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代償 最終節

 タナーシャのどこか強気な表情は、アムゥを苛立たせていた。この戦いは未だアムゥが完全に有利な状況。しかし今まで、あらゆる事柄において、手のひらの上のように巧みに御してきたアムゥが、初めて想定していなかった、あるいは対処しきれなかった事態に至ったことが、彼らの間の精神的な均衡を大きく傾かせた。

 だが当然、アムゥもそれで狼狽え続けるような存在ではない。彼は、いや”それ”は、魔獣として、連綿と続く無限にも等しい命の記憶を持ち、そしてタファパとして目覚めてからは、その記憶は、強靭な精神力と、あらゆる事態に対処するための知恵の糧となった。故に、その魔人は既に、次の道筋を立てていた。

 その棋譜は、目の前の三人の反応や対応に応じ、更に数多く分岐し、数秒も立たず、それが予想した盤面の数は、天文学的な数まで増加していた。

 だが、どのような盤面、岐路であれ、第一手が全て同じことは共通していた。

「魔人化」

 一言、魔術形式言語でも神語でもない。新星界語で唱えられたそれは、当然魔術的な作用を持つ詠唱ではなかった。だがそれを合図に、アムゥの全身が赤黒い泥に覆われた。

 ネーナが空より落ちてきて中断された、アムゥの力の解放が、その僅かな言葉で発揮されると同時に、タナーシャたちはすぐさま、先程感じた悪寒の正体が、この変身であることに気づいた。再び、邪視でも浴びたかのように、身体が恐怖で竦んだ三人だったが、一度経験したこともあり、多少の耐性がついていた。従って全く身動きが取れなくなる、ということはなかった。

 だがアムゥの身体が魔の泥に包まれ終わると、更なる変化が訪れる。泥が沸騰したかのように、激しく動き始めたのだ。しかも本来核としてあったはずのアムゥの肉体を、まるで無視するように震動し始め、それは人の形を失っていく。

 今まで、アムゥは部分的に魔人の身体を置換していただけだったが、もはや鎧、外殻に収まらず、今、魔人の肉体は、その中心に至るまで完全に魔へ変化していたのだ。

 アムゥがこれまで口にしてきた「割合」、それはまさに体をどれだけの割合で魔人へと変換させたのか、ということを意味するものであったが、アムゥはとうとう全身を魔人へと変貌させた。その姿は、かつてタナーシャが、見た時の姿と全く同じもの。魔人化した体の割合としては三割から十割、だが魔力の増加量はおよそ三倍どころの話ではなかった。

 だが結果として、アムゥの本気は、ヴァラムたちを恐怖に落とすことはなく、むしろ彼らの闘志に火をつけることになる。

 彼らが目の当たりにしていることは、今まで彼らが抱いていた危惧、つまりこの目の前の魔人は、例え終局の力抜きでも、この星を滅ぼすことができるという予感を、確信に変えたからだ。

 もう退けぬ。負けられぬ。

 そうした意志が恐怖を上回り、彼らの身体を奮い立てたのだ。



 

 一方、皇居の玄関口において、アースたちは未だ、魔獣と化した皇族との戦いの行く末が見えていなかった。聖騎士とヤムニーヴァ、そしてネーナは皆、継戦不可能な状態に陥ることもなかったものの、魔力は既に底が見え始めていた。特に、あれから張り切り通しのアースとユイスナは、前線で魔獣を抑える重要な役目も担っていたため、既に疲労と魔力の枯渇が、その動きを衰えさせ始めた。

 魔獣たちも、その身の鎧は損傷が激しくなっていき、特に一体は、腕をアースが切り落とすなど、戦いが進むにつれ文字通り身が削れていった。しかしそれが戦力の低下に繋がっていたかといえば、そうでもなく、彼らは獣どころか、機械のように肉体の欠損など気にも留めず動き回り、更には、身を軽くしたことを良いことに速度を上げ始めていた。元々巨躯に似合わない速さは見せていたものの、今やその速度は、この中で最速を誇るシヴィにも劣らぬものへと上昇していた。

 無論、その鎧は魔力の塊、減少は当然弱体化を意味していたはずだったが、しかしそれを削り取ることができるほどの破壊力を生み出すための魔力は、明らかに削いだ魔力塊に釣り合わないものであった。バルーのように魔力吸収の術を使うこともできない彼らでは、それを再利用するような真似もできない。

