終局を超え 最終節
三人が飛空艇で首都に戻ると、最上階の飛空艇の停泊所は、先程までの混乱など嘘のように整然としていた。そのため彼らも、すんなりと着陸することができた。
三人は船を降り、飛空艇の停泊所を出ようとしたところで、上空から一隻の飛空艇が、彼らの直上に滞空した。その飛空艇の陰に気づき、三人が上を見ると、飛空艇とは別に、更にもう一つ、空を飛ぶ存在があった。
「タナーシャ様!皆さん!ご無事でしたか!?」
見紛うはずもない。その竜の如き容姿、ヤムニーヴァが、彼らの身を案じ、心配そうな表情で勢いよく三人の傍に降り立った。
「ヤムニーヴァさんも無事そうで」
「ヴァラムくんに、バルーくんも。先ほどはお話する暇はありませんでしたが、この短期間で本当に成長しましたね」
ヤムニーヴァが穏やかな表情を見せ、そのことが彼らの中で戦いは終わったのだという意識をやっと芽生えさせた。
「そうだ、ヤムニーヴァさん、これ、返します」
バルーが取り出したのは、ほのかに赤い光を灯した大きな宝石であった。
「今にして思えば、この宝石が、僕の決意を固めてくれたのかもしれません」
「いえ、間違いなく、君が、本当の君を取り戻せたのは、バルーくんの努力あってのものです」
「でも、きっかけをくれたのは、貴方とこの宝石でした」
そう言って、彼は、ヤムニーヴァに宝石を返した。
「貴方に渡した時は、褐色で光ってもいなかった。なのに、今、一級の職人が磨き上げたかのように美しく輝いている。事情は詳しく知りませんが、これが明瞭に君の変化の証拠になっている。またいつか、ゆっくりと君の物語を教えてくださいね」
ヤムニーヴァの背後に上空の飛空艇から、シヴィとユイスナが降りてくる。
「タナーシャ、よくやってくれた。祝賀会と言いたいところだが、改めて君に頼みたいところがある。着いてきてくれ」
飛空艇から一本の縄梯子が垂れ下がり、シヴィとユイスナがそれを使って上に登っていく。ヴァラムたち三人も、それに付いていった。
シヴィとユイスナ、そして三人を乗せた飛空艇は、最上階層の路地裏にある、小さな建物の上空に滞空した。飛空艇が降りられるような広場もないため、再び五人は梯子を使って降りていく。その建物の中に入ると、外観のわりには広い一部屋で、そして最上階層の清廉な見た目とは対照的な、薄暗く、小汚い内装だった。そこには車椅子に乗ったネーナと、いつかタナーシャたちも目にした『正義の僕』である、アスフュナとヒスフムらの姿もあった。
「さて、来てくれたか。タナーシャ、君からの連絡では、彼らを助ける術はないとのことだったが、どうやらそこの聖騎士は諦めきれなかったようでね」
ネーナがそう言い、隣のアスフュナたちに首で指示を出すと、二人はその部屋から奥の部屋に行き、そして肩や腕に人を抱えて再び現れた。
「これは、皇族たち、か?」
タナーシャは直に目にしたことはなかったが、ぼんやりと記憶の中にある容姿から、それが皇族であることは分かった。その三人の身体は息をしていなかった。
「無理を承知で、再び頼みたい。勿論、不可能だとしても我々は貴方を恨んだりしない」
ユイスナの言いたいことは、タナーシャもわかった。アスフュナたちは、中央の長机の上に皇族三人を慎重に置いた。タナーシャは横たわる彼らの状態を少し眺める。彼らは確かに死んでいる。だがその様子はまるで魂だけをそっくり引き抜かれたような状態で、肉体の状態はむしろ生きた人間とそれほど変わりはなかった。
「やってみよう」
タナーシャが、何かを確かめるように彼らの頭を手で撫でる。そしてその後、彼らの頭の近くで膝を折り、床に座り込んだ。
「<オセネオスよ>」
タナーシャが、神の力を使う。やはりまだ神気は完全に回復していないが、それでも先ほど使った術と同じ要領の為、決してできないことではなかった。再び彼女が、オセネオスへ祈りの歌を捧げると、皇族たち三人の頭上から青い光が降り注ぐ。
