厚底靴の蹂躙 第五節
神居の門を、ヴァラムら三人はまじまじと見つめていた。
「さて、ここまできて、神聖晶が無ければ、全く労力に見合わないな」
冗談交じりにタナーシャが、神居の門に触れると、門に蒼い光が走った。
「お、神聖晶、復活してるんじゃないか?」
神居の起動が確認でき、三人は胸をなでおろした。
「扉を開く前に、いくつか整理をしておきたいことがあるんだ」
バルーがそう切り出して、タナーシャは扉から手を離した。
「整理したいことはずばり、<ユヴァート>の狙いだ」
そう言って、バルーは以前街で購入した新品の手帳を出し、そこに色々と書き込み始める。
「まず、僕たちは、<ユヴァート>がタナーシャの力と記憶を奪ったのだと、そう思っていた。しかしアースの言葉曰く、タナーシャが力を取り戻すことは、彼らにとって歓迎すべきことで、しかも、まだ奴らは君の力を狙っているときた」
筆の動きは速かったが、バルーの字体は部分的に簡略されながらも、丁寧で読みやすいままだった。ヴァラムとタナーシャは、それを横から覗き込むように眺めていた。
「<ユヴァート>にはまだ謎が多い。タナーシャの力を奪い、神の門を閉じ、物見の塔を掌握した。神気についても魔力についても、何らかの秘された知識を持っている。どうしてだか、僕たちが神居を回り、タナーシャの神気を回復させるという目的にも気づいていた。そしてそれは奴らの狙いでもある」
「そう言われると、なんだかアイツらが敷いたレールの上を走ってるみたいだな」
ヴァラムの言葉に、バルーは無言でうなずく。
「だが、勿論合点がいかないこともある。こればかりはまだ未確定のことばかりだから論じたくはない。だからこそ僕は、これ以上記憶と神気を取り戻すなら、君の本当の旅の目的をヴァラムにも伝えるべきだと思う」
バルーの言葉に、思わず一同が息をのんだ。
「<ユヴァート>及びアムゥから、私の力を使って何を企んでいるのかを聞き出す、ということか」
バルーの話をくみ取り、タナーシャはその先の言葉を代弁した。
「責める気はないんだ。きっとタナーシャのことだから、神気を取り戻したら、僕たちと別れて、一人でアムゥと対峙する気だったんだろう。だけど、それは無謀だ。それに一つ、付け加えることがある。母にかけられた、僕の竜因の誓約、これを解除する手掛かりは、恐らく<ユヴァート>にある。彼らから秘密を引き出したいのは君だけじゃない。だけど、ヴァラム、君は、そうじゃないだろう?」
ヴァラムは二人の話を聞き、両腕を組んで、思索に耽っていた。
「うん。何となく話は見えてきた。タナーシャは、自分の力をアムゥが狙っていることに、それとなく気づいていて、そして昨夜と今日のアースの言動で確信した。そしてバルー、お前も、それに気づいていて、お前にも利害の一致がある。けど母親の手帳に記載された、残り数件の神居を回れば、俺にはもう旅を続ける意味がない、ってことだな」
タナーシャはどこか気まずそうに頷く。
「だから、ヴァラム、僕は君の意思を改めて……」
そうバルーが言うと、ヴァラムが途中で右手をバルーの口元で広げ、その先の言葉を制止する。
「俺は神居を回りきっても、二人についていく。元からそのつもりだった。それとも、バルー、お前は俺に着いてきてほしくないのか?」
ヴァラムが優しく微笑みながら、バルーに話しかける。それを聞いて、バルーは慌てて強く首を横に振った。
「いや、僕は、君に着いてきてほしい」
「じゃあ、決まりだ」
少し甘いヴァラムの声色に、バルーの頬が少し熱を帯びる。
「そうだ、タナーシャ。神術で、この葬送祭殿、元の形に戻せるか?」
二人のやりとりを静かに聞いていたタナーシャだったが、突然自分に言葉を振られて、目を丸くする。
「あ、ああ。できないことはない。このままなのは、確かに忍びないな。<ヴァスークス、偉大な建築士、家を建てる母、先人の王のために、この墓所を直したまえ>」
穴の開いた壁、崩落した天井、砕けた床が、みるみるうちに元の姿へと戻る。一分も経たないうちに、祭殿の姿は元に戻った。しかし、三人は、すっかり元に戻った祭殿の様子に、違和感を抱いていた。何もかも同じなはずだが、何かが違うのだ。
