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真実の中で 第二節

 暗く、湿気の強い、陰気な部屋の中央には、小さな燭台があり、それに沿って立方体の寝台が存在した。その上には、長身の女性が横たわる。蒼く長い髪を持つその女性は、今にも目を覚まそうとしていた。

「……?」

 見覚えのない部屋と、睡眠から開けたばかりで混濁した記憶のせいで、状況がつかめず、虚ろな目の中で、辺りを見渡そうとする。しかし、彼女はすぐに異変に気付いた。自分の身体が一切動かない。それが、自分の身体を血流が弱まるほどにきつく縛り付ける革帯のせいであることは、その後数秒ほどして気づいた。

「一体……」

 判然としない思考回路では、この現状を正確に推論できずにいた。しかしそんな中、部屋中を響かせる靴音が聞こえてくる。

「目が覚めたかね。アース」

 その聞き覚えのある声は、彼女の意識を一気に目覚めさせた。

「アムゥ様……」

 必死に頭を動かし、その声の主の方へと顔を向けると、確かにそれは自身の上司であるアムゥであった。

「一体、何が。私は、私はどうして……」

 少しずつ目が覚め、記憶が戻りだす。先日のタナーシャ達との戦いと敗北、そしてその後、七番隊に襲われたこと。その全てが、自身の置かれた状況を示唆する論拠であった。

「まさか、確かに私は何度も失敗を繰り返しました。ですが、決して、決して次は遅れを取りません!」

 アースの必死の訴えに対し、アムゥの表情は変わらない。

「君は、何か勘違いしている」

 その声に、アースは少し安堵した表情を見せる。しかしその後すぐに、疑問へと変わった。ではなぜ、七番隊は自分を襲い、このように縛り付けられているのか。

「私は前にも言った。君はこの星で一番強い魔術師だと。君で攻略できぬなら、それは君の間違いではなく、私の誤りだ」

 アースは、その言葉の真意を掴めず、なお困惑を増していた。そしてどこか、アムゥの口調がいつもよりも少し柔らかく感じたことが、なお一層不気味に思えた。

「まさか、竜因まで混ざっていたとはね。もしかしたら、バルーという青年は、噂に聞く、<紅玉>の竜の姫の一人なのかもしれない。偶然にも王族が二人か。もしかしたらヴァラムという青年も秘密を抱えているかもしれんな」

「あの、アムゥ様……?」

 ぶつぶつと独り言を繰り出すアムゥに、言い知れぬ不気味さを感じ、耐えきれずアースが口を開いた。

「ああ。つまりはだ。私の誤算だったからには、私が何とかせねばならん。私が新たな力を、君に授けよう」

 普段であれば、そのような言葉を聞けば、アースは身に余る光栄に打ち震えるはずであった。しかし、今回彼女を震えさせているのは、底知れぬ恐怖であった。

「どうした?いったい何を怖がる?国のために身命を捧げる。普段お前が毎日のように口ずさんでいたではないか?光栄に思えよ、アース」

 アースの恐怖に勘づいてか、アムゥは更に彼女の心を煽るような言葉をかける。今まで無表情を貫いていたアムゥが、微笑んでいるのもまた、一層気味が悪かった。

 アムゥがその右腕をアースの顔へと近づける。すると、その手のひらから、赤黒い、粘性の強い液体が染み出してくる。それから顔を背けようとするが、アムゥががしりと彼女の頭を右手で鷲掴みにする。黒い液体は、どんどん溢れ、アースはたちまちそれに溺れて呼吸ができなくなる。苦しさにのたうちまわるものの、その革帯は頑丈で、どうあがいても身動きは取れなかった。

 黒い液体に、身体の表面もそして中身も染められていき、そして彼女の意識もどんどん薄まっていく。まるで自分の身体が自分のそれではなくなるかのような感覚の中で、彼女の脳裏に過ったのは、これまで「国の為」というお題目の元で、彼女が斬り捨ててきた人々の顔だった。