そして青い光の照射が終わると、皇族たちはまるで眠りから覚めたように、穏やかに目を開いた。その光景に、聖騎士の二人のみならず、後ろにいたネーナたち『正義の僕』も驚きを隠せなかった。彼ら皇族は確実に死んでいたはずだったのだ。
「こ、ここは……」
皇族の一人、現<ユヴァート>王である、タッキマミアヌが、隣に並ぶ我が子と、自身の配偶者、そして自分たちの置かれた状況に混乱しながら、そう述べた。
「まさか、本当に?」
自分で頼んでおいて、ユイスナは目の前で起きていることに半信半疑だった。
「まぁ、本来ならできないが、今は私と<オセネオス>の間に強い繋がりが生まれている。暫くすれば、また……ぐっ」
二度目とはいえ、神気の欠如した状態での終局、創世神格の神術は、流石に無理のあることであったためか、タナーシャはふらつく自分の身体を支えるために、床に手を突いた。
「ここは、どこなんでしょうか……?」
タッキマミアヌの配偶者、フェンヴィと、その二人の子、ウスパズンフュも辺りを見渡しながら、状況を把握しようとするが、見覚えのない景色と人々に混乱が増すばかりの様子だった。
「タッキマミアヌ皇、フェンヴィ様、皇子、ご無事、なのですか?」
ユイスナが、三人の意識を確かめるように、彼らの目の前へ行く。
「え、ええ。貴方は、確か、聖騎士の隊長でしたね?どうなっているのですか?ここは皇居ではないでしょう?宰相はどうしたのですか?」
その後、ユイスナとシヴィは、皇族の無事を確かめるためにも、彼らを飛空艇まで案内し、議事堂の中で、今までの経緯をできるだけ正確に説明した。彼らは聖騎士たちの説明を、ひどく憔悴した様子で聞いていた。信じられない、という表情を見せてはいたが、一方で同時に、何かが腑に落ちる感覚も彼らは覚えていた。魂を奪われていたために、アムゥの従僕としてあった頃の記憶はあるはずもなかったが、だが彼らの肉体の疼きが、聖騎士たちの伝える話を信じさせた。
「そうか……。そして、タナーシャ、<ドゥスエンティ>の王家の生き残り。彼女に助けられた、のだな」
ユイスナとシヴィは、少し気まずい顔をしながら、皇の問いに首肯する。
「……アムゥ亡き今、我々はどうすればいいのだろうか……」
タッキマミアヌ皇は、散々自分を都合よく利用したアムゥの死を、未だ惜しんでいた。彼らは今まで一度も実権を握ったことがない。当然政治などに今更参画できるはずもない。しかしアムゥ亡き今、<ユヴァート>で起きたことの責任は全て、形式上は主権者である彼らに降りかかるであろうことは、想像に難くなかった。
「アースもいないとは。これならば、死んでいた方がマシだった」
迫りくる重責に、思わず弱音を吐く皇。それを見てシヴィもユイスナも、自分たちが守ったものが、結局なんだったのか、わからなくなってしまった。
一方のタナーシャらは、先程いた『正義の僕』の隠れ家で、少し休息をとりながら、ネーナらと会話に花を咲かせていた。そのおかげもあってか、ヴァラムは勿論、神気を使いきったタナーシャと、魔力消費が激しいバルーも、かなり力を取り戻せていた。
「ところで、タナーシャ様、今後はどうするんですか?」
ネーナが、タナーシャに畏まった口調でそう問うた。タナーシャはというと、その質問を受けると、すぐには答えられず、黙ったまま視線を落とした。そんな時、隠れ家の玄関扉が、勢いよく開け放たれ、皆がその突然の来客に意識が向いた。
「あんた、確か、イヒーナさん!?」
ヴァラムが声を上げた通り、そこにいたのは、彼ら三人が旅路の中で、かのユーニヴューサ王の祭殿で出会った、<ドゥスエンティ>の巫であるイヒーナだった。
