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終局を超え 第一節

 魔の鎧を身に纏い、文字通り魔人と化したアムゥが、ゆらりと構える。途端、その空間が恐怖で支配される。首筋に刃を突き立てられたような嫌な気配が彼らの身を包みこむ。

「皆、気を付けろ、今のアムゥは、一瞬でも気を抜けば……」

 目を逸らしたわけでも、意識を外したわけでもない。タナーシャが仲間に警告を促すために口を開いた瞬間、まるで呼吸の隙間を縫うように、アムゥが三人の目の前まで移動していた。

 アムゥの動いている姿どころか、音すら、三人は感知できなかった。それは空間をそのまま入れ替えたかのような、静かで、素早い移動であった。

 タナーシャに向けて、魔人の拳が振るわれる。間一髪、超人的な反射神経で、辛うじて槍を盾にしてそれを防ぐ。だがその感触で、彼女はこの攻撃が自分を害するためのものではないことに気が付いた。威力を落としながら、ただ相手を突き飛ばすだけの攻撃であり、タナーシャは大した傷害を与えられなかったものの、すぐさま復帰できないほどに吹き飛ばされる。

 そしてそんな中空で、彼女は仲間の方を見やる。

 アムゥの瞬間移動と見紛う移動が再び行われる。タナーシャは遠方より眺めているが、やはりその速度は今の彼女でも見極めるのは困難なほどであった。

 当然、近くにいるヴァラムとバルーが、それを見切られるわけもない。

 彼らは成す術もなく、アムゥの拳によって沈められていく。そんな中を、タナーシャは吹き飛ばされ続けていたために、ただ眺めているしかなく、彼女が地に足を着いた頃には、既に友は二人とも地に臥せっていた。

「安心しろ、気を失っているだけだ」

「おのれぇ!」

 まだ命があることを知りつつも、友がまるで玩具のように扱われたことに憤りを覚え、タナーシャは槍を手にアムゥのもとへ突貫する。しかしその突撃もあしらわれ、タナーシャは軽くアムゥに転ばされる。

「焦るな。時は満ちた。先に見ていくがいい」

 身動きの取れないタナーシャたちを無視して、アムゥは掌を上にして、右腕を前に突き出す。そして手を勢いよく握りしめると、それに連動したように、玉座の間の壁や天井が一気に崩れ落ちた。

「さぁこれで、見渡しが良くなった……おや?」

 魔人の視線の先には、上空に滞在する飛空艇の姿が見えた。

「小うるさい蠅が残っていたようだ」

 アムゥは掌に怪しい紫の炎を生み出すと、それをそのイパジャスラが運転する飛空艇へ投げつけた。その炎は、小さいながらも、一瞬でその飛空艇の機関部を破壊した。

 それをただ見ているしかなかったタナーシャが、怒りの表情でアムゥを睨みつける。

「貴様、一体何の真似だ!」

「何って、彼らはお前が念話で伝言した相手だろう。どんな邪魔者も排除すべきだ。それにここからは、神を降ろす儀式が行われる。そんな中にあのように不細工なものが飛んでいたら、台無しだろう?」

 まるでわざとタナーシャの怒りを煽るかのように、アムゥは仰々しく振る舞う。表情はもう、魔の泥に包まれて確認できなかったが、その立ち居振る舞いは、彼の憎たらしい表情を思い浮かばせるかのようだった。

「そういえば、お前たちは、私が時間を稼いでいることはわかっているが、何のためなのかはわかっていないだろう?その答え合わせをしてやろう」

 アムゥはゆらりと、タナーシャにさえ背を向けながら、歩き始めた。

「タナーシャ、お前は意識を失った状態でここに連れられてきたから、今ここが皇居であることをわかってはいるが、今いる場所に対する認識が少し浅いだろう。<ユヴァート>の皇居は、<エスディゼット>山の中腹に位置している。知識としてはお前も勿論知っているだろう」

 アムゥの迂遠な言い回しは、タナーシャもそれが時間稼ぎの一貫だと気づいていながらも、怒りが冷静な思考を鈍らせた。

「いいから、結論を言え」

「ふん。<エスディゼット>山は今からおよそ千年前に最後噴火したんだが。まだ死火山ではなく休火山でな。とはいえ、次の噴火まではまだ数百年の猶予はあるが、もし今噴火したら、どうなると思うかね?」

