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真星界エト・ルムン -三界の世子-  作者: ネコ一世
錆びし天穹、灰の坤儀
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錆びし天穹、灰の坤儀 第三節

 ユイスナが穴をくぐると、穴を闇が再び閉ざした。

「離せ!アース!まだタナーシャが!!」

「駄目だ。どちらにせよもう穴は塞がった。もう戻れん」

 アースの腕の中で、じたばたと暴れるヴァラム。だがアースは、そんな彼の抵抗を全く意に介していないかのようだった。

「だけど、それだとタナーシャが……」

 自分の膂力ではアースから抜け出せないことに気が付いたのか、ヴァラムは抵抗を止め、力なく項垂れる。

「……ヴァラム」

 そんな時、アースがもう片方の腕で抱えるバルーが、意識を取り戻していた。

「僕たちは戻るべきじゃない……。タナーシャが僕たちを逃がしたのは、決して僕たちの命を救うためだけじゃない」

「ど、どういうことだよ?」

「詳しくは後で説明する。まずは、この場から急いで脱出……っ!」

 そう言いかけて、バルーは激しくせき込んでしまう。アースは彼を一旦離して、地面に降ろすと、背中をさすりながら、彼を気にかけた。

「すまない。思った以上に手ひどくやられたらしい。それで、アース、この場から離れるにはどうしたらいい?」

「さて、どうするかね。幸い、私達が降り立ったのは、偶然無人の会議室だったけど、ここでのんびりしている時間は無いだろうね」

「ああ、タナーシャの稼いだ千載一遇の機会を逃すべきじゃない」

 状況を把握しきれていないヴァラムをよそに、バルーとアースが今後について意見を交わしていた。

「仕方ない。真正面で逃げよう。ユイスナ、さっきの手錠、まだ持ってるか?」

 ユイスナは、アースに問われるまま、懐から、二つの手錠を取り出す。それは、ここまでヴァラムとバルーを縛っていた、機械手錠である。しかし実際は、縛られている人間が自力で外せる細工がなされたものであり、先程のアムゥの執務室でも、同様に自らの手で外していた。

「良かった。それならこれを二人は付けてくれ。少なくともこの議事堂では、これさえ付けていれば、自由に行き来できるだろう。手枷を付けると自由というのは、少し皮肉だがね」

 アースが冗談交じりに、二人に手錠を付ける。ヴァラムもバルーの言う通りにして、この場は黙って従った。

「さて、とはいっても君たちは要注意の凶悪犯。アムゥ様が、『私とユイスナを追求しつつ、自身の正体と目的を隠す』ために、それらしい辻褄合わせを思い付くまでは、七番隊とアムゥ様は大々的には動かないだろうが、それでも私たちと君たちが共に歩いているのは不自然だろうな。特に問題なのは、バシランだな。彼に見つかれば、色々面倒だ」

 アースは静かに扉を開けて、廊下の様子を確かめる。廊下には人の気配はなく、その先にある昇降機まで、誰にも見つからず通れそうであった。アースは三人に合図を出し、昇降機まで、音を出さず、静かに駆けていく。

「……一応、一つだけ案がある。君たち二人には少し辛い嘘をついてもらうことになるが」

 昇降機を待っていると、ユイスナが、沈鬱な表情でヴァラムとバルーに話しかける。二人は互いの顔を見合わせた後、ユイスナの方を向き直り、続きを促すように、首を縦に振る。

「バシランも、あの場に居合わせ、タナーシャから話は聞いている。つまり彼は、アムゥの目的を、『タナーシャの確保』のみだと思っている。だから彼の前だけ、『タナーシャの身柄と引き換えに取引した』とだけ言えばいい」

 ユイスナの言葉に、ヴァラムとバルーが当惑する。

 ユイスナの提案は、言い換えれば、「タナーシャを見捨てた、薄情な友人を演じろ」と言っているようなものであった。当然、ユイスナも、自身の提言が、如何に二人の心を傷つけるのかは、十分に理解していたからこそ、あのように前置きを述べたのであるが。

