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紅血の遺財 第三節

「綺麗になったね、タファパ!」

 タファパは濡れた体を、隣のトゥフビと一緒に、二人の母にタオルで丁寧に拭かれていた。無邪気にトゥフビは、タファパの青白い肌を興味深く見つめていて、時折触ろうと手を出しては、拭きにくい、動くな、と無理やりララに引き寄せられていた。

 髪と身体についていた水分をあらかた拭き終わると、ララとイミトゥミルは、更に子供用の服を二着用意して、二人に着せた。

「わー!お揃い!私の服なんだよ、それ!大きさもぴったり!ねぇ!一緒に遊ぼう!」

 ようやく母の束縛から解き放たれ、トゥフビはタファパにまるで突進でもするのか、という勢いで抱きつき、自分の服を彼が着ていることの喜びを、全身で表現していた。

「こらこら、トゥフビ、タファパと遊ぶのは、また後でね」

「えーどうしてー」

 再び引き離そうとするララに、娘は頬をわざとらしく膨らませて抗議する。

「だって、トゥフビはさっきまで森の中に一人だったのよ。きっとお腹が空いてるでしょ。まだ夕飯には早いけど、先にご飯を食べましょう」

 そう言われて、納得しながらも、渋々彼女は、タファパから離れる。

「よろしい!じゃあ私が今日は作るよ!美味しい物、一杯買ってきたからね!」

 イミトゥミルが、自信満々に、そのやる気を示すかのように、腕に力こぶを作る。

「わーい!『お母さん』の料理久しぶり!」

「最近はずっとララが作ってたからねぇ。たまには私も親の仕事しないとね?料理忘れちゃいそうだ」

 イミトゥミルは、そのまま窓際に備え付けられた厨房へと向かい、先程自分が手にしていた籠から、いくつかの食材を取り出す。ララはそれに着いていき、彼女も茸狩りで使っていた籠から、山菜や野菜、茸を、それの隣に置いていく。

「一杯取れたんだね?じゃあ今日はこれも使おうかな」

 イミトゥミルは、一つ一つ食材を見定め、料理に使うものを準備していく。

「何か手伝おうか?」

「ううん。ララはタファパとトゥフビを見てやんな。ほら、あんな感じだし」

 そう言われてララが後ろを振り返ると、今にもタファパを外に連れ出そうと、うずうずしている、トゥフビがいた。

 やれやれと、ララは自分の娘をなだめに行く。

 そんな間も、イミトゥミルは慣れた手つきで、食材を加工していく。野菜類や茸は食べやすい大きさにざくざくと切っていく。焜炉の上に鍋を置き、そこに油をさっと引き、熱を入れる。その後、自分が市場で買ってきた(ナーテン)の大きなもも肉を取り出し、それを丁寧に、かつ素早くそぎ切りしていく。そして鍋に切った鶏を並べる。

 イミトゥミルが、料理を順調に進めている隣で、ララはトゥフビに、食卓の上に食器を並べるよう頼み、自分はタファパと話していた。

「ねぇ、タファパ、貴方、これは何かわかる?」

 彼女は、そう言いながら、近くにあった適当な筆記具を取り出し、タファパの目の前に見せた。

 タファパは、自身の記憶の中で、それの正体を確かめる。多くの記憶で、それのことは「筆」と呼ばれていたことを確認する。

「ふで」

 タファパは記憶にある通り、その名前を呼んだ。しかしララは怪訝な顔を見せた後、再び手の届く範囲にある家具や道具を一つ一つ見つめていく。

 そして彼女は、玄関前の小さな机の上に置かれていた、自分が狩りに持っていく小刀を手に持ち、それを鞘から引き抜き、先程と同じようにタファパに見せた。

「これは?」

 タファパは再び記憶の旅に出る。呼称はいくつか確認でき、定義の曖昧さなどから、それを確かな名前で呼ぶ自身は無かったが、それの総称的な呼び方を推論する。

「はもの」

 それを聞いて、ララは、今度は何かに納得がいった表情を見せ、小刀を鞘に戻して、机に置いた。

「そっか、ありがと、タファパ」

 彼女はトゥフビに向ける笑顔を見せ、そして軽くタファパの真っ白な髪の毛をくしゃくしゃっと撫ぜた後、トゥフビを抱き上げる。

「じゃあ、トゥフビのお手伝い、一緒にしてくれる?」

 その問いに、タファパは首肯すると、ララは彼を抱いたまま、家の中央に鎮座する食卓の元へと向かった。


「美味しかったー!私、鶏肉大好き。タファパは?」

 イミトゥミルの作った、野菜と茸をふんだんに入れた、鶏肉の煮込みを満足げに平らげた後、口の回りにつけたスープを手ぬぐいでララに拭かれながら、タファパに微笑みかける。