 タナーシャは、ようやくアムゥの目的を理解した。彼女は玉座の間の最奥に立つ、黒い柱に目を向けた。

「まさか、あの柱、山に突き刺さっているのか……?」

「ご明察。そもそも私が、皇居を選んだのは、<エスディゼット>の溶岩を流すために、都合のいい立地だったからだ。あの皇族どもはその副産物に過ぎん。ああ、安心したまえ、溶岩は火口からではなく、この皇居の下の黒柱が穿った穴から流れる予定だから、我々が巻き込まれる心配はないよ。溶岩は真っ直ぐ、<ユピトゥ>の最下層に向けて流れていく計算だ」

 アムゥは、自分の半身たる黒柱に手をかけ、タナーシャの方へと顔を向ける。

「さぁ終局への贄を捧げよう」

 アムゥが両手を広げると、それと同時に地面が激しく揺れだした。

 そして爆発のような音が下方から鳴ると、周囲の気温が少しずつ上がっていくことが、タナーシャも肌で体感できた。

「溶岩はおよそ十分で、最下層に達する。そしてそれから二十分も経たぬうちに、階層の支柱を溶かし、中階層、最上階層も崩れ去っていく」

「私がこれを見逃すと思うのか。それにそれだけの時間があれば、首都の避難も進む」

「首都の避難?ああ、確かに、最下層では混乱はあるだろうが、何とか撤退はできるだろうな。だが中階層と最上階層の連中は逃げ場なんてないぞ」

「は?」

 アムゥが首都<ユピトゥ>の方を指さしながら、こう続けた。

「何故なら、お前たち『国賊』が、首都から逃げられぬように、聖騎士たちが階層間通路も、外部への道も閉鎖したからな。空港も職員不在で機能してない。三十分以内で全員の撤退はまぁ不可能だろうな。指揮系統も私や聖騎士隊長格の不在で随分混乱しているからな。予想では、今から十分は、上の連中はお互いに責任を擦り付けあい、そこから更に十分でようやく痺れを切らして動き出すだろうな。まぁ、その頃には中階層と最上階層の連中の混乱は抑え込むことさえできないほど大きくなっているだろうが」

「馬鹿な、命の危機が迫って、そんな愚鈍なこと」

「するさ。そういう国に、私がしたんだ」

 全身がすでに鎧に包まれ、表情は見て取れないが、アムゥのその振舞からは、並々ならぬ確信を感じさせた。

「ところでタナーシャ、他人の心配をしているようだが、終局の贄の次は、終局を呼ぶ巫の準備があるのを忘れていないかね」

 彼の言葉で、タナーシャはアムゥが行おうとしていることを察して、咄嗟に動いた。

 彼女は、未だ意識を失っているバルーとヴァラムの前に立ち、槍を構える。彼女の予想通り二人に向かって飛来した、黒い矢をタナーシャはその柄を用いて巧みに捌く。

「は、良い動きだ。少し休息できたかね?」

 その声は、先ほどまでアムゥがいた、黒柱の前からではなく、タナーシャの耳元から届いた。

 必死に体を捩り、アムゥの方へ向こうとするが、容赦なく魔人の拳が、タナーシャのこめかみを貫く。当然殺さぬよう手加減はされているとはいえ、脳に響くその一撃に思わずタナーシャも意識を失いそうになる。寸前奥歯を食いしばり耐え抜くものの、衝撃によって浮いた彼女の身体は、すぐに立て直すことが難しかった。そんな彼女の状態の最中、アムゥが再び無抵抗のヴァラムとバルーの元へ迫っていた。

「さぁ終わりだ。友の死で、絶望へ沈め、タナーシャ」

 アムゥの拳の先からは鋭利な棘が生え、彼はそれをヴァラムの首に突き立てようとする。意識のないヴァラムは避けることも防ぐことも当然できない。

 赤い血が鈍い音と共に散る。

 だが、その棘は、ヴァラムの肉体を貫くことはなかった。

 そこには、体勢を崩し、決してすぐに動ける状態ではなかったはずのタナーシャが、その右腕を盾に、鋭利な棘を防いでいた。

 本来いるはずのないタナーシャが目の前にいることで、アムゥは思わず驚きで、体の動きを止めてしまう。勝利の確信が、アムゥの視野を狭めたのは確かであったが、しかしそれを加味しても、明らかにタナーシャの動きは彼の予想を遥かに超えていた。

