厚底靴の蹂躙 第二部
空から見る、街の景色は、黄土色一色だった。高い建物もなく、街の中にはそれほど機械が見当たらない。街に彩を与えるものといえば、僅かに点々と生えている木々の緑と、いくつかの広場にある、水路や、噴水といった、水の景色のみであった。
「ここが<ズクマット>、映像とか写真とかでしか見たことなかったけど、何というか、土、って感じだな」
飛空艇を降ろす場所を吟味しながら、ヴァラムは<ズクマット>の街の感想を呟く。
「まぁ、良い言い方をすれば『古代の遺産』、悪い言い方をすれば、『時代遅れ』だからな」
バルーの言葉は少し皮肉が強かったものの、しかし眼下に広がる光景は、歴史的な街並みという形容にいささかの違和感を覚えるものであった。飛空艇は、<ズクマット>の停船所に降り立つが、だだっ広い面積に対して、泊っている船は二、三隻程度という寂しいものだった。
「観光地だからな。旅行者は水晶門を使うだろうし。この古都に、大きな貨物船は不要だろう」
「ま、おかげ様で、誰の目にもつかず、飛空艇を安全に着陸させられたけどな。人目は水晶門近辺と、観光地以外にはほとんどないんだろ」
三人が飛空艇から降りると、周りには殆ど何も無かった。土煙と、青い空、そしてかなり遠方にぽつぽつと凹凸が見える。最初は土の色と全く同じだったため、三人ともそれが、遠方の砂岩か何かだと思ったが、実際はそれこそ<ズクマット>の建築物であった。
「とりあえず、一旦街に入ろう。まだシスラから貰った竜殺しの報酬は残っているだろう」
タナーシャの提案に、バルーは同意し頷いたが、ヴァラムは考え込んだ表情で、すぐに答えなかった。
「……なぁ、物見の塔の連中が俺たちの航跡を辿っているんじゃないか、それがバルーの推測だったよな?じゃあ、やっぱりあんまりのんびりせず、今すぐ神居に行った方がいいんじゃないか?」
「いや、あくまで可能性、の話だ。僕が噂に聞いていた物見の塔の水準なら、神気で大きく乱れた魔力流は観測できても、それこそ毎日、あらゆる場所を行き交う無数の飛空艇から特定の一つだけを見つけ出す、なんて不可能だ。だが、<神の門>を封鎖した、あの<ユヴァート>だ。何か、まだ大きな秘密を握っているはず。だが果たして塔の誓約者たちに、その誓いを破らせて、なお力を高めさせる、なんて芸当が本当に可能かはわからん」
追って来られるはずがなかった聖騎士隊が、<オーシヴ>、それも神居のあるちょうど海面付近に陣取っていたという事実は、三人にとって未だ大きな不安の種であった。特にヴァラムは、自分が提案した移動手段が、実はこの逃避行にとって最良ではないのではないか、と考え、一層不安に感じていた。
だが、一度この逃避行を始め、そして本当に飛空艇の動きを追って来れる以上、どこかで乗り捨て、水晶門で移動したとしても、飛空艇が見つかってしまえば、その近辺の水晶門の履歴は逐一調べられるだろうし、飛空艇も水晶門も抜きで、この星を自由に動き回るには、結局飛空艇を使うしかない。
それに、タナーシャも、バルーも、大事なヴァラムの父の遺産である飛空艇を、どこかに囮のように乗り捨てるなどという決断を、決して支持する気はなかった。
「ヴァラム、気持ちはわかる。だがな、大事なことが一つある。彼ら聖騎士隊は確かに我々の足取りを追ってきていた。次も同じことがありえるかもしれない。しかしだ。<オーシヴ>では、街での聞き込み、竜討伐、飛空艇の改良、それだけの時間をかけてもなお、神居を攻略しきる程度の余裕はあった。少なくとも先手は取れている。今回は<オーシヴ>の神居と違い、正確な位置までわかっているんだ。一度街で食事をし、旅に必要な資材を集め、一息ついてからでも、遅くは無いはず。それにもう日も暮れるぞ。今から神居を攻略するのは危険だ」