 青い光にぼんやりと照らされた、神居の一室では、血に塗れた少女が立っていた。

「第一階層の突破、お見事です」

 エネテヤは、タナーシャへと言葉をかけると同時に、第二階層へ繋がる扉が音を立てて開く。

「エネテヤ、教えてくれ」

「……」

 これまで同様、エネテヤはタナーシャの問いに答えない。しかし、今までとは異なり、エネテヤは無言ながらも、その言葉に反応したかのように見えた。

 それを察してか、タナーシャは続けて口を開く。

「どうして、ここを選んだ?」

「……神のご意思は、我々には計れぬもの。ですが、偶然ではないでしょう」

 そう言うと、エネテヤは、後ろを振り返り、階段を昇っていく。

 タナーシャは、それを追いかけるように、走りだす。しかしタナーシャの疲労は限界を超え、足が絡んで転げてしまった。

「ゆっくりとおやすみなさい。心配しなくても、神居は消えませんよ」

 タナーシャは、それを聞いてもなお、身体を起こし、階段を昇ろうとした。だが、一段一段が極めて高い神居の階段は、今のタナーシャでは一段昇るのも辛いものであった。

「お休みを、と申したはずです」

 そうエネテヤが言うと、第二階層の扉と、第一階層の扉が、どちらも同時に勢いよく閉じてしまう。

「なんの……真似だ……」

「何をお急ぎなのかは存じ上げませんが、そのような状態で、第三の試練を突破できるとでも?それに、そんなみすぼらしい姿、神の寝所へ向かうものとは到底思えませんな」

 エネテヤは、左手をタナーシャの身体に添える。すると、タナーシャの身体が光に包まれていく。あちこちほつれ、破けた衣服が元に戻るだけでなく、身体にこびりついた煤や埃、そして血もまた、どこかへと消えていき、まるで沐浴でもしたかのように、彼女の身体は一切の穢れがなかった。

「傷を癒すことは、ご自分で。これから貴方が足を踏み入れるのは、地上に合ってもなお、その神威衰えぬ、偉大な神の寝所であること、お忘れなきように」

 それを聞いて、タナーシャは、階段を昇るのを辞めて、一段の上で、座り込んだ。

「エネテヤ、久々に、一緒に瞑想しないか?」

 目をつぶり、呼吸を整えるタナーシャの隣に、エネテヤもまた同じように座り込んだ。横目で少しその様子を見ると、タナーシャは再び目を閉じ、瞑想を再開する。

 静かで穏やかな時間が過ぎていく。聞きたいことは山ほどあった。話したいことはいくらでも湧き上がってきた。しかし、タナーシャに歯、こうして無言でただただ並んで瞑想することの方が、何千もの言葉を交わすよりも、大事なように思えたのだ。


 それから、数分ほどたった。タナーシャが目を開くと、それを察してエネテヤも目を開く。

「そろそろ、身体も癒えた。神気も充足してきた」

「どうやら、そのようですね」

 もうタナーシャの表情には、鬼気迫るものはなく、穏やかで、それでいて勇ましい顔つきへと変わっていた。

「では、第二階層へ」

 エネテヤが立ち上がり、右手を掲げる。すると階段の上から音が鳴り、第二階層へ続く扉が開いた。

 タナーシャもまた、立ち上がって、神居の階段を力強く昇っていく。

 第二階層へと進むと、すぐさまタナーシャは次の階層への扉に近づく。

「未だに少し信じがたいな」

 ぽつりとタナーシャが呟く。

「この星で、まさか大いなる神の一族の神居が生まれるとは。エネテヤ、お前が優れた巫だったからか?」

 それに対して、エネテヤは答えない。

「まあいい。今、重要なことは、記憶を全て取り戻すこと。では。<神居の主、その名はナスィ・エプ・エ・フィニスウ剣の神(イフミーン)>」

 第三階層へと続く扉が、ゆっくりと開いていく。

「さて、エネテヤ、これで最後の試練だ」

 そう言いながら、タナーシャはエネテヤに向き直る。

「覚悟は、よろしいですね?」

「まるで、自分に言い聞かせているようだな、エネテヤ」

 その言葉を聞いて、エネテヤは目を丸くする。

「……、では、タナーシャ様。どうぞ、ご武運を」

 エネテヤはそう言い残し、消えていった。

 タナーシャは、第三階層へ続く階段を昇る。

「神、<イフミーン>の僕。恐らく私がこれまで戦ってきた中でも、最も手ごわい相手となるだろう。だが、だからこそ、私は証明する」

 一段一段昇るごとに、タナーシャの身体の神気がみなぎっていく。

「私が、もう、守られるだけの存在ではないことを。真実を知っても折れぬ強さを持つことを」

 階段を昇った先、第三階層にはいつものように、神の僕の石像が鎮座していた。その像は、派手な装飾具で飾られてはいたものの、それは見覚えのある姿だった。

地上の者(マ・ヌフ)アシムの神の子らにファナ・フィニス・アシムウス神イフミーンの(ウスフ・イフミーン)僕たる我、エネテヤが(ネエプ エネテヤ)試練を与えんウフュハ・イスウッタンナプ