「なるほど、それなら、場合によっては、他の隊員たちも騙せるかもしれないな。公の報道では、タナーシャを含め、君たち三人は孤児ということになっているが、先の作戦で居合わせなかった他の聖騎士隊には、タナーシャは既に『王族を僭称する者』という認識で通っている。君たち二人は無知と貧困に付け込まれただけで、罪科はタナーシャのみが負うべきだ、なんて、アムゥ様が言ったとでも説明すれば、案外出し抜けるかもしれんな?」

 更にアースはより残酷な筋書きを用意する。

「……いや、ダメ、だろ、それは」

 ぽつりとヴァラムが、声を震わせながら呟く。しかし彼の言葉を遮るように、昇降機の到着を知らせる音が鳴り、扉が開く。昇降機にも幸い誰もいなかった。

「まぁ、そうするかどうかは、この中で決めるとしよう。決断は君たちに委ねよう。だが、あまり時間は無いから、答えを出すのは早くしてくれ」

 冷酷にも聞こえる言葉を最後に、アースは昇降機に乗り込み、ユイスナもそれに続く。もう立ち止まっている時間は無いことを、ヴァラムとバルーは十分に理解していたが、決断を迫られるようで、この昇降機の扉をくぐるのをためらっていた。

 だが、アースの厳しく、冷たい目線が、それを許さなかった。あのバルーですら、その力に抗えず、黙って昇降機に乗り込んだ。二人には、まるで断頭台に向かうような感覚であった。

「……、いずれにせよ、バシランに会うか、他の聖騎士に問われなければ、問題は無いのです。それほど気に病む必要も……」

 ユイスナが、二人を気にかけた言葉をかけるが、しかし二人の心はそれでも休まらなかった。少しでもその可能性があることが、不安で仕方なかったのだ。

「君たちは、友を口先だけでも裏切ることを、どうして嫌だと思っているんだ?」

 アースは、二人の顔を見ず、淡白な声色で問いかける。

「どうしてって、そりゃ、そんなタナーシャ一人を悪者にするような筋書き、とてもじゃないけど……」

「だがタナーシャは、君たち二人を『悪党』にする筋書きを考えたんだぞ?」

「いや、それは、タナーシャ自身も含まれていただろ!しかも、そもそもお前たちが考えた偽の情報に乗っかっただけだろ!」

 ヴァラムが思わず熱くなると、それを制止するかのように、アースが肩越しに振り返る。

「だから今の君たちも同じ状況だと言っている。私たちが考えた、偽の情報に乗っかるだけだろ。いや、それすらしなくていい。ただ私たちが、そうして説明するのを黙っているだけでいいのだから」

 アースの反論に、ヴァラムは何も返せず、黙り込んでしまう。

「アース、そこまで言わずとも良いでしょう?」

「……いや、駄目だな。これははっきりさせとくべきだろ。ヴァラム、バルー、君たちが私達の提案に拒否感を示す気持ちはわかる。だが理屈の話を今はしている。お前たちは改めて、私達の『嘘』を不快だと思う理由を考えるべきだ」

 アースの詰問に、二人は何も言い返せなかった。だが薄々、自分たちがアースの提案に拒絶を示す理由は気が付き始めていた。だが何とはなしに二人とも結論に至ろうとはしなかった。

 昇降機が、目的の階層に止まり、扉が開く。扉の先には最初に通った一階の玄関ホールであった。四人は恐々と昇降機を降りると、散開を命じられながらも、心配で玄関ホールに留まり、昇降機の方をじっと注視する、数名の聖騎士たちが目に入った。彼らはアースとユイスナの顔を見て、周りに怪しまれない程度に早足で彼らの元に駆け付ける。そしてすぐにタナーシャの不在に気が付き、またバルーは酷く傷ついていることにも目が行った。

「隊長……、一体上で何があったんですか?」

 隊員が一人、前に出て、降りてきたアースとユイスナに、事の成り行きを尋ねる。

 アースとユイスナは共に目を合わせた後、アースが再びその隊員に向き直り、問いに答えた。

「アース様は、タナーシャを確保した。そして彼らの言う通り、アース様の目的はこの星を滅ぼすこと。残念だが、私達はそれを阻止することに失敗した。私とユイスナ、そしてこの二人は、共に態勢を立て直すつもりだが、諸君らはどうするかね?」