タナーシャが指さすように、地平線の奥ではすでに陽光が空を橙色に染め上げ始め、そのまた反対の地平線では、夜の帳が徐々に降りてきていた。
しかしそれでもまだヴァラムは納得がいっていない様子で、それに見かねたバルーは、彼の不安を和らげるように、柔らかに彼の手を取った。
「わかった。心配なら、今日の宿はどこかで野宿しよう。勿論、街の外れでだ。食料と、少しだけ買いだしして、今晩は焚火を囲って、食事といこうじゃないか」
バルーの提案は少し突拍子もないもののように思えたが、事実ヴァラムの表情は先程のように思いつめてはいなかった。
(バルー、そうか。ヴァラムが心配していたのは、私達のことだけじゃない。もう、<オーシヴ>での二の舞だけは、確かに避けるべきだ)
タナーシャの脳裏に過ったのは、容赦なく放たれる炎の剣と、それが街を襲う光景。これは自分たちの逃避行だが、それで罪なき人々が巻き込まれることだけは、三人とも皆避けたいことであった。
夕日に染まる土の街で、三人は食料などの買い出しをしていた。周りには僅かなオアシス程度しかない、と思っていたが、想像していたよりも食材は豊富で、特に彩豊かな香辛料の数々は、料理家たるヴァラムを目覚めさせることになった。
「ふふふ。今日の俺の料理は、文字通り一味違うものになるぞ」
自信満々な表情で、今晩の献立を考えていたヴァラムを、バルーとタナーシャはほほえましい表情で見つめていた。
しかし、そんな柔和な空気とは対照的な怒号が、どこからか響いてきて、三人は同時に、その騒ぎの方向へと顔を向けた。
「何の騒ぎだろう」
バルーが目に魔力を籠め、出来る限り遠方を見ようとするが、人だかりができていることだけしかわからなかった。
「まさか、聖騎士隊の追手か?」
嫌な予想をしてしまい、またヴァラムは暗い表情に逆戻りしていた。
「いや、あり得ない。いくら何でも早すぎる。物見の塔に常に我々の監視をさせていたとしても、こんな早く到着するなんて、まるで我々の行く先がわかっていたみたいじゃないか」
どうする、と三人は互いの顔を見つめ合う。何か悪いことが起きているかもしれないが、いずれにせよ近寄るのは危険であった。三人は、共に聞かなかったこと、見なかったことにしようと思い、その場から立ち去ろうとしたときだった。
「くそっ離しやがれー!!」
先ほどの怒号よりも、さらに大きな声量で、三人の耳元に届いたのは、悲痛な懇願。
それを聞いて、三人の意思は、互いに声を掛け合うまでもなく、一つにまとまっていた。すぐさま踵を返して、力強い足取りで、その騒動の中心へと向かっていた。
騒動は数十人ほどの群衆であったが、その中心にいた人物は二人だけであった。家の玄関先のようだったが、ごみのようなモノも散らばっている。しかも家の扉や窓枠には、赤色の塗料で落書きがされていた。
二人の人物のうち、群衆に支持を受けるように堂々と立ち振る舞っていたのは、眼鏡をかけた、黒髪の、線が細い男。日光を拒んでいるかのような青白い肌は、どちらかといえば弱々しい雰囲気を持つものの、彼の痙攣を起こしたかのような、ひきつった不気味な笑みには、彼がこの場において優位な立場にいることを何よりも示唆していた。
