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紅血の遺財 最終節

 質素な街において、最も豪奢な造りを誇る宿屋には、もう色とりどりの笑顔溢れる観光客たちはいなかった。そこには、均一の重たい制服を身に纏った、軍人たちがその全室を占拠していた。

 その一室、最も豪華な造りをした、迎賓を目的とする部屋で、軍人を率いるアムゥは、そこを宿舎兼執務室として利用していた。執務といえど、彼は日々届く聖騎士たちの暴力沙汰を、全て反乱分子の制圧に書き換えるだけで、これといった指示や作戦の立案に勤めていたわけでもなかった。更には、数時間の仮眠を取り、しかも部下には起こさぬよう伝えているため、彼は今街で起きている騒ぎすら把握できていなかった。実のところ、この放任主義は、聖騎士隊たちにとっても都合が良かったというのもあった。彼らが街の人々を暴行、略奪し、凌辱することは日常茶飯事になっており、一々全て報告しなくても良い環境は、彼らの狂暴性を更に加速させていたために、誰もこの仕事をしない上官を責め立てようとはしなかった。

 微睡の中、何となく外が騒がしいことは気づいていたが、彼は喫緊の事態ではないだろうと勝手に判断し、執務室に居残り続けた。

しかし、漸く彼の部屋の扉を、何者かが叩き、彼の午睡明けの脳が思考を取り戻した。

「入れ」

 彼はやや無愛想に、その来客の入室を許可する。許しを得た聖騎士は扉を開き、執務室のアムゥに青ざめた表情を見せた。

「なんだ。話題にならんことなら、私に報告する必要はないと言ったはずだが?」

「い、いえ、その、何と言いますか」

 煮え切らない態度で、口ごもる聖騎士に、アムゥは苛立ちを見せる。その表情に気づいた彼も、急いで言葉を整理しようとする。

「あの、それが、街で暴動が発生し、聖騎士数十名が、飛空艇や戦車、重火器を持ち出し、制圧に向かいました……」

「なんだ。そんなことか。願ったり叶ったりだ。暴動なら鎮圧という名目で多少殺しても本国から文句は言われまい。だが皆殺しはやめろよ?いくら何でも国際情勢に言い訳が……」

「ち、ちがうんです!!」

 慌てた様子で、聖騎士はアムゥの言葉を遮った。

「違う?」

 そう答えるアムゥの声は、静かではあったが怒りに満ちていた。彼は、高慢な男であり、部下から軽視されることを良しとはしなかった。

「その、鎮圧に向かった聖騎士は、皆、殺されました」

「なに?」

 想像だにしなかった返答に、思わずアムゥは憤怒の感情を手放してしまう。

「一体何故そんなことが。もしや本当に、<ルペット>の残党が?」

「わ、わかりません。何より、一人も帰還兵がおりませんので、状況は全く……」

「おのれ、こんなところでぼさっとしてないで、お前はさっさと聖騎士を連れて現場へ行き、何が起きたのか調査しろ。私も後から行く!」

 しかし、怖気づいているのか、聖騎士隊はその場から動こうとしない。

「馬鹿め、もし<ルペット>残党なら、もうこの街は我々にとってどこも安全ではない。今必要なのは情報だ。さっさと行ってこい!!」

 そう言われて、漸く彼は走り出した。

 アムゥは扉を閉め、本部への電報を打とうと、自分の机に向かう。しかし、その時だった。彼は背後に、奇妙な気配を感じた。扉を閉めたのは自分、そして彼はまだ数歩しか歩いていない。そんな彼と扉の間にできた僅かな空間に、確かに何者かが立っているのだ。

 勇気を振り絞り、彼は振り返る。しかしそこには木製で、細やかな装飾と浮彫の施された扉だけがあった。

「アムゥだな」

 しかし背後で突如声がし、再び振り返ると、そこには白い肌の青年が立っていた。

「あ、君は、誰だ?」

 ただの子供のような容姿でありながら、その中に、全く異なる何かが入っているように思えて、アムゥは不気味でならなかった。

「お前が、命令したのか」

「な、なにを」

「お前が、聖騎士に人々を殺させたのか」

「……まさか、お前は、そうか、貴様が<ルペット>の残党……」

 彼がそう言いかけた時だった。青年の姿をしたその存在は、突如黒い巨大な顎へと変化していた。それはすっぽりと、ただただ立ち尽くすアムゥを飲み込み、そして悲鳴すら上げることができず、彼はゆっくりと咀嚼された。

