瑠璃の継嗣 第三節
神居の周り、隔壁に囲まれた空間は、見るも無残な惨状であった。
大地は大きく抉れ、隔壁は見る影もないほどに破損し、あちこちに血痕ができていた。
シヴィとヴァラムはその高速移動を駆使して、アムゥの行動を抑制し、バルーとユイスナが、アムゥへ肉薄して斬り結んでいた。アムゥとヴァラムたちの戦いは、この通り接戦ではあったが、圧倒的に後者が不利な状況だった。致命的な怪我こそ負っていなかったものの、彼らの身体にはあちこちに生傷ができ、徐々に、徐々にその戦力が削がれていっているようだった。一方のアムゥは、その装甲の上に傷がいくつも入ってはいたものの、肝心の中身に達するほどの深い傷を与えられずにいた。
戦闘経験の豊富なシヴィとユイスナでさえも、この戦いの勝ち筋が極めて細く、しかもその僅かな勝利への道でさえ、犠牲を抜きに達成できるとは思えなかった。
覚悟を決めて、シヴィがユイスナの方を見る。二人は特に言葉を交わさなかったが、お互いの意思はそれだけで共有できた。
シヴィが命懸けでアムゥを足止めし、ユイスナが、そのシヴィの稼いだ時間を用いて、可能な限り魔力を溜めて、アムゥを貫く。
それが二人の間で交わされた計略だった。
シヴィがアムゥの元へ走る。シヴィはアムゥの周りを駆けながら、外骨格の至る所に鎖を巻きつける。力で勝るアムゥであったが、見事に関節の動きに逆らうように巻きつけられた鎖は、容易く解けず、むしろ力を入れれば入れるほど、自らの身体をきつく縛り上げた。
ただしその拘束が真価を発揮するのは、シヴィの引っ張る方向とは別の方向へ動こうとする場合に限った。言い換えれば、鎖を全力で引っ張るシヴィのもとへと向かうなら、これは決して完璧な束縛ではなかった。アムゥもそれにすぐ気づき、体をくねらせながら一歩、また一歩とシヴィの元へと歩んでいく。
だがこれがシヴィ、そしてユイスナの作戦であることには、アムゥも察していた。彼の背後で、槍の穂先に力を注ぐユイスナにも勿論気づいていた。
アムゥが数歩シヴィへと近寄ると、思いがけず鎖の拘束が完全に緩んだ。
それは、ヴァラムがシヴィの身体を抱えて、高速でアムゥの元から遠ざかったためだ。突然の出来事にシヴィもユイスナも、そしてアムゥでさえも驚いて、初めて苛烈な戦いが止まった。
「な、なにをしている!!?」
状況をようやく把握したシヴィが、ヴァラムの腕を無理やり自分の身体から剥がして離れた。
「その戦い方はダメだ」
ヴァラムの答えが実に単純明快だったせいで、シヴィの怒気もすっかり抜けてしまう。
「信じろ、タナーシャを。あいつが戻ってくるまで、俺たちは耐える。犠牲無しでこの場を切り抜けるには、それしかない」
ヴァラムの言葉にはさほど説得力は無かった。だが、その強い意志の宿った瞳は、シヴィの反論を阻んだ。
「それに、忘れたのか?俺たち、今まで何度もアンタらを出し抜いてきただろ?」
「……ふん。私達を侮るなよ!そう言うなら、私が何時間でも稼いでやる!!」
挑発的なヴァラムの言葉に、シヴィは気合を入れなおす。
「千載一遇の時宜も逃したな。さぁ、どうする?」
仰々しく、無防備に両腕を広げるアムゥに対して、魔力を溜めきったユイスナが、その槍を用いてアムゥに突貫する。だが、槍は魔力の泥の鎧を突き通せず、その表面に僅かなヒビを作っただけであった。
「まぁ、それも無駄だったんだがな」
アムゥはユイスナを、その拳で振り払う。直撃こそしなかったものの、その拳から伸びる魔力の泥が彼女を吹き飛ばす。
「いや、無駄じゃないさ」
アムゥの背後から迫っていたバルーが、ユイスナが突いた場所を正確に大剣で切りつけた。すると、ヒビが更に大きく広がり、パラパラと硝子のようにその甲殻が破れ落ちた。