彼の目の前にいるもう一人の男は、上下ともに肘と膝までの丈の、少々息苦しそうな衣服を身に纏っていた。しかし服が張り詰めていたのは、彼の筋肉や脂肪ではなく、全身に豊かに生えそろう分厚い毛皮のせいであった。頭はまた、尖った口と、突き出した耳が生え、怯えるように威嚇する口からは、尖った牙が見え隠れしていた。つまり彼は、犬の要素を取り入れた、遷者だった。そして彼は、その体を三人がかりで抑えられ、身動きが取れないでいた。
「一体何ごとですか?」
騒動に割って入ったタナーシャは、旅人を装って、群衆にその原因を問いただす。だがその場にいる人々は、目の前の遷者を罵倒するか、あるいは黙ってその騒動を見つめていて、誰も彼女の声に反応しなかった。
手ごたえの無さに、後ろを振り向き、ヴァラムとバルーに助けを求める。二人も群衆をかき分けて、タナーシャの隣にまでたどり着く。
「なぁ、そこのアンタ、いったいこれは何の騒ぎなんだ!?」
騒ぎにかき消されないように、大声で騒動の中心に問いかけを投げるヴァラム。
すると今まで罵倒と嘲笑に満ちていた空間に、沈黙が走る。
「君、たち、旅行者ですか?」
眼鏡の男が、彼らの方を振り向き、にこりと微笑みかける眼鏡の男。
「あ、ええ。先ほど街中を歩いていたら、この騒ぎをたまたま聞きつけましてね。一体何が起きたんですか?」
バルーが眼鏡の男に一歩立ち寄り、ヴァラムの質問の続きを問うと、今まで沈黙していた外野の集団が少しざわつき始めた。また遷者の男を抑えていた三人も、彼からすぐさま離れていった。
「いえ、大したことではないんですよ。観光、楽しんでくださいね」
この喧騒を見なかったことにしろ、そのように言っているも同然であった。この態度にヴァラムの中で何かが切れそうになったが、タナーシャがヴァラムの袖口を掴んで、それを抑える。
「あの、お兄様、あの方、怪我していませんか?」
タナーシャが自身を兄と呼ぶものだから、演技とわかりつつ一瞬戸惑うものの、彼女が指示した遷者の男性は、確かに目元から赤い血が流れていた。
「お前ら、まさかとは思うが」
ぐっと、拳を握るヴァラムを見て、少し慌てた様子を見せる眼鏡の男。
「誤解していますよ、皆さん。私は彼を殴ったり、痛めつけたりしていません。むしろ我々が被害者なんですよ?元々は彼が、この先生の絵を蹴り飛ばしたのが原因なんです。彼の傷は、先生が命の危機を感じて……」
「ふざけるな!あんな絵を俺の家の前に置きやがって!!嫌がらせにもほどがある!!それに正当防衛とでも言うつもりか?俺を抑えつけて、俺の家の壁にこんな落書きをしておいて、正当防衛だと!?ふざけるのも大概にしろ!!」
バルーは辺りを少し見渡すと、確かにそこには帆布に描かれた絵が落ちていた。それを拾い上げて見ると、そこには、首輪をつけられた犬と、<ズクマット>の街並みが描かれ、その下部には大きな文字で「野良犬は野山に。街を綺麗に!」と書かれていた。
「いったいこれは、嫌がらせにもほどがある」
バルーと、横から覗き込んだタナーシャは、その絵を見てすぐさま怒りを覚えた。
「あいや、貴方達も勝手に誤解していますね?その絵は私達街の人間が、美化運動の一環で、先生に頼んだ絵なのです。この街は荒野に囲まれていて、人間の食べ物を狙った犬たちが忍び込んでくるのが問題になっていましてね。ああ、それとも貴方もこの絵の犬がエルファミーシャさんを意図したものと?いやいや被害妄想もそこまで激しいと……」
何か長々と言葉を連ねようとしていたので、ヴァラムは聞きかねて割り込む。
「あーうるせぇ!じゃあなんで彼の家の前でわざわざ描くんだ!」