 タファパは、それを食い終わると、再び人の姿へと戻る。しかし、宿敵を打倒したにも関わらず、その表情は決して晴れやかではなかった。彼の頬には、冷たい液体が伝い、そしてタファパはもう成す術もない様子で、膝を折る。

「アムゥ様?何か凄い物音がしましたが」

 そんな時、突然、扉が開け放たれ、先程命令を下された聖騎士とは異なる隊員の女が、現れた。しかし彼女が目にしたのは、いつも通り執務室の机に腰かけるアムゥの姿であった。

「なんだ」

「い、いえ、たまたま前を通りかかったら、凄い物音がなさったので」

「街が大変なことになっているというのに、お前はこの旅籠をうろつくのが仕事なのか?」

 皮肉を言われ、聖騎士の女は急いで扉を閉め、踵を返した。

 彼女が離れていったのを察して、アムゥの姿をした存在は、再びタファパの姿へと戻った。

「はは。何をしているんだか」

 彼が変身したのは咄嗟の事だった。だが、聖騎士が扉を開けた瞬間、彼の思考領域で、アムゥという人間の持っていた記憶、感情、思考が突如噴出してきたのだ。そしてそれと同時に、彼の姿はいつの間にかアムゥのそれになっていた。

 しかし、その時、彼はあることに気づいた。今まで人間は愚か生物を生きたまま丸のみにしたことなどなかった。しかし思い返せば、自分の身体を構成するそれは、かつて存在した生き物の記憶や歴史、そして力である。更にこうしてアムゥを喰らい、彼はアムゥの人格や定義、その全ての情報を複写することができた。

 つまり、彼は、食べた存在の記録を、自分の身に移植することができる。

 それに気づいてから、彼の行動は早かった。

 アムゥの姿に戻ると、彼は急いで、彼が聖騎士を食い散らかした戦場に戻った。

 そこには先ほどアムゥが命令を下した聖騎士が、数名の隊員を連れ、戦場を調査していた。

「アムゥ様?お早いご到着で……」

「すぐに行くと言っただろう。で、何か手掛かりは掴めたのか?」

「獣のような巨大な噛み痕が確認できました。恐らく、魔獣の仕業ではないかと」

「ふむ、ご苦労。いくつか聖騎士の遺体を記録・撮影した後、早々に作戦本部へ戻り、本国への帰投準備を進めろ」

「は?」

 上官の言葉は、あまりに期待していたものとかけ離れていて、聖騎士隊は皆、顔を見合わせ、戸惑いを隠せなかった。

「聞こえなかったか?それとも頭が回らないか?『大型魔獣に襲われ、聖騎士隊と街が半壊、聖騎士は、町民を守るために奮戦したが、犠牲者は多数。辛くもこれを討伐した』。そう上に報告する」

「で、ですが、まだ聖騎士を屠った大型魔獣はまだ討伐できて……」

「ほう、ではこれほどの高火力の装備をもってしても倒せなかった魔獣を、君たちは残って倒すと。殊勝な心掛けだな」

 彼のその言葉は、まさに脅し文句であった。まるで蜘蛛の子を散らすように、聖騎士たちは、その場を去っていった。

 聖騎士が、この場から去っていくのを、蔑んだ眼で見送った後、彼はふと、左を見た。そこには未だ壁に磔となったイミトゥミルの姿があった。

「すまない、イミ母さん」

 姿はアムゥのままであったが、その声は確かにタファパのものであった。彼は、かつての母の頬に触れる。残虐に晒された母の亡骸を、彼は手のひらから生み出した黒い泥で、まるで世界から隠すように包み込む。完全にその体を黒の泥で包みきると、泥はすぐさま、地面に落ちた。そこにあったはずのイミトゥミルの身体は消え、そこには彼女を突き立てる剣と、血の跡だけが残っていた。