「ふん、これがどうしたというのだ。この程度」
割れた穴を満たすように泥が覆い、瞬く間にそれは他の部位と同じような甲殻へと変化した。
「この通り。全力を賭した君たちの攻撃も、私にとっては掠り傷ですらないのだ」
「構うものか。それなら何度だって、同じ傷をつけてやる」
シヴィが再び武器を構えた時だった。
「これは、これは一体何事か!?」
彼らの背後、神居へと繋がる施設の扉から、上ずった叫び声が聞こえてきた。
「ユイスナ様に、シヴィ様が、指名手配犯と手を組んで、化け物と戦っている……?」
その声の持ち主は、聖騎士隊三番隊の隊長だった。彼の後ろには多くの聖騎士隊がずらりと並んで、彼と同様に驚きを隠せない表情をしていた。
彼らは、タナーシャが発動した幻覚から解き放たれ、施設で響いた騒音を頼りに、ここまでたどり着いていたのだ。それを見て、アムゥは突如全身を覆っていた魔力の鎧を再び泥に変換し、自分が乗っ取っていたアースの上半身を晒した。
「あれは……アース様、アース様じゃないか!」
「ああ!そうだ、私はアース!聖騎士隊一番隊の隊長だ!私はアムゥ様より力を授かった!彼奴ら、ユイスナとシヴィは聖騎士隊を裏切り、反逆者に与した!!奴らを討ち取れ!」
アースの姿に盛り上がる聖騎士隊に向かって、アムゥはアースの声を用いて話しかけた。だが、その言葉を聖騎士隊はにわかには信じられなかった。いくらアースの姿をしていようと、先ほどまでの異形を目にしていた彼らは、目の前のそれが本当にアースだと信じることはできなかった。加えて、彼らは今の今まで幻影に騙されていたことも、彼らの猜疑心を強くしていた。
「なんだ、信じないのか。貴様らも、もしやこの反逆者どもに従う愚者か?」
その語調には聞き覚えのある者も多かった。愛国心を煽り、同時に疑問を抱かせぬ、アースの独特の説法。
「愛国者ならば、国を守りたいと思う戦士であるならば、誰が真の敵かわかるはずだ!」
それも当然だった。何故ならアースに、人々を扇動し、盲目にさせ、護国という、目に見えぬ鎖で縛る話法を教えたのは、
「さぁ真実の目を開け!!愛国者たちよ。反逆者と共に私に歯向かうこの連中が、どうして同胞に見えるのか!?」
他でもない、このアムゥなのだから。
聖騎士隊たちは各々の武器を構えて、シヴィやユイスナに向けて構える。
「……馬鹿者が」
シヴィが悪態をつくと同時に、聖騎士たちが彼らに向かって魔術を放ち、アムゥは再び黒い泥で全身を覆った。
四人は魔術の集中砲火を躱しながら、迫りくるアムゥの刃にも注意を払う必要があった。聖騎士隊の魔術は、アムゥの装甲を傷つけることはなかったが、ヴァラムたちにとっては、致命傷に至らずとも、確実に彼らの動きを阻害するものだった。
「やめないか!!私は四番隊隊長、ユイスナだ!!三番隊!攻撃をやめろ!」
無慈悲にも、かつての同士が自分たちに容赦なく魔術を放つことを信じられないユイスナは、聖騎士隊に攻撃の停止を訴えるが、魔術の弾幕が収まることは無かった。
「……バルー!!天井だ!!」
ヴァラムが声を張り上げる。彼の言う通りバルーが隔壁の扉の上を見ると、この戦いで崩れかかった天井が目に入った。
バルーは天井にむけて炎を放った。魔剣の攻撃で天井は崩れ落ち、入り口は分厚い瓦礫に塞がれた。まだ隔壁内に入ってはいなかった聖騎士たちは締め出されたが、すでに瓦礫を崩そうと試みており、恐らく大した時間稼ぎにはならないであろうことは、この場の全員が察していた。
「くそ、状況は悪くなるばかり。君たちがユイスナの言うことに従っていれば、こんなことにはなってなかったんだぞ!!」
「馬鹿言え!!こんな奴にタナーシャを引き渡せっか!!」
