託す者たち・残された者たち 第二節
ヴァラムの作業場では、先日買い込んだ資材が並べられ、彼は友人のバルーと共に作業をしていた。バルーはヴァラムには持ち上げられないような重い資材を運ぶなどの力仕事を請け負っており、細かな作業や計算をヴァラムがしていた。
「なぁヴァル、これはいつもどういう作業をしているんだ?僕には壊しては組み立ててるようにしか見えないんだが」
ふと、バルーは長年の疑問を友人にぶつける。無論、彼はヴァラムのこの未完成の船が、失踪した父より受け継ぎ、そしてその父の「三つの星を、神の力ではなく、人の力で行き来する」という夢をも同じく継承したことを知っている。故にこの疑問は、この船を修理する理由ではなく、彼らが行っている細かな作業が、この船の修理にどのように役立っているのか、というものである。
「そうだな、細かい話はあまりしてこなかったけど、そろそろ話しておいた方が効率的になるかね」
そう言うとヴァラムは、設計図や計算式の大量に書かれた紙が散らばっている机に向かう。そこで彼は、機械を作動させると、壁一面に映像が投影される。その映像は、数字があちらこちらに羅列されていた。
「これ、この船のデータなんだけどさ。一番上の数値、これがこの船に内蔵できる魔力量で、そして上から、補給なしで魔力炉が生み出せる魔力量、そしてその二つを合わせた数値、残りの二つが<天藍星>に行くのに必要な魔力、<紅玉星>に行くのに必要な魔力量だな」
「微妙に、足りてないな」
ヴァラムは、資材の切れ端なのか、使わなかっただけの物なのか、よくわからない金属の長い棒を持って、まるで教師のように画面をそれで指示していた。
「まぁ魔力は本来数値化が難しいし、最悪搭乗者の魔力も考慮に入れれば、ここは解決できるんだが、問題はこれなんだよ」
ヴァラムが操作盤を動かすと、画面が切り替わったが、そこにもやはり同じく数値が並んでいた。
「で、この二つの数値が問題でな。上がこの船が出せる最高速度、そして下が星の力から抜け出して、宇宙に飛び出すのに必要な速度」
「全然、足りてないな」
当然と言えば当然の話だ。宇宙へと旅立つ、ということはこの星を守る神の力を突破するということ。それは神に逆らうに等しい行為。人の生み出した物では、到底それは叶うべくもない。
「そ。だからこの船は、今のままじゃ空飛ぶしかできないのさ。遠くに行くだけなら、水晶門を使った転送魔術の方が速いし、ちょっと浮くくらいなら、十代の子供にでもできる。貨物船ほど大きくも無いし、このままじゃただのガラクタだな。だから船を軽くしたり、魔力の変換器を改造したり、色々してるんだが、数値は全く伸びないんだよなぁ」
再び操作盤に触ると、光の画面が閉じ、また白塗りの壁が露になった。
「しかし解せない。君の父上は優れた魔術工だったのだろう?」
「ま、俺が五つの頃に出ていったから、正確さにはかけるがね。しかし残していった物は、どれも見たことないような技術だらけだったよ。この腕とかな」
ヴァラムが手に持っているのは、機械で作られた腕であり、作業着同様、魔力の低い者の身体能力を補う装備であった。彼がバルーと会ったのは、父と母と別れてから三年後のこと、作業における力仕事は基本彼に頼んでいたが、彼の助けが借りられない時は、この機械腕を使って作業をしていた。
「だろう。そんな人なら、こんな欠陥だらけの飛空艇、作らないんじゃないのか?」
「まぁな。もしかしたら、俺がこの飛空艇について、知らないことがまだあるのかもしれない。ま、それも含めて、解体を繰り返し、組み立て直すって作業は、この船を知るためには都合がいいのさ」
彼がこの作業を繰り返し始めたのは、<神の門>が閉鎖された十一年前であった。神の力が無くなったからこそ、父の夢が、この世界に必要であると直感したのだ。その長きに渡る努力と辛酸が、全く成果をもたらしていない、と語っているにも関わらず、ヴァラムの表情は晴れやかに輝いていた。それを見て、少しだけ釣られるように笑うバルー。