 するとタファパが今まで感じたことのない痛みが全身に走り、彼は思わず地面に屈みこんだ。アムゥを取り込んだ時とは違う。確かに、その記憶領域に、自分が今まで持っていなかった記憶が濁流となって注ぎ込まれていくまでは同じだったが、それ以外のものも彼の身体の奥に流れ込んでいた。

 そしてそれは、冷たく、刺々しく、不快でもあったが、同時に穏やかで、温かくもあった。

 複雑な感情の渦に数秒飲み込まれていると、徐々にそれが収まり、全身の痛みも引いていく。

「なる、ほど。だが、成功した。これで、イミ母さんの意志と記憶は、これからも僕と一緒に……」

 彼はすでに次の目的を探していた。彼の最愛の友にして家族、人間、トゥフビの亡骸を。

 タファパは、すぐに、未だ乾かぬ血の池に沈んだ、友の遺体を見つけた。その姿は、未だ彼にとって悲痛なものだった。見るに堪えず、目を逸らしたくなる。だが、意を決して、彼はトゥフビの身体に寄り添った。

「すまない。こうすれば、僕と君はこれからも……」

 優しく、トゥフビの頭を数度撫でた後、彼は再びイミトゥミルと同じように体を泥で包んだ。

 その泥の中で、優しく、穏やかにトゥフビの肉体を自分の身体と同化させていく。だが不思議なことに、どれだけ時間がたっても、あの名状しがたい感覚が、彼の身体を走ることはなかった。不思議に思い、彼は一度泥を解除する。しかし驚くことに、既に彼女の身体は無かった。つまり既に、彼はトゥフビを食していた。

 だが記憶も経験も、意志も、何一つ彼の身体に流れてはこなかった。どれだけ記憶領域の深部を辿っても、トゥフビの魂は、欠片とて見つからない。

「何故、何故だ、トゥフビ、君の、君の記憶は、どこにある?」

 身体の中にあるものを抉り出すかのように、タファパは自分の胸を必死に両手で掻きむしる。しかしどれだけ引っ掻いても、胸からは、肉と血の代わりをする魔力の塊が、どろどろと流れだすだけであった。

「はは、そうか。彼女は神の子。僕は魔の落胤。そんな僕が、彼女の力を取り込めるはずもなかった」

 答えに辿り着き、彼は天を仰いで悲嘆に暮れる。

 しかし少しすると、彼の悲しみを代理するかのように、空から雨が降る。雨は街で未だ燻る火の手を鎮火していくが、炎の幕が消えて、残された凄惨な街の姿が、よりはっきりと見えるようになった。タファパはその光景を改めて見まわした。夥しいほどの暴力と凌辱の形跡を改めて認識し、彼は悲痛に嘆くことを止め、その心に憤怒の炎を灯した。

「魔の落胤?はは、悪魔は僕じゃない。命をいたずらに掠奪し、それに喜びを見出すことが悪魔だとするなら、それは人間だ。見ろ、この景色を。悪魔は人だ。人以上の悪魔がいるのか?」

 泥と血が混じった地面を彼は何度も拳で殴りつける。

「なら僕は、私は、悪魔になろう。野心と支配欲に満ちた、アムゥとして。私がこの世全ての悪鬼を喰らい、私がこの魔境を治めてみせよう」

 その後、彼は燎原を消そうと、雨を降らし続ける天を睨み、こう続けた。

「そして神々よ、お前たちは、自らの子に苦しい使命を課しながら、今際の際になっても、とうとう我が子を助けようとしなかった!人々は、善を貫けば、神に救われると、そう信じていたのに!見ろ、この惨状を。人を救わぬ神など不要。ならばこの私が、神となろう。偽りの光で民衆を騙す為政者から、私がこの星を救ってみせよう」

 その叫喚は果たして神に届いたのか、それを知る術は人にはない。まして魔人たるタファパに、それがわかるはずもない。

 だが彼はそれでよかった。この宣戦布告が届こうが届くまいが、彼の意思はもう変わらない。彼はいつの日か、必ず、この星の統治者として君臨する。

 タファパは死に、この日、未来の<玄黄>王、アムゥが誕生したのだ。



 

 まだ全てを見届けたわけではなかったが、アムゥが天を呪い、魔に染まった瞬間、タナーシャの意識が覚醒した。厳密には、その意識は現実に戻ったわけではない。彼女の自意識がアムゥ、いや魔人タファパのそれに溶け込んでいたのを、何者かが引き離した。