「だから偶然ですよ。もしかして貴方は、亜人の前で動物の絵を描くな、とでも言うつもりか?そんなのイチイチ聞き入れてたら、画家先生はもう何も描けなくなりますよ」
バルーが、思わずヴァラムの支援に入ろうとするが、間髪入れずに、ヴァラムが再び声を荒げた。
「街の美化だの、画家先生だの、さっきから聞いていればよぉ。じゃあこの落書きはなんだよ!このゴミの散らばりはなんだ!彼の血は!?この惨状が、お前たちがこの絵を彼の家の前で飾っていた理由を語る良い証拠だろうが!!」
ヴァラムの思わぬ反撃に、眼鏡の男は、今までのへらへらとした表情から、わずかに怒りがにじみ出る。
「全く言わせておけば。私たちはこの美しい街を守る者。ここにいる皆が街の安全を憂いているというのに、それをこんな亜人風情の個人的な感情に邪魔されてなるものか」
「そんな美しい街を豪語するなら、まずはこの家の落書きとゴミを掃除したらどうだ?彼を延々と踏みつけるより遥かに街のためになるぞ」
言い返せず、口ごもる眼鏡の男。論理が思いつかないのか、ただ口をぱくぱくとするだけであった。しばらくの沈黙が続いた後、群衆の視線に急かされるように、慌てて口を開く。
「元々は、元々はこの亜人が撒いた種でしょう。それを我々のせいにして。彼こそ、我々の美しく、伝統的な歴史を持つ街に騒動を持ち込んだ張本人だ。部外者の旅行者にこれ以上……」
「あら。では、そんな伝統的な歴史にお詳しそうな皆様に、お聞きしたいのですが、古代<ズクマット>遺跡群の最も巨大な葬祭殿では、どういう名前の、どういった治世の王が祀られているんですか?今から訪れようと思っていたんです」
タナーシャはあくまで無邪気で状況を理解できていない少女を装い、群衆と眼鏡の男に屈託のない笑顔を見せながら、質問を投げかける。
しかし、誰も答えようとしない。
またも場を沈黙が支配する。しかしこの沈黙を破ったのは意外な人物だった。
「ユーニヴューサ、古代<ズクマット>王国、第三代王で、王国最盛期の君主だ」
それを言ったのは、遷者の男、エルファミーシャであった。
「あら、ありがとうございます、えっと、エルファミーシャ、さん、と言いましたか?とてもお詳しいんですね!貴方のように地元の歴史を知る人がいるなんて、<ズクマット>は素敵な街ですね!」
未だ表情を装いながらも、少しだけ皮肉っぽさが滲んでしまうタナーシャ。群衆は、もう後ろの方の連中は、すでに解散し始めており、自分が最後尾になるたびに、次々と人々は散っていった。最終的に残ったのは、眼鏡の男と、エルファミーシャ、そしてヴァラム一行の三人。男は、あたりを見渡すが、彼を助けるものはいない。それに気づくと、そそくさと走って逃げた。
「おーい、掃除くらいしていけよー!!」
ヴァラムの叫びが追い打ちとなって、逃げていた連中は、急ぎ足で帰路についた。
「いいんだ。ありがとう、三人とも、えっと」
エルファミーシャが立ち上がりながら、三人の顔を順に見つめる。
「ああ、俺はヴァラム。こっちがバルーで、それとこっちが……」
タナーシャの名前を出すか、ヴァラムは迷う。しかし彼女に許可を求めるように顔を覗き込むと、にこりと、無言で同意した。
「タナーシャ。折角何かの縁だ、エルファミーシャさん、片付け手伝わせてくれないか?」
そう言ってヴァラムは、エルファミーシャに手を差し伸べる。彼はそれを手に取りながらも、首を横に振る。
「いや、折角俺の故郷の観光に来てくれたんだろ?それなら観光していってくれ。ユーニヴューサ王の葬送祭殿は、もうすっかり管理が行き届いていないが、それでも四千年前の王の威光は古ぼけていない。第四次文明崩壊前の文明の貴重な遺産だ。きっと満足できるはずだ」