その違和感に初めに気づいたのはヴァラム。彼は急いで、それを確かめるべく、祭殿の中央へと向かった。あとの二人も彼の後をついていく。
近づくと、バルーとタナーシャも、その違和感の正体に気が付いた。祭殿の中央の床が、正円状に少しだけ盛り上がっていたのだ。よく見ると、その表面には文字が書かれ、そして、浮彫の絵が、その中央には大きくあった。
絵には、寝台に横たわる人と、それを近くで見つめる、王冠を被った人が描かれていた。
「これ、文字は新星界語だけど、書かれているのは神語だな。新星界語だと読めない」
バルーが文字を追いかけながら、そう呟くと、タナーシャの方へ目配せする。
それに答える形で、その円盤の文字を彼女は翻訳し、読み上げる。
「『王は眠る。偉大な戦士は眠る。ユーニヴューサは眠る。偉大なりしユーニヴューサ、神に選ばれし王、神に育まれし戦士。従って、王の寝所は、神の寝所の如し。王の寝所は、神の寝所の傍に』」
そこまで読み上げて、彼女は一息つく。
「つまり……ここは神居が祭殿にできたわけではなくて、祭殿を、神居の近くに作ったってことなのか」
「そのようだ。続きを読むぞ。『王の寝所は聖油で清めよ。邪悪なものが生まれぬように。王の寝所には武器を備えよ。邪悪なものを切り裂くために。祭殿の上には神殿を建てよ。神と王に崇拝と奉納の地を建てよ。王の像を祭殿に建てよ。彼は永遠の崇拝者となり、永遠の模範となる。偉大な人の王が、偉大な神の王に仕えるように、偉大な国の民は、偉大な王に仕えよ。主の名はユーニヴューサ、神の父、<セタク>に愛されしもの。神の王<セタク>は、その子<トゥサーヌ>に守られ、人の王ユーニヴューサは、<ズクマット>の民に守られる。偉大な王の記憶は、偉大な神への畏敬と共に受け継がれる』……驚いたな」
碑文を読み終え、顔を上げるタナーシャ。
「<セタク>、<セタク>だって。<セタク>神族の王が、この神居の主なのか……」
「とうとう、来るところまで来たって感じだな」
ヴァラムとバルーは、振り返り、神居の扉を見る。
「発掘された時には、この円盤碑文は割れてしまっていたのだろうか」
「どうだろう。断片でも残っていたら、普通は考古学者が黙って見過ごさないだろう……」
「ま、考えても仕方ない。失われていた遺産が蘇ったんだ。この場はそれで良しとしようじゃないか」
タナーシャが立ち上がり、勇み足で神居の方へと向かう。
「お、おいタナーシャ、もしここが本当に<セタク>の神居なら、第一階層の試練の魔物は相当強い。一度、準備を整えないか?」
バルーが彼女を呼び止める。しかしタナーシャは少し足を止めた後、すぐさままた同じ歩調で歩き始めた。
「恐れなくていい。第一階層については、先程の碑文で少し手掛かりがあったのでな」
そう言うと、タナーシャは神居の扉に手をかける。扉の蒼い光は一際強くなると、振動と共に、開いていった。
神居の中からは赤い光がちらちらとこちらを見ている。それは魔獣の眼光であり、今にもこちらを襲い掛からんとしていた。
しかし魔獣の数匹が神居の外に出た瞬間、突然痙攣し、苦しみながら床に倒れ込んだ。
「な、なんだ?」
「我々が来たときには、ここに魔獣はいなかった。神居の周りには普通魔力だまりができ、魔獣が現れる。だが、この祭殿には争った跡もなかったし、しかも<ズクマット>には魔獣被害なども特に報告されていなかった。答えは簡単。『聖油で清めよ』。この神居は魔獣が生まれぬ細工がされている」
タナーシャがそう話していると、先程飛び出してきた魔獣たちは、いつの間にか塵となって消えていった。
「なるほど、そんな技術が……」
「これが文明崩壊で失われた技術ってやつか」
まだ第一階層には魔獣が潜んでいたが、先の様子を見ておじけづいたのか、中々飛び出そうとしなかった。しかしその様子を見て、タナーシャは腕に再び、光の鞭を呼び出す。
「実証は終わった。あとは、釣りをするだけだ」
光の鞭を神居の中へ放つと、それを魔獣に結び付け、強く引っ張る。彼女の宣言通り、釣り上げられた魔獣は、祭殿の中に放り出され、先の魔獣たちのように苦しみ、消えていった。
