尋問
「この何日目って日付は一体いつから数えているのか教えてくれ」
あの妙な声の主が本を開きそう聞いた。この前にもいくつか押し問答があり、これはふっと湧いた単純な質問だったが、この質問は本の主、アーラをいらだたせることになった。
「知るか。そこに全部書いてある。
……あぁもうそれになぁ、日記ってのはあっちいったりこっちいったりして読むもんじゃないの!
時系列ってしってるか?私達の動向が知りたいなら最初から読めよ!」
怒号が、2人だけの部屋に響き渡る。
コンクリート打ちっぱなしの空間。アーラは先ほどの廃墟にまで押し戻され、椅子に拘束されていた。この部屋を見回してみると、さっき雨宿りしていた時には気づかなかったが、ここには小さな格子窓しかない。しかも、重い鉄の扉は閉められ雨の音はほとんど入ってこず、静かだ。この外界から遮断された部屋は、今の状況と足し合わせるとまるで取調室のようだった。
「そうか」
少し間を置き、また本を適当にめくりながら、淡々と妙な声の男は答える。その声の正体はガスマスクのボイスエミッターによるものだった。
アーラのこの男に対する印象、不信感の正体。妙な声という感想。それは、部屋が静かなこと、相手との距離が近いこととが相まって、マスクでくぐもった男の素の声に、ボイスエミッターで加工された声とが両方が混じって耳へ届いていたことから、奇妙で不気味に思えたのだ。
男は先ほどの素っ気ない返事をしてからもずっと、本をあっちへペラペラ、こっちへペラペラと、真面目に読んでいるのかただ暇と時間をつぶしているだけなのかどうか分からない態度をとっていた。その間全くの無言を貫いており、アーラが時折大きくため息をついてみたり、拘束された腕をもぞもぞと動かしたり、あげく椅子ごと少し体を揺さぶることまでしてみたがそれでも反応はない。男の傍らには拳銃がおかれており、これは余計な事をしようものならすかさず殺すというという意思表示に見て取れたので、この小さな抵抗はある意味決死の行動だった。アーラは色々試しているうち、次第に、少しの異常には動じず、決定的なことにしか対応しないというこの男の姿勢は、目の前の小娘に何をされようが問題なく対処できるだろうという自分の能力への自信と、あまりの冷静さからくる人間性の欠如とから、まるでロボットのようで気味が悪いと感じ、抵抗するのをやめてしまった。
さらに数分がたった。ソーニャはどうしているだろうか。大丈夫だろうか。この男は答えないとしか言わなかった。どうなんだ。それさえはっきりすれば……。
アーラとソーニャはあの遭遇の後、とっさのことで少し動いてしまったために、銃撃を受けていたのだ。アーラは無事だったが、左にいたソーニャは壁になるようにして銃弾を2発ほどもらってしまい、死んではいなかったが、その場に倒れ、アーラとは別にどこかへ引きずられるように連れていかれた。
行方も生死も知れず1人残されて、もうどうしようもない。あのとき、行くなと引き止めればよかったのか?いや、私の大声のせいだ。ああ、もっと気を付けて行動するべきだった。
アーラは自分の行動を振り返った。後悔がつのる。そういえばいつもこうだった、とも思った。
ただ、ソーニャが生きている可能性が少しでもあるのなら、とにかく確認しに行かなくてはならないとも考え、男との尋問に決着をつけにかかった。
冷静になれ。まずは相手の目的を知らなくてはならない。最初から考えよう。おそらくだが、出会い頭の銃撃も非殺傷の無力化にすぎず、生かそうとしていたに違いない。そういえばソーニャが撃たれていたのは足で、とどめも刺されていなかった。さらに、私は無事で、ここに連れられて尋問を受けてるんだ。そう考えれば意外とあいつも大丈夫かもな。よし、気分がましになってきた。心なしか雨がさっきよりも弱まっている感じがする。意識がはっきりしてきたぞ……。あ、それに今分かったことがもう1つある。こいつの正体は……間違いない。もっと早く冷静になるべきだった。わざわざこってり丁寧に、私に尋問したい連中なんて限られてるだろ。私達は今まで何から逃げてきた?最大の脅威は?そんなの分かり切ったことだ。
アーラは聞いた。単純な質問だ。
「連邦は今どうだ?調子悪いだろ。」
男は何も答えず本をまさぐる。
「私達みたいに抜け出せばどうだ。やれよ。チャンスだぞ。ここは連邦の端っこなんだ。ばれやしないさ。連邦がお前らにどういう命令を与えたか知らないけど、どうせ理由もわからずバカみたいにここまで来たんだろ。さぞかし遠かっただろうな。ここまで来るってのは。無茶な命令だ。意味不明の」
変わらず黙って聞く男を前に、一層声を強くしてアーラは続ける。
「あのな、よく聞け。私達もそうだったんだ。無茶な命令のことだよ。世界中で戦争しだしてから、何があったか知らないが、今やソユーズも落ち目だ。連邦とは名ばかりの、小さな1つの国に成り下がった。そもそも国なんて、この世界ではあってないようなものなんだよ。それに、かつての威厳を捨てられないような国がどうなったかは私も、お前もよく知ってるとおりだ。だから私は今ここにいる。逃げたんだ。お前らもいずれそうしろ。もうこの土地に未来はない」
そこまで言い終わった後、アーラはぐっと顔を男に寄せ、前かがみの姿勢で凄んで言った。
「それなのにお前らはなぜ私達を追う?目的はなんだ?殺せばいいだろ。脱走兵に何の用だ」
男は意外にすぐさまあっさりと答えた。
「お前たちがこれまで何処で何をしてきたのか、詳しく調べる必要がある。お前の仲間も同じことを聞かれているだろう」
また男は淡々とした答えを返した。
だがその素っ気ない言葉とは裏腹に、さっきまで中途半端な動きをしていた手指ははっきりと動き出し、日記の1ページ目を明確に開き、机の上に置いた。
アーラは期待外れの返答にあきれながらも、男の手つきから何かを感じ取り、尋問に付き合うことにした。
「一生やってろ」
その言葉になぜか男は頷き、今度は最初から順番通りに、また日記を読み始めた。
次回から本格的にはじまります