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水底の鳥 第四節

 強い西日が窓から差し込む頃、タナーシャは寝台の上で目を覚ました。しかし意識はすぐには覚醒できず、今自分がどんな状況にあるのかを把握できなかった。

「お、おい!タナーシャ、大丈夫か!?」

 寝台の隣で、椅子に座っていたヴァラムの呼びかけに、彼女は少しずつ意識を取り戻していく。思考が冴えてきたことで、自分が置かれている状況もまた理解することができた。

「ヴァラム……、すまない、身体が動かないんだ。神気が、かなり落ちていて……」

 タナーシャが振り絞るように出した声は、ゆっくりでおぼつかず、まるでうわごとのようであった。

「そうか、すまん。話はまた、後にするか?」

「いや、ヴァラム、二人に伝えておかないと、いけないことがある。身体を起こすのを、手伝ってくれないか?」

 彼女は首だけを動かし、ヴァラムに瞳で訴えてくる。彼はタナーシャの言った通りに、背中に腕を通し、慎重に彼女の上体を起こした。

「ありがとう。バルーはどこに?」

「ああ、アイツなら隣の部屋だよ。呼んでくるよ」

 ヴァラムが椅子を引いて、立ち上がろうとしたときに、部屋の扉が開いた。

「ヴァル……、ああ、タナーシャ、目が覚めたのか、良かった……」

 部屋に入ってきた瞬間のバルーの表情は、どこか落ち込んでいたようだったが、タナーシャが起きているのを見て、少しだけ安堵を取り戻した。

「すまない。海竜に吹き飛ばされて、意識を失ってな。……ところで、あの後、何が起きたか聞いていいか?」

「何があったって、あれ、タナーシャが竜を倒したんじゃないのか?」

 ヴァラムの話を聞いて、彼女は顔をしかめる。

「待て、私は海竜は倒せなかった。倒したのは赤髪の魔剣士だ。二人は会ってないのか?」

 バルーとヴァラムは互いに顔を合わせるが、二人ともタナーシャの言う魔剣士に心当たりは無かった。

「一応、順を追って整理しよう。僕は、ヴァラムを抱えて森に行った後、街の防衛隊に通報したんだよ。あの岬に竜が出た、って。そしたらその後すぐに、大きな音が鳴って、その後驚くほどに静かになったんだ。ヴァラムもちょうどその時に目を覚まして、それで二人で元いた場所に戻ろう、と言う話になった。そしたら海竜はいなくて、タナーシャが茂みの中で倒れてた。そこには他に誰もいなかったよ」

「……どうやら、色々おかしなことになってるかもしれない」

 そう言って、タナーシャは、昨夜の自分が気を失うまでの顛末を全て話した。




「炎の魔剣使い……。タナーシャ、そいつは聖騎士隊なのか?」

「ああ、間違いないと思う。青の外套は羽織っていなかったが、魔剣の所有者の時点で、間違いなく聖騎士、それも隊長格のはずだ」

 タナーシャは、少しずつ身体も回復してきたようで、寝台の隣の読書灯の置き場を机代わりに、淹れたての茶を飲んでいた。

「しかし、仮に聖騎士隊の、それも隊長格なら、当然タナーシャのことは知っている筈だが、どうしてタナーシャを連れて行かなかったんだ……?」

「それは……私にもわからない。たまたま見つけられなかった、と考えるしか……」

 しかしその説明にバルーは納得がいっていなかったようで、彼は額に指をあてて思索に耽っていた。誰もが言葉を発しなくなったのを見て、ヴァラムはそれを埋めるように話し始めた。

「あのさ、一つ聞きたいんだけど、聖騎士隊が俺たちの動向を既に知ってる可能性ってないか?<フュヌター>の時から思ってたんだけどさ、タナーシャ、神術使ってるだろ?物見の塔って、その神術で動いた魔力の流れを観測できて、聖騎士隊はそれで追いかけてきてたんだろ?」

「いや、その点なら問題ない。私だって忘れたわけではないさ。私が神術を使ったのは、<フュヌター>の神居と、さっきの海竜戦だ。しかし前者の場合、そもそもあの場所は神気に溢れていたし、後者の場合は、あの場所は竜のせいで魔力が通常よりも遥かに濃く渦巻いていた。いずれにせよ私の神術で大気の魔力流に与えた影響は観測できんよ」

 自分の指摘が的外れだったため、ヴァラムは思わず視線を落とす。

「いずれにせよ、今のところ、タナーシャを助けた女性の正体を推定する確固たる証拠はない。聖騎士隊であると考えても、そうでないと考えても、筋道の通らないことがある以上、今この問題について話し合うのはよそう」

