厚底靴の蹂躙 第一節
鉄の鳥の上に、蒼い服に身を纏った者が二人。
身の丈ほどの長大な剣を携えた、長髪の女が、対照的に前腕ほどの長さしかない短い剣を構えた、短髪の部下と向かい合っている。
「まさか、君まで私に楯突くきか、シヴィ」
アースの持つ長剣からは、敵意を具現化したかのような、禍々しき紫の炎が迸る。
「ああ!私の守るべき者と、お前が守ろうとしているもの。かつて私は、それが違っていると気づきながらも、どこかで重なっているものだと思っていた。だが、今わかった!根本的に違うのだ!私と貴様の信念は、その根から違っていた!」
シヴィの剣先からも、火花が散る。もはやシヴィの意思は変わらない。
「ならば、お前も反逆者だ、シヴィ!!そこの能無しと共に、反逆者の汚名を背負って死ね!」
死刑宣告と共に、アースはシヴィの下へ駆ける。高速で飛ぶ飛空艇の空気抵抗を利用した、音を置き去りにする疾走。地の利さえも活かした一撃ではあったが、その刃は空をきった。
そこにいたはずのシヴィは、いつの間にかアースの背後に回っていたのだ。
短剣で背後から貫こうとするシヴィの攻撃を、すんでのところで察知し、身体を何とか捻って、アースは回避した。
その直後、アースは距離を取ろうと少し乱暴に魔剣を横に振りぬきながら、後ろを向き直り、後ずさる。
「忘れるな。お前はこの星一番の魔剣士だが、最速の地位は未だ私のものだ」
「はっ。確かにお前の速度は目を見張るものがあるが、そんなか弱い魔力で、私を傷つけられるとでも?思い上がるなよ!」
今度は剣に纏った炎を、シヴィへと放つ。だが、逆風の中放たれた炎の剣は、それほどの速度を維持してはいない。だが恐ろしいことにその炎は、彼らの立つ飛空艇の機上を覆いつくほどの大きさを持ち、逃げ場が無かった。
徐々に炎の壁が迫り、シヴィはとうとう炎に包まれる。
だが、アースにも手ごたえは一切感じられなかった。確かに、その炎はシヴィを焼き払うのに十分な威力を籠めたはずだった。
しかし煙が晴れると、やはりそこには一切身を焦がしてもおらず、万全な状態でシヴィが立っていた。そしてシヴィが炎を防げた理由もまた、明らかとなった。
「かつての相棒を取り戻して、良い気になっているのか?シヴィ」
シヴィの右手には、一番隊副隊長の魔剣である短剣、そして左手には、ルファより託された、二番隊隊長の魔剣たる鎖が握られていた。その鎖はシヴィの身体の周りを囲い、その炎を防ぐ盾となっていた。
「貴様と私の魔力差など、言われなくても承知。だが外付けの魔力器官たる魔剣が二つあれば、その差は埋まらずとも、限りなく近づける」
確かに、今、シヴィとアースの間の魔力差はかなり縮まっていたが、シヴィには確固たる勝算があったわけではなかった。
魔剣を二つ持つことは、決して容易なことではない。魔剣とは拡張された身体である。魔剣の所有が隊長のみに許されているのは、決してそれが特権的地位であるからだけではない。むしろ、優れた魔術師でなければ、魔剣を手にすることでたちまちその意識を魔剣に奪われかねないからである。シヴィは卓越した魔力の素養と、魔術の知識、そして鍛えられた精神力の持ち主であるが、それでも長い時間、二振りの魔剣を操ることは不可能に近かった。アースが防戦を選んだ時点で、シヴィの敗北は必至。加えてアースも、それを完全に理解していた。
しかしアースが読み違えていたことが、一つある。彼女はシヴィをこう捉えた。
『かつての部下を殺され、その部下の意思を受け継ぎ、義憤に駆られて、復讐と正義を執行せんと欲する哀れな副隊長』と。
だがそうではない。シヴィは滾らせる気迫とは裏腹に、その脳は実に冷静であった。
「<轟雷>!!」
シヴィは、雷電魔術、第二節の強力な魔術を行使し、それをアースに叩きこむ。あたりの空気を炸裂させながら、瞬きすら許されぬほどの速さで、飛来する強力な雷を、アースは躱すことも防ぐこともままならなかった。だが、強力な電流が体を貫いてなお、アースは意識を保ち、その目は未だシヴィを捉えて離さない。
勿論、これほど強力な術を浴びせても、アースが倒れないことはシヴィも理解していた。シヴィはその鎖の魔剣を、雷で痺れて僅かに動けなくなっていたアースの胴体に巻きつける。
だが、そこで終わらなかった。シヴィは大きくその鎖を横に振り、アースの身体を、飛空艇の外へと投げ飛ばした。それはアースを海に突き落とすなどという生ぬるい行為ではない。ただ、今から行う攻撃に、自分たちが乗っている飛空艇が巻き添えにされることを避けただけ。
「<轟雷閃電>!!」
天属性火元素三節魔術。シヴィの最大魔術であり、魔剣抜きではすぐに魔力切れを起こす大魔術。衝撃は一瞬、遅れて轟く雷鳴も一瞬、しかしその破壊力は、周囲にいた人々に十分に伝わった。アースを襲った雷は、大量の海水をその電熱で蒸発させ、辺りを水蒸気で包み込んでいた。
だが、アースは死んでいない。シヴィもこれでは彼女を倒せないことを理解している。
(さぁ、どうする、アース。お前は次に、どう動く?)
