第八話 君が自分を大事にしないなら、僕が
自分達のいる結界の周りを燃やし尽くさんばかりの勢いの炎は、そこから逃げることも出来ず二人をじわじわと追い詰めていった。
魔法使いが張った結界がいくら強くても、この炎の熱は防げない。普段ならば可能だっただろう。しかし地獄の番犬の業火は想像以上なのだ。
ある程度は防いでいてもそれはすべてではなかった。
結界内の温度はどんどんと上がっていき、もはやサウナ状態。
もし仮に魔法使いがこの炎を防げたとしても、熱でやられていた。
そして、その、もしの話も有りはしないだろう。なぜなら、今の時点でこの結界を保つこともできず、崩れそうなのだから。
もうだめだ、そう魔法使いも勇者も諦め死を覚悟し、お互い抱きしめ固く目を閉じたその時……
「ケルベローーース!」
蠢く炎の中からケルベロスを呼ぶ声が聞こえるとそれと同時に声が聞こえた場所を中心に炎の勢いが収まっていった。
――魔王だった。
魔力の使い過ぎでボロボロになってしまったケロベロスの下へゆっくりと歩んでいく。
歩きながら、魔王は邪魔と言わんばかりに片腕を横へと勢いよく薙ぎ払うと、あれほど勇ましく轟々と消えることのなかった炎が一瞬にして消え去ってしまった。
何が起こったかわからないケロベロスはきょとんとして自分に近づく魔王を見つめるしかできない。
そして、魔王がケロベロスの前に立ちふさがると、今度は大きく息を吸い込みながら天を指す。
「お座りいいいいいいいいいい!!!」
その指を振り下ろし、大きな声で命令を下した。
ここまで、数秒も掛かっていない。
「きゃひいいいいいいん!?」
ケロベロスが一鳴きし、ズドーンと辺りに鈍い音が響く。地鳴りも炎も、すっかり消えさってしまっている。
しばしの静寂が訪れた。
何事か、と、ゆっくりと結界内にいる魔法使いと勇者が固く閉じていた目を開けると、そこには信じられない風景がひろがっていた。
「…………へ?」
「……止ま、った…? え、嘘でしょ…?本当にお座りしてる…」
勇者が素っ頓狂な声を上げ、何度も目をこする。
魔法使いは、広がる風景の変わりように異次元に来たのかと錯覚したが、座り込んでるケロベロスと、それに対峙し立っている魔王を視界に入れると信じられずともここが先ほどまでいた場所と変わりないのだと理解した。
暴れまわっていたケロベロスは、その巨体を丸めて、行儀よく魔王の前にお座りをしたまま。
ケロベロスも何が起こったのかわからないのか、眼をパチクリとさせていた。
そんな周りの反応など気にしていない…というか、怒りを隠さない魔王がそこにたたずんでいた。
「黙って聞いてりゃべらべらと!!お前に聞く耳は無いのか!!!」
「ま、まおうさま…?」
「うっせえ!黙れ!俺が喋ってンだろ!!」
「ひゃいっ!けろべろすおくちチャック!」
腕を組み、ケロベロスに説教する姿は母親のしつけのようでなんだかユニークで滑稽であった。
それもそうだろう、例えるなら体の大きな子供が小さな母親に何も出来ず言い返せずしょんもりとしているようなものなのだ。
笑ってしまいそうな光景であったが、勇者と魔法使いは空気を読んで笑いをこらえた。
ケロベロスはと言うと、素直に口を閉じる真似をしている。
ちゃんと三頭分しているところがあほっぽい。
その姿を見つめる魔王はそれで満足なのか、うなずいた。
「よーし、いい子だ。 ったくよォ…一つでもうっせえのに勝手に三つ首に分かれやがって!ピーチクパーチクいらんこと喋ってよォ…けしからん!戻せ!!」
「で、でもけろべろす、やっと大きくなれたよ!まおうさまの役に立て……」
「いいんだよ!!!」
ひどく理不尽な要求に、ケロベロスは必死になって己の存在意義を言うものの魔王の声にかき消された。
びくっと体を跳ねさせるケロベロス。
魔王は、体を維持できずボロボロのケロベロスを見ながら、密かに唇を嚙み締めた。自分のせいで誤解させ、悩ませ、ここまで追い詰めて無理をさせてしまった事の情けなさに、後悔しているのだ。
黙ってしまった魔王に、首をかしげるケロベロスであったが、魔王の様子を気遣ってか口は挟まずに言葉を待った。
「……?」
「役にたつとかたたねえとかそんなんどうでもいいから。いつまでもそんな無理して大きくなってなくていい。本当は自分でわかってんだろ?」
困ったような、今にも泣き出してしまいそうな魔王の表情を見たケロベロスは漸く自分がしたことが間違っていたのだと、理解した。
それでも、ケロベロスには我慢ができなかったのだ。