 あっけらかんと作戦の失敗を伝えるアースに、最初は聖騎士隊も反応できないでいたが、徐々に彼女の言葉の内容を理解していき、困惑の色が広がっていく。

「どうする……って言われても、私たちは一体どうすれば?」

 互いの顔を見合わせながら、目を泳がせる隊員たちの背後から、突如、甲高い声が響く。

「アース様、ユイスナ様、それで一体どうなされましたかな?……おや、そやつらは、叛逆者、タナーシャはどこへ?」

 額に脂汗を滲ませながら、どたどたとやってきたのは、三番隊隊長のバシランであった。

 その顔を見てアースとユイスナは、共にヴァラムとバルーの顔を、まるで先ほどの問いの結論を迫るように無言で見つめる。

「どうしたんですか?まさか私には答えられぬことが?」

 特に言葉を返さないアースとユイスナを疑わしく思い、バシランは更に距離を詰めてくる。しかしそんな中で、ヴァラムがアースとユイスナの間を通り抜け、バシランと向かい合った。三人は、ヴァラムが、どう答えるのかを、固唾をのんで見守っていた。

「タナーシャは捕まった。アムゥが捕らえた。俺たちは、タナーシャのお陰で逃げてこられたんだ。目的のタナーシャが捕らえられた以上、アムゥが俺たちを追ってくるかはわからないけど、俺たちはタナーシャを取り返すための作戦と準備を、ここから離れた場所でするつもりだ」

 簡潔ではあったが、何一つ包み隠さず、真実を語ったヴァラムに、一同は驚きを隠せなかった。特に肝をつぶしたのは、他でもないバルーであった。

「つまり、アムゥ様に弓引きながら、のうのうとここから逃げると?」

 その通り、とヴァラムがあっさり首肯すると、バシランの顔が真っ赤になっていく。

「ふ、ふざけているのか、貴様ら!アース様、ユイスナ様も、彼らに手を貸すと?」

 冷や汗をかきながら、苦笑いで反応するアースを見て、ヴァラムの言ったことが、全て真実であると理解し、彼は更に頭から煙があがりそうなほどに上気していく。

「反逆者どもめ!!聖騎士、こやつらを捕らえよ!!」

 唾を飛ばしながら、後ろに控えていた聖騎士に、バシランは命令を下した。しかし命を受けた部下たちは当惑を隠せず、アースたちを取り囲みこそしたものの、誰も前に出ようとしなかった。当然だが、彼らにとって、目の前の二人は聖騎士隊の隊長、同じ上司の命令とは言えど、すぐさま行動に出るのは難しかったのだ。

「何をしている!貴様ら!早くこの反逆者を……」

 バシランが業を煮やして、再び部下に命令を出そうとした、その時であった。突如、アース、ユイスナ、そしてバシランの懐から、甲高い周期的な機械音が鳴り響く。三人が共に外套の内ポケットから、その音の源であった小型の通信機を取り出す。

 隊長格三名は、互いの顔を見合わせた少し後、通信機から、声が聞こえてくる。

「現在、首都に滞在する聖騎士隊、各隊の隊長および副隊長、もしくはそれを代理する者たちへ連絡する。直ちに、議事堂二十八階、大講堂に集結せよ。繰り返す、直ちに、大講堂に集結せよ」

 すぐに連絡は途絶えたが、それは間違いなくアムゥの声であった。

「アムゥ様……?一体突然、どうして……、まさかお前らのことか?」

 バシランが、少し混迷した様子で、アムゥからの通達の内容を噛みしめていた。

「はーん。なるほど、読めたぞ。おい、バシラン、お前、早く大講堂に行かないとまずいぞ」

 得意げな表情で、アースはバシランの傍に寄っていく。

「恐らくアムゥ様は、聖騎士隊の中で、誰が自分の正体と目的を知っているのかを把握したいんだ。もし少しでも遅れてきた者がいれば、アムゥ様は恐らく、自分の思想や目的に、懐疑的だから、号令に遅れたのだと、判断すると思うよ?」