「何やら奥底で疼くと思えば、タナーシャ、人の記憶を覗き見るのは趣味が良いとは言えないな」

 タナーシャが振り返ると、そこには暗闇に包まれた空間に、ぽつりと浮かぶアムゥの姿があった。

「……アムゥ、いや、タファパ」

「貴様が、その名を呼ぶな」

 アムゥが怒りの声を上げると、突如タナーシャの四肢を、黒の触手が強く締め付けた。

「この通り、お前の魂は、いつでも壊せる。静かに滅びの時を待つがいい。お前の出番が来れば、私が叩き起こしてやろう」

「お前が、魔力を蓄えるのは、あの少女のためか」

「どうやら、本当に苦痛を知りたいらしい」

 アムゥの触手は、タナーシャを一層強く締め、タナーシャは思わず苦悶の表情を見せた。

「はは、図星らしい。お前が物見の塔を最初に侵略したのは、自分が魔の理の上に立つほどの魔人へ昇華したかを確かめるため。そして神の門の閉鎖は、お前が神の力さえも侵食できるほどの強さを手に入れたかを見定めるため」

「黙れ」

 その触手は最初とは比にならないほどの力でタナーシャを締め付けるが、彼女はその痛みを耐えながら、笑みをこぼしていた。

「感情が乱れているぞタファパ。この世界は精神の領域。夢と同じだ。意志が揺らげば、どれだけ力を込めても空回りする。ほら、また痛みが和らいだぞ」

 確かにそれは彼女の強がりから出た言葉ではなかった。もう隙間さえ見えぬほど、彼の触手はタナーシャの四肢を潰しているのに、彼女の指先は今も自由に動いていた。

「ふん」

 それを察してか、アムゥはとうとう、触手を彼女の身体から離し、その場を去ろうとする。

「待て、最後に聞かせろ。お前は、神にその牙が届けば、姉の記憶と魂を我が物にできると考えているのだろう。だがそのためだけなら<玄黄星>を、人の世界を滅ぼす必要はないはずだ。お前の力はもう、限りなく神に近づいている。私をこうして拘束できることが、その証拠だ。復讐だけではあるまい。お前は何を狙っている?何になるつもりだ?」

「答えを知りたければ、また記憶を探ればいいだろう」

「いや、お前の記憶に接触してしまったのは、事故のようなもの。もうしない。だから私は、お前の口から知りたい」

「滅茶苦茶だな。言っていることは違うが、意味することは同じじゃないか」

 結局アムゥは後ろを振り返ることはなく、その精神世界から姿を消した。

 タナーシャは後ろを振り返る。そこには相変わらず、記憶の扉が、彼女を誘うように光を発していた。

 だが結局彼女はその扉に入ることはせず、そこから離れようとする。

 その時だった。

 それは楽団が紡ぐ、荘厳な歌のようでもあった。あるいは重機が発するやかましい騒音のようでもあった。

 優しく包み込むような、心地の良い囁きのようでもあり、憤激を撒き散らす、不愉快な怒号のようでもあった。

 そのように相反する感想を抱いた理由を、タナーシャは気づいていた。それは本質的に人が聞いてはならぬ声であり、理解の及ばぬ深淵から浮き出た、崩壊をもたらす超越的な存在の声であるからだ。

 思わず、タナーシャは精神が砕け散りそうになるところを、必死に歯を食いしばって耐え抜く。意志一つのこの世界で、精神の消失は文字通り死を意味する。従って、それは、精神体さえも死へと導く力を持っていた。

 彼女は理解した。もう時間は無いことを。アムゥの、魔人タファパの計画は、今にも完成しつつあるのだと。




 その頃、物見の塔からの帰路の間、ヴァラムとバルーは、穏やかに飛空艇の中で過ごしていた。ヴァラムは、飛空艇を操縦しながら、時折隣の席に座るバルーの姿を、横目でちらちらと確認していた。