アースの次の攻撃に備え、シヴィは彼女の次の行動を推測する。残忍な性格と、合理性を常に追求する思考、そしてその強大な魔力量、あらゆる彼女の情報から、次の一手を導き出そうとした。
水蒸気が晴れ、視界が明瞭になる。シヴィは考える。水蒸気に紛れて攻撃してこなかったのは何故か。思った以上に損傷が激しかったから?アースもまた、次の確実な一手を考えているから?
いや、そもそもなお「視界の外」から攻撃できるからか?
突如として、シヴィの立っていた飛空艇に、赤く発光する一閃が走る。海中からアースは、二番隊の飛空艇毎、シヴィを切り裂こうとした。放たれた一撃は、確かにシヴィの立っていた場所を切り裂いていた。
シヴィは、その演繹の成果もあってか、間一髪のところで飛びのき、別の飛空艇の頂上に退避していた。その後、すぐにシヴィが立っていた飛空艇は、切り裂かれた箇所を起点として、大爆発を起こした。
またも犠牲をものともしないアースの振る舞いに怒りを覚えながらも、シヴィは正確に次の手を模索した。恐らく同じように、海中から斬撃を飛ばしてくるだろうことが予想されたため、これ以上被害を出さないように、シヴィも海に飛び込もうとしたその時だった。
なんとアースは自ら、海中から姿を現し、シヴィの目の前で浮遊していた。
不可解な行動に目を丸くしながらも、シヴィは冷静に状況を把握する。今の彼女はどんな策があれ、かなり無防備。浮遊魔術の間は自由な機動力は有していないため、回避も困難なはず。
「<轟雷閃電>!!」
再度の大魔術、魔剣二振りの支援もあるものの、かなり限界の魔力を振り絞った攻撃であった。
だが、迸る雷の柱の中、確かにシヴィは、アースがにやりと笑うのを見た。
「<火焔剣|>」
強烈な雷撃の中で、まるで何ともないかのように魔術を詠唱する。魔剣からは、今までの紫の炎に交じり、赫々とした苛烈な炎が迸る。それは魔剣よりも何倍も大きな巨大な炎の剣を形作った。
シヴィは咄嗟に周囲を確認するが、飛び移ったところで、この炎の剣の間合いから逃れられるように思えなかった。シヴィにできる唯一のことは、被害を最小限に抑えるために、その場から高く飛び上がること、程度であった。だがそれでは、わざわざ身動きの不自由な状況に自分を追い込むようなものであった。
しかし、その辺りを窺う中で、シヴィは視界の端にあるものを捉える。それを確認すると、思わず口角を吊り上げてしまう。勿論アースに勘づかれない程度のものではあったが。
シヴィは空中にも飛び上がらず、そして別の飛空艇にも飛び移らなかった。
そして、シヴィは後ろに飛び、海に飛び込んだ。
「馬鹿め、それで隠れたつもりかぁ!!」
かつての部下が突如とったらしからぬ悪手、いつものアースであれば、この行為の裏に何かが秘められていることに勘づいたであろう。
しかし二度にわたる巨大な雷は、目立った外傷を作ってはいなくとも、アースの思考を僅かに鈍らせていた。
炎の巨剣を海に突き立てる。シヴィの魔術とは比べものにならないほど、強烈な水蒸気を発生させ、安定飛行をしていたはずの飛空艇すら、そのせいで大きく傾いていた。
水蒸気が晴れた、アースは自身が攻撃した付近の海面にまで赴く。しかし海面には死体など、シヴィの痕跡と思わしきものは無かった。自分の失敗に気づいたのは、自分の右耳に付けていた通信用の端末から音が聞こえてからだった。
『二番隊聖騎士に告ぐ、密航船、及びその搭乗者は……、「不幸な事故」で墜落しかけていた飛空艇を救助した後、北北西の方角へ逃亡!繰り返す!北北西の方角へ逃亡!』
海中を覗いていた顔を、咄嗟に陸上へと向ける。すでにヴァラムらの乗る飛空艇は、小粒程度の大きさになりつつあった。
「おのれ、おのれぇ!!<無尽・火焔剣>!!」