この判断が悪いことで、もっと他にやり方があったのかもしれない。
それでも、ケロベロスは守りたかったし、魔王の役に立ちたかったのだ。
無理をしても、自分が消えることを選んだとしても……それが、魔王を悲しませることになったとしても。
その思いを解っているからこそ、お互いに辛いのだった。
「で、でも。でも、けろべろすは…っ!」
「大丈夫だ。 俺を信じろ。俺はそんなにやわじゃない。いつも言ってるだろ? 俺がお前に嘘ついたことあるか?」
「…ない…」
「だろ?」
そうだ、魔王はいつだって優しい噓をつくが、約束を違ったことはないのだ。
いつも優しい魔王様。
いじめたり、意地悪だったり、嫌い!なんて思う時もあるけれど。
いつだって誰にでも等しく、誰にでも親しい。
お金にがめつくて、憎めない、大好きな魔王様。
……だけど自分を大事にしない魔王様。
ケロベロスはいつだって、自分を大事にしない魔王様が心配でたまらなかった。
ケロベロスは、首を垂れ下げて、魔王と見つめ合う。
「…三つ首じゃなくてもいい?」
「三つ首が良かったらお前を拾わない」
一つ、ケロベロスの左の首が、霧になっていく。
「…大きくなってもいい?」
「城を壊されるのは勘弁して欲しいから城の横に新しく犬小屋作らなきゃなんねえな。でっけえやつを」
また一つ、今度は右の首が、霧になっていく。
「ごはん、いっしょたべてくれる?」
「そうだな、これからは俺も一緒に食べるよ。いままでごめんな?一人で飯食うのは寂しかったな?」
「まおうさまぁ…っ」
残った最後の首から、大粒の涙があふれて流れる。
「無理して大きくならなくたっていい。小さいままでいなくたっていい。 そのままのお前でいいから」
「う、ッ…ひっく! ま、まおうさま…!!」
「ゆっくり大きくなれ。俺が目一杯稼いでお前を食わせてやっから。……だから、戻ってこい、ケルベロス」
魔王が大きく手を広げる。
すると、禍々しく瘴気を放っていた体は崩れ去り、残っていた首も霧になって消えていった。
「ぅう…っ、う…うわああああああん!まおうしゃまああああああ!!ふえええええん!」
その霧の中から、たたたっと子犬の走ってくる音が聞こえたかと思うと、その小さな茶色い物体は鼻水を垂らし、泣きながら魔王に一直線に走って行くと、広げられた腕の中へとぴょーんと飛びこんでいく。
それを難なく受け止める魔王。
ぎゅっと抱き込み、いつものもふもふした毛を撫でまわす。
「…うおっと!! ははっ! 急に大きくなって急に元に戻るのな!面白え!」
「けろべろすは! けろべろすは! これからもまおうさまのおそばにいる!ずっとずっと、いっしょいるうううううう!」
「はいはい、鼻水でてるぞ?きったねー顔!」
口では汚いと言いながらも、笑って自分の鼻水を拭ってくれる、大きな手。
「ぴいいいいいいい!!!」
ケロベロスはその幸せをかみしめるかのように、大きく鳴き声をあげながら、その胸に頭を擦り付けた。
「う、っう…! いい話!! いい話いいいい!」
それまで一部始終を、声を潜め、息を殺して見守っていた魔法使いの小さな嗚咽が聞こえる。魔王とケロベロスの絆に感動してつられて泣いていたが、邪魔はすまいと小さく感動を現していたが心の中では大団円である。
そしてその手にはいつのまにもっていたんだ?と聞きなくなるような綺麗なハンカチが握られ、これ見よがしに涙を拭いていた。
「うをおおおお!! 俺はあああ!今!猛烈に感動してい……ぐえっ!」
そんな魔法使いとは逆にスポコン漫画もびっくりなほど、熱く号泣している勇者であったがその空気の読めなさに魔法使いが杖で勇者を殴った。
「感動が薄れるから黙れクソ勇者」
「ハイ」
そっと後ろを向けば、背後にブリザードを背負った魔法使い。
勇者はちいさくなる、を使った。
「オイ!クソ勇者!」
このまま黙っていよう、と勇者が心に誓ったものの、泣き疲れて眠ってしまったケロベロスを抱いた魔王から声をかけられるとイジられる事に満更でもない顔で振り向く。
「お前もかよ! なんだよおお!」
「魔王城もこんなんだ。俺もケルベロスも戦えねえし、悪いんだけど帰ってくんねえ?」
「いきなりのひどい扱い!」
先程までのあの熱い感動のシーンはどこへ行ったのか、魔王は普通に勇者を邪魔者扱いしだした。
いじられることに期待していた勇者であったが普通にお帰りを願われたのでショックを隠せない。
そんな勇者を無視して空気を読むことに定評がある魔法使いはスっと立ち上がる。
「そうね、いいわよ。 事実を知ったことだし、魔王を倒す理由がないわ」
