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厚底靴の蹂躙 最終節

 第三階層に差し掛かり、二人が目にした光景は、恐ろしいものだった。

 タナーシャは体中から血を流しながら、腕が四本の神の像と取っ組み合っていた。そこから少し離れたところで、バルーは床に臥せ、身体を小刻みに震えさせていた。彼の髪は長く、赤いことから、彼が竜因の力を開放していることもわかった。

 神気を全盛期に近い形で取り戻したはずのタナーシャと、アースさえも上回る竜因の力を誇るバルーが、二人がかりでも仕留めきれない、その神の像は、ただ目にしただけで、二人の思考を恐怖で奪った。

 神の像は、タナーシャの両腕を、左右二本の腕で捻り上げる。痛みでタナーシャが悶絶したところを、神の像は残った二本の腕でタナーシャの頭を左右から何度も殴りつける。目にもとまらぬ速さの連撃の後、神の像はタナーシャの頭を鷲掴みにし、床に強烈に叩きつけた。

 タナーシャは、全く動かなくなり、それを目にしたバルーは、急いで立ち上がろうとするものの、力を込めた右腕が滑り、再び地面に伏せる。

「くそ……タナーシャ」

 バルーにできることは悪態をつくことだけだった。

 神の像はじりじりとバルーの下へと近寄る。もう首を上げる力すら残っていないバルーを、神の像はその右足で踏みつけようとしていた。

 その寸前で、ヴァラムとイヒーナが、神の像に突進した。二人は何か示し合わせたわけではなかったが、目の前の二人を助けたいという衝動のまま動くと、それが偶然全く同じタイミング、そして同じ行動であった。

 力量では圧倒的に劣っていたが、片足を上げていたこともあり、神の像はそれで後ろによろめいた。しかし体勢を失ったのも一瞬、すぐさま神の像は飛び掛かってきた二人を、その四本の腕で掴んだ。イヒーナとヴァラムは、すぐさま投げ飛ばされる。イヒーナは壁に激突したが何とか堪え切れたものの、ヴァラムはその速度の衝突に耐えきれない。しかし発動した魔力障壁が、その衝撃を和らげ、何とか命を繋ぎとめた。

「ヴァラム、どうして……」

 バルーは口から血を吐きながら、ヴァラムへ声をかける。

 だが、ヴァラムは返事をしない。衝撃を抑えられたものの、ヴァラムは気を失ってしまったのだ。

 身動き取れぬ彼に、神の像が迫る。

「やめろ……やめろおお!!」

 その様子を見ていたバルーが声を張り上げる。その声に呼応するかのように、バルーの身体から炎が立ち上がる。

 バルーはどこからか力が沸き上がり、痛みすら忘れて立ち上がり、駆けだした。

 声にならない声を叫びながら、神の像に駆け寄る。神の像の胴体を両腕で抱え、彼はそれを投げ飛ばした。髪の毛が逆立ち、赤く光っていて、バルーはまさに体全身が炎のようであった。

 投げ飛ばした神の像に、バルーは馬乗りになって、その顔面を何度も力の限り叩きつける。神の像は四本の腕で防ごうとするが、バルーの力は、今までのそれより更に強くなっており、上手く防ぎきれない。すると今度は四本の腕を同時に振りかぶり、バルーの身体を何とか突き放した。

 だがバルーは空中で制止した。突き飛ばされた勢いを完全に殺し、空に浮かんでいたのだ。

 バルーは背中から炎の翼を生やし、再び神の像へと突貫した。彼は飛行しながら、神の像を勢いよく引きずり、慣性を付けて投げ飛ばした。そして壁に激突、神の像は再び倒れ込んだ。

「<フィナ・フヴァピーパ・アフィオス >!」

 バルーの口から放たれた言葉は、神語でも、新星界語でもなく、更には魔術用に作られた、魔術形式言語でもない。だが、その言葉に確かに呼応して、バルーの身体の前に巨大な炎球が生成される。その炎球は神の像に衝突、強烈な爆発音を響かせ、神の像は大きく吹き飛んだ。

 像の上半身が、右半分欠損し、右の二本の腕が、肩からごっそりと破損していた。そこに追撃を掛けようと、バルーは再び飛行するが、突如炎が消え、彼は地面に追突してしまう。バルーは、再び身体が動かなくなり、炎はおろか、髪の毛も黒に戻っていた。