「イヒーナ、どうして。いや、そうか、君が、噂の巫たちを解放した者か」
「お久しぶりです。タナーシャ様」
彼女の表情は、最後に分かれた時に見たような、ひどく冷たい感情の無いものだった。タナーシャは記憶を取り戻し、真相に辿り着いてはいたが、しかし彼女が牢獄から逃げ出したのは、タナーシャが終局の脅威に向き合うだけの胆力も神気も身に着けていなかったからだ。無論普通に考えれば、終局に向き合うなど、<天藍>の最上位の巫であっても、困難な偉業である。しかし真面目な彼女は、それに自責の念を強く感じていた。だからイヒーナに叱責されて当然だと身構えていた。
「申し訳ありませんでした」
しかしイヒーナは、彼女を責めるどころか、深々と頭を下げ、謝意を示した。
「全て、エネテヤ様よりお聞きしました」
「エネテヤ、まさか」
イヒーナはその姿勢のまま、頭だけを少し上に向ける。
「はい。神霊の眷属となったエネテヤ様は、私に告げたのです。タナーシャ様が魔人の企みを挫いたこと、終局の威に恐れず挑んだことを。そして私がこの首都を魔の手から救うことが、同時にこの星を救う手助けになるとも伺いました。無論、私の行いが、贖罪になるとは思っていませんが……」
「贖罪など!私はお前のことを恨んでなどいない。いや、イヒーナ、君の恨みこそ正当なものだ。頼む、顔を上げてくれ」
タナーシャがイヒーナの肩に手をかける。イヒーナはすぐに顔を上げはしなかったが、根負けしたのか、ゆっくりと身体を上げる。タナーシャよりもイヒーナの方が背は高かったが、申し訳なさが態度に現れるイヒーナの方が、どこか縮こまって見えた。
しばらく、二人の間には気まずい沈黙が流れた。だがそんな中でイヒーナはとうとう意を決し、今度は彼女が、タナーシャの肩をやや勢い余って力強く掴む。
「タナーシャ様、私から、いえ、私たち巫からの願いがあります。どうか、<ドゥスエンティ>へと我々と共に帰還し、母上父上の意思と王位を継いでください。そして、再び、<ドゥスエンティ>王国を再建してください!」
今にも血走りそうな眼は、イヒーナの願いの切実さを何より伝えていた。
「……私も、そのことを考えていた」
「じゃあ!!」
イヒーナはそのタナーシャの言葉で期待に胸を膨らませた。
「だがそれはできない」
しかしタナーシャから返ってきた答えは、期待を裏切るものだった。
「ど、どうして、ですか!?」
「誤解しないでくれ。私は、決して祖国を見捨てたりせぬ。今の<ドゥスエンティ>は、事実上は<ユヴァート>の属国、いや隷属と言っても過言ではない状況。今すぐにでも解放してやりたい。だが既に、我らの星がその新たな構造を、無理強いとはいえ、受け入れてから十年以上経つ。突然戻れと言われて、すぐ解決はできまい」
タナーシャは取り乱すイヒーナを落ち着けるように、穏やかに、それでいて論理的に言葉を紡いでいく。
「しかし、タナーシャ様の帰還と<ドゥスエンティ>の再生に反対する民はいますまい!」
「ああ。私もそうであればと願っている。だがこの旅を通じて、多くの人々にとって、統治者の変化は決して重要なものではないことがわかった。しかしにも関わらず体制の変化は常に、そうした人々に圧力や疲弊を与えるのだということも」
「だけど、ならどうするんだよ、タナーシャ」
思わずヴァラムが、二人の会話に割り込んでくる。
「段階を踏む。人々が変化を受け入れやすい土壌を作っていく。星界同盟において、元々の国家の政治機関は、所謂『地方行政』の名の下で運営されている。そして、私達<ドゥスエンティ>のような反<ユヴァート>国家には、中央より派遣された、『地方行政官』が、最高責任者として、統治をする。だが一応、形式的にはこの行政官は、『地方選挙』を通じて、選ぶことになっている。そうだな、ネーナ」
「ええ。その通り」