 この不均衡には、アースたちも当然気づいていたものの、とはいえそれをどうこうできるような術も持たない以上、彼らは、ただ愚直に魔力の核心、つまり魔獣の心臓を貫くために、それを覆う分厚い鎧を少しずつ削り、穿つ以外の選択肢はなかった。

 しかし、戦いの場に慣れていたアースたちが、徐々にヤムニーヴァ、ネーナとの連携を高めていたのは唯一の光明であった。彼らは特に言葉を交わすこともなく、それぞれが自由に魔獣の身体を傷つけるのではなく、一点を狙って、交互に攻め始めたのだ。見た目では区別のつきづらい魔獣に対しても、繰り返し行われた攻撃による傷で、個体の識別ができ始めたことも、功を奏した。

 従って戦いは、アースたちがどれだけ淀みなく、激しい攻撃を一点に集中できるかにかかっていた。

「<蒼炎鑽孔溶断イスヴズクス・エクスト・エクシア・プサイ>」

 アースは、その魔剣に、穂先のような青い炎を纏わせる。それは以前のような莫大な炎を生み出すようなものではなかったが、瞬時に部屋の温度が急上昇するほどの、高熱を秘めていた。その蒼炎の穂先は、ヴァラムの義腕の溶接炎を参考にしたもので、実際小ぶりでありながら、その魔力の消費量は、今まで用いた魔術の中でも一番多かった。当然、疲労の身には堪える大技であったが、しかしアースはここを先途と勝負を仕掛ける。他の者も自然と、その技を確実に決めさせるために、支援に回る。アースの狙いは先程腕を弾き飛ばした個体。彼女は、身を守るための防御手段に欠けるその個体が、この全霊の一撃を浴びせやすいと考えたためだ。当然周りの者たちも、その魔獣へ意識を集中させることとなるが、しかしそれは同時に、他の魔獣を視界から外すことでもある。小回りの利くユイスナとシヴィがアースの援軍へと周り、巨体を誇るネーナとヤムニーヴァは、アースの援護に回った二人を、背後から容赦なく襲い掛かろうとする魔獣に、一対一で対峙し、食い止めようと試みる。膂力が互角というわけではなかったものの、ネーナの兵器の巨躯は、上手くその魔獣の進行を阻むことに成功した。だが一方で、ヤムニーヴァは疲弊もあったのか、あるいは態勢が悪かったのか、すぐさま魔獣に倒され、道を譲ってしまった。

 元々、ヤムニーヴァとシヴィ、ユイスナとネーナという組み合わせで戦っていたために、魔獣はそのシヴィの背後へと詰め寄る。ヤムニーヴァの稼いだ時間は、アースの元へシヴィが辿り着くための十分な時間を稼ぐことはできなかった。シヴィも、意識を全てアースの支援に回していたため、背後から魔獣が迫っていることに気づいていながらも、回避も防御も取れなかった。

 シヴィはこの時、自身の死を覚悟した。しかしタダでは死なぬ。アースの元まで辿り着けぬとも、置き土産で、最後の最後までアースを支援する策を考え抜いていた。恐るべき高速思考で、シヴィはすぐさまその策を思い付いた。その思考の速さは、シヴィが結論に辿り着いた時にようやく、未だ魔獣を取り押さえているために、状況が把握しきれないネーナを除く、他の者たちが、シヴィの危機に気づくほどであった。そしてそれは、シヴィを救う術を誰も持ち合わせていないことを意味した。

 いや、だが一人だけ、この状況においてもシヴィを救う手だてを持っていた者はいた。そしてその人物もまた、自分が唯一の存在であることに気づいていた。シヴィの背後から、人を数名同時に握ってなお余るほどの巨大な魔獣の手から繰り出される拳が迫る中、シヴィはその思い付いた最後の悪あがきを実行に移そうとした。しかしシヴィは、思いもよらぬ光景を目にして、その魔術を中断する。

 それは、あまりに予想外だった。先ほどまで、魔獣のひびの入った胸部めがけ、一心不乱に駆けていたはずのアースが、左を、つまりシヴィの方へと身体を向き直らせているのだ。右足を地面に擦り、急激な減速を行いながら、身体を左に捩り、持っていた魔剣を、さながら投げ槍の構えのように肩の高さまで上げた右手で握っていた。その剣の切っ先も、やはりアースが狙いを付けていた魔獣ではなく、今シヴィの命を奪おうとする魔獣へ向けられていた。

