。部外者は一切入れないはずの部屋なのだが、突然そこへ異物が出現した。
「電子機器が埋め尽くされている部屋に、異界へと繋がる巨大な鳥居が現れたんだよ。それだけじゃない。そのサーバーにあったゲームすべてが異界に取り込まれ、化け物がプレイヤーたちを襲うようになった」
「は、はは……そんなまさか」
「にわかには信じがたいだろうけど、残念ながら本当のことなのさ。これを見てくれ」
は後ろに控えていた男を呼びつけると、彼が持っていたタブレット端末を受け取った。その端末を操作し、あるページを開くとその画面をトオルに見せた。