「なんていうか、魔獣は獣の記憶で再現された魔力の模倣であって、獣自身ではないのはわかってはいるけど、こうして叫びを聞くと、少しいたたまれないな」
「だが魔獣は、潤うことのない渇きに延々と悩まされ、魔力を追い求めるしかできない悲しき存在。こうしてあげるのも、情けと言えば情けだ」
ヴァラムとバルーの問答をよそに、タナーシャは次々と魔獣を釣り上げ、いつの間にか神居の魔獣は全て祭殿の中で朽ちていた。
「さて、終わった。第二階層は答えがわかっている。あとは第三階層の神の僕だが、これも想像がつくな」
「ん?神の僕って、あの像のことだよな?あれも名前があるのか?」
「基本的にはない。神居の僕は、小さな神よりさらに地位の低い、従神と呼ばれる神。だが碑文によれば、この神居を守るのは、<セタク>の子<トゥサーヌ>らしい」
タナーシャの言葉は、二人を戦慄させた。それは第三階層に待つ試練が、これまでの比ではないことを予期させたからだ。
「ああ、とはいっても、従神でさえ、人よりも遥かに強い存在。それが私でも倒せるくらい弱くなっているんだ。強敵には間違いないだろうが、<トゥサーヌ>自身が出てくるわけではないだろう」
その補足を聞いて、少しだけ安堵するものの、しかしやはり第三階層の試練が厳しいものであることに変わりはなかった。
「さて、どうする?戻ってもいいが、私としては進みたい。アースの一件もあるが、どうにも私は<ユヴァート>を見くびっていたかもしれない。恐らく彼らはすぐにでも第二、第三の兵を我々に向かわせるだろう。私たちの居場所も彼らは知っている。なら少しでも急いだほうが得策に……」
タナーシャが言い切る前に、突然がしゃんと、金属が落ちた音が響く。その音の方向を見ると、ヴァラムが床に尻もちをついていた。
「すまん、重力制御が切れちまった。やっぱり重いな、この飛行装置」
ヴァラムは推進器を支えていた肩紐を外して、それを床に置いた。
「てなわけだ。俺はもう戦力外通告。すまんバルー、さっきは『俺は着いていく』、なんて啖呵きったけど、腕の機械も機能停止の魔力不足じゃ、俺はただの足手まといだ」
ヴァラムは決して怖気づいていたわけではない。事実、今のヴァラムでは一番弱い、生まれたばかりの小さな魔獣ですら倒せない。それを一番理解しているからこそ、恥を忍んで二人に後を託したのだ。タナーシャとバルーもそれには気づいており、決して彼らは何もそれについてヴァラムに思う所は無かった。
「ああ、任せてくれ。絶対に神聖晶を取ってくる。ヴァラムは、巫のお方の介抱を頼みたい。きっと心も体もかなり傷ついている」
「そっか。まぁ口下手の俺だ。あまり期待はしないでくれ」
巫は、未だ神居の扉が面する、祭殿の壁の傍に立ち尽くしたままであった。
「君なら大丈夫。君の優しさは、僕が保証するよ」
バルーにそう言われて、今度は彼が照れ臭そうに、頭を掻く。
「では、行こうかバルー。君も色々無理しただろうから、第三階層は私に任せてくれ。アース戦では役に立てなかった分を取り返して見せよう」
そう言いながら、二人は神居の奥へと進んでいき、第二階層へ続く扉を開けると、その先の階段を下って行った。
「頑張れよ」
もうすっかり見えなくなったタナーシャとバルーへ、ヴァラムは激励の言葉をつぶやいた。
二人が神居に入って三分ほど経った。神居の外で待っていたヴァラムは、巫と一緒に壁に寄りかかり、二人の帰りを待っていた。その間、二人は一言も交わすことが無かったが、沈黙に耐えられず、ヴァラムが口を開いた。
「な、なあ。あんた、名前は何ていうんだ?俺はヴァラムだ」
「……忘れ、ました」
初対面の二人が、最初にする会話すら、成り立たず、ヴァラムは困り果てる。だが、その掠れた声を聞いて、ヴァラムはあることを思い立ち、飛行装置に備えていた水筒を取り出し、彼女に渡した。
「ほら、喉、渇いてるだろ。飲んでいいぞ」
だが、巫はそれを受け取らずただじっと見ているだけだった。
「……アースはもういないんだ。安心していいんだ」
彼の言葉に、巫は唇をカタカタと震えさせ、何かを言おうとしては、口を閉じるのを、何度も続けていた。よく見ると唇は渇きで幾つもひび割れており、ぼろきれの服がほつれて、肌が晒されている場所は、どこも酷い傷跡と青い痣だらけであった。
