紅血の遺財 第五節
その戦いは、あまりに一方的なものだった。ヴァラムとバルーは、魔の鎧を纏った、アムゥの傀儡に手も足も出ず、防戦を強いられるばかりであった。バルーは、脆弱なヴァラムの肉体を守るために、前線に立ち続け、その体は鋭い刃に切り裂かれ赤い血をだらだらと流し続ける生傷と、強い衝撃によって発生した青い痣に染まっていた。ヴァラムも、何とか魔力障壁と、飛行装置を駆使して、戦闘不能に陥るほどの重症は避けていたものの、魔力の残量は、もう戦闘どころか、自身の命を守ることさえ難しい状況であることを告げていた。
『もう遊びは終わりだ、少年たち。君たちの旅はここで終わり、そしてその命は、私の糧となる』
「ふざ、けるな。この僕が、お前たちを、止めてやる!!」
口から血を撒き散らしながら、アムゥの傀儡に向け怒声を浴びせるが、バルーももう、これ以上このまま戦い続けるのは困難だった。
しかし、一つだけ、彼はこの状況を打開する術があることを察していた。だが、
「くそ、なんでだ、なんでだよ!」
彼は自らの身体に生じた感覚に戸惑っていた。竜の力を、引き出す事ができない。例えるなら、魂の底にある泉から、必死に魔力をくみ上げようとするが、何度試みても、その桶に水は入っていないのだ。時折、毛根付近の髪の毛が、赤く光ることはあったが、それ以上の変化を、今の彼の身体は許容しなかった。
『哀れな。使い慣れぬ竜の力に、愛想をつかされたか』
傀儡の一体が、目の前の力を引き出せぬバルーを軽く蹴り飛ばす。彼はそんな嘲るような攻撃さえまともに躱すことができず、呆気なく突き飛ばされてしまう。そして、今まで彼が死守してきた、ヴァラムまでの道が、とうとう開けてしまった。
吹き飛ばされながら、空中で彼は、ヴァラムのもとに、凶刃が今にも彼を襲おうとしていたことを目にした。
その後、生じるであろう惨劇を想像したとき、彼の魂は反転した。
血と肉、骨、彼の身体を構成する全てが、ただ一つの目的を達成するために、急速に進化していく。
彼の脳裏に過ったのは、かつて、母だった者が、魔王の如き威容を顕示し、人々の殺戮を楽しむ姿。彼が最も恐れ、否定し続けたものである。
だが愛する者に迫る死を前に、彼は、そんな恐怖など、どうでもよかった。
(たとえ、化け物になってでも)
その覚悟、あるいは捨鉢とさえ例えられる、その境地にバルーが達したとき、バルーの握っていた黒の大剣は、粉々に砕け散った。
彼はかつて疑問に思った。この大剣は、魔剣のように使用者の力を増加させたりしない。確かに魔力を吸う力はあったが、それはバルーでさえ、制御しきれるものではなく、せいぜい強弱を調整できる程度でしかない。しかも剣を介して吸った魔力は、彼自身の力にすることさえできないのだ。
彼は既に答えを得ていた。この剣が、魔力の瘴気や、アムゥの泥を吸っていない時、何を吸っているのか?この剣の役割は、母より伝え聞いていた、「継承されし竜の力の象徴」などではない。「魔力を喰らう竜」という性質は、人間の限界など知ったことではないように、際限なくその竜の因子を持つものに魔力を吸収させてしまう。彼の母が、バルーに魔力の半分と竜の力を引き渡してなお、精鋭の魔術師が複数がかりでも勝てぬほどの存在であったことが、その力の強大さを物語る。
つまり、この黒剣は、無限に増大する所有者の魔力を吸収する、力の枷でしかなかったのだ。
刹那、ヴァラムに迫るアムゥの従者たちは、全て一瞬で紙屑のように吹き飛ばされる。
ヴァラムの前には、彼を救った暴風の正体が君臨していた。
高さ一二ラットはあろうかという巨躯、更にその背からは、その巨躯さえも小さく見える巨大な翼と、長い尾が生えていた。そして、全身は赤と黒が混ざり、歪に光る鱗を纏い、巨大な腕と足には、鋭く太い爪が生え揃っていた。鰐とも馬ともとれる、その面長な顔には、合計六つの目が並んでいた。その頭を支える首もまた、長く、恐らくその全長は、体高の四倍はあろう。
竜、アムゥもヴァラムも、それを見た時に想起したのは、不思議なことに実物を目にしたことのない伝説の存在。だが、確かに、それ以外に彼の姿を正しく形容できる言葉は存在しなかった。
「バルー……なのか?」
ヴァラムは、その大いなる存在が、すぐさま自身の友であると直感した。だが、友の問いかけに、竜は言葉を返さない。