「わからない」

 しかしタファパが想像とは異なる答えを出したことに、トゥフビは驚いて、目を大きく開く。

「ど、どうして!?美味しくなかった!?鶏肉嫌いだった!?」

 机に体を乗り出して、トゥフビは隣のタファパに詰め寄る。

「ちがう。きらいではない。きおくはあるが、けいけんではない。だからわからない」

 タファパの説明に、彼女は理解がいかず、首を捻るだけだった。隣にいるイミトゥミルも、あまり理解が追い付いていないようだった。しかし唯一、ララは彼の言葉の内容に察しがついていた。

「タファパは、この味の記憶はあるけど、今自分が感じているものが、それのどれに当てはまるかがわからない、ってこと?」

 ララの解釈に対して、正解を出すようにタファパはゆっくりと頷いた

「ちょっと、ララ、どういうこと?」

「それはまた今度話すよ。トゥフビ、タファパはね、美味しいってことが何かよくわかってないの。だから、怒らないであげて、ね?」

「そっか……。うん、わかった。わたし、これからタファパに『おいしい』を教える!」

「おいしい、とはなんだ。しょくじ、は、ひつような、えいようを、とる、もの」

 たどたどしくはあるが、めきめきと言語能力を向上させているタファパは、トゥフビにそう問いかける。

「えっと、えっとね。おいしい、っていうのは、こう、幸せになる感じなの」

「しあわせ?」

 しかし難しい感覚の定義を求められて、トゥフビはあわあわと、しどろもどろに返すことしかできなかった。そんな娘に助け舟を出すように、イミトゥミルが、席を立って、トゥフビの隣で中腰になる。

「前にちょっとトゥフビには話したよね?食事は、命を奪うこと、だって」

「うん、覚えてる!えっと、どんな動物も植物も、自分が生き残るために他の人から栄養を貰うって」

「そ。命を奪う。私たちはよく野山で狩りをするんだけど、それは山菜だけじゃない。動物もそう。今日買った鶏肉は、確かに市場で買ったけど、それも生きた状態だから、私が絞めたもの。そうやって命を奪っていることを、実感する、それが私は大事だと思ってる」

「おかしい、いのちをうばうのは、わるいといわれている」

 タファパは、自分の記憶の中で、「命の略奪」に関する、倫理観の判定を任せるものの、そこから得られた一般的な答えは、全てイミトゥミルの言ったこととは真逆だった。それどころか、動物を殺すことの残虐性を訴えながら、自分は別の動物を喰らっている存在の記憶さえあったのだから、なお混乱していた。

「そう、悪いこと。でも生きるためには、そうしなきゃいけない。どんな生物であれ、他者の命を奪って生きている。けどそうして命を繋げば、新たな命を生み出すこともできる」

 そう言いながら、イミトゥミルは、隣のトゥフビの頭を撫でる。

「勿論、命を極力奪わないように暮らす、というのも選択の一つだと思う。人間は本能に逆らって色んなものを変えてきたからね。何より、一番悪いことは、自分が命を奪っていることを忘れてしまうこと」

 少し話がズレてきていることを、ララの視線から気づいたイミトゥミルは、ごほんと一度、咳ばらいをして、話の軌道を修正する。

「何が言いたいか、というとね。これはあくまで持論だし、それに月並みな言葉だけど、『美味しい』っていうのは、自分が命を喰らい、そしていつか自分も誰かの糧となる、その命の連鎖を実感することだと思う。何故ならそれは、私達生命の持つ、生得的な喜びだから」

 タファパは、少し頭を捻る。多くの記憶から彼が独自に一般化した、哲学や倫理においては、それはあまり見られない独特な思想だった。だが、彼の頭の中の奥深く、それでいてごく小さな部分が、それに賛同の声を上げていることに、彼はまだ気づいていなかった。