 そのように耳元で囁かれ、バシランはどんどん顔から血の気が引いていく。

「まさか、お前、私からそうやって逃げるつもりだな?」

 苦い顔でバシランは反論するが、アースは表情を崩さない。

「はは、そう思うのは勝手だが、君、忘れてないだろうね。アース様はそもそも、私とユイスナという、明らかに反旗を翻した二人の隊長が、他の隊長にもこの秘密を暴露していないかを知りたくて、この号令をかけたんだ。そんな二人と一緒に行動していた君は、確実に被疑者第一号だぞ?」

 そのアースの耳打ちに、バシランは怖気たち、身体も心も凍り付いた。

 彼の脳裏を駆け巡ったのは、かつて、アースが魔の鎧に囚われ、自由意志を奪われた姿だった。バシランは、すぐさま、アースやヴァラムを押しのけて、昇降機に乗り込んでいく。

「聖騎士隊、私は火急の用が出来た!あとは貴様らに任せたぞ」

 短兵急な彼の行動に目を丸くする聖騎士をよそに、バシランは昇降機を操作する。冷静を装うとはしていたが、意味も無く昇降機の開閉ボタンを連打するその姿は、部下たちにさえ滑稽に映った。

「しかしヴァラム君、バルー君、もしかしたら、少し余裕はできたかもしれない。アムゥ様、どうやら聖騎士隊は動かさず、七番隊だけで君たちを追跡するつもりだ」

 アースの推論の根拠が見えず、納得しきれない他の三人は、更なる説明を求めるかのように、怪訝な表情を彼女に向ける。

「ああ、理由は単純。もし君たちを聖騎士隊に追わせたいなら、あの通信の内容で、館内の聖騎士皆に、私達を捕らえるよう命ずるはず。だけど、全く追う気がないなら、会議は開かないだろう。なら、単純。聖騎士隊長たちには、恐らく首都の防衛強化とかの名目で、<ユピトゥ>から出さないつもりだ。下手に君たちと接触して、また私やユイスナみたいな反逆者が出ても面倒だからな。だがそれはそれとして、放っておくのも焦慮に駆られるから、七番隊だけで君たちを追い立てるつもりなんだろう」

 まるでアムゥの心の内を見透かしたかのようなアースの推論に、三人はいたく感心していた。

「けど、この、目の前の状況はどうするんだ?」

 ヴァラムがそう呟き、顎で皆の視線を誘導する。その先には、バシランに命じられ、困惑しながらも、彼らを取り囲む聖騎士隊の面々がいた。

「あー、君たち、悪いけど通してもらうよ。私達も先を急いでるんでね?」

 魔力を迸らせるように、長い髪の毛を手でなびかせ、口元は笑ってはいたものの、その冷たい視線は聖騎士を恐怖に突き落とした。魔剣を失ったとはいえ、彼女は未だ、この国で唯一無二の魔力の持ち主。聖騎士たちも当然それは理解していたし、彼らは全員で取り囲んだとしても、アースを打ち倒せる自信はなかった。

「しかし、アース様、どうして彼らを連れて行くのですか?本当に、本当にアムゥ様は、この星を滅ぼす存在なのですか?」

 ヴァラムたちを取り囲んでいる聖騎士は、皆<ウプラクス>での作戦に参加していた者たちで、かつタナーシャの話を信じられぬ者たちであったが、あれほどの強さを見せたタナーシャが、あっさりとアムゥに囚われたということは、否応なしにアムゥがただの宰相ではなく、恐ろしいほどの力を秘めた怪物であるということが、事実と認めざるを得なかった。

「ああ、間違いなく。私は彼らと次の一手を考える必要がある。どうあれ、タナーシャと、この二人は、今後の趨勢に重要な鍵となる。それはアムゥ様も承知だろう」

 聖騎士隊の逡巡を察してか、アースもいつものように能弁を振るわず、端的に事実のみを伝えた。

「そう……ですか」

 アースの判断は間違ってはいなかったようで、聖騎士たちは特に示し合わせることもなく、ヴァラムたちに道を開けた。

「ありがとう。礼代わりだ。決してアムゥ様に、事情を知っていることを気取られるな。幸いなことに、アムゥ様は恐らく君たちがどの部隊に属しているか、なんて見分けがつかないと思うからね。あの人は、人の顔を覚えるのが大変苦手だから」