 本来肉をずたずたに裂くために、棘にはさらに細かな棘が体毛のように生えていたのだが、タナーシャの傷を深刻にすると、治癒が間に合わず、出血死させる恐れがあったため、そうした細かな茨をしまってから、棘を引っ込める。

 その後、二人の盾となっていたタナーシャを力づくで引き剥がそうとするものの、まるで足に根が生えているかのように、彼女はアムゥの剛腕をもっても微動だにしなかった。

 アムゥはそのタナーシャの膂力に驚きながらも、すぐさま単なる力比べをやめ、彼女のみぞおちに拳を叩きこむ。その結果、浮いたタナーシャの身体を更にもう片方の拳で叩きつけ、吹き飛ばした。思いもよらぬ反撃に、少し力が入ったのか、タナーシャは壁の失われた玉座の間の外側まで飛んで行ってしまう。だが、そんな余計な心配も他所に、タナーシャは空中で姿勢を取り戻し、槍を思い切り地面に突き立て、吹っ飛んでいく身体を制止した。しかしそれだけでなく、すぐさま大地を蹴り、走り出した。

 この時、アムゥはタナーシャの移動速度を目の当たりにし、明らかに先ほどまでの彼女よりも速くなっていることが見て取れた。この速度ならば、先ほどまでヴァラムたちの前に立ち、盾となることができたのも納得ではあるが、しかし彼にとって疑問なのは、なぜこれほどの速さと強さを手に入れたのか、ということである。

 しかし、アムゥは今まで不意にタナーシャを殺す、あるいは意識を失わせないように、敢えて力を抜いていたのも事実であった。今のタナーシャがどれだけの攻撃を耐えられるかは、まだ予測がつかなかったが、あえて手を抜く必要もなくなったことは、少しだけ気が楽ではあった。

 ヴァラムに向けて再びアムゥは拳を振るう。しかし今度は、無抵抗な人間を殺すのに十分な、気の抜いた一撃ではない。

 必ずタナーシャは盾になる。そう読んで、この部屋の床に巨大な穴を開けるほどの力を込めて、打ち抜いた。

 予想通り、タナーシャは自身の身体をヴァラムとアムゥの間に割り込ませた。しかしその一撃は今のタナーシャに受けきれるものではない。打ち所が悪ければ、失神させかねないものだったが、例え死に物狂いで仲間を救うような状況下であっても、彼女は急所を晒すような真似はしない。そういうある種の信頼をもって放った拳であった。

 はずだった。

 彼女はその拳を、あろうことか、その額で受け止めたのだ。

 アムゥは一瞬、彼女の行為に思考が真っ白になる。

 タナーシャの速度は予想より遅く、防御姿勢を取るまで間に合わなかった?

 それとも自分が力を抜かずに攻撃することを予期し、終局を呼べぬよう、自ら命を絶つような真似を?

 いや違う。

 答えは簡単だ。今のタナーシャは、「この程度」の力で壊せないのだ。

 タナーシャも、自分の身体に沸き上がる変化を実感していた。だからこれは「決して折れぬ」という示威であったのだ。「決して仲間は傷つけさせぬ」という決意であったのだ。

 事実、アムゥの拳の下から覗く、タナーシャの目は、今全身を魔人と化したアムゥでさえ、悪寒を感じさせた。

 タナーシャの急速な成長は、いずれ自分の手に負えないものになる。

 だからこそ、早々に心を折る必要があった。勝負を急ぐ必要があった。

 彼はタナーシャをそのまま数度殴りつける。当然のようにタナーシャは不動のまま、アムゥの攻撃を防ぎ続けた。時には棘を生やして彼女の肌を切り裂き、時には拳の重量を増して彼女の骨を折る。

 だがタナーシャの目は曇らない。陰らない。

 アムゥは、まるで仲間に向けられた殺意と、自分に振るわれる拳を、自らの力に変えるようなタナーシャに、恐怖を覚え、思わず今彼の出せる「本気」で、拳を振るってしまった。

 殺してしまいかねない一撃を放ってしまったことに、自分でも驚きつつ、まだそれでも原型を留めるタナーシャを見て更に驚愕する。

 だが流石に効いたのか、口から血を吐きながらタナーシャは膝を折ってしまう。

 それを見てアムゥはすぐに次の一手に出た。彼はよろめいたタナーシャの身体をその身で抱え、鎧を変形させて彼女を磔にするように拘束した。

 流石のタナーシャも、彼が今行おうとしていることに気づき、その身を捩るが、上手く力が出ない。この感覚には覚えがあった。神気さえも抑える魔の泥、それに取り込まれたために急速に力が衰えていったのだと彼女はわかった。だが泥の拘束は、わざと彼女の目元だけ露出されていた。