 頭に響く、女性の声。同時に神の像は動き出した。神の像の周りに七本の巨大な剣が、彼女を守るように浮遊している。その中心の神の像は、タナーシャの出方を伺うかのように、ただじっと、彼女を見つめ続けていた。

「我が名はタナーシャ!<イフミーン>の僕よ!我が力、とくと照覧あれ!!」

 その鬨と共に、タナーシャは走りだす。確固たる覚悟と意思を胸に秘め、彼女は、力強く大地を蹴った。エネテヤの姿を模した神の像は、それを迎え撃つように、剣の切っ先をタナーシャへと向ける。

 一振りの神の剣が飛来する。刃渡りだけでタナーシャの体躯を超える大きさを誇るその大剣は、タナーシャへと真っ直ぐ飛んでいくが、これを彼女は大きく体を翻して避ける。剣は神居の床に激突し、床の石を激しくめくりあげる。

 続けて二本の剣が、少し間を置いて放たれる。従って最初のものを避けても、その次の剣が、軌道を修正しながら襲ってくる。

 タナーシャは、最初の剣を紙一重の所で避け、その柄をすれ違い様に握ると、二本目の迫りくる剣を、叩く。しかし弾かれた剣は、そのまま軌道を回転させ、再びタナーシャへと襲い掛かる。

 ここまでは、タナーシャの想像通りだった。しかし弾いた剣は彼らの後ろから追いかけてくるため、タナーシャの方が速く動けるならば、脅威になることはないと思っていたからだ。

 しかし彼女の過怠は、手に持っていた剣を早く離さなかったこと。例え自分が握っていても、それを支配しているのは、エネテヤであったことを見失っていたこと。

 彼女が握っていた剣は突如、空間に固定されたかのように、ぴたりと動かなくなり、勢いよく走るタナーシャは、自分の右腕に引っ張られて、急停止せざるを得なくなった。そこに後ろから猛追する先ほど弾いた剣と、いつの間にか再び放たれていた前方の剣が、挟み撃ちにするように襲い来る。彼女は体を浮かせて地面に水平に飛び上がる。タナーシャを仕留めるために、あえて剣の軌道をずらしたことが仇となり、タナーシャはまさにその剣の間隙を縫うように体を捩る。

 剣が二本ともすれ違うとタナーシャは着地し、再び走り出した。もうエネテヤとの距離はかなり詰まり、これ以上剣を放つ余裕は無かった。エネテヤの周りに浮かんでいる剣は、三本。タナーシャを迎え撃つかのようにエネテヤの前に、剣が並ぶ。

「<セタク、神族の主よ(エプ・インシア)その剣は嵐(アースシ アフ)その槍は雷(ヒフシ ピピス)その名は『勝利』(ナシ アル)!!」

 今のタナーシャに唱えられる最大の神術。雷と嵐、そして勝利の神たる<セタク>の力を全力で解放し、強烈な嵐と雷を放つ。唸る業風、閃く轟雷、全てを蹂躙しながら進む破壊の渦に対し、エネテヤは剣を束ねて盾とし、防ごうとする。だが嵐の威力はそれを上回り、剣を押しのけながら、エネテヤに直撃した。だがその嵐の中、エネテヤは一切たじろがず、まるで何事も無いかのように鎮座していた。

 タナーシャの持ちうる最大威力が、剣によって防がれたとはいえ、ほぼ無傷で受け止められてしまったことに、彼女は驚きを隠せずにいた。だがこれで終わるわけにはいかない。最大の一撃が通じなかったとしても、繰り返せばいいだけのこと。そう思い、タナーシャは決して挫折しなかった。しかし防御に使って弾かれた神の剣、そして攻撃に用いた剣もエネテヤの元へと集いつつあった。先ほどのような直線的で予想のつく動きではなく、エネテヤを中心とした、予期の難しい円運動を行い、タナーシャを襲い来る。