『面白い。竜退治といこうか』
吹き飛ばされたアムゥの傀儡たちは、皆何もなかったように立ち上がり、すぐさま攻勢に転じた。巨大な竜を、その刃で、拳で傷つけようと試みるが、しかし強固な竜の鱗は、それを容易く弾いた。
竜は腕を乱暴に振りまわし、襲ってきた傀儡たちに反撃する。
その腕は、暴風を巻き起こしながら、その傀儡たちを振り払うが、彼らは非常に巧みに、竜の攻撃を躱した。
『なんだ。竜というよりは、まるで獣じゃないか』
竜の身体に、傀儡が迫る。それを尾で叩き落とすが、その傀儡はそのまま細い糸を鎧から無数に撒き散らし、それを竜の身体に纏わせた。
その糸は、竜の全ての関節を、巧みに阻害する網となり、竜の動きは鈍っていった。
『いや、これは獣以下だ。本能すらない。君にあるのはたった一つの目的のみ。そんな単純な機械のような思考回路では、その神に届きうる力も、持ち腐れというものだ』
傀儡たちは、次々、最初の一体に習って、同じように糸を放ち、竜の身体に纏わせる。四方八方から繰り出される、魔の網は、とうとう竜の動きを完全に制した。
『期待して損した。君の魔力量、喰らいつくすにはいささか時間がかかりそうだ。君はそこで、友の死を見届けて……』
突然、その傀儡は弾き飛ばされた。竜は依然、拘束されたまま。その攻撃は、今まで竜に守られていた、ヴァラムの、その翼を用いた突進によるものだった。
「うるせぇ、アムゥ。おい!バルー、てめぇ、お前も言わせてんじゃねえよ!こんなもんか!こんなもんかよ!」
彼の叱咤激励は、竜の空虚な体の中に、奇妙なモノを発生させた。それは泡のようで、今にも消えそうな、儚い物だった。
「お前の母親の呪いがどうした!お前は、俺が知ってるバルーって男は、どんな困難も、知恵と力で切り開いてきたんだ!そんなんじゃねえだろ、お前の本当の力は……」
だが、その泡は、ヴァラムの言葉と共に、いくつもふつふつと沸き上がっていく。そしてそれは幾重にも重なり合っていく。
「そうだ、俺を守ってみせろ、バルー。俺の愛した男が、世界で一番強いって、ここで証明してみせろよ」
それは聞きようによっては、かなり横暴な言い様だった。だがヴァラムの言葉は、まさに、今、バルーが必要としたものであった。
竜の身体という牢獄で閉じ込められたバルーの魂。
ヴァラムの声が、その魂を新たに包む体を作っていく。彼の理想であり、同時に起源でもある肉体が、みるみる形成されていく。
愛する者を守るため、愛する者を抱くため、そして何より愛する者とこれからも共に過ごすため。
蛹から羽化する蝶の如く、今、バルーは竜の身体を脱ぎ捨て、その内から、真なる肉体を新生したのだ。
竜の身体にヒビが入る。びしりという音が響くと、どんどん鱗が剥がれ落ちていった。
『なにが、一体何が起きている』
その光景にアムゥは、恐怖し、警戒し、そして何より惹きつけられた。
従って彼は、その竜の身体が、強烈な光を放った後、粉々に爆発するまで、身動きを取ることができなかった。
不思議なことに、ヴァラムは、自身の背後で起きている現象を確認しようと振り返らなかった。彼は「何が起きているか」をまるで知っているかのようであった。
竜の身体の爆発によって巻き起こった、その辺り一帯を包み込むほどの噴煙が、数秒してようやく晴れると、その中心には、糸で雁字搦めにしていた竜の巨躯の代わりに、一人の人間が堂々と立っていた。
その人間の髪は赤く、そして、長い。
その人間の肌は銅のように深い色で、そして輝いていた。
しかし、そこに立つは、亡国の姫たるファリアではなかった。
「待たせやがって、バルー」
「ああ、すまん」
生まれ変わったバルーは、竜の鱗を想起させる、黒の衣を纏って、ヴァラムのもとへ歩いていく。と同時に、ヴァラムはその場に力なくへたり込んだ。
「ごめん、俺はもう体力も魔力も限界。もう立ち上がれん。だから、あとは頼んだぞ」
「任せとけ」
そう言って、二人は互いの拳を突き合せた。
『は、何かと思えば、元の状況に戻っただけ。竜の身体を脱ぎ捨て、拘束から逃れた程度で、勝ち誇られても困るわ!!』
アムゥの傀儡は、そう言った後に動き始めた。間隔も方向も、速さも、全てが異なる陣形。四方を取り囲まれ、守る者を背後に置いたバルーが、それを凌ぎ切るのは困難であろう。