「ははは、タナーシャ、よく見ておけ。友の死を。そしてその心を、終焉に委ねるがいい」

 タナーシャは必死に叫び、もがく。だが全くそれは意味がなかった。

 ヴァラムとバルーの頭上に、長く、大きな針が出現する。それはゆっくりと、下に、二人の心臓に向かって落ちていく。

 タナーシャの瞳からは涙がこぼれる。必死の抵抗によって体が悲鳴をあげているからか、それとも友に訪れつつある死に対し何もできぬ悲嘆からか。

 だがその思いは届かず。

 まるで料理の仕上げに刺す楊枝のように、一切の抵抗もなく針はするりと二人の心臓を貫いた。

 あっさりと、友の命は失われた。

 違う、こんなのは認められない。

 きっと幻だ、夢だ。

 そう心の中で繰り返しても、目の前に広がる現実が、そんな甘い逃避をすぐに打ち消していく。

『―――――――』

 どこからか、交響詩のように荘厳で、阿鼻叫喚のように異様で、そして恋人の囁きのように甘い、音が聞こえてくる。

 その正体は、タナーシャにもわかっていた。もう終局の声は、はっきりと聞こえる。死の神<オセネオス>の言葉はしっかりと理解できる。

 タナーシャが強い意志で必死に抑えていた、終焉の嘯きが、心の中を侵食していく。

 自分の決意とは。こんなにも脆いものなのか。こんなに容易いものなのか。

 アムゥはその泥の枷を解除し、タナーシャを解放する。

 神気を操れぬ魔人にさえ、その肌で感じ取れた。終局の神の一、死の神、<オセネオス>の降臨の気配を。タナーシャの心が絶望に沈んだことを。


『タナーシャ』

 思わず耳を塞ごうとするタナーシャ。だがその声は外からではなく、まるで魂そのものに響くような音だった。

『タナーシャ』

 これ以上終焉の誘惑に駆られぬよう、必死でもがくタナーシャであるが、その声はそんな彼女の努力をあざ笑うように、明瞭に脳内で響き渡る。

『タナーシャ!』

 すると、今度は、気折れした彼女を気つけるような、先程とは全く異なる声が聞こえてくる。彼女はその声に覚えがあった。だがこの時は一体誰の声なのか、はっきりとは思いだせなかった。

『一体、何に恐れているのですか』

『圧倒的な存在への脅威か、それとも愛する民を失う恐怖か』

『いえ、貴方はきっと、自分の無力さに打ちひしがれているのでしょう』

 異なる三人の声が、代わる代わるタナーシャの暗闇に包まれた心に囁き続ける。

『恐れてはなりません。貴方は<ドゥスエンティ>の王子。母上の武勇、父上の知恵を受け継いだもの。まだ間に合う。貴方ならば、必ず友を救える。さあ立つのです』

 それは、よく聞き覚えのある、親しみ深い者の声だった。

『退いてはならぬ。汝は我が血族にして、神器、<ピューナ>の槍を継承者。神々の力、神々の光を蘇らせたもの。汝ならば、必ず無辜の民を救える。さあ立て』

 それは、いつかに聞いた、悠久の昔の者の声だった。

『貴方は強い。私はきっと、貴方がこの戦いを勝利すると信じています……。どうか、あの子を、どうかあの子を。怒りと復讐から解放してあげて。今なら貴方もわかるはずです。あの子も失った。いえ、今も空っぽのままなんです。タファパを、どうかあのアムゥという悪鬼の身体から解放してあげて。その魂を絶望の淵から掬ってあげて』