 バルーのその様子は、それ以上その女騎士の素性の追及をひどく避けたがっているようであり、長い付き合いのヴァラムは勿論のこと、タナーシャもまた、彼の様子には疑問を抱かざるを得なかった。しかし彼の怯えたようにも見えるその表情に、それ以上の追及をしようとは思えなかった。

「まぁ、いずれにせよ、だ。この街に長居するのはあまり良くない。急いで神居に行こう。タナーシャも神気使いすぎたんだろ?ああ、でも、神居の周りは魔獣だらけなんだよな……。だとすると、最低限の武器は積み込むべきだとして、水中でも使えるものだとすると……」

 ヴァラムは突然二人が見えなくなったかのように、一人で問答を始めてしまった。最初ははっきりと聞き取れるような声量だったが、徐々に声は小さくなっていき、最後には口が動いているにも関わらず、何も声を発していないという、奇妙な状態になっていた。

「わかった。兎に角二人とも休んでくれ。私の看病やら、海竜の一件で気を揉んだことだろう。ヴァラム、神居攻略は明日以降にしよう。海底はそう容易い場所でもあるまい。一つの仕損じが、全員の死を招きかねない」

 居心地の悪い奇妙な静けさに耐えかね、タナーシャは二人に休息を取ることを提案した。流石にヴァラムとバルーも、その労いの言葉の裏にある真意に気づき、軽い会釈をして、部屋からそそくさと退散した。

 二人の焦りを感じる後姿を見送ると、タナーシャは背中を寝台の飾り板に預ける。身体に残る疲労を逃がすかのように、全身の力を抜き、大きく息を吐く。二人を疑っているわけではないが、しかし今の彼女は一人で考える時間が必要だった。真実や合理へと辿り着くのに、ヴァラムとバルーの言葉はそれを妨げるような気がしてならなかったからだ。




 天を支えるかのような、見上げることさえできないほどの高層建築が、林のように立ち並ぶ。それらの楼の間では、機械の橋や、飛行装置を使って、地味ながら高質な素材で作られたことが見て取れる、黒や灰、紺色の装束を見に纏った者たちが行きかっていた。そのような優雅と豪奢を纏った上層部の下方、摩天楼を支える鋼鉄の天蓋の下にも、更に同じような高層建築が多数屹立していた。最上階層からも辛うじて、その天蓋の隙間などから、その階層の様子は伺え、そこを歩く人々は、頑丈そうではあるが、どこかくすみ、煤けた衣服を身に着けていた。街の様子も、それに似て、質実剛健ではあるものの、汚れなどが目立った。

 そして更にその下、数多の人々の交流によって、中天でさえも光を届けられない仄暗い空間があった、最上階層の摩天楼からではそこにいるものが、何を着ていて、どのように暮らしているかさえ確認はできないほどであった。

 これが<玄黄星>を統べし<ユヴァート>の首都、この星で最も贅を凝らした京師にして、最も貧しき人々が這いつくばる魔都、<ユピトゥ>である。

 富裕層のみが暮らす最上階層の大都会の中でも頭一つ抜き出て高く、それでいて荘厳さと偉大さを誇示するように、美しい装飾で彩られた宮廷が如き玉楼から、硝子の壁越しに、その人間の群れを見つめる者がいた。その聖騎士は、溌溂さが目に見えてわかるような、張りの良い赤褐色の肌を持ち、地肌が見えるほどに短く刈り上げられた側頭部と、頭頂部に残っている、重力に逆らうように立ち上がった短い赤髪は、その者の力強さと敏捷さをどこか物語っているようにも思えた。

 聖騎士隊、第一番隊副隊長であるシヴィは、小粒ほどでしかない、道を行きかう人々を、一人一人じっくりと、憂いに満ちた表情で眺めていた。集合場所に選ばれただだっ広い会議室には、約束の時間のまだ三十分も前ということもあってか、シヴィ一人だった。シヴィがしばらくじっと人々を眺めていると、後ろから扉の開く音が聞こえる。それに気づいて振り返ると、そこには同じ青い隊服を身に纏った、黒髪の巨漢がいた。

「<ユヴァート>聖騎士隊第二番隊隊長、ルファ、ただいま到着いたしました。……おや、お久しぶりです、シヴィ様」

 ルファと名乗った者は、扉の上枠に頭をぶつけそうなほどの背の高さと、厚手の外套の上からも主張する鍛え上げられた肉体の持ち主であった。彼は格式ばった挨拶を済ませ頭を上げ、シヴィを目にするや否や、堅苦しい雰囲気から一転、柔和な表情へと変わる。

