絆と軛 第三節
「え、空き部屋が無い?」
ヴァラム、バルー、タナーシャの三人は、ヤムニーヴァに連れられて旅籠へと赴いたが、しかし驚くことに、空室が無かった。
「むぅ、困りましたな。<フュヌター>は寒郷ですから、ここが唯一の旅籠なのです。いやしかし、弱りましたな」
ヤムニーヴァは頭を掻きながら、三人の表情を申し訳なさげに伺っている。
「良いんだ。我々の突然の来訪が問題なんだ。……ただ、少し気になる。ここには闖入者はいないだろう。それこそ我々みたいな突然の来訪者は稀の筈では?」
タナーシャがそう言うと、彼は更にその表情を暗くさせた。
「いやぁ、実は、今我々は大きな問題を抱えておりまして……」
そう彼が言いかけた瞬間、旅籠の外からは木々を揺らさんとするほどの、激しい太鼓の重低音が鳴り響いた。
「あぁ、まずい。すみません、タナーシャ様とご友人様、ここで暫くお待ちいただけますか?」
「ヤムニーヴァ?一体何なんだ、さっきの音は」
旅籠を急いで後にしようとするヤムニーヴァを、タナーシャはその小さな体で制止した。ヤムニーヴァは背丈だけとってもタナーシャの三倍近く高く、体積で言えば最早比べものにならないほどであったにもかかわらず、その小さな淑女を、彼は押しのけることができなかった。
彼女の瞳は明らかに、彼が何かをはぐらかしていることに気づき、そしてそれを隠すことは許されないことを物語っていた。タナーシャの眼光からは、一歩間違えれば恐怖を覚えるほど、強い超常的な王気が放たれていた。
「わかりました。タナーシャ様の御身に何かあっては、御両所様に申し訳が立たぬと思っていましたが、よく考えればいらぬ世話でした。ついてきてください」
言われるまま四人で外に出ると、同じように先程の太鼓の音を聞いて、木々の上の家々からは、多くの遷者が外の様子を伺うために外に出ていた。
しかし喧騒の中心は、木々の上ではなく、地上の方であった。空を飛べぬ、あるいは木々を登ることができない遷者たちがあちこち走り回っていた。その方向は殆ど散り散りであったが、しかしその群衆がこの里の入り口から離れようとしているということは辛うじて理解できた。
事実、数秒もしないうちに、入り口の方面から、何者かが走ってきた。それも、一や二程度ではない。数えきれないほどの黒い物体が彼らを追いかけてきた。
「あれは、魔獣……?何故だ。迷い込むことはないはずではなかったのか?」
「詳しい説明は後です。私は下で助けを求めている弱い者たちを助けに行きます。そしてタナーシャ様、無礼を承知で申し上げまする。その力、我らにお貸しくだされ」
ヤムニーヴァは、両膝をつき、両の腕を胸の前で、手のひらを見せつけるように構える。それは忠誠を示すものとしては最上級の辞儀であった。彼が何をタナーシャに求めているかは、あの鈍感なヴァラムでさえ理解できた。そしてその求められている力が、ここにはないことも。
「ヤムニーヴァさん、実は」
「頭を上げろヤムニーヴァ。一飯の礼だ。神術は故あって振るうことはできぬが、あの魔物ども相手であれば、問題あるまい」
タナーシャは神語を忘れている、その事実をバルーは告げようとしたところ、彼女は彼の口をふさぐかのように、自身の言葉を重ねてきた。
「事情は承知いたしました。しかしそれだけでも十分なことです。ささ、タナーシャ様、私の背にお乗りください。ご友人様はここでお待ちを」
ヤムニーヴァは今度は後ろを向き、背中を低くする。急に事態が発展したものだから、ついていけずに戸惑いを隠せないヴァラムとバルーであったが、しかし考えるより先に、二人も行動していた。
「ヤムニーヴァさん、三人抱えて飛べますか?」
「友人だけに危険な役を押し付けるわけにはいかないんでね」
ヴァラムとバルーの申し出を受けて、ヤムニーヴァはタナーシャに許可を取るように視線を合わせる。すると彼女は頭を横に振る。
「彼らは私の臣下ではない。私に許可を取る必要はない。彼らが自らそれを望むなら、あとは連れていくかどうかは君の判断を私は尊重する」
そう言うと、ヤムニーヴァは両の腕でそれぞれ、ヴァラムとバルーを抱える。
「しっかり捕まっていてください!」