 そう言い残し、アースは聖騎士の間を通り抜けていく。他の三人も軽く聖騎士に会釈をした後、アースの後ろをついていく。

 聖騎士の包囲を抜けると、そこではまた、別の聖騎士たちが集まっていた。彼らは、アース達の言葉を信じた聖騎士たちで、元々ホールに留まっていた者たちが、どうやら他の者にも連絡を取って集めたようであった。

「やぁ、君たち、良く集まってくれたね。だけど、君たちにも言うことは同じだ。私たちはもう反逆者、付いて来ればひどい目にあう。だから、素知らぬ顔でここに残ると良い。バシランは、どうせあの様子じゃ、アムゥ様の正体を知っていることを白状してまで、君たちが私たちの仲間だと明かすことはないだろうからね」

 アースにそう言われ、聖騎士はやや戸惑った様子だった。彼らは皆、アースとユイスナに付いていくことを決意していただけに、彼女の指示はかなり拍子抜けだった。

「で、ですが、それではアース様やユイスナ様をお助けできません。我々が足手まといなのはわかります。しかし我々とて聖騎士、命を賭す覚悟なら……」

 勇ましい面構えでアースの指示に答える聖騎士だったが、彼の言葉の途中で、ユイスナが割って入った。

「命を賭す必要はありません。これは決して、我々が犠牲になるというわけじゃない。むしろ動きやすさという意味では、少数で動いた方が、宰相に気取られずに済むんだ。無論、いずれ君たちにも役目を与える。それまで諸君らは、英気を養い、誰一人欠けること無く、私達の指示を待つんだ」

 ユイスナの言葉に、先の凛々しい聖騎士と、彼に追随する者たちが、納得はしきれないながらも、諭されつつあった。

「ああ、そうだ、君たち、誰か一人代表でこれを持っててくれ」

 アースが思い出したかのように、懐から小型の通信機を取り出す。

「私達はもう反逆者。アムゥ様が私たちのことを他の隊長に伝えるか否かに関わらず、私達の隊長用の通信機は傍受されるか、遮断されるだろう。だからこの使い切りの通信機を渡しておくよ。うちの情報局でも、流石に市場にいくらでも出回っている安物までは手が回らんとは思うが、念のためそちらから連絡するのは控えてくれ。時が来たら、こちらから連絡するよ」

 その差し出された通信機を見て、隊員たちは互いの顔を見合わせる。アースが再び促すように、通信機を持つ手を、隊員たちの目線の高さまで上げる。すると、アースに詰め寄った隊員が、それを受け取り、すぐさま懐にしまった。

「わかりました。アース様、ユイスナ様、どうかお気をつけて」

 隊員一同、敬礼を小さく行った後、すぐさま玄関ホールから散らばっていった。

「さて、私達も先を急ごう。バルー君、ヴァラム君、ついてきてくれ」

 アースが再び歩き出すが、それは玄関ホールの入り口とは違う方向であった。

「お、おい、どこ行くんだよ。出入口はあっちだろ」

 明らかに出入口からは遠ざかろうとするアースを、ヴァラムは制止する。

「まさか、あんな目立つところから出られるはずないだろ。それにそこから出ても、外は上流階級だらけの最上階層、私達の顔はどうあれ目立つよ。だからまず中階層に降りるんだ。この議事堂、実は中階層に繋がるところがあるんだ。まぁ、人が通るような場所ではないから、少し汚れるがね」

 ヴァラムとバルーは、アースのその言葉を信用し、大人しくその後ろをついていく。先ほど、タナーシャたちが隠れていた倉庫の方、つまり人があまり行きかわない区画の方へ連れて行く。

 倉庫のある部屋を通り過ぎ、更に奥の方の廊下に進んでいく。電灯はしっかりと灯っているはずなのに、何故か暗い印象を受けるその廊下は、ヴァラムたちに本当に出入口のある方へ向かっているとは思えないような閉塞感を与えていた。