「<飛行(アザイ)>」

 ぼそりと呟いたその魔術は、簡単な術ではあったが、アースの投擲を補助し、強化するものであった。彼女が力いっぱい投げた、炎の槍は、本来打たれるはずだった正面の個体と同じく、魔獣の心臓があると思われる胸部へと飛んでいく。やはりその胸部も、今まで繰り返し傷つけられていたために、大きなひびが入っていた。

 混乱するシヴィの隣を通って、その魔剣は、的確にシヴィの背後の魔獣の胸を貫いた。貫通こそしなかったものの、その炎は、魔獣の心臓にまで確かに届き、魔獣は力なく、地面に伏せた。

 背後で起きたことを見とり、再びシヴィは顔を正面へ向ける。すると、そこには全力疾走を急に停止したこと、そして無理な姿勢で魔剣を投げつけたことで、姿勢を崩し、今にも地面に倒れそうなアースの姿と、そして、それを好機と、拳を目いっぱい振り上げる魔獣の姿があった。補助に回ったユイスナも気付いている。しかし、彼女もやはり、アースの窮地を救える距離ではなかった。

 シヴィが今見ている、アースが迎えようとしている結末は、本来、先程自分が被るはずのものだった。巨大な拳により、叩き潰されるのは、本来自分だったはず。

 シヴィは頭を最大限に回転させたものの、しかしどうしても、アースを救う術を思い付かない。そしてまるで祈るようにアースの顔を、シヴィは見つめた。だがアースは、いつものように、自分に運命が味方して当然と思っているような、不敵な笑みを見せることはなかった。ただ、彼女がかつての部下の視線に気づいたとき、静かに、そしてただ穏やかに微笑みを返した。

 そしてシヴィの祈りをあざ笑うかのように、魔獣の巨拳は、無慈悲に地に這うアースへと叩き下ろされた。

 地震にも似た衝撃が、床を伝う。まるで皆に、その拳の威力を知らせるかのように。

 その瞬間、先程から高速思考を行い続けていたシヴィは、その心に激情を宿しながらも、極めて冷静に、合理的に状況を判断した。シヴィは背後の魔獣の身体が、心臓を失ったことで崩れていくのを確認する。その魔獣の亡骸の傍には、恐らく皇族の身体と思われるものと、そして傍にはアースが投げた、あの独特の形状の魔剣があった。

 それを見た瞬間、シヴィはすべきことを確信した。

 鎖型の魔剣で、そのアースが使っていた魔剣を拾い上げ、自分の所まで持ってくる。そしてそれをシヴィは握りしめた。

 右手には、一番隊副隊長としての短剣。

 左腕には、二番隊隊長より譲り受けた鎖。

 そして左手に、今自身の命を救った剣。

 合計三振り、全て形状の違う魔剣を同時に起動する。

「<雷体合一ツナヴ・ペジェネヤクス ・ 電識融化(アスユ・テテフェラヴ)>」

 それはシヴィが、理論としては形成していたが、今まで試したことの無い術だった。生命魔術と雷電魔術、二つの異なる属性・元素の魔術を併用し、応用した術であり、机上で成立していても、自身が行使するには魔力的な許容を超えていた。

 だが今、シヴィは、そんなできるかできないか、の問答さえしていなかった。

 剣を手に取った瞬間、まるで当たり前のように、「行使」できると思えたのだ。

 事実、魔剣の助けもあってか、身の丈に合わぬ大魔術は成功した。

 シヴィは、その身に雷を纏いながら、アースを叩きのめした魔獣の元へと向かう。

 どれだけ、魔獣との距離を詰めても、魔獣は未だ、その拳を大地につけたままであった。シヴィには、それが獲物を仕留めたことの拳の感触をじっくり確かめるかのように見え、その心の憤怒の炎を更に滾らせた。

 しかし、実際は、そうではない。

 この時のシヴィは、冷静に見えても、やはり激昂で思考が鈍っていたのだろう。

 魔獣が未だ、姿勢を動かさない理由は、それは「姿勢を動かすことができるほどの時間が経っていない」だけなのである。

 今のシヴィはその身を雷に窶した。それにより、高速移動が可能になっていたのだが、同時にその意識、つまり全神経の情報伝達速度も、遥かに拡張させていた。

 常人にとっては瞬きの間でも、今のシヴィの体感は、数分程度になっていた。

 それほどの高速思考、高速移動は、例えこの強大な魔獣でさえも認知できぬほどであり、従ってその魔獣は、成す術もなく、シヴィが懐に入り込むことを許した。

 シヴィの目の前には本来アースが炎の剣を突き立てるはずだった、魔獣の胸の傷口があった。シヴィはその身に更に力を籠め、速度を上げると、右手と左手に握る二振りの魔剣を、魔の鎖で一つに結び付ける。

