代償 第五節
それは、随分と昔のことだが、正確な日付を、彼女は覚えていた。
<玄黄星>界統一同盟が提唱されてからおよそ十五年後、もはや、この星で、<ユヴァート>に与しない国が、残すところ<ドゥスエンティ>のみとなった頃、突如、宰相アムゥが大胆な内政改革を行い、聖騎士隊も同様に抜本的な構造改革が求められた。結果、殆どの隊長格が「辞職」を命じられていた。
そんな突然の上司の消失に伴い、混乱のやまぬ聖騎士隊の中で、数名の魔力が優秀な者たちが、とある豪華な造りの部屋に集められた。赤い無地だが、いかにも高級そうな生地で繕われたテーブルクロスが敷かれ、十数名が一度に座れそうな長方形の長机、頑丈でありながら、滑らかで手触りの良い壁、そして細かな細工が施された美しい照明装置など、その部屋の目に入る全てが『豪華絢爛』という言葉を体現したかのような、家具と内装であった。
しかしそんな煌びやかな装飾品に目移りしていたのも最初の数分、未だ何故自分たちが集められたのかさえ把握できていない聖騎士隊員たちが、椅子に座りもせず、ただその周りをうろうろしていた。そんな静かな混乱の中では、むしろ動きもせずじっとしていた人間の方が、浮いていた。一人は肩までかかる銀の髪、蒼い瞳の背の高い女性、一人は黒髪の三つ編みが特徴的で、先の女性と同じくらいの背丈の女性。
そんな状況でもあったので、銀髪の女性が、自分と同じように冷静な黒髪の女性に気づくのも、大して時間がかからなかった。彼女は、その三つ編みと、大きな眼鏡が特徴的な女性に興味を持ち、にこにこと作った笑顔を湛えながら、近づいていく。
「やぁ、君、名前は?」
その銀髪の女性の立ち居振る舞い、口調は、軽薄にも映り、従って眼鏡の女性はやや嫌な顔を示した。
「おや、これはすまない。名乗るなら、自分からだね。私はアース、今は二番隊の隊員をしているよ」
そんな僅かな拒絶を感じ取って、しかし態度はそのまま改めること無く、銀髪の女性、アースは求められてもいない自己紹介をする。
「はぁ。私はユイスナです。四番隊所属です」
まるで、拒否感を体現したようなため息をついたのち、ユイスナも折れて自己紹介を返した。
「おや、ユイスナ、噂はかねがね、次期隊長候補、って、うちの隊長が言ってたのを聞いたことがあるよ。あ、でも隊長は首を切られたし、そんな彼の評価はむしろ不名誉かな?」
「別に」
ユイスナは、無表情でアースの無作法な口調に耐えていた。だが、そんな彼女の努力も知らず、いや知っていたが敢えて無視しながら、アースは話し続ける。
「いやぁ、アムゥ様からお呼び出しとはびっくりだよねぇ?私が物心ついたころには、もうアムゥ様は宰相だったからねぇ、そんな立派な人から声がかかるなんて、名誉なことだ、そう思わんか?」
「長期政権は決してその為政者の善政を表すものではありませんよ」
アースは、ユイスナの意外な解答に少し目を丸くした後、更に彼女への関心を増し、肩同士が触れ合うほどに、彼女に更に近寄っていく。
「ほう?では、君にとって、理想の政治家、とは何なんだい?」
「単純です。無私に、この国を愛し、守る者であること」
ユイスナの簡潔な解答を更に気に入り、アースは彼女の肩に腕を回す。
「いやぁ、君は良いね。ねぇ、今日、私の寮室に来ないかい?」
「あなた……」
アースがユイスナを口説き始めたころ、聖騎士隊が待機していた部屋の扉がゆっくりと開いていく。それを見て、皆が途端に静まり返り、身体を制止させた。アースも、宰相の到着に視線はそちらへ動いたものの、まだユイスナに体を密着させていた。流石にユイスナが、まるでその腕をどけるかのように肩と首を動かしたので、アースは体を彼女から離した。
「ご苦労。皆、知っているだろうが、私はアムゥ、長年この国の宰相を務めている者だ」
アムゥと名乗った男性は、既に表情に老いが現れ始め、目じりなどに入った皺は彼を一層くたびれた老人のように見せた。しかしその鋭い口調と、針金でも通したかのような美しい背筋の伸びは、むしろ壮齢の男のようでもあった。