「ならば、簡単だ。私はこの地方選挙の候補者として立候補する」
タナーシャの出した答えは、イヒーナどころか、ヴァラムやバルーといった、長く付き合いのある二人も、大変驚かせた。
「幸い、今の<ユヴァート>は私に恩があるだろう。本来なら立候補など不可能に近いだろうが、今なら難色を示す連中はいても、それほど問題あるまい。そして、見事、当選した暁には、私は<ドゥスエンティ>をその名の下で保護する。私が行政官として任を得ている中で、独立の機運が高まり、多くの人々がそれに賛同するようならば、私はそのために戦おう」
「はは、それは凄く良い考えだな。僕は応援するよ!」
そう言いながらバルーがタナーシャの肩に手を置く。普段冷静なバルーが、そのように遠慮をせず距離を詰めてくることに少し驚いたものの、すぐに彼の親愛に答えるように、彼女も優しく微笑みかける。
「おいおい、俺も仲間外れにするなよ。ここまで三人で来たんだ。当然俺も、応援してるぜ」
ヴァラムもバルーの反対からタナーシャの方へ詰め寄る。小柄なタナーシャが二人に挟まれている様は、三人が高貴な王族と臣下のそれではなく、まさに長らく友情を育んだ学友のような関係にあることを物語っていた。
それを見て、イヒーナは、少し羨ましく思った。彼女はタナーシャより年上とはいえ、寿命の長い神術使いの中ではまだまだ若輩。しかし貴重な神気を持つものとして、俗世から離れた場で育った彼女には、先輩や憧れる存在はいても、共に育ち、並ぶような気軽な関係の友はいなかったからだ。そして同時に、羨望だけでなく、一人の孤高な王になるはずの、旅を通じて友を得たことへの喜び、あるいは安堵の情も感じた。
「……わかりました。ならば我々も、共にその道を歩きましょう」
「ああ、だが、これからは王と家臣ではなく、同じ意志を共にする同胞として、よろしく頼む」
今度は反対に、タナーシャが会釈をする。思わず止めたくなったイヒーナではあったが、彼女の意思を汲み、何とか自分の言葉を押し込んだ。
「……わかりました。よろしくお願いします。タナーシャ様」
「ああ、あとは『様』もやめてくれれば」
「そこも段階を踏ませていただきたい!!」
その微笑ましいやり取りを少し離れていたところから見ていたネーナは、その光景をかつての自分とアースに重ねていた。気兼ねなく話し、時に冗談を飛ばす、そんな親友の存在を。
「そういえば、二人は一度も、<ドゥスエンティ>に来たことが無かったな」
ヴァラムとバルー、そしてタナーシャは、<ユピトゥ>の最上階層の旅籠で、睡眠をとる前に談笑をしていた。
「あー、そういえば。こんだけ旅をしたのに、一度も寄らなかったな」
「僕も、最初に来たのは<ユーメク>の辺りで、その後もあまり動かなかったから、一度も訪れたことがないんだ」
三人はそれぞれの寝台の上にいて、共に今日の疲れを癒すかのように、柔らかな寝具の上に足を伸ばしていた。
「なら、今度、私と一緒に来ないか?水晶門を使えばすぐ行けるが、折角だし、ヴァラムの飛空艇で」
「お、良いな。けど、そうだな、タナーシャ、寄り道、してもいいか?」
「寄り道?別に構わないが」
「バルーとちょっと話してたんだ。少しだけ、<ユーメク>に戻らないか、って。一応俺たちの故郷だし、ちょっとだけ恋しくなっちまってさ。それに、母さんの手がかりも無くなっちまったからさ。また何かないか改めて探したいんだよ」
頭を照れながらかくヴァラムに、タナーシャは小さく微笑みかける。
「それなら、大丈夫。どちらにせよ、すぐに行政官に立候補できるわけでもない。行政手続きも、シヴィたちに任せてはいるが、少し時間がかかるようだ。それに<ユーメク>は、ここから<ドゥスエンティ>までの道のりの中途だ。寄らぬ手はあるまい。それに、旅路の簡易厨房ではなく、君のあの本格的な厨房での料理の腕も見たいと思っていたところだから」