「今の僕の事なら、別にまじまじと見てもらっても構わないよ。それとも、他に疚しいことでもあるのかい?」

 その視線を察してか、バルーが少しいたずらな顔で、操縦をするヴァラムを、そう揶揄った。そう言われ、ヴァラムの頬が赤く染まっていく。

「い、いや。その、今のお前は、結構、変わったからさ」

「僕的には、変わったというよりは戻った、という感じだけど」

「そ、そうだよな、すまん」

 しどろもどろに慌ててヴァラムは謝ると、操縦桿を両手で再度握りしめ、視線を前に固定する。

「なあヴァラム、今僕たちは真っ直ぐ飛んでいるだけ。まだ海も超えないよな?」

「ああ、そう、だけど」

「じゃあ自動操縦でも問題ないんじゃないか?」

「……」

 その言葉の意味を、ヴァラムも勿論気づいていた。彼は操作盤を数回叩くと、機械音声が自動操縦に切り替わったことを告げた。彼はその後操縦席の椅子を回して、隣のバルーと向き合った。

「……いい服だな」

「ありがとう。僕が自分で作ったからね。気に入ってくれて嬉しいよ」

 彼は、腕を広げ、身に纏う艶やかな黒衣を、ヴァラムに見せつけた。

「タナーシャの言う通りだったんだな。お前はもう母の呪いを解除していた」

「そうだね、あとは僕の意志一つだった」

「けど、じゃあ、どうして戻れなかったんだ?」

 そう言われ、今まで軽やかだったバルーの表情が僅かに暗くなる。

「僕は母のようになるのが怖かった、んだと思う。託された魔剣が、僕たち一族の暴走を防ぐ鍵であることに気づいてからというもの、僕は自分が、人の形をした悪魔のように思えてならなかった。いつか、母の最期のように、この身体から恐るべき怪物が飛び出してくるんじゃないかと。だから、竜の力を取り戻すことに、本来の自分に戻ることに、怯えていたんだと思う。そして多分、その脅威は今も去ったわけではない」

「そっか。でも大丈夫だ」

 ヴァラムは、心配そうに震えるバルーの手に、優しく手を添えた。

「そうなったら、また、さっきみたいに、俺が呼び起こしてやるからよ」

「……、そっか、そうだな、ありがとう。またそうなったら、頼んだよ」

「任せとけ」

 ヴァラムは満面の笑みを見せ、バルーを励ました。彼もまた、それにつられて笑みがこぼれる。

「ところで、ヴァラム」

「うん?」

 それは不意打ちだった。手を重ね合うほど、近づいていた二人の距離、従ってバルーがヴァラムの顔に近づくのもさして難しいことではなかった。

 二人の唇同士が触れ合う。

 一瞬何が起きたのかわからず、そしてそれを理解して顔を更に赤らめるヴァラム、一方のバルーも恥ずかし気に顔を赤く染めていたが、得意顔で彼のそんな様子を面白そうに眺めていた。

「ふふ、照れ臭いね。流石に」

「お、おい、お前」

 数秒見つめ合った後、バルーは、ヴァラムから顔を逸らした。

「それより、ヴァラム、前に言っていた、新型の機械翼、あとどれくらいで仕上がるんだ?」

 と、バルーは話題も逸らしていった。

「……えっと、その、まぁもう少しで完成するよ」

「なら、自動操縦ができる間に、完成させておくべきだと思うよ」

 バルーの言葉の意味を、ヴァラムは上手く汲み取ることができず、頭を捻っていた。

「虫の知らせなのかな。僕の心が、さっきから何度も告げているんだ。大きな戦いは、もうすぐそこに迫っている、とね」




 それから一時間弱ほど経った後、二人が<ジェヴァイヴ>大陸をその視界に捉えると、突如アースから託されていた使い捨ての連絡端末が、けたたましい通知音を上げた。アースは、<ユピトゥ>の郊外にある停留所ではなく、更に都市から離れた、岩の多い荒野へと向かうよう、二人に指示をした。彼女曰く、七番隊に動きがあり、それが何を意味するのかを確かめるために、聖騎士隊に潜り込んでいた自分側につく隊員に尋ねたところ、彼らの半数が飛空艇に、そしてもう半数をアムゥが連れていったと。彼らは<ユピトゥ>の中心地から離れ、首都の三段階層の背後に鎮座する、<エスディゼット>山の中腹にある、<ユヴァート>皇室の皇居へと向かったと述べた。