まるで、若者が老人の皮被っているみたいだ、とアースはアムゥの姿を見た時に、脳裏で評した。
「本題に入ろう。かけたまえ」
アムゥは、長机の上座に腰かけると、隊員たちにも同様に椅子へ座るよう促した。皆ためらいがちに動き、まるで音を立ててはならないと命じられているかのように、椅子をゆっくりと引いて、浅く座った。
アースとユイスナも静かに椅子へ座ったが、その所作には怯えた様子はなかった。
「それで、君たちに集まってもらったのは他でもない。君たちが隊長と仰いでいた数名の聖騎士、彼らはその怠慢により、私が自ら首を切った。中には未だ、私の采配に不服なものもいるだろう」
そのアムゥの言葉に思わず数名の隊員たちが肩をぴくりと動かす。それをアムゥは目敏く気づいていたものの、敢えて無視し、そのまま話を続けた。
「従って、空いた隊長格の席に相応しい、今聖騎士の中で最も実力で優秀な者たちをこの場に集めた、というわけだ。ここまでは何となく、お前たちにも察しは付いていただろう?」
特に返事はなかったが、聖騎士隊たちが時折顔を上げ、視線をアムゥの方へ向けていたのは、昇進に対する期待と不安を何より明瞭に表現していた。
「だが、この場には十五名もいる。隊長格は副隊長併せても約六席しかない。そこでお前たちにはちょっとした試練を課すことにした。魔力や技量が十分なのは書面で理解している。問題となるのは、君たちの心の強さ、とでも言えばいいか。そういう数字には表れにくいものだ」
そう言い終わると、アムゥは何者かに指示を出すかのように、軽く二回拍手を打った。
それを合図に、扉が開き、するとぞろぞろと白衣を纏った給仕たちが、腰程度の高さの荷台を押しながら入ってくる。その三段構造の荷台には、それぞれの段に銀の食器と、香しい馳走が所狭しと乗せられていた。給仕は、次々と手際よく料理を机の上に配膳していくと、あっという間に聖騎士とアムゥの座る机の上には、一目で食欲を誘う料理があった。
品目は少なくはあったが、香ばしい匂いの漂う焼きたてのパンと、上品な焼き加減で仕上げられた羊の分厚い一枚肉であった。皆一様に互いの顔を見合わせる。なぜこれほどのもてなしが、突然振る舞われたのか、皆目見当がつかなかったのだ。
「さあ、遠慮なく、食べなさい」
アムゥが、まごつく聖騎士隊に向かって、それを薦める。だが、それでもなお、聖騎士は殆どそれに手を出さなかった。
唯一、一人を除いて。
未だ食器にすら触れられていない聖騎士たちをよそに、アースは、次々と肉を丁寧にナイフで切り分けては、口に放り込んでいた。
それを見て、多くの聖騎士が、彼女のその態度に困惑していた。
先のアムゥの口ぶりから、この食事自体が試験であることに疑いはなかった。ある者は「他者の好意を疑うこと」として、その食事に毒などが混入している可能性を予知、あるいはそれを「想定して」振る舞うことを求められていると考え、またある者は例え上官が気前よく振る舞った晩餐であっても、欲望で動かぬ「清貧さと節制」を試されていると考えていた。
そこまで深くは考えていなくても、脇目も振らず肉を喰らい続けるアースに対し、多くの聖騎士隊は、「間違った振舞」であると考えていた。だがそんな中、彼らの中でも優秀な聖騎士として知られるユイスナもまた、彼女に習ってその肉を静かに頬張り始めたことで、一同に衝撃が走る。それにより慌てて肉を食べだすもの、未だおろおろとどうすべきかを周りを気にしているものに、一斉に分かれ始める。
(こいつら、思った以上にアホだな)
アースは、ほぼ全員が肉に手を付け始めたころには既に食事を終わらせていて、慌ただしく食事をとる聖騎士たちを冷ややかな視線で見ていた。
そもそもこの食事自体には、何の試練でもないことに、アースと、そして遅れてユイスナは気づいた。強いて言えば、上官の命令に裏があると疑うような人間では、聖騎士隊で昇格など難しいであろうが。