彼は勢いよく空へと体を投げ出した。しばらくは重力に身を任せて落ちるだけであったが、ちょうど元いた木の中腹辺りで、翼を大きく広げて、目いっぱいの空気抵抗を受け、急激に減速する。
翼の抵抗を受けて、ちょうど大地に体が面するすれすれのあたりで、速度は完全に停止した。一見すると乱雑な滑空であったが、それはまさしく、背中と両腕に抱える翼無き者たちへの十分な配慮をしつつ、そして最速で地面に到達するという、全く完璧な計算に基づく飛行であった。
「魔獣の討伐は後回しで構いません。最優先は人命の保護です。では、お三方はこの辺りの救助をお願いいたします」
ヤムニーヴァは再び翼を広げて飛ぶ。地上の家々を見渡せる程度の高度に到達すると。ヤムニーヴァは再び角度を付けて落下する。彼の行く先は魔獣の群れ。魔獣たちは風を切る音と、自らにかかった大きな影に気づいてか、一斉に上を見上げる。しかし時すでに遅し。今度は一切速度を落とさず、体重と重力を十分に乗せた拳を振るう。それらの魔獣は俊足を誇る種別であったはずだが、抵抗も回避もできず、その隕石の如き一撃で、全て物言わぬ魔力へと霧散した。
「す、すげえ」
ヴァラムとバルーはその凄まじい光景のせいで、タナーシャから視線を外してしまった。その隙を狙ったかのように、狼型の魔獣がタナーシャへと襲い掛かる。
二人が再びタナーシャを視界に捉えた時には、既に魔獣はタナーシャの喉元に牙を突き立てようとしていて、声をかけて注意をする暇さえなかった。
だが、魔獣の牙は、何物も捕えることは無かった。
ごきり。
太い骨が折れたような、鈍い音が響く。またも二人には驚きの光景が目の前で繰り広げられた。十代前半にしか見えないほど小柄なはずのタナーシャが、その細腕二本で、魔獣の顎を受け止めていたのだ。いやそれだけではない。その口は百八十度に開いていたのである。タナーシャはそのまま魔獣を持ち上げ、地面に叩きつける。すると魔獣はこと切れて消滅した。
「な、なんで」
「うん?まさか、二人は私が戦えないと嘘をついてまで前線に出てくるような愚か者と思っていたのか?」
そう言いながら、タナーシャはまるで羽虫でも振り払うかのように、襲い来る魔獣をちぎっては投げ、ちぎっては投げている。
「確かに神術は使えなくなった。が、体に溜まっていた神気はまだ抜け落ちてないし、魔獣程度ならなんとでもなる」
目の前でエネテヤの神術を目の当たりにしていたはずのヴァラムだったが、またもその威力の強さに腰を抜かしそうだった。だが一方で、彼は少しだけ彼女がそうして力を振るう様に疑問を抱いていた。
あのエネテヤでもアースには勝てなかった。しかしもしタナーシャとエネテヤ二人がかりなら、何とかなったのではないかと思えてならなかったからだ。
「とはいえ一人では辛い。二人も戦えるか?」
しかし今はそんなことを考えている場合ではないことは、ヴァラムも理解していた。まずは目の前の命を助けることが、第一である。
「おう任せろ!」
ヴァラムは快く返答し、機械腕を装備する。
「ヴァル、タナーシャ、あまり離れず、できるだけ一緒に戦おう。魔獣は強い魔力に惹かれる。神気は魔を一時は遠ざけるが、しかし消費された神気は、魔力へと転化する。皆で共に戦えば、魔獣たちを戦えない弱い人たちから引き離すことができるはずだ」
「良い作戦だバルー。共に背中を守りながら、<フュヌター>の人々を助ける。誰も見捨てぬぞ」
タナーシャの瞳には、再び先ほど見せた王威が迸っていた。
「<烈火>!」
その威風に答えるかのように、バルーは巨大な炎を産みだし、魔獣を数匹焼き払った。
「バルー、君は優秀とは思っていたが、まさか二節の魔術をこうも容易く扱うとは」
「はは、けど、今のが僕の最大火力。そして二発目は出せないんだ。だけどこれで奴らの興味を引くことはできたはず」
バルーの予測通りだった。魔獣は皆、三人の方へと顔を向け、そして一斉に飛び出してきた。
覚悟はしていたものの、しかしその光景にヴァラムは強い恐怖を感じざるを得なかった。ただでさえ、今のバルーの魔術に冷や汗をかいたところだった。無理もない。命懸けの戦いを目にするのは二度目。加えて自身が戦うのはこれが初。むしろすぐに戦士の表情に変わったバルーがおかしいのだ。