しかし、圧倒的に有利な状況でありながら、彼が勝負を急ぐような総攻撃をしかけたのは、ひとえにその心に久しぶりに生まれた感情、恐怖が原因だった。
竜の姿から戻ったにも関わらず、バルーの魔力は依然巨大、いやそれどころか、ますます増えていく。まるで天井を知らぬような、常識はずれの成長は、アムゥの判断を鈍らせた。
「竜の尾」
バルーの魔術詠唱、すると、彼の右腕に、先程自ら砕いた魔剣に代わり、炎の剣が形成される。それは、詠唱から想起できるように、切っ先にいくにつれて先細りした形状であった。
彼が軽く、その炎の剣を振るう。するとその炎の剣は、鞭のようにしなり、伸びていき、迫りくるアムゥの傀儡たちを、全て薙ぎ払った。しかしそれだけで終わらなかった。炎の剣が斬りつけた傀儡たちの鎧は、傷口から徐々に延焼するように炎が広がっていき、徐々にその鎧は、熱された鉄のように溶けていく。そして、とうとう、その中に閉じ込められていた人間の身体が露となった。
『馬鹿な』
残ったのは、この塔にいた誓約者に憑りついた個体だけだった。
『いや、いや、まさか。これほどの力とは、はは、はははははは』
アムゥは、狂ったような笑い声をあげながら、その傀儡を繰り出した。
しかしその突貫にも、バルーは決して表情を変えなかった。
彼は手に持っていた炎の剣に、意識を集中させる。すると、無形だった炎の剣が、徐々に硬質化していき、一振りの美しい大剣へと変貌していく。荒々しく吹き荒れる炎は、その輝きのみを残して、そのまま結晶化させたかのような、朱色の刀身になっていた。
いや、事実、その刀身は、固形化した炎そのものであった。
巨体の傀儡がその拳をバルーに振るう寸前。その朱の大剣は、空気を揺らすほどの熱を放ちながら、あっさりとその重厚な鎧を切り裂いた。
『はは、これは、まいったね』
その台詞を最後に、鎧は徐々に崩壊していき、灰となって消失した。鎧が真っ二つに両断されたにもかかわらず、中にいた誓約者の身体には目立った傷は無かった。
だが、その男は、先程目にした時よりも、肌が白くなっていた。
「……アムゥめ」
周りの傀儡となっていた人間たちにも目を向けると、彼らも同じくらいか、あるいは更に色が全て抜かれたような肌をしており、一切の呼吸をしていなかった。しかしどの体も、バルーが命を奪ったわけではない。彼はアムゥの鎧だけを、喰らった。にもかかわらず、アースのように意識を取り戻さなかったのは、彼らが長く傀儡とされていたせいで、その命を文字通り消費されきってしまったためである。
「バルー」
彼らを救えなかったことで、失意に沈むバルーに、ヴァラムは声をかける。
「ヴァラム、ありがとう、君のおかげで、戻ってこれた」
「よせやい。俺はただ、卑屈なお前に、自分の強さを教えてやっただけだ」
ヴァラムは、もうすでにただの重りと化していた機械腕と翼を脱ぎ、バルーの元へ近づいていた。すると、彼らの上空から、つんざくような音が辺り一面に響き渡った。その正体を確かめようと、二人は見上げると、そこには塔の頂点から、高速で飛び出す、黒い塊があった。
「お、おい、あれ」
「どうやら、急いだほうが良さそうだ。先の誓約者の言葉を信じるなら、アムゥはここ何年にもわたり、この星の魔獣の発生を抑制するほどに魔力を吸収していた。十分と判断したか、あるいは僕たちに邪魔をされるのを恐れたか。いずれにせよ彼は、次の行動に打って出た。そしてあれほどの強大な魔力を吸収したアムゥならば、終局の召喚に成功するしないに関係なく、人間文明を崩壊させるなど造作もないだろう」
「だな。バルー、タナーシャを助けに行くぞ」
二人は急ぎ、ここまで来るために使った飛空艇に乗り込み、タナーシャの待つ<ユヴァート>の首都<ユピトゥ>に向けて、全速力で飛び立った。
町の人々、いや<イタクス>の国全体が、理解していた。彼らは戦争には勝ったが、それによって得たのは、彼らの平和・自由などではなく、新たな支配者の到来でしかないと。だが、大国<ルペット>との死力を尽くした戦いと、その後の<ユヴァート>による支配は、彼らの心に大きな動揺を生じさせた。
果たして、自由の戦いに、意味があるのだろうか?