怒りと共に、魔術を行使する。アースの周りに大量の炎の剣を召喚され、それが次々とヴァラムの飛空艇の方に飛んでいく。狙いは定まっておらず、当然この距離では当てるのも難しい。だが、夥しい魔力を垂れ流し、アースはその攻撃の手を止めることはなかった。その乱打が、ヴァラムの飛空艇を捉える可能性はかなり低かったはず。しかし幸運なことに、そのうちの一本が、飛空艇の翼を掠めたのだ。遠くからも、飛空艇が大きく揺れたのが見て取れた。更に、たまたま逸れた軌道上には、すでに放っていた炎の剣があった。
ここにきて天運に恵まれたと、珍しく、思わず神に感謝しそうになったアースだった。しかし炎の剣は、飛空艇の手前で大きく炸裂した。アースはその出来事が信じられず、魔術の行使を思わず止めてしまった。
遥か彼方のことであったため、正確な状況は把握できていなかったが、アースが感じたのは、十分な硬度を備えていたはずの炎剣を容易く振り払うほどの、何か巨大な魔力が突如現れたことである。
彼女にとって何より信じがたかったのは、その僅かな間に現れた魔力の持ち主が、アースに匹敵、あるいはそれを上回るほどの魔力量だったことである。
<オーシヴ>での攻防から二日後、ヴァラム一行は飛空艇の中で、皆転がっていた。
「あー、今回の神居も外れ、かぁ。まさか二連続で外れるとは」
彼らが飛空艇を停泊させていたのは、<オーシヴ>から北西の地域、同じく<ジェヴァイヴ>大陸の海岸部に隣接する大都市、<ウフープ>の郊外の砂丘であった。この都市は、大陸の東西の、ちょうど中央に位置する都市であり、海運で栄えたこともあって、<オーシヴ>よりも人の交流が盛んな地域であったため、難なく忍び込めた。
「まぁ、十年以上前の記録だから、むしろ今までが幸運だったのさ。今回回った二つの神居は、どちらも都市に近い場所に生まれたみたいだし、どこかの巫が、こっそり、あるいは魔獣被害を恐れて、巫が動員されたんだろう。<ドゥスエンティ>が支配された時に、私達の国の巫たちも<ユヴァート>に連れていかれたからな」
珍しくタナーシャも、収穫の無さに、気だるげに床に転がっている。
「<ジェヴァイヴ>大陸の神居は、次で最後、か」
バルーは、ヴァラムの母の手帳をパラパラとめくり、次の目的地の情報が書いてある頁を探す。
「次は……、<ズクマット>、西大陸、旧<ユスブクシャ>の古都、だな」
「<ズクマット>っていえば、すげー古い遺跡が沢山ある場所だよな。確かにそれっぽいけど、どうだろうな、人も多いし」
バルーは続けて、その神居の情報を探す。どうやらその正確な場所まで載っており、<ズクマット>付近の地図を端末で調べて、それと照らし合わせる。
「うーん、どうやら結構変なところに出たみたいだぞ」
そう言って、二人に端末の画面を見せる。タナーシャとヴァラムがその画面をのぞき込むと、その指定された座標に重なるように表示された文字を、
「古代<ズクマット>遺跡群……」
と苦虫をかみつぶしたような表情をしながら、共に読み上げる。
「ただこの神居、どうやら地下にあるらしいんだ。君の母上曰く、元々王宮跡の地下にある宝物殿に、神居の入り口が出来ているらしい。だが、問題があるとすれば、これだろうな」
バルーは手に持っていた手帳のある頁を開いて、それを床に置く。バルーが指さした場所には、このように書かれていた。
「神居あり。しかし神聖晶なし」
「なるほど、<フュヌター>にあった神居と同じ状況ってわけか。確か十年くらいは、神聖晶が無くなった後も、神居は残るんだったな」
「ああ、君の母上の手帳にもそう書いてたな」
三人は互いに顔を見合わせる。この<ジェヴァイヴ>大陸では、これが最後の神居。勿論他の大陸に行けば、まだ神居はある。しかし移動が長くなれば、聖騎士隊に追跡される危険性は高まり、また星界統一同盟の結成以降、大陸を移動しようとも、聖騎士隊が追ってこないというわけではない。
一方で一人だけ、ヴァラムは怪訝そうな表情をしていた。
「なー。前から気になっててさ、手帳にも書いてなかったから、話題には出さなかったんだけどさ。神居、ってなんで世間に知られてないんだ?」