「よし、それじゃあ、俺がアンタに飲ませてやるってのはどうだ?どんな呪いを<ユヴァート>が掛けたかはわからないけどさ、それなら大丈夫だろ?」
巫は、首をゆっくりと縦に振る。肯定か、ただ頭が揺れただけかわからない僅かな動きではあったので、どうするか僅かに悩んだが、ヴァラムは水筒を彼女の口に寄せた。
「さ、口を開けてくれ」
言われるままに、巫は口を開く。唇の渇きで大きくは開けなかったが、水を飲む程度には十分だった。
ヴァラムは少しずつ水が出るように、優しく水筒を傾けた。流石に他人に水を飲ませる、というのはヴァラムにとっても初めての経験だったので、慎重に手を動かした。水筒の口から出てくる水の量は、それほど多くは無かったが、飲み込む力が衰えていた巫には、それがむしろ適量であった。
一分ほど、そのように水を与えていると、巫はどこか顔色が良くなったように見える。
「ありがとうございました」
喉の掠れも少し収まり、まだまだ声量は小さくはあったものの、随分聞き取りやすい声になった。
「ああ、他にも困ったことがあったら気軽に言ってくれ」
ヴァラムは、水筒の残った水を自分も少し口に含み、戦いの疲れを癒す。
「あの……」
ここにきて、初めて巫が、自分から口を開き、その様子にヴァラムも驚きと喜びが混ざった表情を見せる。
「私、呪いの類はかけられていません……ただ、自分で何かを考えたり、動こうとすると、記憶と痛みが蘇るんです。だから、その……」
ヴァラムがそれを聞いて思い出したのは、タナーシャと出会い、彼女から聞いた、<ユヴァート>による拷問のことだった。恐らく彼女も同じような目に遭ったのだ。それに気づいた彼は、彼女の手を握って、優しく、それでいて真摯に彼女と向き合った。
「名前、思い出せると良いな……、そうだ、タナーシャも記憶を神気で取り戻したんだ。もしかしたら、君もそうかも。神聖晶は譲れない、けど、神居の中は、二層くらいから神気を感じられるらしいから、二人でそこまで行ってみないか?」
その提案に、今まで無表情だった巫は、少し驚いたそぶりをみせた。
「あの、ご迷惑では?」
「大丈夫。誰かのために動くことを、アイツらが責めたりしないって。さ、着いてきて!」
ヴァラムは彼女の手をそのまま引き、神居の中へと入っていった。
魔獣のいない第一階層を突き抜け、第二階層へと続く昇り階段へと差し掛かる。一段一段が高い神居の階段は、身体的にも疲弊しきっていた巫には辛いもので、ヴァラムが一段一段体を支え、そして持ち上げながら昇っていたため、一段昇るのも大変時間がかかった。
五段ほど登った後、巫は、
「あの……タナーシャ様も、記憶を無くされて、いるのですか?」
とヴァラムに問いかける。息を切らしながらだったので、途切れ途切れの声ではあったが、話すことに慣れてきたのか、随分と聞き取りやすかった。
「ああ、きっと、君にかけられた術と同じだろう」
「そう、ですか。あの、思い出した、というわけではないん、ですが、一つ、覚えていることがあります」
彼女がそう言うと、ヴァラムは階段を昇るのを一旦やめる。
「何か、タナーシャのことについてなのか?」
「はい。<ユヴァート>で拷問を受けている時、私達巫は、地下深くの鉄檻に閉じ込められていました。拷問の時間が来ると、一人一人牢から出されるんです。牢の間にある長い廊下は、まるで地獄への道のようでした。例え自分では無くても、拷問部屋から出てきた、傷だらけの巫が、自分の牢へと戻される様子を目にするだけで、心はどんどん荒んでいきました」
「……もし、辛い記憶なら、無理に思い出さなくても……」
過去を話す度、巫の身体の震えが強くなるのを見て、ヴァラムはそれが苦痛になっていることを気づき、一旦話を止めようとする。しかし巫は首を横に振った。
「大丈夫、です。確かに辛かった記憶ですが、そんな中でも、希望がありました。それがタナーシャ様とエネテヤ様でした。他の巫と違い、お二人は必ず同時に拷問部屋に連れられました。拷問部屋から出てきたお二人は、必ず、酷い怪我をなさっていました。私達巫のそれとは、比べ物にならないほどの、命を落としかねない傷です。ですが、お二人の表情には、苦痛が滲んではいたものの、気迫や姿勢は、部屋に入る前と全く変わりませんでした」