 ヴァラムとバルーは、その後、再び塔を昇り始めた。ヴァラムの不安をよそに、バルーはぐんぐん階段を昇っていく。

 そして再び、先程のように、徐々に誓約者の身体が見えてくる。その姿が大きくなるにつれ、二人の間には言い知れぬ緊張が走る。とうとう、その誓約者の身体が位置する階層に辿り着いた。横目でそれを確認するバルーだったが、彼は気にせず、そのまま階段を昇り続けた。ヴァラムはそれに少し驚いたものの、事実透明な床の上に鎮座する、黒衣の誓約者は、動く気配すら見せなかった。

 そして二人は無事に、その階層を通り過ぎることができた。

「やっぱりお前の言った通り、アイツらは守衛じゃなくて、魔術式の一部、ってことか。けど一体、死体に泥まで埋め込んで、どんな術を作ってるんだ?」

 ヴァラムが下を見下ろしながら、バルーに問いかける。

「わからない。頂上まで行けば、その答えは見つかるかも。ただ等しい間隔で、魔の泥が埋め込まれた誓約者の亡骸が配置されているなら、彼らの体自体で、『力の道筋』を作っているのは間違いない。そしてこの塔の支配が、この星の人間を滅亡させるうえで、巫の独占と同じくらい重要な任務であるのなら、奴の狙いから逆算すれば、見えてくることもあるかもしれない。」

「狙いっていうのは、俺たちやタナーシャの動向を見張る以外に、ってことだよな?」

「ああ。それも狙いとしてはあるにはあったのだろうが、恐らくは副産物だ。そもそもタナーシャたち、<ドゥスエンティ>の巫は戦争の結果の捕虜。物見の塔の掌握よりも後の話とはいえ、もし巫が脱走したら、を考えて物見の塔を支配するなんて、あまりに非効率だ」

 じゃあ、なんで、とヴァラムが更に問い詰めようとしたとき、二人は代わり映えのしない螺旋階段に、奇妙な変化が起きていることに気づいた。徐々に、塔の景色が暗くなってきていたのだ。決して、光源が減ったりしているわけでもなく、依然として、壁には紫の光が走っていた。

「なぁ、暗く、なっているよな?」

「これは、ひょっとすると、魔力のせいか?」

 バルーは再び早足で駆けあがっていく。

 そして彼の足が速度を上げたのに比例し、塔は同じだけ暗くなっていった。

 もう目にも明らかなほど、塔が暗くなったのを確認して、彼は足を止め、後ろから追いかけてくるヴァラムを待った。

「一体、こりゃ、どういうからくりだ?」

「ヴァラム、魔力の吸収装置、今使えるか?」

 バルーの質問に、ヴァラムは今一つ理解がいっていなかったが、彼は懐から言われたまま吸収装置を取り出す。

「使えるけど……どこに使うんだ?」

 彼はあたりを見渡すが、すでに壁もうっすらとしか見えず、壁に這う光の血筋もぼんやりと淡いものになりつつあった。

「ここだ。この空気中で、使ってみてくれ」

 言われるまま、ヴァラムは吸収装置の電源を入れる。以前と同じように、それは光点が点滅し、正常に作動していることを知らせる。

 そして驚くことに、ヴァラムの手元が少し光輝いた後、装置はその容器に魔力を貯め始めた。

「おい、なんで……」

「やっぱり、この空気中に、奴の魔力が霧散している。そしてそれが光を奪ってるんだ。仕組みはよくわからないが。だが、それが原因なら」

 バルーは魔剣を召喚する。するとまた奇妙にも、魔剣が光を放っているように見えた。

「魔剣が光って……、いや、魔剣が霧を吸収して、その空間の光が戻っているのか……」

「そういうことだろう。全部は吸いきれないだろうが、僕たちの周りの魔霧を減らして、光源の確保くらいはできるだろう。それに、特に害はないだろうが、まぁ吸い込まないのに越したことはない。できる限り僕の後ろについてきてくれ、ヴァラム」

 バルーは、まるで松明のように魔剣をかざしながら、再び歩き始める。

「行こう、ヴァラム。恐らく、もうすぐ頂上だ。燃料は大丈夫か?」

「おお、まだかなり残ってるぞ」

 二人はそのまま暗くなっていく階段を昇り続けた。もはや、自分の手元の距離すら見えなくなるほどの暗闇に包まれ、彼らは、バルーの持つ剣が放っている光で、どうにか前に進めていた。