 バルーはもう指先すら動けなくなっていた。だが神の像は、身体を失ってなお、まだ動き続けていた。バルーがとうとう死を覚悟したときに、神の像は再び吹き飛ぶ。

 吹き飛ばしたのは、タナーシャの強烈な蹴りだった。大きくひび割れた箇所に強い衝撃を受け、神の像に深いヒビが入る。さらにタナーシャはわき腹にできたそのヒビを狙って、何度も拳を叩きこむ。流石の神の像も無抵抗ではなく、拳を振り、タナーシャを殴りつける。しかしまるでもう痛みを感じないかのように、タナーシャは続けざまに殴り続ける。全く防御の体勢を取らず、ただひたすら殴打を続けるタナーシャ。それに対して反撃のように彼女の頭を殴り続ける神の像。

 血と石の欠片がしばらく飛び散り続け、その殴り合いで最初に拳が止まったのは神の像だった。神の像の上半身が今にも半分に割れそうになるほど、神の像に走った亀裂は大きくなっていた。それを庇うように左の上の腕で、亀裂の場所を抑えたせいで、攻撃の手が緩んでしまったのだ。そこをタナーシャは見逃さず、深く沈んで、神の像の足を、自身の足で払った。それによって神の像は尻もちをついて、床に倒れる。

 タナーシャは、割れて地面に落ちていた神の像の右腕の一つを手に取り、それを神の像の亀裂に、楔のように突き立てた。ヒビは更に大きくなっていた。そこに何度も両拳を、まるで槌のように固く握り、それを何度も、刺さった腕に振り下ろした。

 三回、その拳を振るうと、神の像の右腕は、手首程まで、神の像の胴体に突き刺さる。大きくなった亀裂に、タナーシャは両手を入れ、力の限り引き裂こうとする。

「がああああああああああああああ!!」

 タナーシャの渾身の叫びと共に、神の像の上半身もまた音を立てて、半分に割けた。

 神の像の全身に欠陥のように走っていた青い光が、徐々に途絶えていき、神の像は完全に動かなくなった。

「はぁ、なんとか、なった」

 そう言って、タナーシャは床に大文字で倒れ込んだ。バルーも、何とか身体を動かそうと、試みていた。ヴァラムも意識を取り戻し、血まみれで床に倒れていたタナーシャと、身体の動かないバルーの下へと心配そうに駆け寄る。

 そして意識こそあったものの、激痛で蹲っていたイヒーナも、タナーシャたちの方へと近づいていた。

「どうして、君たちもここに?」

 何とか首だけ上に上げられたバルーが、ヴァラムとイヒーナの二人に呼びかける。

「すまん。イヒーナ、<ドゥスエンティ>の巫の彼女が、もしかしたら記憶が蘇るかもって神居の中に入ってみたんだ。それに、ここまで苦戦してるとも思ってなかったからさ……」

「強敵だった。神の像であっても、神威の片鱗を味あわされた」

 タナーシャは体に染みついた血をぬぐいながら、身体を起こす。タナーシャの白いドレスは、すっかり赤黒く染まっていた。

「タナーシャ様、ご無事ですか?」

 イヒーナが心配そうにタナーシャを見つめる。彼女が最後に見たイヒーナの姿は無表情で、生気のないものだったために、この変化には、一瞬誰かわからないほどであった。

「君は、先程の巫、か?」

「はい、イヒーナと申します。何かお力になれるかと思っていましたが、全く御助力になれず……」

 申し訳なさそうに俯くイヒーナの頬に、タナーシャは手を添える。

「気にするな。それより君も記憶が蘇ったのか」

「はい。他にも神聖晶の近くまで行けば、何かを思い出せるかもしれません」

「そうか。では、少し休憩したら、神聖晶へと向かおう」




 それから、数分立ち、バルーはすっかり動けるようになり、タナーシャも傷がふさがり、血も止まっていた。それでも万全な状態とは言えなかったが、あとは神聖晶を貰うだけ、ということもあって、四人は階段を昇っていくことにした。

 休憩中に、イヒーナはすっかりバルーやタナーシャにも心を開き、四人はどこか朗らかな雰囲気すら漂わせながら、談笑をしつつ神居の階段を昇る。

「さて、そろそろ、神聖晶だ。果たして、今回は一体どんな記憶が戻るのか、楽しみではあるが、少し怖いな」

「少しわかります。私も自分がどんな存在だったのかを思い出すのが、ちょっと怖いです。もしかしたら、過去の忘れられた人格が蘇って、今の自分がいなくなっちゃうんじゃないかって」