しかし弱音は吐いている暇はない。両腕に装着した機械腕の拳を動作確認を兼ねて何度か開いては握るを繰り返す。覚悟を決めたヴァラムへ、一匹の狼型の魔獣が走ってくる。タナーシャとバルーは既に各々魔獣を相手にしており、彼の心配事をしている暇はなかった。
その狼はタナーシャの時のように、口を開いては来ず、代わりに鋭く長い爪を備えた右前足を振りかぶってきた。ヴァラムはその腕を両腕を受け止めるが、明らかに力負けをし、そのまま尻もちをつく。次に魔獣は大きく口を開き、噛みつこうとする。ヴァラムは自身の命を守るのに必死で、急所を噛まれまいと、口の中に機械腕に覆われた右腕を突っ込む。その腕を魔獣は力強く噛みしめた。幸い牙は機械腕の装甲に阻まれ、皮膚に到達することはなかったが、しかし今の僅かなやり取りだけで、その機械腕はひどく損傷し、既に魔力路が数か所破損したためか、指の部分が自由に動作しなくなっていた。
タナーシャが先ほど容易く受け止め、引き裂いたその顎であったが、ヴァラムの力ではその牙に抗うことすらできなかった。
「<切断>!」
バルーが放った魔術が、ヴァラムの命を奪わんとしていた魔獣の首を斬り飛ばす。
「大丈夫か……っ!ヴァル!君は魔獣を倒すことは考えなくていい。ただ抑えるだけでいいんだ!」
バルーは、ヴァラムに声をかけながら、一頭の魔獣の首を両腕で絞めていた。獅子型の魔獣で、狼型より一回り体が太かった。タナーシャのように瞬時に命を奪えるわけではなかったが、それでも補助付きのヴァラムより明らかに膂力は上回っていた。
「くそっ……」
思わず口から洩れた悪態は、自身を苦しめた魔獣に対するものではなかった。ヴァラムはこの戦いにおいて明らかに自分が「守る側」ではなく「守られる側」であるように思えてならなかった。そんな自分の無力さに腹が立って仕方なかったのだ。
だが、彼の頭は、この一度目の命のやり取りの後だというのに、妙に冷静で晴れ渡っていた。恐らくは戦いの中で、感覚が研ぎ澄まされ、時間が凝縮されたからか、次にすべきことは何か、自分にできることは何かを改めて考え直せたのである。
力は足りぬ。魔術の知識も欠ける。ならば自分にできることは機転を利かせ、頭を動かすしかない。いや、動かさなければ、ここにいる意味がない。
次の敵はもう目の前に迫っていた。同じ狼型の魔獣。先程の魔獣より僅かに体は細かったが、しかし非常に俊敏であり、左右に跳ねながら、ヴァラムを翻弄する。
右腕は完全に使えない。無論盾のように使うことはできるが、装甲も次の攻防まで持つかはわからない。彼は今までの人生で一番早く頭を回転させていた。魔獣を受け止め、魔獣を素早く仕留めるにはどうすればいいか。
しかし僅かにその思考が答えを出すのは間に合わなかった。次は爪ではなく、いきなり牙を剥き出し、首元に正確に噛みついてきたが、ヴァラムは開いた口の中に、左手を開いたまま突っ込んだ。左手はそのまま魔獣の両口角を掴んでいた。凶悪な犬歯とは違い、臼状の奥歯は脅威ではなく、また口角を強く抑えられたせいで、持ち前の顎の力も活かしきれていなかった。受け止める方法、については思いついていたが、未だもう一つの仮題には取り組んでいる最中であった。
その時不意に自分の機械腕の性能を思い出した。この腕はそもそも魔術工用の魔動機。戦闘用ではないが、それ故にこの腕には色んな機能が備わっている。そして今の状況下では、ある一つの機能が役立つことに気づいた。
「溶接炎、噴射!」
掌に仕込まれた鋼板を溶接するための火炎の短剣が、魔獣の口内を通り喉を貫いた。普通の獣であれば即死であっただろうが、魔獣は未だ活動を続けている。ヴァラムは焦りのあまり炎の出力を全開にし、その炎剣は魔獣の胴体にまで至った。狙っていたわけではないが、それは急所たる魔獣の心臓を貫き、見事初めての魔獣狩りを成し遂げた。しかし安堵の時間はない。第二陣が既に到達していた。先程バルーが倒していた獅子型の魔獣。頭も大きいため、先程の作戦は通用しないだろう。
「来るなら来い!」