 白光が一瞬部屋を包み込んだ後、雷が空気を引き裂く強烈な音が轟く。

 その地上を自在に動き回る雷光の存在に、魔獣は最後まで気づくことができず、いつの間にかその胸には大きな風穴が空き、それを中心に、重厚な鎧が灰と化していった。

 そんな仲間が次々とやられていることに気づいた、最後の一体は、今まで相対していたネーナの乗る機械を突き飛ばすと、先程仲間を屠った「何か」をその意識で捉えようとする。

 だがその意識さえも手遅れだった。

 もうその巨体は謎の光で突き飛ばされ、気づいたときには壁に激突していた。

 既に仕留められた二体の魔獣と同様、その最後の魔獣も今まで集中して攻撃されていた胸部を攻撃された。しかし、今回は力が足りなかったのか、あるいは元々負っていた傷が浅かったのか、その傷は核に至らず、まだなんとか魔獣は立ち上がることができた。

 とはいえシヴィも手ごたえで倒しきれていなかったことは気づいており、第二撃を放とうとしていた。だがその空中で、意識は突然途絶え、電速の勢いのまま投げ出され、その体は壁に打ち付けられた。

 流石に、大魔術の行使と、無茶な魔剣の同時使用は、シヴィの肉体の限界を超えていた。そもそも最初の魔獣を仕留められただけでも奇跡に近い。雷撃を纏った突進を三度も行使できたのは、シヴィの精神が肉体を超越していたからこそ成せたものであった。

 魔獣は体を起こすと、雷光の正体であったシヴィの力なく倒れる姿を目にして、それに向かって拳を振り下ろした。先ほどの攻撃がシヴィであるかを確認はできなかったが、獣の勘が、今目の前に寝転がるその人間が、先程の脅威的な破壊の光の正体であると突き止めていたのだ。

だが、その拳は、突然割り込んできた、竜の姿をした遷者、ヤムニーヴァによって絡めとられる。

「今度こそ、今度こそ、放すものか!」

 鋭い竜の牙を食いしばりながら、ヤムニーヴァは魔獣が振りほどこうと体を振り回しても、決してその腕から離れなかった。

 自由な左腕を使って、そのヤムニーヴァを魔獣は引きはがそうとするものの、今度は反対から、先程突き飛ばした機械の二本の前腕に捕らえられる。

「ユイスナ!これが最後だ!やれ!!」

 ヤムニーヴァとネーナが腕を引っ張ると、ユイスナの方へと、魔獣の胸部が露になる。その胸は、先程の雷が衝突した場所には、重厚な鎧をえぐった穴が、そしてそれを中心に奇妙な枝木のような傷跡が外側に広がっていた。

 今ならば、確かにユイスナの一人の力でも心臓まで達することはできる。

 だがアースの死、シヴィの失神、そして二人の命懸けの強大な一撃を目にして、ユイスナはどこかその心が竦み始めていた。自分に託された使命感と、友の相次ぐ窮地による動揺が、槍を握る力を弱める。

「やれ!アースの賭けを無駄にするなぁ!」

 機械越しではあるが、その魂の籠った喝がネーナより入り、冷たく固まっていたユイスナの身体が、ほのかに温まっていく。

「言われ、なくとも!」

 ユイスナはまだ少し体は硬いままであったが、だが一心不乱に駆けだした。

 走っている最中、彼女は考えていた。アースやシヴィの使ったような大技の魔術を、自分も使うべきかどうか。いや、だがどれだけ頭を回しても、彼女は確実に魔獣を仕留めることを確実にするような術を思い付かなかった。彼女も、アースやシヴィに並ぶ、魔術の天才だ。奢ったことはないにせよ、隊長に昇進し、事実、聖騎士の三本柱などともてはやされることから、自分は人以上に才があるのだと、少し前までは思っていた。