「なんだ、何かおかしなこと言ったか?」
それに気づいたヴァラムが、バルーに質問を投げかける。
「いや、何だ。君の才能だなぁと思ってさ。苦悩の中にあっても、落ち込まないのはね」
「馬鹿にしてんのか~?」
このこの、と言いながら、バルーの肩を組んで、いたずらっぽく笑うヴァラム。
「馬鹿にするもんか。僕だって見たいんだ。<天藍>の景色も<紅玉>の世界も。だから何があっても君の夢、いや君たち一家の夢を、僕は応援するさ」
真剣な言葉を突然ぶつけられたせいか、ヴァラムは少し気恥ずかしくなり、彼から離れる。そんな時だった。玄関の方から「ごめんください」と人の声が聞こえてきた。
「っと、客人かね。ついでにちょっと休憩しよう。居間に菓子を置いてるから、適当に休憩しといてくれ」
そう言ってヴァラムは、作業場を後にした。ヴァラムの家は広い作業場に隣接しているが、作業場の出入り口は、その家へと向かう道とは真逆の方向である。そのため居間へと向かうバルーは、ヴァラムに背を向けていたが、突如背後から響く悲鳴に彼は慌てて振り返る。
「ヴァル!?」
そう言って駆け付けた先には、青白く光る縄で、拘束され、首元に短刀を突きつけられるヴァラムがいた。
「お前は同居人だな」
短刀を携え、光縄を作り出していた女がバルーを睨む。バルーも怒りに震え、思わず食って掛かろうとするが、彼の本能が咄嗟に戦うことを拒否した。それはその目の前の女と、彼女に隠れるように後ろにいる若い女、その二人の顔にどこか見覚えがあったからだ。記憶が曖昧にも関わらず、二人の姿は「恐ろしい存在」であると理解できたのだ。
「賢い判断だ。君は私には敵わない。黙って言うことを聞いてくれ」
その光の縄のせいか、一瞬短刀の刃が光る。まるでそれは、言うことを聞かねば、という脅迫のように感じられた。そしてその光は同時に、バルーがこの二人の正体を記憶の泥濘から掬い上げる手助けをした。
黒髪、褐色肌の壮齢の女性。
金髪、雪のように白い肌の少女。
間違いなく、昨日、聖騎士の女から教えられた危険分子の二人であった。
家主であるはずのヴァラムと、その友人のバルーは、自分たちの慣れ親しんだ家屋の中にあって、額に汗を滲ませて、表情は苦しみに歪んでいた。
「なぁ、お二人さん。とりあえず、この縄を外してくれないか?」
二人に苦悶を与えている元凶は、彼らの身体を強く縛り付ける光る縄であった。その光量に対し、熱や痺れこそ感じないが、この縄は単に体に巻き付くだけでなく、心にさえも窮屈さを与えていた。
「残念だが、そうはいかない」
ヴァラムの頼みを、背の高い褐色肌の女性は冷徹に斬って捨てる。
「なぁ、お前たち、手配されてる二人だろ」
やや狼狽が見え隠れするヴァラムと異なり、バルーの態度は、これほどの窮地にあってなお強勢を崩さなかった。
「ほう知っていたか。奴らが大々的に我々のことを報じるとは思えんが」
「如何にしてお前たちの情報を知ったか、聞きたくないか?」
バルーのその不敵な笑みは、この情報が何らかの切り札になるからだという推測ゆえだった。確かに聖騎士が出張っているにも関わらず、彼女たち二人については、実のところ一切報道されていなかった。
「いや、不要だ」
しかし、その期待はあっさり砕かれた。尊大さすら感じさせる表情は、一瞬にして怯える小動物のように、哀れなものへと変わる。しかしその少し愉快なやり取りのせいか、反対にヴァラムが少しだけ余裕を取り戻した。
「なぁ、事情を聞かせてくれないか。俺たちには、アンタらの目的がわからない。聖騎士殿はお前たちが国家転覆を狙う反逆者だと言っていたが」
「反逆者だと!?弁えろ!!お前たちこそ……」
「タナーシャ様」
先ほどまで声を発さず黙りこくっていた金髪の女性が、突如声を荒げる。それを途中で制止する褐色肌の女性。