「そっか。タナーシャもエネテヤさんも、やっぱりすごいな」
ヴァラムには想像すらつかない艱難辛苦、それを背負ってなお、二人が痛みと恐怖に負けなかったと知り、二人のことが一層誇らしく彼には思えた。
「そうです。それを見るだけで、私は、いえきっと、私達巫全員の苦痛が和らいでいました。どれだけの痛みも屈辱も、私達は耐え抜ける。そしてこの闇を抜け出す道があることを、確かに実感できたのです。……あの、エネテヤ様は、ご一緒ではないのですか?」
「あ、ああ。エネテヤさんは、聖騎士隊との戦いで、命を落としたんだ」
思い返せば、ヴァラムはどこかでエネテヤが生きているのではないかと、思っていた。直接死を目にしたわけではなかったし、タナーシャの説明を聞いても、希望的観測を諦めきれなかったのだ。しかしアースとのやりとりで、その死が確実であることを、ここにきて気づき、ヴァラムの気分も深く落ち込んでしまった。
「そう、でしたか……。いえ、エネテヤ様は我が国が誇る巫長です。優れた巫は、死すると、その魂は神の元へ召し上げられると言います。ですからきっとエネテヤ様も」
と、巫は彼の心情を思いやり、少しでも心痛を和らげるように言葉をかける。
そんな彼女の思いやりに気づき、ヴァラムは目線を上げた。
「ああ、そうだな。きっと。それじゃあ、行くか」
休憩をやめ、ヴァラムと巫は再び階段を昇る。何とか第二階層に辿り着くが、二人とも息を切らして、汗をぬぐう。第二階層の扉も開いており、第三階層へと続く階段も見えていた。
「神の名前も明らかだったし、まぁ当然開いてる、よな」
また同じ心労を想像し、苦い顔をしていたヴァラムだったが、その隣の巫が、すっくと立ちあがって、先程の疲れが嘘のように消えたのか、快活な足取りで神居の第二階層を歩いていた。
「少し、神気が戻ったかもしれません」
巫は、第二階層の中心で、自分の身体を見つめていた。
「もしかして、記憶が戻ったり……」
「いえ、殆ど……。ですが名前だけは思い出しました。私の名前は、イヒーナ、イヒーナ……」
そう自分で名前を唱えると、彼女は安心したように自分の胸を手で抑える。その仕草はまるでやっと見つけた宝物を抱えるようだった。
「イヒーナ、良い名前だな」
「第二階層で、この調子なら、第三階層まで行けば、もしかしたら<ユヴァート>の不利益となるような情報も思い出せるかもしれません」
イヒーナは、第三階層の階段に走っていき、自ら階段を昇り始めた。
「お、おい、待てって」
ヴァラムも急いで彼女を追いかける。彼もまた、第三階層の階段を昇り始めた時だった。
「がああああああああああ!!」
階段の先から聞こえてくる悲痛な叫び声。それは紛れもなくタナーシャの声だった。
「お、おい。まさか、タナーシャたち、まだ戦ってるのか?」
ヴァラムの心配も無理もないことだった。もうすでに彼らが神居の攻略を始めてから三十分以上たつ。第二の試練も、神の名前が明らかになっている以上、さほど時間がかからなかったはず。だとすれば、アースとの激戦も含めれば、タナーシャとバルーは一時間近く戦っているということ。あの場で自分が外に残ると決断したことを、彼は悔やんでいた。
「すまん、イヒーナ、君はここで待っててくれ。まだ第三の試練は続いてる。危ないから……」
イヒーナの肩を掴みながら、ヴァラムは彼女をここに残そうとする。しかし彼女はその提案を拒むように、首を強く横に振った。
「いえ、私も行かせてください。神気が少しでも戻れば、私もお役に立てます。神術が使えなくても、少しくらいは。私もタナーシャ様のお役に立ちたいのです」
彼女の瞳は、その強い意志を物語るかのように、爛々と輝いていた。
「わかった、だけど、危険そうだったら、すぐに戻ろう」
しかし、ヴァラムにはわかっていた。今の彼の持つ武器は、残った左腕の機械腕のみ。この場では、自分こそ、一番戦闘では役立たないと。
だが彼の決心は揺らがない。自分の親友の危機なのだ。考えている暇はない。
彼の足取りもまた、力強かった。一段、また一段と階段を昇るたびに、その意思はどんどんと硬くなっていった。