「へへ、それなら任せろ。この星を救った英雄に相応しい晩餐を用意してやるよ!」
そう言いながら、ヴァラムは自慢げに袖をめくり、料理する腕を誇示する。
「こらこら。バルー、そしてヴァラムも、この星を救った英雄だろう」
「え、そ、そうかなぁ。そりゃちょっと照れ臭いが」
「ああ、そうだ。ヴァラム、<ユーメク>には宿屋はあるか?」
タナーシャの問いに、ヴァラムとバルーは少し困惑する。
「何を言っているんだタナーシャ、家主ではない僕が言うのも変だが、ヴァラムの家に泊まればいいじゃないか」
バルーはそう問いかけると、タナーシャは少し、いたずらっぽく微笑み、こう答えた。
「ふふ。私は君たちの気兼ねない友人ではあるが、しかし若く、そして新たな恋人同士の貴重な時間を奪うほど、配慮に欠けた大人ではないよ?」
「それって……」
タナーシャの言ったことの真意を、遅れて気づいた二人は、頬を真っ赤にし、そして互いの顔を見合わせた。
「気づかないと思ったのか?」
「う、うるせー!!おやすみ!!」
ヴァラムが照れた顔を隠すように、布団の中に体を突っ込んだ。
「そ、その、だな。というか、今日、この宿でも、自分だけ別部屋に行こうとしたのは、そういう意味だったのか?」
「君たちが私の成功を信じてくれたように、私も君たちの幸福を祝いたいだけなんだ。それに、初めての恋人との時間は人生において最も甘い時期。君たちが例え私を邪険に思っていなくても、私が、そうしたいんだよ」
ヴァラムもバルーも、彼女の言葉で、初めて自分たちの心の奥に秘された欲求に気づき、そしてそれを認識すればするほど、タナーシャが口にしたような「甘い二人だけの時間」への想像を膨らませてしまう。
「そう言うけど、タナーシャ、お前にはわかるのかよ、その、恋人同士の、時間、とか」
ヴァラムが布団に蹲りながら、タナーシャに言葉を投げかける。
「はぁ、私はこう見えて、君たちの倍生きているんだ。初恋なんてとうの昔に経験済みだよ。まぁ私は王族だし、それに当時は<ユヴァート>との戦争の最中。二人だけの穏やかな時間を過ごすことはできなかったがね。だからこそ、わかるんだ。私たちが失ったものの大きさ、尊さをね」
「そっか……、その答えづらいことかもしれないが、タナーシャ、その恋人は」
「残念だけど、私の目の前で亡くなった。彼女も私と同じ、神術使いだったから、<ドゥスエンティ>が征服される最後の最後まで戦い続けたんだ」
タナーシャは自分の身の上話で、いつの間にか目の前の二人が、少し落ち込んでしまっていたことに気づいた。
「す、すまない。別に同情してもらうつもりはなかったんだ。私はもうとっくに吹っ切れたし。だから、本当に君たちの幸せを心から願っている。だから、変に気を使わなくていいさ」
「……タナーシャ、なら、約束してくれ。君も幸せになると」
「ああ、約束しよう。もう王家の肩書も無いんだ。しばらく職務に追われるだろうが、新たな愛を育むのも悪くはない」
そう言って、タナーシャも、自分の布団に入る。
「さぁ、そろそろ寝よう。明日も忙しくなるぞ」
「ああ、そうだな」
遅れてバルーも寝台に横になり、枕もとの照明を落とした。
「おやすみ」
彼らは、そうして現にしばしの別れを告げて、ほぼ同時に眠りについた。
三人とも、この日は夢を見なかった。
「<ドゥスエンティ>地区の新たな行政官に選ばれました、タナーシャ様より、就任の挨拶の言葉を頂きたいと思います、ではどうぞ、タナーシャ様」
<ユヴァート>より派遣された、選挙管理委員の一人が、拡声器を通じて、そう言うと、元々王宮だった、現在の行政官署の大きな展望に、一人の小柄な女性が現れる。
彼女が現れると同時に、群衆からは歓喜の声が上がる。それに答えるようにタナーシャは右手を挙げる。
