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厚底靴の蹂躙 第三節

「馬鹿な……」

 タナーシャも、アースも、そしてヴァラムも、今起きたことが全く理解できないでいた。そこにいたバルーが突然、赤い髪の女に入れ替わっていた。最初は、ヴァラムとタナーシャは、あの時見たあの剣士が助太刀に来たのだと錯覚していた。しかし、どこを見てもバルーの姿は見当たらない。

「バルー君、やはり、やはりか。あの時私の炎を防いだのは!!」

 大きく剣を振り、後方に離脱するアース。

「ば、バルー……、君なのか?」

 身体を大きく変化させたバルーに、タナーシャは問う。

「ああ、これが、これが。もう一つの僕の姿だ」

 背丈や、目の色、そして声、いずれもバルーと共通していたが、大きく違っていたのが三つ。一つ目が、その髪。かつて美しい艶を持っていた黒髪は、炎ように光る勇ましいものへと変貌していた。肌の色もヴァラム程の褐色ではなかったが、ほんのりと赤みが増していた。

「はは、驚いた。いや驚いたのはその魔力量だよ。一体どこにそんなものを隠していた?その魔剣の力か?」

 アースが前のめりになって、質問をする。最後の相違点が、その魔力量。バルーの魔力は、もうアースの力に慣れてきたヴァラムでさえ、恐れを感じるほどの莫大な量。

「……無駄口を」

 バルーの魔力がどんどん増していく。突然の変貌に、好奇心を抑えられなかったアースだったが、彼女はバルーの力の高まりに、すぐさま戦闘態勢に戻った。

「叩くな!!」

 バルーの疾走。アースには反応できない速度ではなかったが、その急加速に目を見張ってしまい、回避することができなかった。従って、手に持っていた魔剣で受け止めようとするが、今まで力で負けたことがないアースが、その攻撃で遥か後方に吹き飛ばされた。魔剣を地面に突き立て、減速しつつ、アースは体勢を整えるが、そうしている間にも、バルーは次の一手を打っていた。バルーは、アースの上空から落ちてきて、魔剣を力の限り振り下ろす。

 バルーの剣からも、アースの物と同じように炎が放たれ、それが推進力代わりとなって、単なる重力の乗った一撃ではなかった。先ほどの攻防から、この一撃は防ぎきれないと察したアースは、何とか後ろに飛ぶ。しかし回避に移るのが遅かったこともあり、剣こそ躱せたものの、地面への強い衝撃で起きた爆発に巻き込まれる。

 アースはまた吹き飛ばされたが、直撃を避けられたことで、大きな損害は被らなかった。彼女は一度背中を地面に大きく打ち付けるが、その反動で後方に跳ね上がり、器用に立った。しかしすぐさま彼女はまた大きく後ろに飛びあがると、そのまま、背を後ろに向けて、駆けだした。

「な、逃げるつもりか!?」

 バルーが大声で叫ぶと、アースは後ろを少しだけ振り返る。

「逃げる?そんなつもりはないよ。どうせ君たちとは神居で会えるからね。そこで君たちを叩きのめすよ」

 その言葉には、悔しさや負け惜しみの色は無かった。むしろ傲慢で、自信にあふれ、そしてどこか嬉々とした声色であった。アースは、あっという間に夜の闇に消え、魔力の気配も消し、姿をくらませた。

 暗闇の中、煌々と輝くのは、バルーの赤い髪と剣であった。

「なぁ……バルー、バルーなのか?」

 ヴァラムは、傷ついた身体を何とか起こし、バルーに近寄る。

 すると、徐々に、赤い髪が元の黒色に戻る。剣も炎と共に、まるで灰となるように消えていった。

「……これが、僕の秘密だ」

 口ごもりながら、膝から崩れ落ちるバルー。

「なぁ、何があったのか、教えてくれないか?」

 沈黙が続く。先ほどまでの炎の猛りが嘘かのように、夜風は寒々しかった。

「長くなるけど、いいか?」

 バルーは、口から白い煙を吐きながら、ゆっくりと呼吸をしていた。

 三人は、再び焚火の周りに、再び座った。


 

 

 バルーは、その過去を語る。

 それは、星の門が閉じる前のこと。今から十九年前に、彼は<紅玉星(ルムン・リト)>で生まれた。人々の平等、魔術と知恵による星の管理を重要視した<紅玉>の人々は、王国のような、身分の格差を許容する制度に対して、不満を持ち始めた。しかし決して暴力的な革命は生じなかった。その多くの王室は、民衆の機体に答えるように、自ら退位し、その体制を民主的な政治、あるいは共和制へと移っていった。そんな中で唯一、王国を維持していた国こそ、バルーが生まれた<パエス>王国であった。