 その半分は、ヴァラムたちが物見の塔で倒した者だとすぐにわかったが、残りの半数が何故アムゥに連れられて、皇居に参じたのかは、アースにも、それを報告した聖騎士にも把握ができていなかった。

 バルーは半信半疑だった。この通信自体が、アムゥの策略なのではないかと。既にアースは敵の手に落ちていて、自分たちを罠に仕掛けようとしているのではないかと。

 だが一方ヴァラムは、すぐにアースの指定する座標へと向かうことに決めた。通信が終わった後、二人は七番隊の動向の真偽を話し合った。しかし少なくとも七番隊の半数が動いていることは確かであり、更に今まで蓄えていた物見の塔の魔力塊さえも動かした以上、彼の計画が最終段階へと向かっていることもまた、嘘ではないだろうと理解していた。

 無論この時のヴァラムたち、そして<ユピトゥ>に控えるアースら反逆の聖騎士たちも知る由も無かったが、皇居へと向かったのは、アムゥと七番隊の残党だけではなかった。タナーシャもまた、魔力の泥で意識を奪われながら、その皇居へと移送されていたのだ。

 結果的に、バルーの予感は正しかった。そして既に、事情を掴み切れていないはずのヴァラムたちさえ、皆が直感していた。この戦いは最終局面へと移行したことを、そしてここからは、更に壮絶な戦いが待ち受けていることを。

 


 

 飛空艇が、アースに指定された座標の荒野へと辿り着くと、そこには、アース、シヴィ、ユイスナの三人が待ち構えていた。

「それで、その後新しい情報は?」

 飛空艇から降りてきたヴァラムとバルーの姿を見て、ユイスナとシヴィが魔剣を手に取る。

「ああ、二人とも武器をしまえ。彼はバルーくんだよ」

 見慣れぬ赤い長髪の男が、バルーであると彼らは最初気づけなかったのだ。そう言われ、まじまじと彼を二人は見つめると、確かに肌と瞳の色が変わっていたものの、顔つきや体つきが、バルーのそれであると、ユイスナもシヴィも気づいた。

「はは、二人は彼らと付き合いが短いからね?しかし、おめでとう、と言うべきかね、バルーくん」

「今は世辞を言い合っている場合じゃないだろ。何故アムゥは皇居に七番隊を引き連れていったんだ?」

「すまない、それはまだわかっていない。しかし『正義の僕』の一人が、ある情報を掴んだ。完全に信頼できる情報ではないが……」

 シヴィは、途中で言い淀んだが、ヴァラムとバルーは無言でその先を促した。

「……実は七番隊とアムゥの他に大きな黒い塊を運んでいるのを、目にしたと、街中の聖騎士が呟いたのを聞いたらしい」

「……それって」

 ヴァラムとバルーは、それが物見の塔から放たれた、あの黒柱であるとすぐに察した。しかしそれを聞いて元聖騎士隊の三人は、まだ煮え切らない表情をしていた。その理由をバルーが問い詰めると、三人を代表して、アースがその真相を語った。

「その聖騎士の呟きを信頼するなら、その黒い塊は、二つ、あったそうだ」

「それって、つまり、もう一つは……」

 二人の脳裏に過ったのは、あの黒泥に囚われたタナーシャの姿だった。

「行こう、今すぐ。皇居へ」

「ああ」

 ヴァラムとバルーはすぐさま意を固めた。だが飛空艇に戻ろうとする二人を、アースが制止する。

「待て、これはもう、君たちだけの問題ではない。私達も連れていけ。アムゥ様は何故皇居に向かったのかは定かではないが、例えもうアムゥ様の傀儡に過ぎずとも、皇室はまだこの国に重要な柱だ」

 アースの説明に、ヴァラムたちも理解を示し、三人を後部座席へと入れた。

 五人が向かうは、<ユヴァート>皇室の宮廷、目的は皇族とタナーシャの奪還、及び、アムゥの計画の阻止。出自も思想も異なる五人であったが、今、この場においては、その目的を共有していた。五人を乗せた飛空艇は、その銀翼を天に羽ばたかせ、魔王座す聖山の宮殿へと飛び立った。


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