 神術に、故郷、境遇、いくつかに共通点を持つタナーシャとイヒーナの間には、友情に近い関係性が芽生え始めていた。

「なぁ、タナーシャ、何か嬉しそうだよな」

 タナーシャとイヒーナの、二段ほど後ろに、ヴァラムとバルーはいた。ヴァラムとバルーはお互い耳元で囁きあっていた。

「そうだな。やっぱり、二人はどこか似たところがあるし、それにタナーシャにとっては、久しぶりに出会う<ドゥスエンティ>の市民だからな」

 二人がそう言っていると、最後の階層の入り口が見えてきた。

 最後の階層には、今までと同じく中央に神聖晶が立っていた。

「<セタク、神の父(フィニス・ウッファ)この神居の主よマフーム・エ・フィニススィ私は(フエ)神の巫にしてエセト・フィニスネエプ汝の試練を(ア マ ウ・ウフュバ)乗り越えし者(シュフスアプウ)>」

 タナーシャがいつもの神語を唱える。

「<神の巫(エセト・フィニス)()その仲間よ(ヴュシュバ)汝らは試練を(ウ・ウフュハ)乗り越えた(シュエフスルプン)故に神の祝福を(タフ・フィニスス)汝らに与えん(イスウッタンナプ)>」

 神聖晶は、また手に乗る程度の大きさになり、タナーシャの方へ飛んでいく。タナーシャは一度、隣のイヒーナの方に目を向ける。それはこの神聖晶を自分が使っていいかを問うものであった。勿論イヒーナは首を縦に振る。

 神聖晶を彼女は強く握りしめると、神聖晶は、強い光を放って、身体に取り込まれていった。



 

 タナーシャの視界が青い光に包まれる。星々の間を飛ぶような感覚に襲われ、目まぐるしく視界が切り替わる。今までとは違う現象。自分の身を包んでいるものが、莫大な神気であると気づいたのは、その浮遊感が消えた後だった。

 目の前には一本の道があった。いや正確に言えば、青い光の中、唯一歩けると認識できた場所が、真っ直ぐと前に伸びていたのだ。

 恐る恐る足を踏み出す。確かにそこには歩くことが可能な地面があり、一歩、また一歩と先に進んでいくと、その先に更に道が現れていく。そして目の前に現れたのは、白く光る長方形型の板のようなもの。何故だか、それが扉であると、彼女は自然と認識できた。その扉を開けようと、それに触れると、タナーシャの手のひらに火を触ったような、痛みが走る。それはまるで、高熱で熱された鉄板のようだった。

 しかしタナーシャはそれを開かねばならないと直感した。これが記憶へと通ずる扉であるとわかったのだ。身を焦がす熱さに耐えながら、彼女は両手で思い切り扉を押した。すると扉はゆっくりと開いていき、徐々にその先の道が見えてくる。

その扉が、彼女の身体が入れる程度まで開くと、今度はタナーシャの視界は強烈な閃光に包まれた。その眩さは、思わず目を固く閉じてしまうほどであったが、再び目を開けると、今までとは全く違う、ありていに言えば、非常に現実的な空間が広がっていた。

 そこは暗い鉄檻の中、目の前にいたのは、タナーシャとエネテヤだった。単なる記憶の復活というよりも、むしろ過去に時を戻り、その場を観察しているようであった。

「タナーシャ様、本当に、構わないのですか?もしそんなことをすれば、今までの忍辱は無に帰しますぞ」

 エネテヤが深刻そうな表情で、タナーシャを問い詰めている。タナーシャの表情は暗く、それでいて悲嘆に染まっていた。

「もう、これ以上耐えられない。これは私一人が抱えきるにはあまりに大きすぎる」

 今にも泣きそうな、いや、もう涙も枯れつくしたと言う方が正しいか、悲痛で歪んだ声と表情は、見ているだけで苦しくなるようだった。 

「私も、エネテヤもおります!お気を確かに!」

「だが、お前は関係ないだろう!?私だけだ。私だけの責任なのだ。私がこのような力を持ってしまったばっかりに……死は怖くない。怖いのは、私の力で、更なる混沌が生まれてしまうことだ……」

 タナーシャが自分の顔を、両手で覆い隠す。

「ですが、自ら神気と記憶を封じるなど……。貴方のお力は<ドゥスエンティ>の宝、それが失われるということは……」

「いやもう限界だ。もうこれしかないんだ……。記憶と力の封印にはお前の助けが必要だ。頼むエネテヤ」

 そのやりとりを聞いて、その光景を第三者視点で見ているタナーシャは、驚きを隠せなかった。

「な……記憶も神気も、<ユヴァート>の仕業じゃない……?」

 タナーシャの言葉は、ここでは誰にも聞こえない。ここあくまで過去が再生されているだけの記憶空間だからだ。

「では脱獄しましょう。このエネテヤが、命に代えてもタナーシャ様を助けます」

「だが、同じじゃないか!!もうこの星の外には出られない。そして<玄黄>は全てアムゥの支配下も同然!!しかも逃げ出せば、それは奴らに私が、奴らの目的とする力を持っていると示すようなもの。奴らは血眼になって探す。絶対に、逃げられない……」