 だが、この場で彼女の頭を支配していたのは、自身の非才さに対する自責の念であった。

 アースであれば、シヴィであれば、もっと上手く、そしてもっと素早く、敵を倒せるのではないか。そのような迷いが再び身体の力を奪っていく。

 そんな彼女の視界の端で力なく倒れるシヴィの姿が目に入る。

 そして未だ安否どころか、その身体すら深い陥没の中にあるせいで確認できないアースのことを思う。

 その風景は、彼女の本質、聖騎士を目指した根源にあったもの、「守護」の心を呼び起こし、そしてその唯一の意志と目的は、雑念を振り払い思考を冴えさせた。

 難しいことは考える必要はないのだ。

 今までと同じ、いや、最初聖騎士として志した初心を思い出し、かつての自分の戦い方を蘇らせた。

 ただ力を籠め、槍を振るう。

 難易度の高い魔術の行使もせず、身体の魔力を励起させる。

 愛用の槍も、魔術的な命令もないのに、自ずと穂先に魔力を集中させ、槍は鋭利さと重量を増していく。

 魔獣も、自分に突っ込んでくるユイスナを見て、身体を暴れさせるが、しかし、ネーナとヤムニーヴァがそれを許さない。

 必ず仕留める。

 その一心が、今日初めて共闘した出自も立場も異なる三人の結束を高めていた。

 もう槍は避けきれない。だが最後のあがきのように、その魔獣は身を反らして、少しでも槍から距離を取ろうとする。が、それは全く無駄な抵抗である。ユイスナの槍は、まるで吸い込まれるかのように、的確に、そして迅速に、シヴィが穿った、大穴へと突き立てられた。

 槍は深々と刺さったが、ユイスナは更に槍を差し込んでいく。魔獣の鎧の灰化はもう始まっており、それは既に魔獣の心臓が破壊されたことを物語っていたが、必死のユイスナはまだ仕留め切れていないと思い込んでいたため、まるで槌で釘を打つように、拳を槍の石突に叩きこんだ。槍はもうすっかり魔獣の身体に飲み込まれ、そしてそれと同時に、魔獣の身体がどんどん崩れ落ちていき、中からこの国の皇子が現れ、地面に落ちた。

 本来のユイスナであれば、その皇族にすぐに駆け付けたであろうが、タナーシャからの知らせもあったのか、彼女が戦いを終えた後真っ先に向かったのはアースが叩き潰された場所であった。

 ヤムニーヴァは、一旦シヴィの元へ飛び、生死を確認していた。シヴィは意識こそ失っているが、辛うじて息はしていた。

「ヤムニーヴァさん、私を、アースの所まで連れて行ってくださいますか?」

 兵器の搭乗席を開き、ネーナはヤムニーヴァにそう問いかけた。彼は彼女と出会うのは初めてであったが、大きな搭乗席で、だらりと垂れ下がる彼女の両足を見て察した。

 右手でシヴィを抱え、途中左手でネーナを拾い上げると、一足先に破壊の中心地へと辿り着いていたユイスナの近くまで飛んでいく。

「ああ、ああ……」

 すでにユイスナの口から洩れる嗚咽が、その陥没の中にある惨状を予期させた。

 その隕石が落ちたような巨大な穴の中には、赤い血だまりの中、上半身の腰から上だけが残っていた、アースの姿があった。

「アース……」

 確実に、死んでいる。皆がそう諦めた瞬間だった。

「ごほっ、やぁ、皆、揃い踏みのようだね」

 なんと、もう上半身だけのアースが、濁った声で話し始めたのだ。

 最初は皆、幻聴だと思った。しかしアースは確かに虚ろではあるが目を開き、口を動かしていたのだ。

「な、アース、貴方、生きて!?」

「いや、残念だけど死んでるよ。厳密には体の機能停止を、無理やり魔術で動かしてる。君たちに伝えたいことがあってね。死ぬほどしんどいから、手短に話すよ」

 本当に臨死なのかさえ疑うほど、アースは流暢に話していた。

「私は悪人だ。聖騎士の隊員から魔力を奪ったり、守るべき市民を危険に晒した。<オーソンヴェット>の墜落事故も私がやったことだ。だから今まで私が言ったことは全部嘘で、私がやったことは全部悪だ」

「何を、言っているのですか」

 突然の、まるで告解のような言動に、一同は頭を捻る。

「私の死を嘆く必要はない。そう言いたかったんだよ。私はアムゥ様と同じ、打倒されるべき大敵だったんだ」

「心配しなくても、過去の貴方の言動に悩まされるような愚か者は、この場にはいないわよ」

 冷たく、静かに、ネーナはアースの言葉に返答する。

「はは、そうか、それならよかった。じゃあこれで最後、最後に皆に伝えたいことがある」

 今までの軽い調子のアースの声色が、徐々に落ち着いていき、そして小さくなっていく。今にも命の灯が消えてなくなりそうな弱々しさであった。

「この戦いの最中で気づいたことがある。アムゥは何かを待っている。何かはわからない。だが確実に言えることは、それは終局を呼ぶための最後の段階。犠牲になるのは、<ユピトゥ>だ。備えろ、皆に伝えろ、守れ」