 <パエス>王室の政治は、決して穏やかなものではなく、代々王室が専制君主として君臨し、資源の分配、労働の管理などを厳しく行った。その政治は、一つ、また一つと、その他の国の国王が退位していくと共に、どんどん苛烈なものへとなっていた。王であったバルーの母は、子供を強く望んでいたが、それはこの国独自の伝統により、非常に難しくあった。

 というのも、この国では、母胎信仰が強く、従って代々王室は、魔術的な子供の出産ではなく、生物的な受胎を行ってきたからである。子供を産むということは、自らの魔力、つまり文字通り命を半分使い果たして行うということ。可能なのは一生に一度。それ以上は命に危険が及びかねない。

 勿論、その危険性は、男性側にもある。加えて彼らは、高貴な生まれの男性を望み、そのうえ、上質な子供を産むため、必要以上の魔力を、王に捧げる必要があった。本来であれば、雄個体も命の半分で構わない。しかしこの儀礼にも似た受胎のためには、死の手前に至るまで魔力を搾り取られる。そのため、希望者を探すのにも一苦労だった。

 またこの王室には、もう一つの重要な要素があった。

 『竜因(アタ・ティフ)』、あるいは『竜に因む者(マ・アタ・ティフ)』、かつて、まだ星が一つであったころに書かれた英雄に纏わる書の一つ、『人竜大戦伝承』において登場する言葉を由来とし、その英雄フューオンのように、最強の生物、竜の力を身に宿す者。かつては巫、という言葉には二つの意味があった。神の巫と、竜の巫である。神の力を行使するように、魔を司る怪物、竜の力を行使する者たちもいたのだ。しかし星が三つに分かれて以降は、その力を有する者は、魔力が豊富な<紅玉>に限定されていた。しかしこの力は神の巫と違い、一子相伝のもの。子供に力は託されるが、しかし同時に、親はその竜の力を失う。従って、竜因の数は、減ることはあっても、決して増えることが無かった。そんな事実と、魔力の衰退が拍車をかけ、この星でも竜因の数は、両手の指で数えられる程度しかいなかった。

 そのため、権力をその手に持ち続けたいバルーの母は、星の時世もあって、子をなすことができないでいたのだ。しかし、もうこれ以上待てば、子を産むのすら難しくなる年齢に達しかねない。それ故に、バルーの母は決心して子供を産んだ。

 無事、元気な女児が生まれ、予想通り竜の力も引き継がれた。母胎信仰を重要視する<パエス>王国では、後継ぎは女子である必要があった。

 あとは、自分の権力を、この子が大きくなるまで維持するだけ。バルーの母は安堵していた。

問題が明らかとなるのは、およそ七年後。

子供の名前には、伝統を乗っ取って、ファリアと名付けられた。<紅玉>に伝わる古い言葉で、その意味は「清純」。バルーという名前は、新星界語で同じ意味の言葉を借用したものであった。ファリアが七歳になり、力の使い方を教えられ始めた時、彼女はあることを口にした。

「私は、この姿じゃない」

 理由は正確には解明されてはいないが、生物学的な受胎では、これはよくあることだった。生まれた姿が、自分の身体とは違うのではないのかという感覚。魔力が形作る、根源的欲求にも似た、魂の肉体。魂の肉体と、実際の肉体の相違が起こす、肉体の奴隷とも言われる現象。それが、ファリアにも生じたのだ。

 そして、彼女は、彼になった。性別を変えることは、高度ではあるが魔術を使えば難しいことではない。特に魂の形がはっきりと理解できている者にとっては、これは造作もないこと。

 ある日、彼女、いや彼を見たファリアの母は、その人生の中で最も激しい怒りを見せた。竜の因子を失い、魔力の半分を失ってなお、強烈な魔力の持ち主である彼女は、怒りの炎で、子供部屋を焼き尽くした。侍従たちを一瞬で溶解させ、宮廷の部屋に大きな穴をあけた。

 しかしそんな中、ファリアは髪の毛一本燃やしていなかった。竜の因子を受け継いだ彼にとって、その炎熱は最早熱くすらなかったのだ。

 だからこそ、ファリアの母は恐れた。彼女にはもうファリアを抑えることはできない。僅か七歳にして、彼は竜の力を制御し始めていた。そのため彼女は、ファリアに呪いをかけた。