 声を上げて、過去のタナーシャは咽び泣き始めた。

「……承知しました。ですが、条件はあります。まず脱獄はやはりすべきです。記憶が無くなり、力を失ったことを<ユヴァート>が知れば、用済みと切り捨てられかねません。そして私は、タナーシャ様に嘘をつきます。貴方の記憶と力を奪ったのは、<ユヴァート>だと」

 今まで見たことのないタナーシャの様子に、流石のエネテヤも折れた。

「ああ、それで構わない。エネテヤの好きにしてくれ。私はこの重荷が下せるなら、何でもいい」

 その言葉を最後に、突如再び視界が揺らいだ。どんどん鉄檻の光景が、遠ざかっていく。

「待て!まだ、まだ先を!」

 タナーシャの叫びもむなしく、過去の再生は、そこで途絶えた。




「待ってくれ!!」

 タナーシャが叫び声を上げたのは、過去の世界ではなく、現実世界だった。

 ヴァラムとバルー、そしてイヒーナの三人が、彼女の顔を心配そうにのぞき込んでいた。

「だい、じょうぶか?」

 ヴァラムが、突然叫んだタナーシャの肩をゆすり、こちらの世界に戻そうと試みている。

「あ、ああ。すまない。少し記憶で混乱してしまって」

「なら、記憶は戻ったんだな?」

「いや、全てというわけではないが、重要なことがわかった」

 それを聞いて、他の三人は皆明るい表情を見せる。

「そうでしたか!私も神聖晶の近くに来て、少し記憶が取り戻せそうなんです」

 タナーシャを勇気づけるためか、イヒーナは彼女の左手を両手で握る。すると何かがイヒーナの頭に駆け巡った。タナーシャの記憶の復活に似た感覚だった。恐らくは、タナーシャ自身の身体に漲った神気に影響されたのだろう。

 イヒーナのその表情にはヴァラムとバルーは見覚えがあったため、彼女の記憶の復活も何となく察すことができた。それを期待して、二人の視線がイヒーナにも向けられる。

 だがイヒーナの表情はどこか不気味だった。一度は明るく、その後は苦く、そして最後に現れた表情は、怒りだった。

「……全て思い出しました」

 イヒーナの声色は深く冷たかった。

「そうか、じゃあ折角だしイヒーナから……」

 そうヴァラムが声をかけると、イヒーナは突然立ち上がった。

 まるで見下すようなイヒーナの視線に、三人は焦った。本当にイヒーナの人格が変わったかのようだった。

「タナーシャ様、貴方のやったことも全て、思い出しました」

「私が、やった?いったい何を」

「ああ、では貴方は思い出していないんですね」

 棘を感じる冷たい言葉に、タナーシャは思わず胸を締め付けられる。

「勿論貴方とエネテヤ様が、我々巫を助けようともせず、二人で逃げたことですよ」

 イヒーナの言葉は、今まで三人が見ないようにしていた事実を詳らかにした。確かにタナーシャはエネテヤと逃げ出した。だが思い返せばエネテヤの説明は色々と矛盾するのだ。エネテヤは、タナーシャと彼女以外の巫は殺された、と言っていたが、事実こうして巫は生き残っていた。しかも、イヒーナの記憶が正しければ、その姿をタナーシャもエネテヤも目にしているはずだったのだ。

 そしてエネテヤは、彼女の脱獄の理由を、<ユヴァート>の厳しい責め苦が、タナーシャの記憶と力を失わせることになり、これ以上拷問が続けば、タナーシャから完全に神気と記憶が消え去りかねないから、と、ヴァラムとバルーには説明していた。しかし現実は、そうではない。