アースに続いて、次々と食事を終えていく聖騎士たち。しかし未だ何が正解かわからず脂汗を額に滲ませていた彼らは、その上品な肉の味など一切楽しめてはいなかったが。
「ほう、食べ終わったか。さて、お前たち、今の食事では少し物足りなかったんじゃないか?高級店の食事というのは、美味ではあるが量に問題がある。だから、二皿目、欲しいだろう?」
聖騎士の中で、アムゥの提案に心から喜べるものはいなかった。しかしようやくこの場は、何であれアムゥの言うことには従うべきだと薄々感づいてきた彼らは、ただ必死な形相で首を縦に振る。しかし肝心のアースは、実際にもう一皿食べたいと思っていたので、素直に喜んでいた。
「入れ」
アムゥが再び、扉の外に向けて合図を出す。すると再び部屋に人が大勢入ってくる。しかし先ほどのような清潔な衣を身に着けた給仕たちではなく、代わりに固い材質で頑丈そうな服を纏った、作業員のような見た目をした人々が入ってくる。アムゥは、聖騎士たちに立ち上がるように告げると、彼もまた席を立ち、部屋の隅まで下がっていく。聖騎士も彼の真似をして、各々机から離れるように壁際へ寄っていく。
そんな彼らに代わり、机に近寄る作業員たちは、扉や椅子を次々と運び出していった。予想のつかない展開の連続に、聖騎士たちはまたも気を揉んでいた。しかし彼らを更に困惑させる事態が起きた。
机のあった場所に作業員が少し汚れた分厚い布を敷いたと思ったら、突然奇妙な鳴き声が部屋の中に響き渡る。作業員が二人がかりで運んでいた木製の大籠、その中には、大きな羊が生きたまま入っていた。
アースさえ流石に目を丸くする事態であった。羊を入れた籠は、先程敷かれた布の中央に置かれる。中の羊も、慣れぬ環境に連れてこられたせいか、羊を入れるには小さな籠の中で、めいっぱい暴れていた。しかし作業員たちは、もう仕事を終えたのか、そそくさと部屋から去っていった。
「さてと。今目の前にしている羊は、お前たちが先ほど食したものと同じ品種、同じ牧場で育ち、しかも同じ世代の羊だ」
彼の言わんとしていることは、あまりにも不愉快で悪趣味であった。しかしアムゥはさも当然のことを口にしているかのように、その表情は真面目そのものだった。
「そしてこれは、少し手順は簡略化しているが、素人向けでわかりやすい、羊の解体指南書だ」
そして彼は、小さな本を、その羊を入れた籠の上に乗せた。それが意味することは、もう一つであった。
「何をぼさっとしている。食事の続きだ」
アムゥは、ただ壁に悠然ともたれかかり、まるで当然のことかのように、聖騎士による羊の解体を待っていた。
聖騎士たちの中には、既に胃にむかつきを覚え、気分を損ね始める者も出てきていた。
「し、失礼ながら、お尋ねします。これに何の意味があるのでしょう!?羊の解体など、屠殺畜殺に任せればよいではありませんか!?」
「口答えをするな、雑兵風情が」
ある聖騎士が、アムゥに対し抗議を行うが、魔力において高い素養を持つはずの彼は、ただの政治家にすぎないアムゥの一瞥により、一瞬で黙らされる。
「何の意味があるか、か。愚鈍なお前らに、教えてやろう。聖騎士隊隊長は並の議員以上の権限を持ち、そして最高権力に近い存在だ。つまり隊長格は皆、この国が、どのような政治思想のもとで運営されているのかを理解し、実践するものとなる」
アムゥは先程食事の席で出されていた葡萄酒の注がれた器片手に、朗々と話し始めた。
「お前らも愚かな報道機関の与太話をよく聞くだろう。この国は弱者を搾取し、富裕層を優遇していると。平等の理念を捨て、独裁を行っていると。お前、これは事実だと思うか?」
先ほど抗議を行ったものの、アムゥの目によってすっかり竦みきった聖騎士に、彼は問いかけた。
「え、いや、<ユヴァート>の政治は、全ての国民がいずれ豊かな暮らしを享受できるよう目指しており、そのような愛国的ではない報道は、彼らの妄想に基づいていて……」
「そう思うのか、お前」
「え?え、ええ」