 アースはそれを最後にまるで電源の途絶えた機械のように、すっと事切れた。

「な、アース、アースッ!!」

 ユイスナが声を荒げ、アースの身体をゆするが、先程のような生気は一切感じさせなかった。そこには今まで言葉を発していたのが不思議に思えるような、徹底的に破壊されたアースの肉体があった。

「……う、ううん……」

 皆がアースの死に向き合っている最中、シヴィが目を覚ましてヤムニーヴァの腕の中から立ち上がろうとする。しかしシヴィは、ふらふらとよろめいて、再びヤムニーヴァの身体に向かって倒れ込んだ。

「あ、ああ、皆、どこだ?アースは、隊長は無事なのか?」

 シヴィは、まるで暗闇の中で手探りするかのように手を前に突き出していた。

「シヴィ、まさか、貴方、目が」

 その様子を見ていたユイスナが、シヴィの目の異変に気付く。

「は、はは。なるほど過剰償却か」

 シヴィはそのユイスナの言葉で、自分が魔剣の使用、及び大魔術の行使の代償で、視覚が奪われたのだと自覚した。

「シヴィ……そのアースは、アースは……」

 弱り目のシヴィに、出来る限りその心に衝撃を与えぬよう、言い回しを必死に考えるが、中々思いつかずに、ユイスナはその先を言い淀んだ。

 だがそれで、かつての上司の死を察した。

「そうか、駄目、だったか」

 シヴィは、ヤムニーヴァの身体に背を預けたまま、力なく項垂れる。

「いつまでもアースの死を悼っている場合ではない。アースの遺言が事実なら、我々は今すぐ、<ユピトゥ>に戻るべきよ」

「しかし!本来の目的はアムゥの討伐です!いくらアースの死に際の言葉だからといって……」

 ユイスナがネーナに反論をしようとしたその時だった。突如、上空で激しい爆発音が響き渡る。皆が音の正体を確かめんと上を見上げると、ネーナを運んできた飛空艇が、翼から火と煙を巻き上げながら、制御を失ってくるくると回転し、落下していた。

「ヤムニーヴァさん!」

 ユイスナの声に呼応し、ヤムニーヴァが翼を広げて飛び立つ。彼は飛空艇の近くまで飛ぶと、ネーナの飛空艇を投下した巨大な扉から、数名の人間が落下傘を身に着けながら飛び降りている様子が確認できた。しかし搭乗席にはまだ人が一人残っていた。

「そこの人!操縦士がまだこっちに来てないんだ!我々の落下を安全にするために、最後までできる限り制御を試みてくれているんだ。頼む、イパを助けてくれ!」

 最後まで飛び降りずに残っていた人が、ヤムニーヴァに気づいて、大声で語り掛ける。彼は静かに頭を縦に振ると、操縦席の方まで飛んでいく。

 彼は操縦席の窓から顔を覗かせると、必死に操縦桿を握っているイパジャスラが、彼に気づいて顔を上げる。

「全員、降りた」

 大きな指のなれない手話でそう告げると、イパジャスラも理解できたのか、頭を縦に振り、自身の身体についていた操縦席の安全装置を解除し、立ち上がる。二人が顔を見合わせ、再度イパが合図のように頷くと、ヤムニーヴァは力いっぱい突進して、操縦席のガラスをぶち破りながら、イパを拾い上げた。ヤムニーヴァはそのままイパを抱えながら、皇居へと戻る。

「皆、無事ですか?」

 イパの事を知るネーナが、飛空艇にいた仲間の安否を確かめる。

「ええ、皆落下傘で逃げ延びたはず。この方が最後の一人でした」

 ヤムニーヴァのその説明に、ネーナが安堵のため息をついたのもつかの間、再び彼らの不安を駆るような爆発音と、今度は地響きが突然襲い掛かる。その地響きは、まるで地震のように長く、それでいて激しく続き、疲労困憊の彼らは立っているのがやっとというほどであった。

「一体、何が起きてるんだ……」

 ユイスナが、そう言いながら、奥のアムゥとタナーシャたちが戦っている玉座の間を見やる。自分も激闘の中にいたために気づかなかったが、そちらの方角からは、彼女やシヴィのような魔力に長けた者ですら、思わず身震いするほどに、禍々しい魔力の渦が、嵐のように吹き荒れていた。


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