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「彼氏との連絡ですか?んー、まあ2、3日に一回はとりますねぇ、友達には毎日って子もいますけど。あまりにも連絡取れないと心配じゃないですか」
「…そうだよねー…」
後輩アシスタントの彼女が、くるりとブラウンのアイラインで器用に縁どられた目をぱちくりする。
結局、この間は別れ話を切り出せないまま、仕事に行く静を見送ることもできずに、休日の昼になってしまった。洗い物をする時間がなかったのだろう。
シンクに重ねられていた静の食器もまとめて洗って、静の部屋を後にした休日のことを思い出す。
「カノジョさんとケンカですか?」
「いや、…ケンカしたことない」
それも問題なのかもしれない。
自分の中での一番は何よりめぐだった。だから、喧嘩するほど静と揉めた記憶もないし、静も文句は一切言わない。
『へー!いいなー!』と騒ぐ後輩の声を背に、モップを片付け事務所へ向かう。静の部屋に行ってからちょうど二週間が経とうとしていた。
僕の方からも彼女の方からも連絡はとってないが、このまましばらく放っておいたら、最近の様子をうかがう短い文面のメールが静から来るんだろうな、と思う。
マメに静にメールをしていたのが嘘のように最近は連絡の頻度もめっきり減ってしまった。静も明らかにこの変化に気づいているだろうに何か言う気配はない。
ロッカーに入れていた携帯に留守電が入っていた。
静の番号からだ、珍しい。
『もしもし、私、江島静の友人の佐藤と申します――』
* * *
連絡を受けて慌てて駆けつけると、ほとんど目をつぶりそうな顔で危なげに立っている静の姿と、彼女を支える同僚と思しきスーツ姿の女性がいた。
ちょうど店から出た様子の一行は、僕の姿に気づくと申し訳なさそうに頭を下げてきた。
「夜分に申し訳ないです、ひとりで帰すの心配だと思ったら、江島さんが恋人の家がすぐ近くなので大丈夫というものですから、私だけじゃ心もとないし…」
「いえ、お手間かけてすみません」
「顔色が変わらないのでこんなに酔ってるって分からなくって…ペースが速いなとは思ってたんですけど…」
申し訳なさそうに続ける女性に頭を下げ、静の腰に手をかける。
「いえ、連絡いただいてありがとうございます。…ほら、大丈夫?帰るよ」
「ぅん……」
こころもとない返事に一層心配そうな顔をする静の友人を帰し、自分のアパートに連れて帰るほかないだろう、と静に目をやる。
俯く彼女の表情は見えない。
静が友人に告げたとおり僕の部屋はすぐ近くなので助かった。急な連絡に驚いたのはもちろんだが、静が酒を飲むんだ、というのに一番驚いた。
まあ、仕事柄付き合いなどがあるんだろうな、と思ったことはあったが、プライベートでもこんなに酔い潰れるほど飲むなんて思ってもみなかったのだ。
「…ごめんね、あしたもはやいのに」
「いいよ、しいちゃんは明日休みでよかったよ。ちゃんと俺んちで、寝ていきな」
もたもたと玄関で何やら手間取っているらしい静に手を貸し、パンプスを脱がしてやる。
狭い僕の部屋だから、ベッドにたどり着くのはあっという間で、その瞬間静がばたりと倒れこんだ。
「スーツ、皺になるから脱いで」
そういうと黙々と従う静はなんだか子供のようでかわいかった。考えてみれば、めぐはともかく静に手を煩わされることなんかほとんどなかったから、なんだか新鮮な気もする。
彼女が酔い潰れていることもあって、別れ話をするという憂鬱と罪悪感を束の間、脇に置いておけるのもよかった。
ジャケットを脱がせハンガーにかける。
「珍しいね、こんなに飲むの」
「うん…」
「なんかあった?」
もし静が素面だったらこんな風には聞かなかったのかもしれない。彼女のことを知れば知るほど余計に、別れるのが億劫になるから。
でもぽろりと口を突いて出たのは、きっと彼女が酔っぱらってもごもごと話しているのが子どものようだったからかもしれない。
「おわるのかー、とおもって」
「なにが?」
「りょうへいくんとわたし」
「え…」
思わず言葉を失った僕を気にした様子もなく、頭に浮かんだことを酔った静がぺろっと喋りつづけている。
「いつかなーもうすぐかなーとおもってた、から、あーそろそろだな、とおもったの」
具体的な言葉が何にもなくても、静が持っていた危機感と諦めだけはずしん、と僕に入ってきた。
ストッキングに包まれたすらっとした素足がばたつく。
どうすればいいのか、何を言えばいいのか分からずに立ち尽くしている僕のシャツの裾を静が軽く引いた。
「ありがと」
「え…?」
「きょう、しごとがおわったあとでつかれてるのに、でんわしたらきてくれたでしょ。…ありがと、りょうへいくん」
俯く僕に、静はもごもごとこもったような声でそう言って、へらっと笑った。