「タナーシャ様、全てではないにせよ、少しは記憶が戻ったのでしょう?いったい何を思い出したんです?言い渋るのには何かご理由が?」

 それを察してか、イヒーナがタナーシャに言葉をかける。

「……タナーシャ?」

「神気と記憶は、アムゥに奪われたわけではなかった。私とエネテヤが自分で封じていた」

 彼女の衝撃の告白に、ヴァラムとバルーが目を見開いて驚く。一方でイヒーナは、その答えを想定していたように、動じていなかった。

「なんで、そんなことを……?」

 タナーシャの過去の行いの理由に見当がつかず、彼女にそれを問いかけるヴァラム。

「<ユヴァート>の拷問に耐えられませんでしたか。アムゥが何を求めていたかは知りませんでしたが、それを隠し通す自信が無かったのでしょう?」

 イヒーナの予想は、当たらずも遠からずだった。タナーシャは、確かに自分の記憶の中で、彼女は拷問に耐えきれず、自らの記憶と力を手放していた。

「……何を、どんな情報を守りたかったのかまではわからないが……イヒーナの言う通りだ……」

 四人の中には、陰々とした空気が漂っていた。

「やはり。では私はここで失礼を。お三方、私をお助け頂いたことには感謝しています。ですがタナーシャ様、貴方が脱獄してから、<ユヴァート>の責めはより過酷になりました。殆どの巫が精神を徹底的に破壊されたのです。それをお忘れなきよう」

 イヒーナはそう言って、踵を返し、神居を去ろうとする。呼び止めようとヴァラムが声を掛けようとしたとき、イヒーナは脚を止めた。

「ああ、そうでした。一言だけ。彼ら<ユヴァート>は神術と神気を封印する技術を持っています。私達巫が監獄から出られなかったのも、神の門を閉鎖したのも、同じ技術です。もし今後も、旅を続けるのであれば、ご参考になるかと思います」

 その言葉を最後に、イヒーナは、神居を去った。

「……私にはわからない。私が、私が……」

 タナーシャは混乱し、大きく取り乱していた。頭を抱えて、その思い出した記憶の内容が、一体何を意味するのかを、必死に考えていた。しかしどれだけ思案を続けても、その果てにある答えは常に同じだった。

「タナーシャ、まだ記憶は全て戻っていないんだろう?断片的な記憶で、過去の自分の行動を判断するのは危険だ。まずは、野営地に戻ろう。そこから次にどうすべきかを考えよう」

「だが、私は自分で記憶と、力を手放したんだ!この旅の目的は何だ……、記憶を戻すことが本当に私達、私のためになるのか?<ユヴァート>の目論見を手助けするだけじゃないのか!?」

 荒々しく叫声をあげるタナーシャ、そんな珍しい彼女の姿を見て、二人もまた動転していた。

「すまない。私は一人になりたい……」

「そりゃダメだって!こういう時こそ、俺たちと一緒に!」

 しかしヴァラムの忠告も聞かず、タナーシャは走り出してしまった。

 追いかけようにも、神気で満たされた彼女の身体能力から繰り出される疾走に、消耗しきったバルーとヴァラムが追い付けるはずもなかった。




 月夜に照らされて、街を徘徊する人間がいた。

 高級な生地と、高度の魔術式が組み込まれた、最先端の魔導服は、いたるところがほつれ、その機能が完全に失われつつあった。夜も更けてはいたものの、人通りはそれなりにあり、誰もが彼女に注目していた。しかし、ふらふらと、おぼつかない足取りで歩くその女が、この星で最も高い戦闘力を持つとされる、<ユヴァート>聖騎士隊、一番隊の隊長であるとは、誰もわからなかった。それほど今の彼女からは、覇気も魔力も感じ取れなかったのだ。街中の人々が唯一理解できたのは、その女性には近づくべきではないということだけだった。

 アースは目的もなく、ただ失意の中に沈んでいるしかなかった。

 だが、そんな彼女の前に、突如として十人ほどの人間が現れた。どこから来たのか、最初からそこにいたかのように出現した、その集団は、皆アースのような蒼い服に身を包み、しかし頭には白い布を巻いていた。

 それを目にしたアースは、すぐにそれが何者かを理解した。

「……七番隊?」

 そう呟いた瞬間、不気味な七番隊たちは、再び消えた。

 だがアースは、それがただ消えただけではないことを、そのおぼろげな頭でも理解できた。

 アースは咄嗟に自身の背後に右拳で裏拳を放つ。その拳の先には、先程の七番隊の頭があり、見事に七番隊は吹き飛ばされる。しかし、また別の隊員が彼女のその腕にしがみつくと、また別の隊員が彼女のみぞおちに鋭い蹴りを放つ。痛みをこらえ反撃を試みようとするが、アースの自由になっている左腕を、また別の聖騎士が取り押さえる。更に背中から忍び寄っていた聖騎士は、彼女の首を両腕で固く締めあげる。先ほど彼女のみぞおちを蹴りつけた聖騎士隊も、それと同時に、アースの両足をその体を使って抱きしめる。

一瞬で完全に拘束されたアースは、ただなすすべなく、意識を手放すしかなかった。

完全に気を失ったアースを、七番隊たちは抱えると、再びどこかへと消えていった。

 街は不気味な静寂を取り戻した。今、目にしたものを、誰もが忘れたかのように振る舞っていた。



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