 女の姿でしか、竜の力を使えない呪いを。

 ファリアはこうして赤い髪と、深く滑らかな赤銅の肌、そして竜の力を失った。母に立ち向かうには、自らの姿を偽らなければならない。そして呪いを解けるのは母のみ。

 しかしこの騒動を機に、王室は大きな危機を迎えることになった。<パエス>王室の深刻な人権侵害、人命の軽視が危険視され、最初で最後の流血を伴う運動が民衆から生じたのだ。

 元々<パエス>は過激な国として知られていた。他国に様々な覆面捜査官を送り込んでおり、しかも誓約者を強要することで、秘密を漏らさないようにする、非道な活動を執り行っていた。あるいは、魔獣の心臓を使った非合法な実験も行っていた。

 <パエス>の王女であるファリアは一方で、保護の対象とされていた。何故なら、ファリアもまた、極めて深刻な迫害の的であったからだ。だが、この宮廷攻略は、決して容易ではなかった。魔術に秀でた近衛兵は、彼らも乗り気ではなかったが、身体に埋め込まれた魔獣の心臓と誓約によって、戦いを強要されていた。中には無辜の民を殺めるくらいならば、と、誓約を破り、自らの死を選んだ兵士もいたが、狡猾にも、そうした死体は、魔獣の心臓の栄養になるように仕向けられていた。心臓は死体を食い尽くし、魔獣となって更に命を奪った。

 華やかだった宮廷は、血と魔に染まった酸鼻の地獄へと一夜にして変貌した。

 だが、これがまだ序の口であるとは、誰もが予想していなかった。

 幾多の試練と惨劇を乗り越え、市民が辿り着いた玉座に待っていたのは、王ではなかった。見上げるほど大きく、目のようなものが六つ、大きな蝙蝠のような翼を背中から生やしていた。それ以外はひたすらに大きく、おどろおどろしい赤と紫の混じった煙に包まれていたことを除けば、人の形をしていた。

 それが何であるかを理解できたものはいなかった。しかしそれがひたすらに凶悪で、強大であることだけは誰もがすぐに察した。ただ一度、雄叫びを行っただけで、宮廷全体を震撼させ、その場にいた人間全てを恐怖の底に突き落とした。

 そこからは、殆ど虐殺であった。魔王の如きそれは、宮廷に忍び込んだ存在を全て炎で溶かした。その多くは死んだことすら理解できぬまま、蒸発したのだ。

 それから数日が経った。悪名高き<パエス>の宮廷は、瞬く間に魔王の居城として、<紅玉星>の脅威へと変貌した。誰もが、この脅威に恐れおののき、別の国へと逃げる者も決して少なくはなかった。腕利きの戦士ですら、この脅威に挑まなかった。

 しかし、ある日、この星で最も優秀な魔術師集団にして、魔導機械の技術者であった、六人、魔工宗匠(ウェル・ヘムウェト)と呼ばれる存在が、共に手を取り、これを打倒した。