意外なアムゥの反応に、聖騎士は戸惑う。
「その愛国的ではない報道の指摘は、全て正しい。我らの国は弱者の搾取のもと、強者のみが甘い汁をすする構造になっている。だが、だからなんだ?それの何が悪いというんだ?食事と変わらないじゃないか?」
聖騎士は彼の演説にただただ圧倒され、言葉を失っていた。
「無論、当然世の愚かな民にそれを知られるのは面倒だ。自分が他者を掠奪していることも、そして自分が他者に略奪されていることも気付かれてはならない。奪い、奪われていることへの理解は、やがて疑いの萌芽となる。だからこそ隊長格は、その真実を知りながら、決して『そのような搾取が存在する』かのような素振りをすることは許されない」
そして彼は羊に向けて手をかざし、こう続けた。
「簡単な試練だ。お前たちが喰らっているもの、搾取しているものが何かを知りながら、そして時には自らその略奪の担い手となりながら、平然と振る舞えるか否か。それを試しているのだよ」
アムゥがそう言い終わり、聖騎士隊はこの試練が何のために行われているのかを、皆理解した。しかし皆、周りの隊員を見渡すだけで、部屋の中央に置かれた羊には一切近寄ろうとしなかった。十数秒して、短くため息をついたのち、アースがゆっくりとその羊の元へ近づく。
「ほう、お前がやるのか。所属と名前は?」
「アース、現在二番隊に所属しております」
「よろしい、アース。必要な道具があれば、言いたまえ。外に待機させている作業員がすぐに持ってくる」
「いえ、いりません」
そう言うとアースは、檻の上の本も、まるで邪魔ものかのように地面に放り投げると、やや乱暴に檻の蓋を取る。蓋が取れると、自ずと柵となっていた木も、重力に従って床に倒れ込み、羊は混乱していたのもあり、すぐに外へ逃げようとする。
だがすぐにアースはその羊の首を手刀で叩くと、羊はすぐさま意識を失い、地面に倒れた。
「失神させたのか。手慣れているな?」
「ええ、昔、日銭を稼ぐためにやっていたので」
感心した様子のアムゥをよそに、アースは羊の頭を右手で鷲掴みにすると、ちょうど肩の高さまで持ち上げる。羊はだらりと、その足も体も垂れ下がっている。聖騎士たちは、道具も無いのに、これからどうするのか、興味を抱きながらも、同時に少し不安でもあった。
「<切断>」
彼女が初歩中の初歩の魔術を唱えると、羊の身体が一瞬で十数の断片へと変貌し、地面に赤い血と臓物を撒き散らしていく。とうとう、アースの掴んでいた羊は、頭だけとなり、その全てが乱雑に床の上のシートの上に落ちていた。
「ほう少し粗雑だが、全てきちんと部位ごとに切り分けられているな。見事だ」
アムゥだけが、アースの解体に賛辞を贈る中、他の隊員たちには目を背けたり、あるいは薄目でその羊の死体を直視しないようにしていた。
だが、アースは更に、その羊の死体を自身の服を真っ赤に染めながらまさぐり始めた。この行為には、アムゥさえも目を丸くしていた。
「腰肉も嫌いではありませんが、私の好きな部位は肋肉でして。あと、ああいう上品な焼き加減より、中まで火が通っているのが好きなんです」
そう言い終わると、彼女は、びっしりと肉を張り付かせた一本の肋骨を手に取って、アムゥに見せつける。すると、その肋肉を持つ右手から火が噴き出し、その肉を包み込んでいく。
数秒して火が消えると、そこには先ほど食した肉料理に比べると、洗練さも上品さもない、部分的に焦げてさえいた、野性的な焼肉が露となった。
「美味しそうだ」
アースはそう言い終わると、足元に羊の死体が未だ散らばっている中で、その肉に食らいつき、骨からどんどん肉を剥がしていく。
その様子を見た聖騎士には、それを狂っていると思った者もいた。しかしアムゥは、まるで逸材を見つけたかのように、その野蛮な食事風景を、目を輝かせながら見つめていた。
これが、アースがまさに聖騎士の隊長へと昇進させる大きな一歩であった。そんなことを、彼女は、炎を噴き上げ、皇族であった魔獣たちを見つめながら思い出していた。