 ヴァラムとバルーが、流石に痺れを切らしそうになる頃、ようやくアースはある部屋の扉の前で足を止めた。

「ここだよ」

 その扉は、金属製の両開きの扉で、飾りがなく、深い緑一色で一面塗られていた。人の管理が行き届いていないのか、塗装はあちこち剥がれ、更に剥き出しになる中の金属の表面も、錆びで赤くなっていた。

 アースが扉の取っ手に手をかけ、かなり力を入れて引っ張る。すると、その扉は、もうすっかり建付けが合わなくなっているのか、蝶番からはぎりぎりとすりつぶすような、不快な音が響き、更に扉自体も、アースの力をもってしても、何かにひっかかるかのように少しずつしか開かなかった。

 アースは人一人が通れるくらいまで開けると、そこからするりとその先へと入っていく。扉の先は暗く、一体何の部屋なのか判別できなかった。

 恐る恐る、ユイスナと、ヴァラムたちもその扉をくぐる。しかしなおもその空間は暗闇に包まれていた。視界が遮られたためか、その他の感覚がやけに鋭敏になり、特に部屋の隅から聞こえる水滴が滴る音と、妙な生臭さが気になった。

「<灯光(テテク)>」

 アースの魔術詠唱と共に、彼女の右手の指先から、互いの顔を認識できる程度の光量が放たれる。

「また、変わった術を使う。わざわざ属性付きを使わなくても、灯りを付けるくらいなら火でも出せばいいじゃないか」

「いやいや、可燃性ガスでも溜まっていたら、危ないだろ?」

 バルーの問いに、アースはそう答えると、一同は、自分たちが今いる場所を、その僅かな灯りに照らされた空間と、匂い、音から何となく把握することができた。

「ここ、もしかして厠か?」

「その通りだよ、ヴァラム君。まぁもう使われていないんだがね。この辺りの区画は、妙に奥まっていて、行き来が不便だったからか、大した利用者もいなかったんだ。そのせいで、いつの間にか壁の塗り替えや、保全も行き届かなくなってね」

 アースは、厠の奥まで、その淡い光を頼りに歩いていく。

「しかし見えないのは幸運だね。久しく掃除されてない厠なんて、どんだけ汚れているか」

「いやいや、ここは意外と綺麗だよ。さっきも言ったけど、殆ど人が使わないからね。前に来たときは、妙に匂いは籠ってはいたが、床面も洗面台も意外と綺麗だったよ?」

 そのアースの説明に、バルーとユイスナが怪訝な顔を見せる。

「待て、何でそんな人が滅多に使わない区画を、お前はよく知っているんだ?」

 バルー自身、アースのことを信用しきっていたわけではなかったが、少なくとも今は自分たちを裏切ることはないだろうと踏んでいた。しかし今の説明は、何か嘘をついていないまでも、重要なことが隠されているような気がしてならなかった。

 そう問い詰められ、アースは、誤魔化すかのように笑う。

「いやぁ、まぁ、よく来てたんだよ。私」

「何故?」

 ユイスナもまた、厳しい表情でアースを追求する。それにもやはり、「言わなきゃダメか?」と、笑って躱そうとするが、ユイスナの厳しい視線からは逃れきれず、諦めたかのように一息、彼女はため息をついた。

「降参。わかったよ、ユイスナ、聞いても怒るなよ?」

 そして、彼女は大きく息を吸い込んで、それをゆっくりと吐きだす。まるで大事な秘密を告白するかのようであった。

「ここの隣の部屋とかで、一目見て可愛い隊員たちを連れ込んで、楽しんでたんだよ。あと一回だけ、ここでも……」

 三人とも、その答えに思考が止まり、言葉を失った。

「おい!勘違いしないでくれ!私は厠でする趣味はない!ただ、ほら、暗い所ですると、こう、ほら、快感に集中できるかなと思って……」

「そんなこと、説明しないでよろしい!」

 妙な弁明をしようとするアースを、ユイスナは頬を赤らめながら、一喝するのであった。


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