そして彼女が目の前に備えられた拡声器の前に立ち、音声の試験も兼ねて軽く咳ばらいをすると、徐々に群衆が彼女の声を聞かんと少しずつ静まっていった。
「この度、この地方の行政官に任命された、タナーシャといいます」
そう言うと再び群衆がわっと盛り上がった。次の言葉を用意していたタナーシャだったが、それにより一旦演説を中断する。
群衆の歓声が再び落ち着く頃に、またタナーシャは口を開いた。
「そして、皆さんの中には私の事を既にご存じの方もいるでしょう。あるいは、話題となった私の選挙演説で知った、という方もいるでしょう」
そのタナーシャの言葉に、群衆はざわついた。彼らの多くはタナーシャの支持者ではあったが、しかしそのタナーシャが話題に出した選挙演説は、支持層にとってはあまり耳あたりの良いものではなかったのだ。
「改めて、物議をかもした私の演説の真意について、少しだけこの場を借りて説明させてほしい。私が何故、『私は反<ユヴァート>ではない』と言ったのかを」
彼女は少しだけ唾を飲んで、再び話を続ける。
「この発言には、いろいろな推測がありました。『<ユヴァート>側から、独立の機運への抑え込むために指示された』などはよく聞いた。しかしそんな指示や圧力などは一切なかったことは断言しておきましょう。まさにあれは、私の意思で発した言葉だった」
タナーシャの言葉に人々の中の動揺は更に増していく。
「勘違いしないでほしいが、勿論、皆が独立を願うならば、私は前線に立ち、戦いましょう。だが、それは決して敵意を由来とするものであってはなりません。……少しだけ、私の知人の話を。彼はかつて、<イタクス>事変、そうあの悍ましき虐殺によって大切な人を失った」
<イタクス>事変という、反<ユヴァート>の人間であれば誰もが聞き覚えのある単語に、少しだけ群衆の動揺が静まっていき、皆、タナーシャの演説に静かに耳を傾けていた。
「彼は、<ユヴァート>への怒りと復讐でその身を焦がした。だが彼は、目的のためならあらゆる犠牲を厭わなかった。彼の瞋恚の炎は、やがて彼のみならず、関わり持たぬはずの多くの人々を巻き込み、彼らの自由と命を奪うことさえあった。いつの間にか、彼は、彼が恨んでいたはずの<ユヴァート>と全く同じものへと、いや、<ユヴァート>そのものになり果てた。『復讐は何も生まぬ』、聞きなれた文句だろう。中には詭弁だと、偽善だと思う人もいるかもしれない。だが私は、こう考える。『復讐で得るものはない。それどころか失うだけだ』と」
少しずつタナーシャの言葉は熱を帯びていき、そして、いつの間にか彼女は公の場で取り繕った口調を忘れていた。しかしそれが、余計に人々への心に強く印象付けることとなった。
「これは、演説でも散々述べたことだが、私が王として帰還せず、あえて<ユヴァート>の体制の中で祖国に戻ったのは、私は、一気に世界を転覆させるのではなく、徐々に全ての人にとって幸福な道を歩みたかったからだ。私を選んでくれた人々が、皆復讐を望むというならば、私はその意志には従えぬ。潔くこの席を別の者へ譲ろう。だが、政治家としてではなく、皆と共に道を歩む者として、皆に問いたい。その復讐の先に、何があるのか。何を失うのかを、真剣に考えてほしい」
彼女の言っていることは実に理にかなっている。そうは思いつつ一部の人々の胸には、既に燻りつつあった革命の火があり、それを消そうとするようなタナーシャの言葉に反感を覚え始めていた。既に「<ユヴァート>の走狗」「裏切り者」と彼女を謗る声もちらほらと聞こえ始めていた。中でも「父上と母上にどう顔向けする!」という言葉は、タナーシャの耳に不思議なほど木霊した。
タナーシャも無論、こうなることは予想済みではあったが、しかしやはり、自分を慕っていた人々が、軽蔑の眼差しを向けてくるのは、心を軋ませた。