「様はやめてくれ。君はもう私の副隊長じゃないだろ。第一番隊の副隊長、第二番隊の隊長、一応階級は同じだろ?」

「はは、そうは申されても、我々にとって、貴方は永遠の隊長です。『我々は傷つけるものではなく守る者である』、シヴィ様が隊長に就任したときの演説と、貴方の教えは、今でも我々の中で語り草ですよ」

 ルファの掛け値なしの真っ直ぐな評価に対して、シヴィは顔を背ける。

「『我々は武器を保有することを許され、刃を民に向ける権利を持つ。だからこそ、我ら聖騎士隊は、決して民を傷つけてはならない。何故なら我々は民に裁きを下す者ではなく、裁かれるべき者を捕らえるためにあるからだ』。自分で言ったことだが、時に忘れるよ」

 まるで他人の箴言を繰り返しているかのように、その言葉には心も熱も籠っていなかった。気勢の無い元上司の姿に、思わずルファは口ごもる。結果、その場では気まずい沈黙がしばらくの間続いていた。この静寂を打ち破ったのは、先程も聞いた扉の開閉音で、二人は助けでも求めるようにそちらに向き直る。

「おや、お二人とも、もうお揃いで。まだ約束の時間の、二十分も前だと思うが」

 腕に巻いた時計を確認しながら現れた人物は、第一番隊の隊長であるアースであった。腰まである長い銀髪を綺麗に二つ編みしていて、また金色の細く、丸い縁の眼鏡をかけていたため、いつもの氷河のような威圧感や冷たさは感じなかった。

「これは、アース様。お久しぶりです。私の隊長就任式以来でしょうか」

「ああ、ルファ君。お疲れ。しかし協力してくれてありがとう。『少し大きな事件で、一番隊が手薄でね』」

 尊敬のまなざしでアースを見つめ、慇懃に振る舞うルファだったが、一方でシヴィは問題の種でも見るかのように白眼視していた。

「アース様、第二番隊は治安維持を務める、日々最も仕事をこなす部隊。一番隊だけが多忙なわけではありませんよ」

 アースの言葉に嘘が含まれていたことに苛立ちを覚え、思わずシヴィは言葉尻を捕らえたような批判を投げかけてしまう。

「ああ。そうだね。今のは貴隊に対して失礼な言葉だった。申し訳ない」

 しかしアースは、その言葉を素直に受け止め、ルファに向けて頭を下げる。突然のことに、彼は慌てて、

「い、いえ。とんでもありません!第一番隊こそ聖騎士隊の誉!皇族の盾となり、国を守る一番隊の皆様がいるからこそ、我々他の部隊は自らの職務に注力できるのです」

 とまくしたてる。

「はは。まぁまだ約束の時間には早いが、必要な人材は揃ったことだし、早速会議にしよう。さあ席にかけたまえ」

 アースはルファの肩甲骨あたりに左手を添えて、部屋の中央に堂々と鎮座する円形の机へと向かうように促す。その最中、アースは、首を斜めに傾げて、わざと眼鏡の隙間から覗く裸眼で釘をさすようにシヴィを睨みつけていた。

「ささ、シヴィもかけたまえ。うん?」

 アースは他にいくつも座席があるにもかかわらず、先に腰かけたルファのちょうど左隣を選び、シヴィにも座るよう催促をする。シヴィは少し乱暴に、アースの座席のちょうど対面にある椅子を引いて、腰かけた。

「さて、早速任務の共有からだ。とはいえ、我々一番隊は扱う事件が特殊だ。だからある程度開示できる情報には制限がある。申し訳ない」

「いえ、承服いたしておりますとも。それで、我々が任される仕事は一体?」




 時は少しだけ進み、<オーシヴ>の宿屋の一室で、ヴァラムら三人は、寝台の上で地図を広げて、論を交わしていた。

「さて、ここ<オーシヴ>の神居が海の中にある可能性が高い。そして飛空艇の海底仕様の調整もできた。あとは神居の正確な位置だが……」

 ヴァラムの言葉の途中で、バルーが指を動かし、海の中でぐるりと円を描く。

「これについては、先日の海竜騒動で何となく察しがついた。あの岬での夥しい魔力流、あれは間違いなく神居の影響だ。しかし近海では魔獣たちの被害報告は出ていない。だから遠海の海底に神居があるんじゃないか、という推測をしたわけだが、しかし海流の動きを調べると面白いことがわかった」