「失礼した。しかし我々は貴方たちの素性すら知らないんだ。少しは話してくれても良いだろ」
ヴァラムは意外にもその圧に屈さず、言葉を冷静に返していた。一方でバルーは、先ほど壮齢の女の発した「タナーシャ」という名前に聞き覚えがあり、古い記憶を手繰り寄せていた。
「タナーシャ、タナーシャと言ったな」
まだ記憶が判然としているわけではないが、手掛かりを欲して、ひとまずバルーは彼女に言葉をかける。
「無礼だぞ。お前のような下賤な男が、名前をみだりに唱えるな」
「なら、教えてくれ。君の名前は何だ。それを知っていたら、そちらの『貴人』に態々話しかける必要がなくなる」
褐色肌の女性の名を、バルーは問いただす。彼は最初に二人と面した時から、タナーシャと呼ばれた女が高貴な生まれであること、そしてこの褐色肌の女は、その従者であることを見抜いていた。観察眼に優れた彼は、彼らの立ち居振る舞いで、それをすかさず理解していたが、先の一言はまさにその決定的な手掛かりであった。
「我が名を以て、こちらの方の名を唱えないと誓うのなら、教えてやろう」
この取引はバルーの期待通りであった。故にか、少しずつ彼の表情にも余裕が戻る。バルーはそれを快く承諾し、隣のヴァラムにも同様返事をすることを促す。
「我が名はエネテヤだ。貴様らは我にのみ話しかけよ。こちらにおわす方は、貴様ら卑人が声をかけていい方ではない」
「エネテヤ、エネテヤか。なるほど思い出しました。お二人は、<ドゥスエンティ王国>の第一王子と、巫長、ですね?」
ほう、と関心の声を上げるエネテヤと名乗った女性と、更に警戒心を強め、目を細めるタナーシャ。
「まさか、このような辺境の地で、未だ我らの名を知る者がいるとは」
エネテヤの表情はここにきて初めて柔らかくなった。教養ある存在への敬意か、あるいは。
「まぁ、流石にお顔までは存じ上げませんでしたが、僕は各国の貴人について、少し興味がありましてね。特に<ユヴァート>の星界統一同盟に最後まで抵抗した、<ドゥスエンティ王国>の王家の皆さまはね」
「見たところ、君はまだ二十代前半、といったところに見えるが、まさか十二年前の出来事にそこまで詳しいとは驚きだよ。<ユヴァート>は既に『全ての国が自主的に手を取り合った和平だった』などと歴史を書き換えて、子供たちに教えてると聞いたが」
「<ユヴァート>が歴史を書き換えたのは事実ですがね。むしろ彼らの策略は、自ら本当の歴史を知ろうとする気力を、人々から奪うことに注力されているのです。だからこそ、知ろうと思えば知ることができますよ。ただしそれを公で喧伝すれば、売国奴だの、危険因子だのと言われますが」
バルーが熱弁を終わると、エネテヤは何と、彼の身体を束縛していた光の縄を解除した。タナーシャの猜疑に溢れた暗い表情もまた、未来への光明が差し込んだように、影が薄れつつあった。
「其方、名前は」
タナーシャがエネテヤの前に出て、自由な身を得たにも関わらず、膝を大地に付き続けているバルーの正面に立った。
「僕はバルーと申します」
「出身は」
「優れた出自は持ち合わせておりません。この地に生まれましたが、親も知らず、同じ境遇たるこのヴァラムと二人で暮らしております」
会話の中で自分の話題が出たせいか、ようやく目の前で自分抜きで繰り広げられる会話に入り込むすきを見つけ、未だ縛られたまま身を乗り出すヴァラム。
「お、おい。俺にわかるように話せよ!バルー!」
左でじたばたともがくヴァラムを一瞥し、再び頭を下げるバルー。
「失礼とは存じますが、彼も離してくれませんか?彼は見ての通りそれほど力はありませぬ。逃げようとしても、エネテヤ様ならばすぐに対処できましょう」
言葉ではなく、視線だけを交わすタナーシャとエネテヤ。その後ヴァラムもまた同じく拘束から解放された。
「我々は君たちに危害を加えるつもりはない。ただ宿を貸してほしいだけなのだ」
「やはり、ですか」
「おい!だから俺にもわかるように!!」