 それは、どこかで聞いた、誰かの親友の声だった。

 三人の声が重なり合い、それは彼女の闇に沈んだ心の中に一筋の光明となる。それはか細く、今にも消えてしまいそうなほどの灯だった。

 心が衰弱した今の彼女には、その光はあまりに弱々しく、朦朧とした意識は、はっきりとその一筋の光を捉えてはいなかった。

 ふらふらと、電灯に導かれる蛾のように、タナーシャは光に縋っていく。

『タナーシャ』

『タナーシャ』

 再び二人の声が聞こえる。しかしそれは、先程の三人の声とは違うものだった。

『さぁ、行きなさい。私にはたどり着けなかった境地へと』

 それはいつも優しく語り掛けてくれた、愛する者の声だった。

『さぁ、手にしなさい。私には成し遂げられなかった偉業を』

 それはいつも勇気を与えてくれる、尊敬する者の声だった。

「母上、父上……」

 僅かな光の道が、新たな声が加わるたびに、より強く、大きくなっていく。

 それと共にタナーシャの意思も奮起し、朧げな視界ははっきりと光の道が向かう先を見据えていた。

 その光の果て、光を発する物の場所まで、タナーシャは辿り着いた。それは一本の、背丈よりも長い、棒状の物であった。

『唱えるがいい。槍の名を。眠りについた神の力を呼び起こすように。謳えるがいい。汝の名を。神の槍に新たな主であると示すように』

 タナーシャはその光を手に取る。

「<神器(ニサン)その名は(ナシ ヒフ)ピューナの槍(・ピューナ)私はドゥスエンティ(フエ ファナ・ドゥス)の継嗣(エンティ)正義(イシム )を貫いて(エプアムブシュ)天藍より(パシュム )離れた(ビフウピ)かつての(インヴュエ・)主の末裔(エシファヴュ)我が名は(ナハ )タナーシャ、汝の(マタ)新たな( ヒシム)所有者なり( フシュブ)!>」

 

 タナーシャの意識が、心の中へ沈んでいる時、アムゥは勝ち誇ったように悠々とかつての玉座の間を闊歩し、そして壁が失われたために、<ユピトゥ>が一望できるほど見晴らしの良くなったところから、首都の姿を眺める。

 溶岩が、あと少しで街に達しようというところで、こんな離れた場所からも人々の叫喚が聞こえてくるかのようであった。勝利と作戦の成功を記念するかのように、天を仰ぎ見るアムゥ。だが彼は妙な違和感を覚えた。まるで背後のタナーシャから、生気を感じないのだ。

 身動きする音どころか、涙をすする声、呼吸の震動さえ感じない。まるで死人のようにびたりと止まっていたのだ。

「なんだ」

 得体の知れぬものを感じて、アムゥはタナーシャの元へ近寄っていく。

 少し寄ると、タナーシャは死んでいるというわけではなく、魂がどこかへ飛んでいるように見えた。普通に考えれば異常な事態であるが、彼女の出自や、今降臨しつつある終焉の神の性質を考慮すれば、この程度の奇妙な状況は、さして驚くようなことではない。だが、同にも納得がいかなかったのは、そんなもぬけの殻のようなタナーシャの身体に恐怖を覚える自分自身の心であった。その恐怖の源泉を知ろうと、タナーシャの身体に、アムゥは触れようとする。

 その時だった。

 今まで何の力も感じさせなかったタナーシャの身体から一気に力と光が溢れだした。大気を揺るがすような強烈な力の渦に、思わずアムゥでさえ後ずさってしまう。

 彼も何が起きているのか、何が起きようとしているのかを把握できていたわけではない。しかし彼の内にある声が、「これは止めるべきだ」ということを警告し、彼はその本能に従って、その渦を進んでいく。強風の中を進むような、激しい抵抗に、アムゥの膂力をもってしても、上手く先へ進めなかった。

 ようやく、光の発生源であるタナーシャの姿を目視でき、何とか阻止しようと彼は手を伸ばした。指先が彼女の肉体に触れようという時、光の激流が一瞬止んだかと思えば、再び彼女を中心に、神気の波濤が放たれ、アムゥは成す術もなくそれに吹き飛ばされた。

「一体、何が」

 強烈な光を浴びて、目が眩んでいるなか、アムゥは立ち上がり前を見つめる。未だ目を覆いたくなる光に包まれながら、タナーシャの姿の輪郭が少しずつ露になる。

 それは、神器を解放した際に、背を伸ばしたタナーシャの姿によく似ていた。しかし異なる部分も多くあった。単に背丈が高いだけでなく、その身に包んでいた光が、徐々に形を成していき、まるで鎧のようになっていく。そして最後に残った光は穂先の無かった<ピューナ>の槍を包んでいたものであった。光は徐々に、穂先へ移動していくと、光が刃を形成していく。その光刃は十字の形へと変わると、光が収束し、本来の姿が露となった。