彼らのその実感を加速させたのは、<ユヴァート>による「治安回復」の名目による、事実上の<イタクス>支配に対する、諸外国の反応である。
彼ら、特に、元々<ルペット>と敵対していた、<ジェヴァイヴ>大陸のもう一つの大国、<ユスブクシャ>は、<ルペット>による強権的な<イタクス>への干渉に、長らく反発し、そして独立支持派であった。<ユスブクシャ>にとって、意外だったのは、かつて<ルペット>と同盟を結んで、東西大戦に参加した<ユヴァート>が、かつての宗主、<ルペット>に逆らい、<イタクス>の独立に同意をしたことであった。当時の<ユスブクシャ>は、この宣言に驚愕しながらも、<ルペット>を第一の敵に置いていた彼らにとって、その造反は、思いもよらぬ朗報だった。東側諸国が、お互いにつぶし合えば、自分たちは「大国による小国への攻撃」に「反対」の立場を取りながら、何一つ行動する必要がない。<ユスブクシャ>の態度は、他の多くの国も追随する形となり、結果的に<玄黄星>は、ほぼ全ての国が「動かぬ親<イタクス>派」となり、<ルペット>には国際的な圧力が全方位からかけられていた。
だが、その静観は、<ユヴァート>への大義名分を与え、<イタクス>独立の唯一の功労国である彼らに対し、<ユスブクシャ>が一言申すことに、ある種の抵抗を生じさせた。結果として、その後、<ユヴァート>による<イタクス>支配を、堂々と指摘・反論できる国は『唯一の例外』を除いて、存在しなかった。
<イタクス>が少しでも、<ユヴァート>の支配へ抵抗しようとすれば、「<イタクス>に潜む『反独立派』」の暴挙として国際的に喧伝された。小さな反抗の芽はそうして潰え、<イタクス>は現状に耐え忍ぶ以外に無かったのだ。
そして彼らは、当然今のこの状況が『いつ爆破するかわからない火薬』を、自国に抱え続けるようなものだとも理解していた。まるで、主人の鞭を恐れる奴隷が如く、<イタクス>は政府も国民も、日々自分の庭のように堂々と闊歩する<ユヴァート>のご機嫌を損ねないよう試みていた。
だが、そんな努力を嘲笑うかのような出来事が起きた。
タファパが暮らす街に駐屯する<ユヴァート>聖騎士が、「反独立派」として、ある町民三名を追跡していた。彼らが、本当に親<ルペット>派であったかどうかは、もはや確かめる術はない。何故なら彼らは、街中、白昼堂々、聖騎士に抹殺された。
目の前で繰り広げられたこの暴力に、町の人々は僅かに反意を示した。当然だ。自分の友人や知人が問答無用で殺されて、不快感を覚えぬものがいるはずがない。
だが、その一瞬の敵意を、この短絡的な聖騎士たちは、目ざとく感じ取った。そして、この地に駐屯する聖騎士の指導者アムゥは、何を思ったか、この街を「親<ルペット>」の巣窟、として本国、及び<イタクス>政府に報告。傀儡政権に過ぎない<イタクス>政府は、「復興支援」という名目の「強引な捜査活動」を承認、アムゥは聖騎士を増員し、<ネミーフ>地方のこの街中に聖騎士を配置、少しでも怪しい行動をすれば拘束、逃げようとすれば射殺、斬殺しても構わないと、彼らに伝えた。
当然、こんな横暴を、街の人々は許せるはずがなかった。例えもう戦う気力がなくとも、ここで戦わねば、もう彼らは「ヒト」であることすらままならないことを確信、ある男性に対する一人の聖騎士の暴行を、人々は自ら盾となって防いだ。だが、それに合わせ、聖騎士側も武力行使を決定。そして聖騎士が増えると、町民の盾も増加、これを繰り返し、僅か十数分のうちに、その争いは街全てを飲み込む大事件へと発展した。
街はずれに暮らしていた、トゥフビたちも、この喧騒は聞きつけていた。トゥフビは、衝動的に家を飛び出そうとした。それをタファパは必死に食い止めた。