「俺の意見は無視ですか!?」
「ありがとな、恩に着る」
「俺の頭上で会話が成立されているこの疎外感!」
「いいのよ…私達こそ、いままでごめんなさいね」
「でもこういう扱い嫌いじゃない不思議!」
にこやかでスムーズに会話する魔法使いと魔王に無理矢理勇者が仲間に入れてほしそうに口を挟むものの、見事に無視をされている。
それにも関わらず、勇者は愉悦を感じていた。
非常に気持ち悪いものを感じとった魔王はその姿をみながら、ぶるっと震える。初めて感じる嫌悪感だった。
勇者の態度に慣れている魔法使いは勇視線だけ勇者の方へとやる。
「本当にうるさいわね。黙れよ」
「ハイ」
勇者はまた、ちいさくなる、を使った。
その視線はとてつもなく冷たく、絶対逆らってはならない圧を秘めたまるでブリザードのようだった、と、後に勇者は語ったという。
「帰りはまっすぐだ。結界があるから解るだろ?」
「ええ、たどれば一発よ。 さ、行きましょう」
「おう。 またな、ってのもおかしいか。あばよ、魔王。達者で暮らせよ!」
城は幾らか崩壊しているものの、帰りの道は行きと同じなので城さえ出てしまえば問題なかった。
魔法使いは勇者に声をかけると何を急いでいるのか、そそくさと先に行ってしまった。
勇者はなんとなく、魔王に抱かれて眠ってしまっているケロベロスを見ながら、名残惜しそうにしつつも別れの挨拶を残して背を向けた。
「オイ!」
その時、魔王から引き止められる。
勇者はもう少し、この優しい魔王と話したかったので引き止められて満更でもない。ニヤける顔はそのままに憎まれ口をたたきつつ振り向いた。
「…なんだよ!人がかっこよく決めたというのに!」
「…ありがとうな。ここに来たのがお前みたいな勇者で良かったよ」
「……ば、ばーーーか!魔王が勇者にそんなこといってんじゃねーよ!」
微笑む魔王に、照れた勇者が背を向ける。
思いもよらない魔王からの言葉。初めて他者からお礼を言われた勇者は、居心地悪そうにむずがゆそうにソワソワした態度を隠さない。その相手が魔王だとしても、嬉しいという感情は隠せなかった。
そんな勇者に笑いが漏れる魔王。
「ははっ、それもそうだな!」
「そうだよ! ったく…あばよ!!!」
今度こそ、と片手を上げて走り出した勇者。
もう振り返らないぞ、と心に誓い、気分の良いままにスキップでもしようか、とした……その瞬間。
「……オイ!勇者!!」
再び引き止められる勇者。
それほどまでに魔王は自分の事を認めてくれたのか、という思いに気分も機嫌も最高潮。
今度は振り向くと同時に両手を広げて魔王に走りよった。
「…なんだよ、馬鹿、引き止めたいなら最初からそういえ……」
「8万円」
魔王は必ず自分の腕の中に収まり、友好の抱擁をするのだ、と確信を持った勇者がえらそうに言い放つセリフを遮って、魔王は片手を勇者の前に出した。
お小遣いをねだる子供と、その強請られた金額に驚く父親の様である。
その手とにこやかな魔王の顔をキョトンとしつつ交互に見る勇者。
理解出来ず、こてんっと首を横にして……。
「……は?」
「は? じゃねえーよ。8万円。 俺を攻撃したろ?魔法使いの分合わせりゃ10万円くらいになんじゃねーかな」
そう、思い出して欲しい。ここは魔王国。
そして自分達は魔王が主催のイベントに参加中の勇者と魔法使い(もうこの部屋には居ない)なのだ。
ケロベロスの事があって有耶無耶になっていたが、そういうことである。
気付いていた魔法使いはさっさと城から脱出していたのに、この勇者はイベントのことなど全くもって忘れていたのであった。
当然、魔王は忘れることは無く。
先程の微笑みとは違い、営業スマイルで今かと会計を待っている。
その笑みに騙された!と言いたいが言えない勇者。それもそのはず、自分からこのイベントに参加してきたのだから、文句は言えないのであった。
彼は払うしか無いのだ。
イベント参加費とは別の、一攻撃×攻撃した回数=8万円を……!
「な…な…っ!!」
「耳そろえて払えよ?勇・者・サ・マ?」
ワナワナと、震える勇者に、これみよがしに強調する魔王のセリフに、悪意しか感じられない。
これが魔王スマイルなのか……と頭の片隅で思う勇者。
「う、ぐぬぬ…!! 結局最後までこういう扱いいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!」
天を仰ぎ、これでもかと叫んだ声は人間国にまで響いたとかなんとか。