 神の力の象徴。神族の長にして創世の一柱、知恵を司り、万物の根源たる原初の海の支配者<ピューナ>の槍は、今、悠久の時を経て、再び本来の姿を取り戻した。

「なるほど、これが本来の、神器の姿。神の鍵とはよく言ったものだ。槍は媒介に過ぎず、創世の莫大な神気を引き出すことこそが、それが究極の兵器たる所以。その鎧、まるで神気をそのまま固めたようじゃないか」

 両腕の肩から手首には動きを阻害しない籠手、胴体には首元まで覆う鎧、膝から脛までの脚部には、関節と筋肉の動きに抵抗しないように作られた具足が、タナーシャの身を包んでいたが、アムゥが指摘する通り、それらは実際の物質で形作られたものではなく、神器同様神気の結晶で形成されていた。

「<ピューナの槍よ(ヒフピューナ)暗黒の海を(プン インフィンヌ)生み出すものよ( ウシュルプ)知恵の神の(アシン フィニス)象徴よ(・ヘトヴァフ)我が友の(エインフュティ)命を奪いし(ウウシュパ ウプ)穿たれた傷を( インフム)万物の源たる(パナン トゥサウ )原初の水で(ティンテ・フブブ)満たせ( ハミーフ)我が友の(エインフュヘ)その身と臓を(フスビ ウプ)再び動かすため( インシュム)命をもたらす(トゥフ アアザペ)紅血を( ビトゥフ・フンム)流せ( ハミーフ)>」

 そう彼女が神語を唱えると、彼女の背後に寝そべっていた、胸に穴の開いたヴァラムとバルーの身体が浮き上がる。彼らの身体は光に包まれると、その穴を埋めるように、青とも灰色にも見える粘性の泥が沸き上がり、するとその泥は、まるで初めから穴など開いていなかったかのように、彼らの身体へと転じていった。

 その後、優しく二人が地面に降ろされると、二人とも死んでいたはずなのに、息を吹き返していた。

「馬鹿な、こんなことが」

 その光景を目にして、信じられない様子でたじろぐアムゥ。タナーシャは、友が生き返ったのを見届けると、そんなアムゥの方へ顔を向ける。底知れない力を目の当たりにして、それが自分に向かうことを恐れたアムゥは咄嗟に戦闘態勢を取る。するとタナーシャは、真っ直ぐアムゥの方へと突撃する。

「かかってこい、その力見せてみ……」

「邪魔だ」

 しかしタナーシャは、そんな戦いに身構えるアムゥを、槍で一蹴すると、彼を無視して、元々玉座の間を覆っていた壁の痕跡へと走っていく。

 そして眼下に広がる、今にも首都を飲み込まんとする溶岩流に向けて槍を構え、こう唱えた。

「<エユ、大地の主(マフーム・リウ)水の主は(マフーム・ウーエ)無辜の(エイン)民を襲う(フシュム)灼熱の波を(ウヌユランテ)大いなる大地へと(マハプンヴューア)返さん(リフムテ)>」

「な、<エユ>!?<ピューナ>の長子の神術をこの星で使うなど……」

 アムゥの驚愕をよそに、タナーシャが唱えた術によって、その溶岩流は、街側から順に急速にその赤い光を失っていく。そしてとうとう、溶岩の動きは完全に止まり、ただの火成岩へと変貌していた。

「馬鹿な……、だが、未だ<エスディゼット>の地脈を私が支配しているのを忘れるな!」

 アムゥは黒柱へ駆けだし、それに手を触れると、それは赤紫の光を明滅させる。すると、再び大地が揺れ始める。

 だが、アムゥの予想とは異なり、その地響きはそれ以上大きくなることはなく、むしろ徐々に収まっていった。

「既に、大地の神<エユ>の支配化だ。かの神は、目に見える地表だけではない。地下さえも司る神。大地より湧く水、炎さえも、かの神の力の及ぶところだ」

 まるで、アムゥの悪あがきを予想していたかのように、タナーシャはアムゥが思い通りにいかぬ理由を説明した。この時、アムゥは魔人として目覚めて以来、味わったことのない感覚を覚えていた。心が大きく揺れるのに対し、身体は小さく縮こまっていく。不安で気持ちが逸るのに、足は竦んで上手く動かない。

 それが恐怖という名を持つ感情であることに、彼はしばらくするまで気づかなかった。

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