魔獣の動きが徐々に緩慢になってきたのを確認し、彼女はようやく炎の噴出を停止した。まるで噴き出したばかりの溶岩のように、魔獣たちを包んでいた黒い泥の鎧は、朱色の光を放つ斑模様になっていた。
「さて、随分炎を浴びせたが、多少は魔力を消費させられたかな?」
外気との温度差で、煙を上げている魔獣たちは、その体をぴくりとも動かさなかったため、それはむしろ聖騎士三人を不安にさせた。
「アース、貴方、皇族の皆様を熱で殺したりはしていないでしょうね?」
「うーん、自信はないけど、あの鎧の強度なら、あの程度の炎は大丈夫だろ」
「貴方ねえ」
呆れた顔でユイスナはアースを睥睨する。
だがそんな心配をよそに、魔獣たちは再び、不愉快な軋みの音を響かせながら、その関節を動かし始める。
「ほーら、大丈夫だ。二局目だ、気張るぞ皆」
魔獣はたちまち行動を再開し、炎の嵐で離された距離を一瞬で詰める。
真ん中と左の二体を、ユイスナとシヴィ、そしてヤムニーヴァが抑え込み、アースは一人で右から襲い掛かる魔獣に対峙する。
櫂のような変わった形状の槍とも剣とも取れない魔剣で、魔獣の拳を受け止めると、アムゥはその体躯の差すら物ともしないかのように器用に捌いた。
続いて、二度目振る舞われた拳も、初めての魔剣であるにも関わらず、使い慣れた様子で、巧みに防いだ。
アースの魔剣獲得により、一見すると戦いは互角なものへとなっていたようにも見えたが、しかし、魔獣たちとアースの魔力消費は、未だ釣り合っていないことは変わっておらず、そして結局のところ、皇族を救うという名目で戦い続ける以上は、この戦いの行く末は敗北しかない。
アースたちには現状を打破する一手と、そして状況を好転させる情報が必要だった。
そんな折だった。彼らの頭上から突如、巨大な何かが降ってくる。アース達はそれに巻き込まれぬよう避けたものの、アースが対峙していた一体の魔獣がその下敷きとなった。
その正体を確かめようと目を開こうとするも、土煙が邪魔をして把握しきれなかった。だがそれ以前に、その飛来物から、重厚な機械音がした後に、拡声器を用いたような声が響き渡る。
「やぁアース、苦戦しているようね。手を貸してあげる」
その声に、ヤムニーヴァ以外の人間は皆聞き覚えがあった。
「ネーナ!?」
思わずアースが声を荒げる。土煙が晴れると、そこには巨大な四つ足の自立型兵器が堂々と立っていた。
「これは……、聖騎士隊の駆動兵器では?」
ユイスナもシヴィも、その機械に見覚えがあり、何故それにネーナが搭乗しているのか、全く見当がつかなかった。
「はは、届けて欲しいのは魔剣だけだったんだが?」
「悪いね。世界の危機ならば、多少の諍いには、今は目を瞑るわ。さぁって、っと、うわ」
すると、その機械に下敷になっていた魔獣が立ち上がったため、ネーナの乗る兵器も揺らいでしまう。しかし四つ足を上手く用いて、均衡を保ち、しっかりと床に着地する。
「……彼女、この兵器に乗ったことがあるんですか?」
まるで乗り慣れたように、巧みに足を動かしたのを目の当たりにして、ネーナの旧知であるアースに、ユイスナがそう問いかける。
「はは、私も別れて長いからね。その間、色々あったんだろ」
魔獣が立ち上がり、ネーナは兵器の中のレンズ越しに、その三体の姿を見つめる。
「あれが、皇族か」
「ネーナ、お前、それをどこで知った?」
「タナーシャからの伝言。私に神術を介した念話で、色々教えてくれたんだ。アムゥの真の狙いは、この星の人類を滅ぼした後、新人類を生み出すこととか。この皇族たちは、もうその体に魂がないこととかね」
「なんだって?」
ネーナの言葉にシヴィとユイスナが動揺で、共に声を荒げた。
「タナーシャの念話、なら、なんで私達に直接言わずに、お前に伝えたんだ?」
「そりゃ、念話は精神干渉の術だからでしょう。戦闘中、魔力の鎧を滾らせる貴方達には、念話は殆ど雑音にしかならないでしょう?」
「ああなるほど、それなら確かに、魔力の無いネーナが適任だね」