「……私の母と父は、賢君だった。<イタクス>侵攻の背後にある<ユヴァート>の画策に気づいたこと、東西大戦で<ジェヴァイヴ>大陸で唯一不参加を貫いたこと。どの判断も、私が知る限り合理的であった。だがそこには、私にとっては、大事なものが欠けている。愛だ。愛が、無い」
タナーシャの、自身の両親に対する非難とさえ取れる発言に、群衆は驚き、焦った。
「我々の王は理性と真実こそ、人々を説得しうる最大の武器だと、そう考えていたのだと思う。だが真実は、それが残酷で、悲惨であればあるほど、そしてその絶望的結末を回避するのに、変化と努力を要するほど、人々はその真実に耳を傾けなくなる。そして世界を、環境を、人を、より良くしようという努力を否定するのに、世界には善も悪も無く、光も闇もないのだという諦観は実に便利だ。だが私たちの王は、恐らくは王であるがゆえに、人をただ真実へ導こうとした。だがそれでは、権力を振りかざすのと変わらない」
一呼吸置いたのち、タナーシャは目の前の拡声器を固定台から取り外し、演説台から体を乗り出す。
「権力と暴力は、人を悪に落とすのは得意だ。だが、反対のことは苦手だ。子の躾として手を上げても、大抵の場合、子は善道の尊さに気づくのではなく、力への恐れを持つだけだ。愛なのだ。人々を本当に、光と善へと導く力は、愛しかない。暗闇にあって、この世界は美しいのだと、光があるのだと、私に教えてくれた人たちがいた。それと同じように私も、皆にそれを伝えたい。怒りの炎ではなく、愛の灯を、その胸に」
タナーシャは、少し、目に涙を浮かべながら、拡声器を固定台へと戻し、一礼した後、演説台を去った。人々はすっかり最初のようにタナーシャを称賛するわけでもなく、また口汚く罵るわけでもなく、まるで自分自身に問いかけをしているかのように、しんと静まり返っていた。
タナーシャが展望から、行政官署の屋内へと戻ると、そこには、タナーシャを迎える二人の友の姿があった。彼らはけっして表に出るわけではなかったが、友の晴れの舞台ということもあってか、質素でありながら上品さを醸す衣装を身に纏っていた。ヴァラムとバルーの姿を見て、さっと目頭の涙をタナーシャは拭う。
「おつかれ」
ヴァラムが、労いの言葉をかけるが、タナーシャは人々の反応を目にして、少し自信を失っていた。
「タナーシャ、神器でも見せれば、彼らは安心したんじゃないか?」
バルーがわざと冷静に、タナーシャにそう問いかけた。
「……そうかもしれないな」
タナーシャは、神器の依り代である首飾りを、右手で優しく握る。
「だが、私の見せたい強さは、そうじゃない。それに終局の囁きは、弱くなったとはいえ、まだ聞こえ続けている。神の門も、徐々に神気を取り戻し、他の星との交通もすぐに開かれるはず。だから、第二のアムゥの誕生は、何としても防がねばならない」
タナーシャが二人の友の顔を見つめる。その眼には、強い意志が宿っていた。それを見て安心したのか、バルーもヴァラムは胸を撫でおろしたように、優しく微笑んだ。
「よし、じゃあ、お祝いだ!今日はすげー御馳走、作ったんだぜ」
ヴァラムがタナーシャの手を取り、彼女を引っ張る。突然のことに一瞬驚いたが、彼女もいつもと変わらない友人に、思わず笑みが零れる。
「ああ、折角だから、今日は沢山食べさせてもらうよ」
「ああ、任せろ。皿を空になんてさせねえからな」
三人はそうして、談笑しながら、今日の宿に帰っていった。
更なる苦難、障害の予感はしながらも、旅の中、固い絆を育んだ三人は、決してそれを恐れてはいなかった。
彼らは、魔と神、そして人が入り乱れる、この極彩色の星、<玄黄星>の英雄として、この日より歩み始めたばかりだ。
真星界エト・ルムン 玄黄星編 完