 しばらくして、先導するバルーは、今まで同じ間隔で存在していた段差が突然なくなったことに気づいた。踊り場に来たのかと、確かめるために足元に剣をかざす。剣は光を飲む魔力の霧を吸い込み、足元が僅かに見えてくる。しかしそこは、今まで昇ってきた階段とは少し材質が違った。更に辺りを照らすと、今までは透明の床が貼っていた場所には、目に見える床が存在していた。安全のために、出来る限り壁際を沿って歩いてきたので気づいていなかったが、既に彼らは螺旋階段を抜けて、最上階に到達していたのだ。

「かなり暗いな。僕の剣でも、全く吸い取れない。流石に変身しなきゃ、無理か」

 バルーの表情は、ヴァラムからは見えなかった。しかし彼が気乗りしていないことは、その声色でヴァラムからもわかった。

「なぁバルー、ちょっと試したいことがあるんだがいいか?」

 ヴァラムはそう言って、先程の魔力吸収装置を右腕の機械腕に装着した。

 そして彼は、装置を起動させると同時に、機械腕と翼を展開する。その後、彼は腰につけた操作盤に触れる。バルーは、ヴァラムが何をしているのか、その暗闇のせいで完全に把握はできていなかったが、聞きなれた独特の金属音は、彼の行動を物語っていた。

「ヴァラム、一体何をしてる?」

「まぁ、見てろって」

 操作盤を入力すると、ヴァラムの機械翼からは、独特の動作音が発生し、そして彼は空中を浮遊し始めた。だが推進器からは炎が吹いてはおらず、彼の飛行は、全て重力操作の機能によるものだった。

「重力操作は、高度な魔術だから、かなり魔力を消費してたんだ。だから飛行制御とか、機械翼の重量軽減くらいにしか使えなかったし、こうして人一人を浮遊させるほどの重力操作は相当魔力が減るはず。だけど、ここで俺が新たに試作した、魔力吸収装置との接続装置の出番ってわけだ。まあ本当は、今作っている新型機械翼用の装備だったんだが。けどこっちの旧型の方が、魔力効率は悪いし、ちょうどいい。つまり、こうして魔力を無駄遣いし続ければ」

 最上階の黒い霧は、ヴァラムを中心に少しずつ消えていき、視界が開けていく。数分も経たぬうちに、不気味な薄暗さは残ってはいたが、その部屋の全体像は明らかとなった。

 今までの塔と同じく、その部屋は正円の形をしていたが、その上部は半球の形をしていた。そして何より目を引くのはその部屋中央。その真ん中には、巨大なひたすらに黒い柱が存在した。それはあまりに黒く、それが円柱なのか、角柱なのかさえも一見ではわからないほどであった。

 そしてその柱を取り囲むように、先程から目にしていた黒衣の誓約者たちの身体が、三十を超えて円状に並んでいた。

「おいおい、こいつら、全員……」

 ヴァラムがその威容に驚いている中、バルーはその誓約者たちの姿をじっと観察していた。そして厚い黒衣のせいでわかりづらくはあったが、彼らの肩は僅かに上下していたのだ。

「いや、彼らは、生きている……?」

 それを確かめようと、バルーがその誓約者の前に回り込もうとする。しかし、その途中で、床に奇妙な現象が起きていることに気づいた。あの艶やかな石床には、紫がかった、黒い粘性の泥が、まるで蔦のように這っていた。そしてその蔦は、真ん中の黒柱より放射状に出で、それぞれの誓約者の足元にまで続いていた。その蔦を避けるようにバルーは忍び足で、誓約者の顔を除きこんだ。彼らは、今までの誓約者たちの亡骸とは異なり、顔には確かに血色があった。しかし、その皮膚には、床を這う泥の蔦が、まるで体に入り込んでいるかのように、歪な黒い筋が浮かび上がっていた。