 バルーが赤い筆記用具で、先程指を置いていた場所から線を真っ直ぐ、海竜と戦った岬まで引いた。

「今書いた線は、海流の動きだが、見ての通り岬に向かって流れていた。だが奇妙なことに、この海流、何と二十年前には存在していなかったことがわかった」

「つまり、この海流は、何らかの力が原因で、突然生まれた、ということだな」

 タナーシャの言葉にバルーは頷き、先程引いた赤い線を、海洋に向けて更に伸ばした。

「恐らくあの岬に溢れていた魔力こそ、神居から流れてきたものなんだろう。神居が生まれたことで、夥しい神気が発生し、それが新たな海流を産んだ。そしてその魔力は、その海流に乗って、あの岬へと流れつく。あの岬は風もなく、後ろは背の高い防潮林、人通りも途絶えて久しい。二十年かけて、海竜が生まれるほどの夥しい魔力が蓄えられた、ということだろう」

 バルーの説明を聞き、ヴァラムはなるほど、と静かに呟くが、すぐに何かに気づいて、顔をしかめる。

「なぁ、少し疑問なんだが、どうして魔竜が生まれるまで、他に何も魔獣が生まれなかったんだ?いや、あれほど夥しい魔力が、竜の誕生に必要だった、ってのはわかるんだよ。けど二十年間、一体も魔獣が生まれないなんて、まるで二十年前から、あの魔力は竜が生まれるためのものだった、って言ってるようなもんじゃないか」

「ヴァル、君の疑問は的を射ているよ。とはいえ、実は魔獣の生まれる仕組みはまだわかってないことが多いんだ。わかってることは、魔力が淀む場所は、魔獣が生まれやすい、そして魔獣の誕生には生命の記憶が必要ということだけ。しかもそういう場所は、継続的な魔獣の生誕地になることもあれば、数十年の感覚で巨大魔獣が現れることもある。」

 実際バルーは博識ではあるが、決して専門的な学術を修めているわけではない。そのためその説明は彼には珍しく歯切れが悪かった。

「命の記憶、あれだよな。海では海の生物の魔獣しか生まれない。空では飛べる生物の魔獣しか生まれない、みたいな」

「ああ、だがそれも、今まで見つかったことがあるわけではないと聞く。魔力を詳しく調べても、それらしい命の設計図は未だ見つかってないらしい」

 ヴァラムとタナーシャがやり取りを終えると、バルーは話の脱線を修正するように、一度咳ばらいをして、二人の注目を再び自身と、目の前の地図へと戻した。

「兎に角だ。僕たちが向かう先は、この海流に沿って、海底へと向かうこと。ヴァル、飛空艇の整備は終わったんだよな」

「ん、ああ。初めてのことだから、万が一の不備はあるかもしれないが、やれることは全部やったよ。だけど問題が無いわけじゃない。今のままじゃ、神居に入る手段がない。仮に<フュヌター>の神居と同じ大きさだとして、扉の大きさは高さが大体三十ラット、幅が二十ラット。とすると入れる物体は最大で三十六ラット前後だろ?俺の飛空艇の翼幅じゃ、どう転んでも入れない」

「いや、それは心配しなくていい。深海の水圧問題や、空気については私がなんとかできる」

 タナーシャの言葉を聞いてヴァラムとバルーは安堵の表情を見せる。

「それに、恐らく巣食っているであろう神居の周りの魔獣と、第一の試練の魔獣、それについても私に任せてくれ。考えがある。第三の試練は、神術をある程度取り戻した今なら、三人がかりならば、なんとかなるだろう。だが、気になるのは、聖騎士隊と、あの赤髪の剣士……」

 二人の危惧を一人で解決したタナーシャであったが、しかし彼女に懸念材料が無いわけではなかった。それを聞いて、ヴァラムもバルーも、明快な答えをすることができず、二人は顔を見合わせるばかりであった。

「すまない。これは今考えても仕方ないことだ。特に魔剣士は、素性は未だわかってない。兎に角、神居に言って、神聖晶を取りに行く。それだけなら、今は考えうる障害は殆ど存在しない。結構は予定通り、明日の明朝、良いな、二人とも」

 一旦は不安の過ったヴァラムとバルーだったが、タナーシャの声で気持ちを切り替える。タナーシャだけでなく、幾度かの戦場を経て、ヴァラムとバルーも修羅場に向かう心構えを身に着け始めていた。

 しかし、一瞬だけ、その状況にタナーシャは違和感を覚えた。言葉にすらできぬ不安。その不安の正体が、二人の若者を、このような戦いの道へと引き込んだことへの罪悪感であると、彼女はまだ気づかない。

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