またもヴァラムは声を荒げようとするが、バルーは彼の口を手で塞ぎ制止する。
「静かに。誰が聞いてるかわからない。説明なら今からする」
四人はその後、厨房に隣接した食堂の中央に陣取る大きな四人掛けの机に腰かけた。
「まず、そのなんだ。昨日会った聖騎士様が手配してる二人、ってのは、この二人なのか?」
ヴァラムの問いに、隣に座るバルーは首を縦に振る。
「しかし、この星に反旗を翻す、というのは、嘘なんだな」
「ああ」
第二の問いは、彼の目の前に座るエネテヤが答える。
「しかし疑問なのは、何故<ユヴァート>は君たちを追いかけるんだ?」
「それについては……」
第三の問いについては、エネテヤも口ごもる。勿論事情を知る由もないバルーも答えない。
「良いわ。全ては話せないけど、匿ってもらうためだもの。我々も少しは危険に身をさらす覚悟をせねば」
ここまで沈黙を貫いていたタナーシャが、エネテヤからの視線に気づいて、自身の意見を述べる。
「まず、一つ、貴方達庶民には知らされていない事実を教えてあげるわ。我ら<ドゥスエンティ王国>の民と王族の末路を」
タナーシャはリシュ湯で口を漱ぎ、乾き始めていた唇を湿らせた。
「<ユヴァート>の掲げる玄黄星界統一同盟は事実上の征服だった。経済的な優位を活かし、自由な貿易などと言いながら、非協力的な国家には禁輸をちらつかせて、交渉を優位に進めた。無論我ら<ドゥスエンティ>はそんな脅しには屈しなかった。こちらも彼らに負けぬほど経済力を有していたし、彼らの経済制裁にも負けなかった」
タナーシャの説明に、バルーは小刻みに頭を頷いている。ここまでの情報は彼にもよく知っていた内容だったためだが、しかし当のヴァラムは、これまで飽きるほどバルーから歴史叙述を聞かされていたにも関わらず、まるで初めて知った衝撃の真実であるかのように、目を丸くしていた。
「しかし、奴らは治安維持という名目で我らの国に兵を派遣した。我々は国際政府にこの横暴を訴えたが、彼らは何も聞き届けなかった。我が母上、<ドゥスエンティ>の王は、孤軍奮闘の活躍をなさった。だが最後には王城は占領され、民は多く殺された。私とエネテヤは、人質としてあの宰相アムゥによって捕まったが、母上も父上も、残りの家族や、巫たちは皆、反乱分子として殺された」
タナーシャは淡々と歴史を説明しているようだったが、拳は僅かに怒りで震えていた。しかし一方で、ヴァラムはこの説明に少しだけ疑問を覚えた。
「しかし疑問なんだが、俺の記憶に間違いが無ければ、星界統一同盟が完成、つまり<ドゥスエンティ王国>が征服されたのは、新星界暦にして九三九九年だろ?十二年も前のことだ。しかも星界統一同盟発足は今から約三十年前、どうしてそんな体験してきたように語れるんだ?」
「鋭いな、ヴァル。その通り。彼女は全てを自分の目で見て来たんだよ」
未だ得心行かぬヴァラム、それを見てエネテヤは、あえて言葉を濁し、迂遠な説明ばかりのバルーを見かねて、自らの口で説明することにした。
「タナーシャ様も神の巫なんだ。巫は神に触れ合うことができるために、人の時間を超えた神の時間で生きることができる。君は巫に会うのは初めてと見える。巫は<天藍>と違って、この星では稀にしかいないから知らぬのも無理はない」
大口を開けているヴァラムを見て、タナーシャとエネテヤは、どんなことを言っても初めてのことだと驚くものだから、童子のように思えてきて少しはにかんだ。
「じゃあ、タナーシャ、あいや、タナーシャ様の年齢は」
「ああ、もう今年で三八になる」
しかし、ヴァラムの驚愕は、タナーシャの年齢が既に四十近いことに対してだけに留まらなかった。
「ふふ、ちなみに私は新星界暦だと九三一六年の生まれだ」
「こ、今年で九五歳!?」
「だからうるさいっての」
またもヴァラムが声を荒げたので、バルーは約束を守らなかった罰と言わんばかりに、軽く手刀を彼の頭に振り下ろした。