 卓越した運動神経だけでなく、神術も駆使した全力の防御行動を強いられ、反撃に出る隙すらなくなってしまう。激しい攻撃を前に、タナーシャはたちまち体勢を崩し、体中を剣が斬り刻む。深手はなんとか負わずに済んだものの、裂傷が増えるごとに、タナーシャは剣を避けられなくなっていく。防戦一方では、これ以上状況が好転しないことを察し、タナーシャは思い切って、右腕に神気を込め、一本の剣を自分の身体を使って受け止める。盾代わりに使った腕は切断とまではいかなかったが、上腕と前腕、どちらも骨にまで達する深い傷を負ってしまう。

 しかしそのおかげで、七本の剣の完璧な包囲網が崩れ、脱出口が生まれた。タナーシャはその隙間を素早く移動し、円運動の中心から外れて、エネテヤから距離を取ることに成功した。しかしその代償は大きく、右腕は全く言うことが利かなくなっていた。

 この状態で、タナーシャがあの剣の包囲網を凌ぐことはほぼ不可能に近い。ぶらぶらと垂れ下がるだけの腕は重荷でしかなく、細かな重心の移動が必要となる、激しい回避行動はもう困難になった。

 タナーシャは決して、エネテヤが手を抜くと思っていたわけではないが、それでも彼女が本気で自身を殺してきていることを、右腕から流れる血を見ながら実感していた。

地上の者よ(マ・ヌフ)逃げ場はない(リウブユー)死ぬか(シュアトエン)勝つかだ(エ シュルスエン)

 そう言うと同時に、神の僕は、その七つの剣を同時に放つ。いずれも全く違う軌道。高速で縦横無尽に飛び回りながら、的確にタナーシャの逃げ場を奪っていく計算されつくした動き。休息すら許さぬ、無慈悲な追撃。

「……<セタク、神族の主よ(エプ・インシア)その剣は嵐(アースシ アフ)その槍は雷(ヒフシ ピピス)その名は『勝利』(ナシ アル)

 先ほどと同じ神術を唱える。この術は、確かにエネテヤに対してはそれほど通用しなかったが、神剣相手であれば、話は別である。先ほどは三本束ねて盾に使われていた剣を吹き飛ばすことができた。それならば、七本別々の角度から襲い来る神剣であれば、同じように防ぐことが可能である。

 剣は、雷と風が織りなす、破壊の渦により、容易く弾き飛ばされた。しかしこれでは時間稼ぎにしかならない。相手にとって、神剣を飛ばすのは単なる通常攻撃に過ぎない。しかしそれに対し、タナーシャは最大火力の神術で対応しなければならないのだ。これでは、先程と同じ、悪循環の攻防にならざるを得ない。

 大きく後方に飛ばされた神の剣は、再び体勢を立て直して、タナーシャへと先ほどのように複雑な軌道を描いて襲い来る。同じように防ぐことはまだ可能であるが、これに対しタナーシャは別の手段を取った。

「<ラサンヴュ、鹿の王は(マフーム・テフ)天より放たれる(ヒトパ ウンヴュ )光の如く駆けるタシュッスヒンルート>」

 後退でも防御でもない。持ちうる最高速で、彼女は降りかかる剣に向かって走り出したのだ。だが、この手段は、恐らく今彼女が取れるものでは最良の行為だった。

 確かに正確に計算された動きではあったが、それは動かないタナーシャを想定したものである。それぞれ異なる目的を持ちながら動いていた剣は、そのタナーシャの動きに反応して、大きくその軌道を変化させたものの、綿密な計算から外れた剣は、タナーシャの俊足を捉えきれなかった。

 タナーシャは計七本の剣を全てかいくぐり、エネテヤへと肉薄する。最高速度を維持したまま、地面を強く蹴り、飛び蹴りを神の僕へと放つ。この速度での肉弾戦は、自分の身体もタダでは済まない。だが犠牲無しで、彼女はこの戦いに勝利することは不可能だと理解していた。

 タナーシャの判断は正しい。神<ラサンヴュ>は<セタク>神族の主、<セタク>に並ぶ最強の神の一柱。この術を用いた最高速度と、神居の第三階層における充足した神気に満たされたタナーシャの身体能力の併用こそが、今彼女の使える最良の武器であった。一撃一撃は、<セタク>の雷嵐に劣るが、その速度で繰り出される連続攻撃は、乱暴に神術を乱発するよりも、よっぽど効率的であった。