ヴァラムがシヴィの悪態に対して答えていると、突如鋭い針のような物が、彼らに向かって何本も放たれた。上手くそれを躱したが、思わぬ奇襲に狼狽えた二人は、アムゥが動き出していたことに気づいていなかった。
「シヴィ!上だ!」
「ヴァラム!上!!」
やや離れた場所から二人を見ていたユイスナとバルーが、同時に自分の友へ警告を出す。
二人がその警鐘を耳にする頃には、アムゥが既に彼らの頭上で攻撃体勢を取っていた。
速さに優れるシヴィが、今度はヴァラムを突き飛ばして、彼をアムゥからの攻撃から救う。間一髪で、アムゥの剣は二人を直撃することは無かったが、ヴァラムを庇う形となったシヴィは、その背を薄く斬りつけられてしまう。魔力による保護機能を備えた隊服さえも紙のように容易く切り裂かれた。
「借りは返したぞ」
シヴィは裂かれた隊服で動きが阻害されつつあったために、上半身の隊服を脱ぎ捨てる。
「ああ、ありがとうな」
ヴァラムはシヴィに礼を言いながら、この戦いが自分にはかなり厳しいものだと実感しつつあった。速度の面では、彼も十分だが、如何せん、動体視力が全く追いついていなかった。折角の速さも、それを操縦する自分の反応が遅くては、全く活かせない。
勿論今までのアムゥとの戦いでも、彼がその動きを捉えきれないことは多かったが、ユイスナとバルーが接近戦で制止していたため、直接ヴァラムへと攻撃してくることはなかった。しかし先ほどの攻防で、ヴァラムはようやく、現状を理解した。
油断どころか、瞬きすら許されない。本気でアムゥが殺しにくれば、自分で自分の身を護ることすらままならない。彼の命は、ヴァラム以外の三人がどれだけアムゥを留めておけるかに掛かっている。それに気づいた彼は、あまりの不甲斐なさと、死への恐怖に心が押しつぶされそうになりつつあった。
だが、それでも彼は立ち上がることができた。彼の心を奮い立たせたのは、他でもない自分自身の言葉。かつてユーニヴューサ王の葬祭殿で行われた、アースとの戦いで、彼女に向けて放った自身の『味方が敵を倒すまで戦い抜く』という仲間への信頼。
だから彼は、死に物狂いで生き抜くだけである。
一方、もう一つの激闘は、終わりを迎えつつあった。
神像とタナーシャ、どちらも損害が激しい状態だった。
タナーシャは、全身のあちこちの骨が折れており、身体の内部から自分の肉を切り裂く激痛に耐えながら戦っていた。神像は、両腕と四枚の円盤を失っており、神像に残された最後の武器は、二枚の円盤だけであった。
神像は、その残った円盤をタナーシャに向けて飛ばす。だがタナーシャはそれを躱そうとはせず、身体を使って受け止めた。防ぐために使った右腕の骨が完全に砕けるが、完全に円盤を制止することはできた。そして彼女は、残った左腕で円盤を掴み、迫ってきていたもう一枚に向けて投げつけた。
二枚の円盤は完全に砕け散り、とうとう神の僕は戦うための手段を全て失った。
神の像は、その全身から神気を失っていく。今までの神の僕は、全て全身を破壊されるまで、戦いを辞めなかった。しかし今回の神像は完全に砕けてはいなかったものの、武器を失ったことでタナーシャの勝利を認めたのだ。
「ふぅ……」
長い深呼吸は、全身の痛みを和らげるためだったが、戦闘への集中力が切れたことも相まって、耐えがたい激痛がじわじわと彼女に襲ってきた。
痛みの余り、タナーシャはその場に座り込んでしまう。だが激痛を食いしばり、再びすぐさま立ち上がる。脳裏に、外で戦う二人の姿が過ったためだ。こうして、休んでいる暇などない。この激痛は、神聖晶を手に入れればどうせ回復するのだ。今は意地でも立ち上がり、歩き、そして、階段を這ってよじ登っていく。
彼女が一段登るたびに、血だまりが出来ていき、少しずつ彼女の身体から熱が失われていく。神気の消耗も激しく、神聖晶に近づいているにも関わらず、身体の修復が追い付いていなかった