ヴァラムの素直な質問に、バルーはタナーシャを見るが、彼女もまた、その質問に答えあぐねていた。
「考えられそうなこととしては、神居は神気が無い者には開けられないだろう?だから神居を見つけても、大抵の人には何もわからないんじゃないか?それに基本的に人里離れた場所に神居は現れるんだからな。あとはそもそも、神居の周辺には狂暴な魔獣がいる。魔獣は魔力の都合、神居から離れることはないだろうが、それでも近くに生命があれば、容赦なく襲ってくるはず。常人であれば、生きては帰れまい」
もっともらしい説明ではあったが、ヴァラムはまだ納得がいってないようであった。
「いやぁ、それでもよぉ。玄黄星はここ千年、安定期で、文明崩壊も起きてないだろ?それに人里離れたところといっても、海底なら兎も角山奥なら人っ子一人いないってこともないだろ。しかも今回の神居は観光地の重要遺跡ときた。地下なら観光客は入らないだろうが、研究者とかいるだろ普通。誰も見つけられない、なんてことあるか?そもそもじゃあ何で俺の母さんはこんなに神居の場所を知ってるんだよ?」
ヴァラムは答える暇がないほどの矢継ぎ早の質問を、二人に投げかける。どれも確かに的を射たものであったが、特に最後の疑問は、二人にも大きく響いた。
「確かに……、そうだ、ヴァラム、君は本当に母上のことは、何も覚えてないんだな」
「何も、って。本当に幼いころに二人とも消えたから、覚えてないっていうより知らないんだ。性格、顔、名前くらいしか知らなくて、他に覚えてることといえば、親父は機械いじりが好きで、母さんは……母さん……は、何も、してなかったな……」
「なら、やはり、ヤムニーヴァ曰く、彼女は巫ではなかったそうだが、何らかの神に関わる者、だったのだろう。ひょっとすると噂に聞く、<天藍星>に稀に現れるとされる神依だったのかも……」
「よし、二人とも。そこまでだ。確かに神居にはまだ謎があるだろうし、君の母親にも何か秘密があるのは確かだ。だがそれは今どれだけ考えたところで、答えは出ないことだろう。堂々巡りすることはやめて、次のことに集中しよう。<ズクマット>に行くか、行かないか」
一方、同じ時間、<ユヴァート>の首都、<ユピトゥ>にて、宰相の官邸の一室で、アースはある男と向き合っていた。
「それで、お前はおめおめと失敗して帰ってきたと?」
窓もカーテンも閉め切って、光源は机の上に置いている卓上の電灯の怪しい光のみ。そのせいか、この部屋は奇妙な雰囲気に支配されていた。豪奢な椅子に腰かけながら、威圧的な態度でアースを睨んでいるのは、この星の事実上の支配者たる、アムゥであった。かつての彼の称号たる「若き政治家」、という言葉が最早面影もないほど老いさらばえた見た目にも関わらず、その威圧感はあのアースですら委縮していた。
「はい。シヴィの行方、及び、タナーシャらの行方も不明です」
「愚かな。お前はこの星で一番強い。権謀術数も教えたはずだ。にもかかわらず、私の思う成果を上げられんとは。これでは私の目が腐っていたと言わざるを得んな」
仮面でも被っているかのように、彼の表情は一切変わらない。ただ口だけが言葉を発するためだけに動いている不気味な形相であった。
「ご期待に添えず……」
「謝罪の言葉はいらん。罰も与えん。さっさと次の手を打て」
アースが謝意を示そうと頭を下げようとした途端、アムゥはそれを阻むように言葉を差し込んだ。
「わかり、ました」
アースも、これ以上の弁明はかえって失礼に当たると理解し、足早でその場を去ろうとする。
「待て、一つ言い忘れた」
扉を開けようとした瞬間、またもアムゥが彼女の動きを言葉で制止する。
「奴らの狙いは神居だ。<ズクマット>へ行け。そこに神居がある」
彼の言葉に、思わずアースは後ろを振り返る。
「神居、ですか?しかし、神居は我々神気の無い者には蜃気楼のようなもの。見ることができたとしても、触れることはできず、どこにあったかも思い出せなくなる。だから誰も神居の場所は記録できない……」