「どうして止めるの。『母さん』が買い出しに行ったきりなの!助けにいかなきゃ」
「駄目だ!今行けば、君も無事では済まない!!」
「お願い、もう私は、失いたくない」
今にも泣きだしそうな彼女の瞳に、タファパは引き下がった。
「だけど、それなら僕も行く」
「……それ、は」
「君と同じ判断をするんだ。同じ論理で反論はさせない」
しばらくして、トゥフビは頭を縦にゆっくりと振った。
「わかった。ありがとう、タファパ」
「当然だ、家族だろう」
二人は、急いで街の方へと繰り出した。
だが、彼らが目にしたのは、思いもよらぬ光景だった。
戦車、飛空艇さえも導入され、日々人の活気で溢れていた街唯一の大通りは、今は爆発音と悲鳴で木霊していた。
あちこちで逃げ惑う街の人々、それを執拗に狙い、一人一人殺していく聖騎士たち。
無抵抗な人もいれば、勇気を出し、歯向かうものもいたが、皆一様に斬殺されていく。
「あ、ああ、ああ……」
二人は思わず、膝を折りそうになる。小さな街、見知った人たちが、次々と無残な死体へと変わっていく。
「これは、……っ、危ない!!」
タファパは、トゥフビの身体を抱えて、勢いよく横に飛んだ。その後、彼らが先ほどまで立っていた場所に、巨大な魔力の炎が高速で降り注いだ。
「問答無用か、トゥフビ、イミ母さんを探して、早くここから……」
ふと、彼が隣にいたトゥフビを見ると、彼女は、たまたま二人が飛び込んだ場所に寝そべっていた、腸を吹き出しながら倒れる死体を、まじまじと見つめていた。
彼女は動揺こそしていたが、その目は、むしろ強い意識が彼女に芽生えつつあることを物語っていた。
「やめろ、トゥフビ」
「ごめん、タファパ」
トゥフビは、タファパに優しく微笑んだ後、突如駆けだした。爆炎と鋼鉄の中心地に。人々が血に染まる虐殺の場に。
「皆、こっち、こっちに逃げて!」
逃走する町民を、トゥフビは、まるで自分の後ろに隠すように誘導する。彼女は飛んでくる炎を、時にはそこらに落ちていた鉄板や、石床、あるいは自分の身体で防ぎ、街の人々の盾となった。
「……っ!!」
そんな彼女の元へ、タファパも駆けだした。タファパは街の人を手に持った剣で殺そうとしていた聖騎士の首根っこを掴むと、今にもトゥフビに降りかからんとする砲弾に向け、投げ飛ばした。トゥフビに当たる寸前、その聖騎士によって、砲弾は炸裂した。
「馬鹿、さっき、家族を守ると約束したばかりだろ」
「……ごめん、つい」
二人は、互いの死角を補いあうように、街の人々を必死に助け続けた。時には聖騎士と対峙し、時には降りかかる砲弾を弾き飛ばす。二人の身体は徐々に傷ついていったが、思わぬ反撃に聖騎士たちの前線が、後退しつつあった。
彼らの後ろへと逃げ込めた街の人は、たった二人の城塞によって、次々と救われていく。
「おのれ、二人の子供に、何を手こずる!?さっさと始末しろ!」
聖騎士隊を率いる小隊長のような男が、前線の遠くから部下に指令をだしていた。
その号令により、今まで無差別だった爆撃が、二人に集中するようになる。彼らは背後の人々を守る必要は無くなったが、その苛烈な攻撃に、徐々に後退していく。
そんな爆撃の中、一際強烈な魔力が、高速でタファパのもとへ飛来していた。魔導砲に、時間をかけて魔力を込めた強烈な一撃、タファパはそれを躱せなかった。だが躱す必要は無かった。彼は魔人、人ならざる者、身体は模倣しただけにすぎず、仮にその胸に大穴が空いたところで、その存在は消えたりはしない。
だが、彼は、結局その砲弾をその身に受けることはなかった。どんと、彼は横から押され、その弾道から外れた。そしてその砲弾は、代わりに彼を押しのけたトゥフビの横腹を、無慈悲に貫いた。
「トゥ、トゥフビーーー!!」