少し休めば、勿論彼女の身体は十分に動けるようになるだろうが、そんな時間も、そしてそれを考えられるほどの余裕も、今の彼女にはなかった。最早、身体も心も、ただ、「仲間を救う」という意思だけで動いていた。
必死に、虚ろな目のまま、タナーシャは階段を昇りきる。弱々しく、最後の扉に手を触れる。扉は、試練の達成者を迎えようと開くが、神聖晶を目にすると同時に、とうとうタナーシャは意識を失ってしまった。
「何故、お前たちが、彼らの味方をする!?」
一際大きな叫び声と、それに同調する群衆の声。群衆は、一人の青く長い髪と、白い肌を持つ美しい人物を取り囲み、皆が口々に彼女に対して罵詈雑言を飛ばしていた。
「私は、どちらに味方をしているわけではない!侵略行為に手を染める、我が星の暴挙を止めたいだけ!怒りと苦しみの記憶に支配される我が同胞を救いたいだけ!」
その中心に立つ女性は、そのような群衆の恫喝にすらたじろがず、毅然と反論をする。
「同胞を救うだと!?お前が救おうとしている連中が、かつて我々に何を行ったか、貴様は忘れたのか!?」
しかし女性の勇気ある振舞も通じず、人々の喧騒の声はより大きくなり、時には物が飛んでくるほどに、彼女への怒りを募らせていく。しかし怒りと悪意の渦中にありながら、彼女の鋭い眼光に陰りはなかった。自分たちの怒りが届いていないかのように動じない彼女の姿は、人々の感情を逆撫でし、口角飛沫を飛ばしながら喚き続けた。
すると、六人の女性が、群衆の先頭に立つ。烏合の衆たちとは異なり、彼女たちの立ち居振る舞いは誇り高く、それでいて優雅で、威厳を感じさせるものであった。彼女たちが前へ出ると、群衆は少しだけ声を静めた。
「我々は、元はお前の友だ。今でも、友だと思う者もいるほど。だが此度は、お前の味方はしかねる。彼らの言う通りだ。お前はあの苦汁を忘れたのか?」
六人の中で、最も高齢に見える銀髪の女性が、青髪の女性を静かに問い詰める。
「忘れてはいない!だが、我々の故郷への攻撃を計画した、愚かな暴君はもういないんだ!かの星の人々も、先の戦禍で十分苦しんだんだ!」
銀髪の女性の言葉に、青髪の女性は、先程以上に言葉に熱が帯びて、語気が強まっていく。だがその言葉は、その六人にも、後ろにいる群衆にも響いてはいないようだった。
「だが、彼らが再び愚かな王を生み出さぬと、狂人が長にならぬと信じるに足る理由はない。また、彼らが我々の無辜の民を傷つけぬ保証はないだろうが」
老齢の女性の右隣に立っていた、白髪の小柄な女性が、不機嫌そうに声を荒げる。
「だが、傷つけるという証拠もない。だがここで我々が彼らの星に軍を侵攻させ、復讐を果たそうものなら、確実に将来、我らの元へと再び刃が突き立てられる。復讐には復讐が返るのだ!だからこそ、我々はここで憎しみの連鎖を断ち切るべきだ!我らが誇り高き星の民であるのなら、それに見合う勇気ある選択をすべきだ!!」
挑発的にも聞こえる青髪の女性の言葉に、群衆はいきり立ち、再び罵倒を彼女に浴びせる。しかしそれを制止するように、六人の一人である、黒髪の女性が手を挙げる。
「憎しみの連鎖を断ち切る。なるほど道理はある」
その黒髪の女性の言葉に、一瞬、反逆者扱いされていた女性は希望を抱く。
「ならば、私が、我々<天藍>の民が、<玄黄>を殲滅し、蹂躙し、支配しよう。憎しみなど抱かぬほどに完膚なきまで。怒りなど覚えぬほど徹底的に」
しかし青髪の女性が期待したものとは対照的に、その言葉は、冷たく、静かで、惨たらしいものだった。周りの群衆さえも、その殺意にも似た緊張感に、思わず言葉を失った。
「わかった……。もう我らの道は交わらない。私も覚悟を決めよう」