「この誓約者たちは、この柱に繋がっているようだ。生きてはいるが、意識はない。この黒い柱に意識を乗っ取られているのか」

「もし、そうなら、バルー、お前の剣の力で呼び起こすことってできないかな?これも、アムゥの魔力の泥が原因なら、の話だが」

 そう言われ、バルーは自分の手に持った剣を不安げに見つめる。

「とりあえず、試しにやってみよう」

 バルーは、目の前にいる一人の誓約者の肩に、まるで叙勲でもするように魔剣を置く。

 魔剣がほのかに赤い光を放つと、男の皮膚から黒い染みが徐々に落ちていく。それと同時に、その男は、徐々に瞼を開いていく。闇に適応したかのように、白んだ瞳も、少しずつ生気を取り戻し、光を宿していく。同時に感情と思考も取り戻していった様子も確認できたが、目は辺りを見渡すように、素早く動き、状況の把握に努めようとする。しかし同時に、何故か彼の血相がどんどん悪くなっていく。

「あの、すみません、大丈夫ですか?」

 それを見かねて、思わずバルーが話しかける。しかしわなわなと唇を震わせながら、その男が発した言葉は、二人にとっては想定外のものだった。

「一体、なんてことをしてくれたんだ……」

 返ってきたのは闇の中から救われた者の謝意ではなく、それは夢から覚め、絶望に落とされた者の怨嗟だった。




 タファパが拾われてから、五年がたった。彼は未だ、ララとイミトゥミルのもとで、まるでトゥフビの実の弟のように過ごしていた。彼が人として暮らす中、昔持っていた独特の感覚も薄れていき、自分が経験したことも無い過去の夥しい量の記憶は影を潜め、自分で積み重ねた記憶が強くなり始めた。自我の獲得と、自己の成立を遂げ、彼は最早タファパ以外の何者でもなかった。

 彼がそこで暮らす中、自分が今いる場所についても理解できた。ここは<イタクス>という小国の、更に自然の生い茂る、辺境の小さな町であった。彼は本や書物を通じて、<イタクス>の歴史や、現在の情勢を把握したが、後にこの読書は、彼の慣習、ひいては日々の楽しみとなっていき、毎日湯水のように本を読み漁った。結果、彼はこの村一番の知識人になりつつあった。

「タファパ、タファパ、そろそろ狩りに行くよ!!」

 扉越しでも、鼓膜に響くほどの大声で、彼の名が呼ばれる。

「トゥフビ、もう少し待ってくれ。あと少しで読み終わるんだ」

 だがその抵抗もむなしく、彼の部屋の扉は激しく開け放たれてしまう。

「もう、駄目だって。知識は逃げない!獲物は逃げる!なら、優先すべきはどっちかわかるでしょ!?」

 そこに立っていたのは、十四歳になって、イミトゥミルに似た大きな体躯、そしてララを思わせる艶やかな黒い肌と髪を気前よく披露する、露出の多い動きやすい服装を身に着けていた。

「わかった、君の勝ち。準備するから」

 その言葉を聞き、トゥフビは納得して扉を閉める。タファパのこの部屋は、読書好きの彼のために、イミトゥミルが家に新しく付け加えた書斎である。タファパは特に希望しなかったのだが、静かな方が良いだろうという、ララの配慮で、この家では珍しく壁と扉で完全に仕切られた空間であった。とはいっても、彼がこの部屋に籠りがちであったことは殆どなく、ララ一家との交流を避けるための隔壁にすることもなかった。

 彼は肌着以外の服を脱ぎ、壁に掛けた猟のために仕立てた服を手に取る。姿見には、トゥフビとは対照的に青白く細い肉体の自分の姿が映る。彼は鏡が苦手でもあり、好きでもあった。それを見れば見るほど、彼は自分が「ヒト」として順調に成長したことを実感する一方、一家の誰とも似ても似つかない体が、どこか嫌いだったのだ。

 彼はまるで、自分の肌を隠すかのように、その猟服をすぐに身に着け、書斎を後にした。


「それで、トゥフビ、今日の狙いは?昨日狩れなかった(ウスプシュ)をまた追いかけるのかい?」

 森の中でトゥフビとタファパは、狩人の姿で歩いていた。森は昔と同じく、鬱蒼としていて、それでいて生命に溢れていた。

「それもあるんだけど、昨日『母さん』が、町の人から、魔獣が森に出始めている、って聞いたんだって。だから今日は『母さん』の代わりに、そっちの捜索もするよ」

「おいおい、イミ母さんは、そのこと知っているのかい?」

「知らないよ。けど、『母さん』も母さんも、今色んなごたごたで忙しいでしょ?だから町の人達を今守れるのは私達だけなのよ」

 やれやれ、と頭を掻くタファパであったが、彼もトゥフビの実力は知っている。昔から二人で身体能力を競い合ってきたが、「ヒト」の姿をしているに過ぎない自分にすら、互角に拮抗するほどの力の持ち主であった。何故なら、彼女は文字通り神の子だったからだ。

