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 僕のメールに返事はなかった。

 その代わり30分もしないうちに、家主は帰ってきた。物音と人が近づく気配を感じて声をかける。

「しいちゃん?おかえり」

「ただいま」

 静がこたえて鞄を下ろす。何か違和感がある、と思ったら黒のロングヘアがバッサリ切られてボブになっていた。

「…髪切ったんだ?ずっと伸ばしてたのに」

「…うん」

 ここ最近ほとんど会っていなかったから全然知らなかった。

 思わず目を瞠る。こうしてまじまじと見ていると、静はやっぱりめぐとは全く違う別の人間なんだと感じる。

 目を伏せる静の睫毛が、白々とした蛍光灯に照らされて影を落としている。くるんとしためぐのそれと違うもの。

 付き合いだしたばかりの頃、甘やかされ慣れない静が「しいちゃん」と子供のような呼び方をされるたびに照れくさそうに目を伏せていたのを思い出した。

 出来上がった炒飯を皿に盛る。テーブルの上に置きながら静の頭を撫でた。

「急にどうしたの、しいちゃん」

髪の長さ自体は短くなったものの、さらりとした髪質はそのままで、その質感は僕の手によく馴染む。

「遼平君」

「ん?」

「遼平君のこと、好きだよ。私」


 珍しい。

 静が付き合いだしてから、僕に「好きだ」というなんて数えるほどだったのに。

 そして、そんな風に言われると今から「別れよう」と告げようとしている自分が酷い男のように思える。まあ、実際酷いのだろうけど。

 睫毛に縁どられたはっきりした二重の印象的な瞳が、じっと僕を見ていた。

 いつもより水気を含んだその眼差しは、蛍光灯に光にさらされて余計にきらきらして見える。


「ありがとう…食べようか、しいちゃん」

「…うん」


 彼女の言葉に、『僕も好きだよ』とは言えない。

 なぜ静は僕なんか好きなんだろう。

 身体の浮気はしていないが、心の浮気なんてそれよりもっと嫌な気がする。

 静には優しく接してきたつもりだけど、ただそれだけで「好き」だと言えるんだろうか。

 ふと、僕を見上げる静の視線にはっとする。

「…そうだね、食べよっか」

 その視線には何かを諦めたような哀しさが漂っていて、ぎくりとする。

 静は何かに気づいているのかもしれない。

 俯く静のつむじを見つめる。ボブにしても相変わらず、静の髪は手触りが良さそうだった。

 初めて静と会ったのはあまりにもありきたりな場。合コンだった。

 といっても、高校時代の同級生が主催してくれた数人同士の小さな飲み会ではあったのだが。

 幹事の女友達に促されて自己紹介した静は僕より一つ年上で、仕事帰りらしい固いスーツを着ていた。

 外勤です会社から直接来ました、と言わんばかりの黒のスーツを着ているのは静だけで、その他2人の女の子たちはアパレルの販売員と医療機器メーカーで事務の派遣をしているということで、小洒落た格好だった。

 アパレルの子は明らかに僕に何度も話を振ってきていたが、それよりも静の癖のない黒髪の方に目が行った。

 専門学校を卒業してすぐ、アシスタントとして今の美容室に勤めだした僕と違って、主催してくれた同級生は四大卒のごくごく普通のサラリーマンだ。静とは大学の同じゼミだったという。

 その合コン以来、2人で何度かご飯に行ったり出かけたりして、僕から「付き合おう」と言いだした。それからもう1年は経つはずだ。

 静は今まで僕が付き合ってきた女の子たちに比べると格段に物わかりがいい。

 急に予定が入って会えなくなったり、忙しくなって連絡がとぎれがちになったりしても決して文句は言わない。

 今まではありがたいなあ、と漫然と思っていたが、さてこれから「別れよう」と思って客観的に今までの付き合いを見直してみると、静は色々我慢を重ねてきたんじゃないか、とふと気づいた。

 リビングでもぐもぐと炒飯を食べている静を見る。

 疲れているのか、目元は少しクマができているような気がするし、肌色も少しくすんでいる感じがする。

 僕の視線に気づいたのか、静が顔を上げた。

「…美味しいよ、ありがとう」

「どういたしまして」

 我ながら受けのいいと分かっている満面の笑顔を返すと、静が眩しいものでも見たかのように目を細めた、しばらくするとまた手元の炒飯に視線を戻してしまった。

 その日の夜は、『遼平君がご飯作ってくれたから』と言って、静が洗い物をした。結局、最後まで「別れよう」と言い出すことはできなくて、なんとなく一緒に風呂に入り、お互いかわりばんこにドライヤーで髪を乾かして、セックスもせずに並んで寝た。

 隣に寝ている静の手を取ると、寝ぼけていたのかそれとも本当はまだ眠っていなかったのか、ぎゅ、と手を握り返された。

 翌朝、何か穏やかな気持ちになるような夢を見た気がするけれど、どんな夢か思い出せないくらいぼんやりとした記憶で、隣に眠っていたはずの静の姿は既になかった。

 きっと、もう仕事にでかけたのだろう。

 平日休みの僕と、静の休みが合うことは、なかなかないから。

 起き上がってキッチンへ向かうと、味噌汁の入った鍋があった。


 「温めて食べて」とも「朝ごはんにどうぞ」とも何の書置きもないところが、静らしいと思い、コンロに火を点けた。




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