「……わかりました。それなら俺たちはここで。エルファミーシャさんは、街の歴史に詳しいんですね」
そうヴァラムが言うと、初めてエルファミーシャは笑顔を見せた。
「ああ。当たり前だ。俺はずっと、この街に住んでるんだからな」
三人は飛空艇の停泊場の傍の荒野で、三角形の天幕を張り、焚火を焚いていた。辺りはすっかり暗くなり、光源となるのも、その目の前の火だけであった。ヴァラムが作った料理を完食し、星を眺めながら心地の良い涼しさの夜風の中、三人ともくつろいでいた。しばらく皆喋らずにじっとしていたが、タナーシャがその口火を切った。
「なぁヴァラム。少し意地の悪いことを聞いていいか?」
「ああ、構わんよ」
タナーシャはヴァラムの方を向いているが、ヴァラムは未だ簡易の座席の背もたれに体を預け、夜の星を眺めていた。
「なんで、エルファミーシャという男を助けようと思った?」
どうやら思っていた質問とは違ったようで、ヴァラムは少しの間答えなかった。
少しして、身体を起こし、彼もまたタナーシャの方を向き直る。
「少し、<ユヴァート>風に言えば、そうだな。『何故あの場で彼に非がないと思えた?』」
どう答えようか考えあぐねていたようだったが、その質問を耳にして、彼はゆっくりと口を開いた。
「なんていうか。あの絵を見た瞬間、だな。あの絵だけは、間違いだと思った。アースが聞いたら偽善者扱いされそうだけど、誰かが傷つくくらいなら、俺は偽善者で良い」
ヴァラムもバルーも、タナーシャがそれを、悪意を持って尋ねているわけではないのはわかっていたので、どうしてそんなことを聞くのか、とは言わなかった。
「いや、それでいいと思う。いや、少なくとも、私は、君のそういう自分に嘘をつかない考え方が好きだ」
率直で、感情が直接表現された言葉に、少しヴァラムは照れてしまう。気恥ずかしそうに頭を掻き、誤魔化すように薪を火に入れていた。
二人の、そんな会話を見ていてバルーは、どこか気まずそうな表情をしていた。
「……どうした、バルー?」
そんな様子に気づき、彼に声をかけるヴァラム。バルーは思いつめたように両のこめかみを手で揉んでいた。
「なぁ、ヴァル、タナーシャ、二人に言っておきたいことが……」
そう言いかけたときだった。それはほんのわずかな気配の揺らめき。気が張り詰めていなければ、バルーも気付いていなかったであろう、一瞬の殺意。
「二人とも!伏せろ!!」
しかし、彼の警告が二人に届き、動き出すより前に、三人の上から、炎の剣が高速で降り注いだ。
察知が早かったバルーは、ヴァラムを庇うように駆けたが、彼の手は届かず、炎の剣はヴァラムの真正面に落ち、爆炎を浴びてしまう。続く何本かタナーシャは躱しきれていたものの、一本が彼女の足を掠め、同じく爆風に吹き飛ばされる。バルーは続く炎の剣に、身動きの取れないヴァラムが貫かぬように、彼を庇うために倒れ込んだ彼の身体を自身の身体で覆う。
バルーの動きに、吹き飛ばされながらも気付いていたタナーシャは、何とか自身の体勢を整え、二人を守るために続いて降り注ぐ炎の剣を、拳や足を使って振り払う。しかし一本だけ、彼女は炎の軌道を反らすことができず、炎の剣はバルーの背中を痛ましく焼く。
「ぐぅおおお……」
痛みと熱さに歯を食いしばりながら唸るバルー。
そんな彼の数歩先に飛び降りてきたのは、あの青い隊服をまとった女。
「アース、貴様、一体なぜ……?」
拳の火傷が酷く、痙攣した両手を弱々しく構えるタナーシャ。