ヴァラムは左手を前方に精一杯伸ばして炎を噴射させながら、魔獣を牽制する。右腕は急所である首元を守るように首の前に回して、拳を左肩に乗せている。
獅子は炎を警戒こそしたが、すぐに姿勢を低くしながら、駆け込んでくる。
「はああああああ!!」
ただ一心不乱に腕を振り回しただけだったが、綺麗に口を開いた瞬間に炎剣が下顎に直撃し、魔獣は顔の下半分を失った。突然の肉体の欠損に驚いたのか、後ろに跳ねて距離を取る。しかしヴァラムはその隙を見逃さず、獅子の胴体に炎剣を突き立てた。
「よし、これなら……」
溶接炎は十分に魔獣の戦いにおける武器になることが証明され、ヴァラムは少しずつ手ごたえを感じていた。再び狼型の魔獣が襲い来る。ヴァラムも応戦しようと左腕を構える、が
「は……」
炎剣はみるみるうちに短く、細くなり、最後には完全に消えてしまった。
魔力切れ。普段はあまり炎を大きくすることはない溶接用の炎を、乱暴に出力を上げたものだから、あっという間に魔力を使い切ってしまったのだ。
最早使い物にならない右腕から、魔力貯蔵の硝子瓶を取り出し、それを左腕に移そうと試みるが、方や損傷で、方や魔力切れで自由に動かない両腕では、この作業を瞬時に達成するのは困難であった。
絶望的な状況、防御のためにも腕は動かない。攻撃の術もない。自分にはこの苦境を切り抜ける力が無い。死を悟ったその瞬間、目の前の魔獣は天空から落ちてきた巨大な岩に押しつぶされた。
いや、それは岩ではない。落下の衝撃で巻き起こった砂煙が晴れると、そこにはヤムニーヴァが立っていた。
「お三方とも、ご無事でしたか。魔獣はどうやら去ったようです。本当にご協力、ありがとうございます。何とお礼を申し上げたらよいものか……」
「いや、礼など不要だ。それよりヤムニーヴァ、今のこの<フュヌター>の置かれている状況について教えてくれないか?」
タナーシャはあれだけの戦いの後だというのに、息も切らしていなかった。
「承知しました。そうだ、宿の件なのですが、お三方が良ければ、私の家に来ませんか?狭い家ですが、客間はありますので」
「それはいい。二人も構わないか?」
タナーシャが後ろを振り返るが、ヴァラムは死の恐怖と戦いへの緊張感のために呆然とし、バルーは魔力の使い過ぎで、地面にへたり込んで、あまりはっきりと受け答えができなかった。
「ヤムニーヴァ、二人を運んでくれるか?」
「はは、お安い御用ですとも。タナーシャ様も背中にお乗りください。お疲れでしょう」
ヤムニーヴァは立ち上がれぬままの男性二人を両腕に抱え、その後、背中にタナーシャを乗せて高く飛び上がった。既に日が傾き始めており、翡翠色の樹海は、うって変わって山火事でも起きたかのように、朱の光に染まっていた。
飛行すること数分。流石にヤムニーヴァも戦いで消耗した分が大きいためか、先程よりも速度がかなり遅かった。ゆるりとした飛行は、しかし今の困憊した三人にはむしろ有難かった。
「さ、ここが私の家ですよ」
ヤムニーヴァが着陸した場所は、木の上ではなく、街の中心から少し離れた、陸の上であった。目の前には、これまで見てきた家屋よりも一際大きい屋敷が堂々とそびえていた。
「お、大きな家ですね」
「はは、私の身体の大きさでは仕方ありません。客間は一つしかありませんが、お三方が泊まれるくらいには十分な広さがあると思いますよ」
三人はヤムニーヴァに導かれるまま、彼の家に招待された。家にある家具はどれも普通の二倍近い大きさがあり、まさにヤムニーヴァのような巨躯を誇る遷者専用の家であった。
「さぁ、こちらが食堂です。お茶とお菓子を用意します。まともな椅子が無くて申し訳ないですが、これにお掛けしてお待ちください」
ヤムニーヴァがタナーシャの背丈よりも高い丸机の周りに並べたのは、やはりどれも巨大な椅子であった。一苦労して巨大椅子に腰かけて、数分待っていると、ヤムニーヴァが色々茶器を乗せた盆を運んできた。薬缶からは煙と芳しい香りが立っていて、そしてやはりかなり大きかった。
「まさに、大歓迎、というやつだな」
「申し訳ない。来客など滅多にいないもんですから」