「その通り。だが我らでも神居を認識できる方法はある。神気がある者の近くで、神居を訪れれば、魔の者でも、神の住まいを覚えられ、そこに何度でも辿り着くことができる」
そう言うとアムゥは立ち上がり、机の上に置かれていた紙きれを手にとり、アースの方へと歩く。
「これを、地下十九階の七番隊の者に渡せ。精神操作を施した巫を一人貴様に受け渡すだろう」
「……七番隊、……わかりました。失礼します」
アースは部屋を立ち去り、昇降機に乗り込む。操作盤に「地下十九階」と入力すると、液晶には「入力された階層は存在しません」と現れる。その状態で、アースは自身の隊員証を操作盤の前にかざすと、「命令を受け付けました」と液晶に表示される。
「七番隊、アムゥ様以外口を利かない謎の部隊。ご命令とはいえ、気乗りはせんな」
ポツリと、本音を漏らすアース。昇降機は驚くほどの速さで、地下十九階に到着し、扉が開いた。
扉の先の空間は、真っ暗な闇。光はなく、昇降機の灯りだけでは、その先に待つ空間を把握することもできず、しかも人の気配すらしなかった。
「あー、七番隊、いるか?一番隊隊長のアースだ。アムゥ様からの言伝だ」
アースの声は文字通り虚空へと響き、返答はなかった。
しかし突然、目の前の電灯が一つ灯り、そこには一人の人間が立っていた。アース達と同じ、聖騎士隊の蒼い隊服を身に纏っていたが、頭には白い布を巻きつけ、目や鼻はおろか、髪の毛一本すら露出していなかった。
七番隊と思わしき、その「人物」は、光の中でただ立ち尽くし、言葉も発さず、動きすらしなかった。ただ何かを待っているようだった。アースは暫くそれが意味することを理解できず、じっと見つめるだけだったが、それが待っている物が自分の左手に持つ白い紙であることに気づく。アースは三歩前に出て、昇降機から降りると、アムゥから貰った紙を、七番隊員へと手渡す。無作法にその紙を、七番隊員は奪い取り、顔の前で紙を広げる。どこに視界があるのかわからないが、それは確かに紙を読んでいるようだった。
読み終わったのか、紙を折りたたんで懐にしまい込むと、同時にまた奥の方で別の電灯が点く。そこにも目の前の七番隊と全く同じ格好の者がいて、その者の隣の鉄格子が開いた。鉄格子からは、布を被っているだけのような、簡素な作りの白い服を身に纏った女が、おぼつかない足取りで出てきた。白い布は、あちこちが赤黒く汚れ、また裾など、様々な箇所が破れていた。
「あれが、頼まれたモノか?」
アースの問いに答える者はおらず、ただその白装束の女がアースの方へと歩み寄るだけであった。
「お前、名前は」
目の前に白服の女が辿り着くと、アースはその者に名を尋ねる。
女は頭を上げず、項垂れたままであったが、七番隊と違い、それに対する返答はあった。しかしぼそぼそと、枯れた喉から絞り出したような声を、アースは聞き取ることができず、
「名前は、もう一度言え」
と、再度回答を促す。
「名前は……忘れました」
相変わらず声量は小さかったものの、静謐に包まれたこの場では、辛うじて聞き取れる程度ではあった。
(調教の手腕だけは、一人前だな、七番隊)
女は、首や腕に拘束具を身に着けていなかったにもかかわらず、逃げだす素振りも、その気力もなく、アースが右手の指で、こちらに来るよう合図すると、黙って従い、アースの傍に更に寄ってきた。
「乗れ」
女は、昇降機に乗り込み、アースも同じく昇降機に乗り込む。すると目の前の電灯が消え、再び、地下十九階は、暗闇に戻った。
「こんな、神気を消費せぬよう、毎日最低限の運動が許され、聖騎士隊の言葉に大人しく従属するだけの、無気力で意思なき存在が、神の住まいに立ち入ることを許されているとはな。何とも不公平な話だ」
アースのそれは、心の中の呟きのつもりだったが、実際には口に出していた。生気を感じられない不気味な七番隊員と、無言で付き従う元巫の奴隷を相手にしていたせいか、自分がそれを声に出していたことすら、気づくことはなかった。