皮肉を飛ばすアースだったが、ネーナはそれを気にも留めていなかった。
「しかし、それは、本当なのか?本当……なのか?」
まるですがるような目で、そのネーナの乗る機械を見つめるユイスナ。誰も、首を振ることも、否定の声を上げることもなかったが、しかしその沈黙こそ、明瞭な答えでもあった。
「なら、やるしかあるまい。この魔獣は、アムゥの傀儡、我々が引けば、タナーシャたちの方へ向かうだろうし、そうでなくとも、野放しにすれば、首都に悪影響を与えかねない。やることは一つだ」
シヴィが、かつての二番隊隊長、ルファより託された鎖と、自身が副隊長として勤めていた際に用いていた短剣を同時に召喚する。
アースも、それを見て、魔剣から更に炎を迸らせた。
「……いくら魂なき躰とはいえ、少し躊躇しますね」
ヤムニーヴァも、少し乗り気ではなかったが、気持ちを切り替え、翼を広げる。
当然、それを伝えに来たネーナも、覚悟は決まっていた。
「お前もどうするか決めろ、ユイスナ」
アースが、ひどく冷たい声色で、ユイスナに決断を迫った。
「私は……私は……」
しかし彼女の逡巡など気にも留めないように、かつて皇族だった魔獣は再び、狂乱した獣の如く、その巨躯で突貫してくる。
「五秒だ、五秒で決めろ。ここで戦わぬなら、タナーシャたちの救援に向かうか、首都へ戻るがいい」
アースとヤムニーヴァがそれぞれ一体ずつ、そしてシヴィとネーナが二人で一体を抑え込む。ユイスナは、その間、四人の後ろで高速で思考を巡らせた。
首都へ戻るのは論外だ。それではただ戦いを放棄し、友人を見捨て、逃避するも同然。
しかし、タナーシャのもとへ向かうのは悪い判断ではないはずだ。そもそも諸悪の根源である彼を倒すことが、この場に集った者たちの本来の目的、皇族との戦いは、その副次的なものに過ぎない。
だが、今ここを去れば、間違いなくこの場の状況は悪化する。ネーナが援軍に来たとはいえ、ユイスナはその魔導兵器の性能をよく知っている。仮に万全に動かせる者が搭乗していたとしても、抜けた自分の穴を埋めるほどの実力はない。
それに、彼女はタナーシャとバルーの強さを知っている。そんな二人が戦ってなお、未だ勝利の知らせがないことは、アムゥの強さは、自分の力の及ばぬ領域にある可能性が高い。だとすれば、自分が加わったところで大した助力にはならないだろうし、アースたちがその間、この場を持ちこたえる時間を稼げるかは怪しい。
従って、この場の選択肢は二つだけ。
皇族との戦いを避けて、タナーシャたちの援軍をするか。
目の前の存在を魔獣と割り切り、アースたちを救うか。
アースの言う通り、もう時間は無かった。
彼女の思考は確かに五秒に満たなかった。アースたちが、魔獣とようやく切り結ばんとしているときに、既に彼女は答えを出した。
ユイスナは、魔剣である槍を片手に、飛び出した。アースたちよりも前に出て、更に、魔獣の間も縫っていく。
突如、包囲網をすり抜けたことで、魔獣たちは、目の前の敵を倒す、ということから、第一目的である、アムゥの元への侵入者を阻止することへ切り替える。だが、ユイスナを目で追いかけようとすると、彼女は槍を地面に突き立てて、急遽方向を転換し、今にも振り返ろうとした魔獣に、槍を構えた低い姿勢で突撃した。ユイスナは、一体の魔獣の脚を槍で払い、姿勢を崩した。その隙を見てネーナが乗る機動兵器が、その前足を力強く叩きつけた。
その攻防は、まさにユイスナが出した答えそのものであった。
「腹を決めたか、ユイスナ」
「ええ、もう私は、聖騎士として、守るべきものを見誤りません」
ユイスナの目は、非常に鋭く、それでいて熱が籠っていた。しかし決意の強さを物語るような視線に、何故かアースは少しそれを見て、胸の内に痛みを感じた。そしてその痛みは、先程思い出した、アムゥの試練の記憶を再び蘇らせた。
(はは、私も同罪だな)
その痛みの正体に気づいたアースは、そのように心の中で自嘲した。