そう言いながらヤムニーヴァは慣れた手つきで椀に注いでいく。三人の前には両手で持たなければ安定しない大きな椀と、小さく切ってくれたのであろうが、それでもなお大きい甘味が配された。
各々、戦いでの渇きを癒すためか、一斉に茶をすすった。
「凄い。今まで飲んだことのない、それでいて非常に絶妙な味だ」
一層疲れていたヴァラムとなお茶をすすっている中、バルーが茶の感想を述べていた。先ほどまでは最も壮健そうにしていたタナーシャも、疲労が溜まっていたのか、茶の味に感じ入っていた。
「それで、魔獣の件についてですが……」
まだ少し休息が必要そうな二人を見て、バルーは自分が今は情報収集に努めるべきだと自覚し、ヤムニーヴァに昼の話の続きを促す。
「ええ、順を追って話していきましょう。魔獣たちはここ最近、群れを成してこの村を襲うようになりました。今回のような襲撃はまだ比較的小規模とさえ言えるほどで、樹上に住んでいない者たちはかなり困憊しておるのです」
ヤムニーヴァは、自身の身体の小さな傷に治癒魔術をかけつつ説明し、他の三人はそれを黙って聞き入っていた。
「この村は知らぬものは入ってこれない。しかし魔獣は何故かこの村に自由に出入りできるようになったのです。しかも必ず大勢群れて襲ってくるのだから困ったものです。」
「なった、ということは昔は事情が違ったと?」
バルーの問いに、ヤムニーヴァは無言でうなずく。
「はい。ここ数カ月のことなのです。そしてそれはこの辺りに魔物が急増した時期とも重なっています。遷者は魔力が高いものも多いですが、とはいえ戦いとなると素人ばかりです。私は体が大きいですし頑丈ですから、ただ空を飛んで体当たりするだけで事足りるのですが」
「しかし、それは一体、何が原因なんだ?この辺りの魔力が、高いのは間違いないだろうけど、あんな大量の魔獣の群れが、何度も襲ってくるなんて……」
ヴァラムは菓子を頬張りながら喋るものだから、途切れ途切れで、それでいてその音は籠っていた。隣に座っていたバルーに「口の中のもの、飲み込んでから話しなよ」と窘められ、お茶で無理やり飲み込んでいた。
「タナーシャ様は神居をご存じですね?」
ヤムニーヴァの言葉に、彼女は菓子を口に入れようとしていた手を止め、そのままそれを皿の上に戻す。
「……なぜ、それを?いや、まさか、この魔獣騒ぎは神居が原因なのか?」
ここまで黙々と菓子と茶に舌鼓を打っていたタナーシャが初めて口を開く。
「この街の近くには、神居があります。その神居は長い間、空屋だったはずなのですが、この魔獣騒動でもしや、と思い最近になって確認したところ、確かに神居の扉は閉じられていました」
「そうか……、なら間違いはないのだろう。しかしヤムニーヴァ、神居のことは巫や一部の人間しか知らぬはず。なのに、君は一体どこからそのことを知ったんだ?」
「話せば長くなります。まずは……」
ヤムニーヴァがそう言いかけた時、そこまでただ二人のやりとりをじっと見つめていただけのヴァラムが、発言権を得ようと右手を上げる。
「はいはい!ちょっと待った!まずはその、え、え・ふぃにす?とやらが何なのか説明してくれ!」
ヴァラムの訴えを聞いて、タナーシャが柔らかな微笑を返した。
「確かに。二人にも今この街が置かれている状況を詳しく説明したい……、いや、話の続きは明日にしよう。昨日は一日飛空艇で夜を明かし、それから長い徒歩と、食事を挟んだとはいえ、いきなりの戦闘だ。まだ日が暮れたばかりだが、少し眠らせてくれ。二人には明日ゆっくりと……」
タナーシャの提案はいささか出し抜けであった。三人は、話の途中で彼女の語気が完全に変わったことに気づいていた。彼女は三人の心配の目から逃れるように、にわかに立ち上がる。しかし立ち眩みでもしたのか、体を大きくよろめかせ、先程自身が腰かけていた椅子にもたれかかってしまう。
「お、おい、大丈夫か?」
ヴァラムが声をかけるも、タナーシャは顔に大粒の汗を滲ませ、荒い呼吸をしていて、返事をするどころではなかった。
「だ、だい……じょ」
絞り出すように発した言葉も、最後まで言い切ることはできず、タナーシャは床に倒れ込んでしまった。