 突然、タファパの嗅覚器官に、何かなじみ深い匂いが届いた。そしてそれは、トゥフビの話から推測するに、正体は明らかであった。

(トゥフビ、いる、魔獣。そこに)

 タファパは、トゥフビの肩を軽く叩くと、手話でそのことを伝えた後、指を差す。その先には暗い茂みが、ゆさゆさと動いているのだけが確認できた。

(わかった。私は真っ直ぐ。タファパ、回り込む)

(了解)

 彼らは手話で一連のやり取りを終えると、指示通りに動き始める。風の音で揺れる草以上の音はさせずに、にもかかわらず迅速に二人は魔獣のいるであろう茂みに距離を詰めていく。

 茂みを数度かき分けると、視界にも魔獣の姿が映っていた。この森は生命が濃い。つまり魔力もそれだけ豊富なため、如何に魔力を感じ取る魔獣でも、ある程度の距離では、人間の気配を察知することはできない。そしてその限界の距離を、二人とも、母たちから教わっていた。

 いち早くその限界の距離に辿り着いたトゥフビは、大きく回り込んでいるタファパを待つ。数秒もせずに、魔獣を挟んだ向かい側に、手話で合図を送るタファパの姿が確認できた。

 そしてそれを見て、トゥフビも同じく手話で応答する。その後、指文字で数字を、三から一まで数え降ろしていく。そして一になった瞬間、二人は一斉に魔獣に距離を詰めた。

 突然の来訪者に魔獣は気づいたものの、しかし全く同じ距離から、同じ速さで突貫してくるために、正しい対応を取ることが魔獣はできなかった。

 前後を見るだけで、爪も牙も構えない魔獣は、後ろから迫るタファパの棍棒を躱す事すらできずに直撃、そのまま体勢を崩した魔獣は、更に反対から駆けるトゥフビの鋭い短刀で、魔獣の心臓を貫かれ、あっという間に霧散した。

「お疲れ様。この一体だけのようだね」

「そうみたいね。魔力も濃くないし、この様子なら、次の一体が現れるには時間がかかるかもしれないわね」

 魔獣に止めをさした短刀を鞘にしまおうとしつつ、トゥフビは周辺を観察すると、あるものが目に入り、短刀をしまうのを止め、そのまま投げた。

 突然の行為にタファパは驚くが、その短刀が仕留めた獲物を見て納得する。

「お見事、これぞまさに一挙両得だ」

「でしょ?」

 トゥフビが自慢げに拾い上げたのは、丸々と肥えた大きな白兎であった。

 

 二人が家路につくと、出かけていたララとイミトゥミルが、どちらも既に帰っていた。

「おや、お帰り、兎取れたのかい?」

「うん、お母さん、大きなのがとれたよ」

 狩った兎を二人に見せ、彼女はすぐにそれをついでに取ってきた山菜も入れた籠と共に、厨房へと持っていく。

「ララ母さん、イミ母さん、ただいま。それで、町の方はどうだった?」

「どうもこうも。皆大騒ぎでね」

「それは、やっぱり、<イタクス>の<ルペット>からの独立に、<ユヴァート>が賛同したこと?」

 こくりと、二人は頷く。

「<ルペット>から独立するのは確かに大望だったけど、こりゃ少しきな臭いね」

「……僕も、正直<ユヴァート>は、<イタクス>を利用して、東西大戦で弱った<ルペット>に変わって、東側の支配者になりたいだけだとは思う。けど、敵の敵は、味方、とも言うし」

 タファパの言葉に、二人は反論するわけではなかったが、しかし二人の表情は明らかにそれに納得したわけではないことを示唆していた。

「もー、また政治の話~?」

 そう言って、厨房から帰ってきたトゥフビが、三人の辛気臭い会話に割り込んでいく。

「とりあえず、今日は久しぶりに四人揃って晩御飯食べられそうなんだし、少しくらい明るくしましょ、ね?」

 トゥフビの言葉に、二人の母に少しだけ笑顔が戻る。タファパも、どこか不安な気持ちを表に出ないように押しとどめた。



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