 打ち倒された、魔王の煙の鎧から出てきたのは、一人の人間だったもの。

 ファリアの母の遺骸であった。




 バルーは、ここまで流れるように話し続けてきたが、ここにきて一度話を止める。息を大きく吸い、同じくらい深く息を吐いた。

「……大丈夫か?」

 ヴァラムの声を聞いて、バルーは追憶を一度中断する。

「あぁ、少し、僕にとっても辛い話だから」

「竜因、魔工宗匠、魔人……噂には聞いていたが、本当に<紅玉星>は魔術の水準が高いのだな。しかし、呪いか」

 三人とも話に集中していたせいか、焚火はもう火が消えかかっていたので、タナーシャが薪を足して、再び火の勢いを戻す

「シスラさんは、バルーの国の密偵だった、ってことか。それなら色々合点がいくな」

 ヴァラムはその焚火で湯を沸かし、長い夜を想定して、三人分の茶を入れていた。

「ああ、そうだな。きっとそうだったんだと思う。あの時は言いだせずにすまない。いや、謝るなら、今まで嘘をついてきたこと、だな」

「気負うな、バルー。君の気持ちは、私にも痛いほどわかる」

 タナーシャは、バルーの肩に手をかける。

 ヴァラムも、茶をカップに注ぎ、それを彼に手渡す。

「ああ、ありがとう。少し落ち着いた。話の続きをしよう」

 あったかい茶を一口飲むと、再びバルーは過去への旅路に出る。




 母が死んで、ファリアは革命軍に保護された。<パエス>王国は、事実上の崩壊を迎え、人々は臨時政府の設立をし、この大惨禍の後処理に尽力していた。

 しかし、そんな中、驚くべき報道が耳に入る。それは、<玄黄星>の権力者、アムゥが、三界を結ぶ<神の門>を閉鎖するという宣言だった。<天藍>の者たちは何を馬鹿げたことをと真剣に聞き入れなかった者が圧倒的であったが、<紅玉>では、比較的これを聞いて不安に陥る者が多かった。ここ数カ月の激しい政変と動乱もあってか、<玄黄星>の台頭が、実情よりも誇張されて恐怖を喚起させていた。

 だが、問題はここで終わらなかった。

 未だ<神の門>の閉鎖を信じぬ、<紅玉>と<天藍>の人々への実演も兼ねて、アムゥは、この二星間の<神の門>を閉鎖した。神の力が満ちる<天藍>ですら、この門閉鎖の原因と解決方法を見出すことができず、アムゥの宣言が虚勢などではないことを、三星全ての人々が理解した。

 そして、別の星にいた者は急いで故郷に戻り、自らの境遇を嘆く者は新天地を求めた。

 この更なる動乱の火の粉は、ファリアにも降りかかった。

 彼は決して、別の星に行こうとも思っていなかったが、度重なる異変に、恐怖を煽られ続けた人々は、そうは思わなかった。

 今まで下に見ていた<玄黄星>が、その魔術の知識で、自分たちの理解の及ばぬ領域に踏み入れつつあったこと、更には自分の母と国が滅ぼされたファリアが、自分たちに逆襲をするのではないかという妄想じみた予測が複雑に絡み合い、群衆の中ではある一つの、非現実的でありながら、確固たる考えが生まれ始めていた。

 ファリアが、<玄黄>にわたり、力をつけ、<紅玉>に反旗を翻すのではないか、と。

 勿論、これは<紅玉星>の人々の大多数では決してなかった。ほんのわずかな、限られた領域の人々だけの問題。しかし、そうした妄執を抱く者の大半が、元<パエス>王国の人々であったことが問題であった。洗脳や、誓約、魔獣の心臓による強制的な服従を受けた人々と、それを近くで見ていた人たちの、悲しみと怒り、そして苦痛は、すぐに和らぐことはなかった。

 結果、「未来の暴君」として、その起こしてもいない罪によって、ファリアは、その命を狙われることになり、庇護下にあった彼は、一転して逃亡の身となった。

 幼い彼は、この状況下では力が必要だと考え、竜因の力を戻すために、女の姿へと戻った。とはいえ、それでも一人の子供が逃げ回るのは至難の業であったが、この星で唯一彼女の味方をする者がいた。それが、かつて、<パエス>王国の優秀な兵士であり、なおかつ王の暴政に耐えきれず、逃亡していた、セペセヴァであった。彼女は、誓約を取り消し、魔獣の心臓を取り出す方法を、ある者から教えてもらい、これを実行することで、自由の身となっていた。しかし姫が窮地にあることを知り、セペセヴァは彼女を助けることにした。

 しかし、追手は時間を経るごとに苛烈となる一方であり、彼女たちは決断を迫られていた。

 そして、<パエス>の人々の妄想は、部分的に現実となった。つまり、ファリアは<玄黄>へと渡り、その追手を永遠に絶ったのだ。新天地で、彼は再び男の姿に戻り、新しい名前を得た。そして、孤児院で、ヴァラムと出会い……