急いで、トゥフビのもとに駆け寄る。だが、彼女の呼吸は、内臓の大半を失ったことで既に浅く、その目は虚ろだった。
「おい、おい!」
必死のタファパの呼びかけにも関わらず、トゥフビは少しずつ命を失っていく。
「ごめん、ごめんね」
彼女は、掠れた声で彼に謝る。
「なにを、なにを謝るんだ。大丈夫だよ、助かるから、きっと助かるから!」
タファパは、トゥフビの身体を、自分の身体で覆い、なお続く砲撃から彼女をその身で庇った。
「母さん、私、名前に相応しい、人間になれたかな?」
「ああ、ああ。ララ母さんはきっと君を誇っている。そして君はこれからも、『正しい心』、人々を助ける、正義の味方であり続けるんだ!」
「ごめん、もう、わた、し、ご、めん」
彼の胸の中で、トゥフビの身体は、突如だらりと力が抜けた。それが何を意味するか、タファパは理解していたが、とても認められなかった。
「うそだ、うそだうそだ」
なお、彼の背を、魔力の炎が焼き払う。だが彼は、もうそのことすら感じられなかった。
しかし、彼が姉の死に放心している間、聖騎士たちは前線を進め、とうとう彼の後頭部に剣が突き立てられた。
「お前ら二人は、聖騎士に逆らった。即刻死刑だ」
手こずらせた相手に勝利したことを確信し、聖騎士は笑いながら、その剣を振り上げた。
その間、タファパの脳裏では、思考が繰り広げられていた。
なぜ、彼らはこんな非道を行う?
なぜ、僕の家族は、皆不幸になる?
なぜ、彼らは殺戮を楽しんでいる?
「ああ、そうか」
答えを導いたとき、彼は思考ではなく、それを声に出した。
「これは、食事」
思い出したのは、トゥフビたちと昔交わした「食事」の話。
「なら、僕も同じことを、すればいいんだね」
奇妙な独り言を不気味に思い、聖騎士が戸惑っていると、突然、その剣を構えた聖騎士の上半身が消えた。
後ろに控えていた聖騎士たちが目にしたのは奇妙なもの。
タファパの背中から、黒い巨大な口が生えていた。
「皆、たべちゃおう。そうだ、食べてしまえばいいんだ。君たちも、誰かの糧になることを、楽しみにしているんだろう?」
聖騎士が戸惑っている間、タファパはゆっくりと立ち上がり、そして振り返る。
「いただき、ます」
タファパの身体が人の形をやめる。黒い球形に変化すると、それを中心に、無数の触手が伸び、彼を取り囲んでいた聖騎士を次々と飲み込んでいく。その触手の先には、先程目にした巨大な口がそれぞれついていて、その強靭な歯は、容赦なく聖騎士の身体を食いちぎっていった。
突然のことに、聖騎士は逃げ惑い、あるいは反撃しようとするが、どれも効果はなく、呆気なく全員、タファパに貪られていった。
数分して、とうとう街の大通りから、凄惨な声や、爆音が消え、静寂が訪れた。その中心に立っていたタファパは、少しずつ体を取り戻していく。
「何故だ、楽しくない。食事はあんなに楽しかったのに」
だが聖騎士の暴挙を食い止めたタファパは、彼の感情に一切の変化が訪れないことに困惑を隠せなかった。
「ああ、そうだ」
タファパの脳裏には、依然見かけた聖騎士を率いていたアムゥという男の姿。
「あいつが、首謀者だった。あいつを食えばいいんだ」
ゆらゆらと、タファパは大通りを歩いていく。彼の背後には聖騎士と、街の人々の死体。少し歩いた後、彼は視界の端に、あるものが目に入った。
それは、背の高い、黒い肌の女性。
イミトゥミルの身体は、残ったもう一つの足も奪われ、その胸には、巨大な剣が、深々と突き刺さり、建物の壁に磔になっていた。
「はは、はははははははははは」
彼は狂乱し、笑いながら、走り出した。
タファパは一人の獲物を求め、獣のように駆ける。
心も体も、彼は人の形を留められなくなっていた。