それを聞いて、青髪の女性も覚悟を決めた。その手には美しく装飾され、それでいて洗練された長槍が握られていた。
「もう後戻りはできんぞ」
それに相対する黒髪の女性は、大きな鳥の翼を思わせる刀身を持つ、身の丈よりも遥かに巨大な斧を構える。
「友よ、さらばだ」
「さらばだ、我が愛よ」
二人の言葉と同時に、その他の五人もまた各々の武器を呼び出し、青髪の反逆者にその切っ先を向けた。
それは戦いの合図。人々はたちまちその場から逃げていく。
彼らは理解していた。この七人の戦いにおいて、常人程度の魔力、神気など、塵芥に等しいと。しばらく、その状態のまま七人は、人々が完全に離れていくまで待ち続けた。その間も、彼女たちは来る戦いに向けて、極限まで集中力を高めていく。これこそが、彼女たち、神器使い同士の戦いの儀礼であった。
夢か、幻か。
覚えのない景色、見たことのない人々、経験したことのない対話だった。タナーシャには、その映像が、何を意味するものなのかを理解することができなかった。
しかしその場に居合わせた人々の、あらゆる強い感情、怒り、悲しみ、愛、憎しみ、それが全て入り乱れ、彼女の心に届き、目を覚ましたタナーシャの瞳からは大粒の涙が零れていた。
涙をぬぐうように、あるいは覚醒を早めるかのように、タナーシャは目を擦りながら、身体を起こした。
「ここは……、一体……!!」
記憶が曖昧な状態のタナーシャは、辺りを見渡し、自分の置かれている状況を把握しようとする。そして周りの景色が目に入ると、すぐさま、ここがどこなのか、そして自分の目的も全て思い出した。
「しまった!?私はどれだけ寝ていた?」
酷く焦って、取り乱すタナーシャは、急いで立ち上がり、走り出した。自分が第三階層の試練を乗り越えたために、残すは神聖晶を手に入れるのみ。しかし本来神聖晶があるはずの最終階層は空っぽの状態だった。既に壁面からも青い光が失われつつあり、タナーシャは自分が昏睡している間に、誰かが入ってきて、神聖晶を奪ったのではないかと疑い始める。
しかしその疑念は、自らの身体に起きていた異変によってすぐに晴れた。全身の傷が完全に修復しており、更に失神するほどの強い疲労感もすっかり失せ、それどころか生気がみるみる湧き上がってくる。これらの事実が、すでに神聖晶を自分が得ているという結論を導いていた。
だが彼女には、肝心の「最後の記憶」の正体が、判然としていなかった。それどころか先ほど見た景色は、全く彼女には見当のつかないもので、むしろ混乱するばかりだった。
『<タナーシャ、ドゥスエンティの巫よ、その記憶は、汝の鼻祖のもの』
突如心に響いたその神語の声が、彼女の心の何かを弾いた。堰を切ったように、彼女の脳内で怒涛の情報の奔流が溢れる。先ほど見た記憶の景色を、タナーシャ自身と結び付ける真実の波濤。圧倒的な情報量に、思わずタナーシャは目が眩んだように、ふらふらと壁にもたれかかる。
だが全ての辻褄があった今の彼女の視界は、以前よりもずっとはっきりとしていた。神気の莫大な増加が、人知を超えた感覚の拡張を引き起こしたのだ。まるでその瞳は、過去と未来、そして森羅万象を写し取る、宇宙の鏡にでもなったかのようだった。徐々に暴走していた感覚も収まっていき、平静さを取り戻しつつあった。
そして彼女は、最後に自分の身に起きたもう一つの変化にようやく気付いた。首から提げていた首飾りから光が放たれていたことに気づいた。その光の正体を確かめるように、彼女は首飾りを両手で掬い上げる。彼女が首飾りを手に取ると、首飾りの光は一層強まり、タナーシャを包み込んでいく。
その光の中で、タナーシャは、最後の血の記憶を取り戻した。失われた一族の秘密、そして王から王へと連綿と受け継がれてきた秘宝を、彼女は得たのだ。