 しかしタナーシャは、エネテヤが剣の神、<イフミーン>の力を行使し、戦っていた様子を直接目にしたことが無かった。そしてそれは、この神の剣こそが、エネテヤの最大の武器であったという誤算を導いた。

 タナーシャの放った飛び蹴りは、いともたやすく受け止められた。中空で放った蹴り足を突如掴まれ、タナーシャは衝撃で思考が飛んでしまっていた。身体のうちに、妙な熱を感じて、その正体を確かめるように、下を向くと、エネテヤの剣に変容した右腕が、自分の腹部を貫いていた。それを見ると同時に、タナーシャは口から血を吐く。血が流れるたびに、身体から意識が遠ざかっていく。

 圧倒的な速度で自分の身体に迫ってくる死を体感しながらも、彼女の脳内は妙に冷静だった。この星では大いなる神族の神術は使えないせいで、彼女はすっかり忘れていたが、<イフミーン>の「剣の神」という称号は、剣を用いる神という意味ではなく、彼が文字通り「剣」の神であることを示唆するものである。つまり、エネテヤの最大の武器は、七つの浮遊する剣ではなく、彼女の身体自身であった。

 自分の誤算を理解した後に、頭の中で過ったのは、今までの記憶。母国の失墜、屈辱の捕縛、エネテヤとの逃亡、ヴァラムとバルーとの出会い、そして三人での旅路。新たな仲間二人の、言葉や表情が、次々と現れては、泡沫のように弾けていく。そして、最後に現れた景色は、二人の困惑した表情と、必死に自分を呼び止めようとする声。

 この苦い記憶が生前に見る、最後の光になることに気づき、タナーシャの心は突然後悔で支配された。これでは終われない、また二人の笑った顔が見たい。その意思が、寸前のところで、彼女を目覚めさせた。

 宙に舞っていた自分の身体が地面に叩きつけられると同時に、意識を取り戻す。内臓をずたずたに引き裂かれたことでの激痛は、すぐさま彼女の意識を再び遠のかせた。だが必死の意思で、まさに「死ぬほどの痛み」を耐え、タナーシャは立ち上がろうとする。ぼとぼとと、腹から流れ出す血が、血だまりを作り、それに足を取られそうになりもしたが、何とか二本の足で立つことができた。

 だが、立てただけだ。必死に身体は神気を傷口へ集中させ、一命をとりとめようとしている。そのせいでもう、神術を唱える余力も無ければ、指先一つ動かすことすらできそうもなかった。

 にじり寄ってくる神の僕に対し、タナーシャは一切成す術がない。せいぜい、エネテヤがどのように自分にトドメを刺すのかを推測することくらいしか、今の彼女にできることはなかった。

 エネテヤの身体の周りに、七つの剣が戻ってくる。いや、それどころか、その剣が右腕に形成されていた剣に溶け込み、更に強大な剣へと変貌していく。朦朧としたタナーシャの意識でもはっきりとわかる、その剣の莫大な神気。七つの剣と融合して肥大化した、エネテヤの右腕は、タナーシャを真っ二つにするどころか、跡形もなく消し飛ばしかねないほどの威力があった。

 それは決して無慈悲ではなかった。むしろ痛みも無く、この戦いを終わらせるという、エネテヤによる、かつての主に対する最大の敬意の表れであった。それはタナーシャ自身も感じ取っていた。

 タナーシャはこの期に及んで諦めてはいなかった。勝率は零に等しい。いや、まさしく零である。どのような要因も、彼女に勝利の可能性を与えることは無い。

 ただしそれは、「タナーシャが一人で戦う」という条件の場合の話であるが。



 

 エネテヤの身体が突如として、後方に大きく飛んでいく。

強烈な炎の剣と、高速で飛翔する鉄腕。併せてもタナーシャの最大の神術に及ばなかったはずだったが、大きく振りかぶった攻撃で、隙を見せた姿勢のエネテヤは、その攻撃を防御どころか察知すらできておらず、成すがまま吹き飛ばされざるを得なかった。

「危機一髪、ってところだなタナーシャ」

「全く、探したぞ……無事でよかった」

 先ほどまでタナーシャが、走馬灯の中で何度も見た顔と、何度も聞いた声。

「ヴァラム、バルー……」

 神の僕にすらたじろがず、堂々とタナーシャの前に立つ二人は、今まさにタナーシャが最も会いたいと願っていた者たちであった。

 


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