 時間は再び、現代へと戻る。

 追憶の旅路を終えると、三人は、これといって何も話さず、天幕に戻り寝床についた。

 そろそろ日が昇ろうか、という早朝、ヴァラムが目を覚ますと、隣で寝ていたはずのバルーがいないことに気づく。

 昨晩の一件もあり、少しだけ慌てて外に出ると、天幕からすぐそこにバルーは立ち、空の彼方を見つめているようだった。

「なぁバルー」

 ヴァラムの呼びかけに、バルーは振り返らない。

「どうしたんだ、ヴァル」

 背中を向けたまま、答えるバルー。

「二つ、聞きたいことがあるんだ」

 ヴァラムは、バルーの方へと歩き、隣に立つ。

「バルーとファリア、どっちの名前で呼べばいい?」

 その質問を受けて、バルーは左にいるヴァラムの方へと顔を向ける。

「バルーでいいよ。ファリアを翻訳しただけ、といえばそれまでだけど、自分で考えた名前だから、気に入ってる」

 それを聞いて、ヴァラムは静かに頷く。

「もう一つの質問は?」

 気まずそうに沈黙するヴァラムを、バルーは促す。

「……お前が優しいのは知ってる。自分より他人を優先する人間ってことも」

「ヴァラム、それじゃ、質問になってないぞ?」

 まだヴァラムは言い淀んでいたことを察し、本題を急かすバルー。

「わかった。聞きたいというよりは、伝えたいことなんだ。お前が苦しい思いをするなら、俺たちの為だからといって、力を使ってほしくない」

 ヴァラムの言葉に、バルーは目を丸くする。

「お前が選んだその姿はきっとお前にとって、文字通り何よりも大事なはず。だから、天秤にかけてほしくないんだ。俺たちの命と、お前の魂を」

「……君は」

 バルーは、そこから先の言葉を出せなかった。嗚咽のせいで、上手く話せなかったためだ。

 両目から、涙をあふれさせる彼を見て、ヴァラムは何か余計なことを付け入りすぎたかと焦っていた。

「ご、ごめんな。何か、嫌なことを口走ってしまったか?」

「いや、いや。違うんだ」

 バルーは涙を流しながら、何とか言葉を紡ごうとする。

「……ヴァル、僕にとってこの姿は大事だ。だけど、これも完全じゃない。竜の力も、僕の一部なんだ。だから、どちらも不完全で、どちらも僕だ。勿論多少、傷つきはする。けど、君たちのためだと思えば、とても気が楽だった。あの時、アースに力を解放したときも、魔竜を倒した時も、魂にヒビが入るような、あの感覚はなかった。だから、大丈夫。安心してくれ」

 涙をぬぐい、屈託のない笑顔を、バルーは見せる。

「そう、か。けど無理はするなよ。苦しかったら、いつでも言ってくれ」

 ヴァラムは、そう言いながら、バルーの肩に優しく腕を回す。

 彼らの目の前に、太陽が昇りつつあった。広々とした荒野の向こうから、橙色の光が、二人の顔をまぶしく照らす。

「ヴァラム」

 バルーの言葉に、ヴァラムは耳を疑った。

「おいおい、ヴァル、じゃないのかよ?」

「ああ。そうだ。僕が君のことを、ヴァルと呼んでいたのは、理由があるんだ」

「武器、って意味が似合わないからだろ?」

「違う。本当の理由があるんだ」

 バルーは、日の光を背に、ヴァラムと正面で向き合った。

「バルーとヴァル、発音が似ていて紛らわしい、って何度も言われただろ?実は、意図していたんだ。僕が君の隣にいて、そしてバルーであり続ける限り、君のことをヴァルと呼べるのは僕だけ。僕だけが使える特別な愛称……」

 バルーは、ヴァラムの両肩に両手を乗せる。

「僕は、ずっと家族というものを知らなかった。友達も、いや、『人間』というものを知らなかった。だから、君と出会い、初めて誰かを信じることを覚えた。けど、同時に怖かったんだ。君が誰かの下へ行き、僕から離れるのが。だから固執した。僕が君の、唯一、特別な存在になれることを」

「じゃあ、もう俺はお前の特別な友人ではない、ってことか?」

 すると、バルーは自分の額で、ヴァラムの額に触れた。

「違う。過去の話をしていて、思ったんだ。母が僕にやったことを、僕は君にしているんじゃないかって。僕は君に、僕の理想の存在になるよう押し付けていたような気がしたんだ。だから、やめるんだ。君と、そしてタナーシャと会って、僕は人との絆の結び方を学んだんだ。だからもう、幼稚な束縛魔術は、必要はなくなった」

「そっか……。まぁ、ヴァルって呼び方も悪くなかったぞ?」

「ふふ、折角だ。ヴァルって言葉は、神語だとどんな意味か教えるよ」

「うん?意味がある言葉なのか?」

 額を離し、バルーは彼の瞳を見つめながら、こう続けた。

「動詞だとな、『契る』って意味なんだ」

「あー……それって、配偶関係って意味じゃないよな?」

「配偶関係って意味だ」

 すると、ヴァラムは頬を赤らませながら、気まずそうに視線を外す。

「まぁやっぱり悪くはないけど、すこーし照れ臭いな」

「ああ、僕もそう思うよ」

 バルーの顔から涙は消え、二人とも笑いながら、すっかり昇りきった朝日を眺めていた。


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