「初めから、こうしていればよかった。一人で十分だったのだ。そっちの方が早く動ける。遠慮も必要がない。当然の道理であったな」
彼女は魔剣をタナーシャに向け、その切っ先から紫炎を滾らせる。
「は、楽に倒せると思うなよ。今の私は……」
「神術が使える、だろう。わかっているとも。神居で神気を回復しているようだな。願ったり叶ったり。貴様の今の姿を見れば、アムゥ様もさぞお喜びになるだろう」
アースの言葉の意味を、タナーシャは理解できなかった。自身の動向と目的を理解していただけではない。彼ら<ユヴァート>が彼女から力と記憶を奪ったからだと思っていたのだ。なのに、彼女は、まるでタナーシャが力を取り戻したことを喜んでいるようであった。
「何を、何を言って……」
「神居の道筋を作るために、あれを連れてきたが、まさかこんなところで見つかるとはな。思っても見なかったよ、タナーシャ王子」
ぎらぎらと目を光らせながら、大声で高笑いをするアース。一方その背後で、力なく呻くバルーとヴァラムが目に入り、タナーシャは、自身の混乱を何とか落ち着けた。
「ああ、わかっているならば、話は早い。私はもう戦える。お前の知っていること、全て吐いてもらうぞ!<ヴュシャン、雷の神、その雄々しき白髭は、天地を貫く貫く、槍の如し!>」
たちまち、夜の星空を覆い隠すような厚い雲が現れ、そこから強烈な破壊の光がアースに降り注ぐ。
「……全く、もう雷は飽きた」
しかし雷の柱を、あっさりと斬り払い、何事もなかったかのように歩み寄るアース。
「馬鹿め、外なる神族の神術程度通用しないのは、エネテヤの戦いで学ばなかったのか?」
剣から炎を猛らせながら、タナーシャの首にその切っ先を向ける。
「さぁ、来てもらおう。アムゥ様が貴様の命をご所望だ」
タナーシャは、この場を打開する手段を思い付かなかった。間違いなくアースは強力な魔剣士。<ドゥスエンティ>の巫長であるエネテヤが、その命を懸けてもなお、殺しきれなかったほどの強者。もうタナーシャは諦めかけていたが、そんな時、何か物音が聞こえる。その音の方へ、タナーシャもアースも目を向けると、そこには大きな火傷を負いながら、立ち上がるバルーの姿があった。
「バルー……」
隣に横たわるヴァラムは、意識こそまだあったが、立ち上がれず首だけを精一杯上げて、友の名を呼ぶ。
「おお、バルー君。まだ頑張るつもりか?凡人にしては頑張っているがね、瀕死の君が、私を止められるとも?」
アースの言う通り、彼の姿は、一見するともう戦えるような状態ではなかった。それどころか肩で息をし、身に纏う衣服も炎で大きく焼け焦げ、肌もかなり大きく爛れ、すぐにも倒れてしまいそうであった。
「……もう、お前の好きにはさせんぞ」
しかしその威勢は、全く死んでいなかった。彼の睥睨は、あのアースですら、僅かに畏怖を感じるほどのものであった。
「は、見逃すつもりはなかったが、それほど望みならば、貴様から殺してやろう」
今までの怒りか、僅かな焦りか、剣を握るアースの右腕に、かなり強い魔力を込めてしまう。それは巨大な魔獣ですら一撃で瞬殺するほどのもの。全力ではないが、明らかに過剰な攻撃であった。
だが、その斬撃は、気持ちの良い切断音ではなく、鈍い金属の衝突音、あるいは爆発にも似た音を響かせた。
「な」
アースの魔剣を受け止めていたのは、溶岩をそのまま鍛造したような、武骨で、巨大な黒と赤の大剣。
そして、その剣を担っていたのは、バルーではなく、かつて<オーシヴ>の岬で魔竜を一方的に打ち倒した、あの赤髪の魔剣士であった。




