ただひたすら耐え忍び、待つ
「さあ、あの方を何としてもスカウトしましょう!」
そう意気込むお嬢様。
例の酔っ払いを見失わないよう、お嬢様と私は一定の距離を保ちながら彼の後を追う。
……はずだった。
「お願いします! 私たちに力を入れてお貸しください!」
さすがお嬢様。
私の計画など完全にブッチギっていらっしゃる。
あれほど口を酸っぱくして、
「尾行とは気付かれれば終わりなのです。抜き足、差し足、忍び足で後を追うのが常識なのです」
と申し上げ、
「分かりました! 抜き足、差し足、忍び足ですね!」
と自信に満ち溢れた笑顔で復唱されたにも関わらず、
「聞こえていますか? ねぇ! 聞こえてたら返事をなさって下さい!」
と、酔っ払いの背中に向かってガンガン声を掛けられている……
私の申し上げたことを復唱された際の、あの笑顔……
騙されたな、あれはダメだ。
相手を簡単にコロッと転がしてしまう。
今後は騙されないようにしよう。
それにしても、一体どこまで行くのだろうか。
酔っ払いを追い掛けて来た先は、なんだか人気のない森の中だった。
とはいえ、道はしっかり続いているので人が立ち入ることは多いようだ。
その道を、彼はズンズンと進んでいく。
酒場で飲んでいたのだから、向かうのはもちろん家なのだろう。
しかし、こんな鬱蒼とした森の中を抜けていくとは考えてもいなかった。
彼も私たちが追い掛けているのは分かっているはず。
この先に彼の住まいがあるとすればいいが、もしかしたら途中で私たちをまいて行方をくらますかもしれない。
そうなったら、土地勘のない私たちにとっては非常に厄介だ。
こんな薄暗い森の中で女二人。
良からぬ輩と遭遇し、良からぬことになってしまってはご主人様に申し訳が立たない!
ここはひとつ、お嬢様になんとしても彼の説得を成功して頂かなければ!
「あのー! 聞こえてらっしゃいますか? 私たち、あなたにーー!」
「お、お嬢様! そんな大声で声を掛けては尾行する意味がありません!」
「そ、そうでした。では、囁くようなか細い声で……」
お嬢様は私に振り向きつつ、そう仰るが……
それもダメだ。
というよりも、尾行とはなんぞやってことを全く理解されていない。
まぁ、お嬢様の立場からすれば尾行するよりも、される方だったから仕方ないのかもしれないが。
にしても、ここまで世間知らずとは。
これならもう少し世間に触れさせるべきでした、旦那様。
「とにかく、私の話を聞いて頂かないと!」
とお嬢様が酔っ払いに視線を戻したとき。
酔っ払いは立ち止まり、私たちの方へと顔を向けた。
あれ? なんだか目に覇気がない。
あの場での殺気立った目付きではないぞ?
そのせいかして、顔付きが柔らかい印象を受ける。
まぁ、髪がボサボサ、左の頬に傷があるのに、顔付きが柔らかいというのは表現がおかしいかもしれないが……
ぱっと見は優男に見える。
「……うるさい」
だが、その低い声からは明らかに迷惑そうな様子が伺えた……
それはそうだろう。
気持ちよく飲んでいたところにあの騒動があって邪魔をされたのだ。
さらに「護衛してくれ!」と見知らぬ者から言われるなど、誰が思うだろうか。
あ、お嬢様は結構な有名人ではあるか。
それはさておき。
知り合いでもない人間からいきなり話し掛けられれば、誰でも警戒するのは至極当然のこと。
気さくに「ハロー」なんてのはまだいい。
いろいろ難癖つけられて絡まれたり、厄介ごとに巻き込まれたり、いきなりナイフで刺されたりする可能性だってある。
警戒してなんぼだ。
そして、彼は現在大絶賛警戒中である。
しかし、お嬢様の辞書に「諦める」という文字はない。
大きく息を吸い込んで……
「あの! 私、あなたの強さを見込んで私たちの護衛をお願いしたいのです! 私たち、ちょっと厄介ごとに巻き込まれてしまって、隣国まで行かないといけないのです! お礼なら必ずします! どうか、私たちにあなたの力をお貸し下さい!」
と、腰から深々と頭を下げられている!
さすがお嬢様だ!
腰を直角に曲げて、両手は両膝の上に添える見事なおじぎ!
高貴だ!
非常に高貴なおじぎだ!
ここまで見事なまでおじぎを見せられては、何かグッとくるものが……
「知るか。さっさと帰れ」
なかった……
むしろ、「そんなもん見せるなバカヤロー」的な視線だ……
なんて奴……
バルト国一の貴族であるカムリ家のご息女が心を込めてお願いをしているというのにその態度……
私に力があったらブン殴ってやりたいところだ!
だが、先程も言ったが、お嬢様の辞書に「諦める」という文字はない。
お嬢様は顔を上げてさらにまくし立てた。
「私たちは抗う術すら分かりません! 今戻ればたちまち殺されてしまいます! 今死ぬわけにはいかないのです! あなたのような方が私たちには必要なのです、ですから!」
「俺には関係ない。自分の厄介ごとなら自分で解決しろ。その結果殺されるのなら、それを受け入れるんだな」
至極ごもっとも、真っ当な正論……
ここまでストレートな正論をぶちかまされては、さすがのお嬢様もそのお口を……
「そんなこと、どうして言えるのですか! あ、あなたには困っている人間を助けてやろうという、人としての心がないのですか! そんなの、ただの人でなしですよ!」
塞がなかったか。
さすがお嬢様。
普通、そこまで言わないだろ。
初対面で人でなしとか言われたらたぶんブチキレるよな。
世間知らずもここまで来ると一つのステータスじゃないだろうか?
案の定、酔っ払いの目付きは鋭くなっていた。
あー、いかんなこれは。
確実にご立腹だ。
「……た」
ん? 何か言ったか?
「……んな……、す……た」
か細い声で彼は何やら呟いている。
そのボソボソと呟くのが、お嬢様は癪だったのか。
またしてもガツンと言ってしまったのだ。
「何ですか、小さな声でボソボソと! 男ならしっかり大きな声をお出しなさいな!」
お嬢様、性格が変わりすぎでございます。
側から見れば、相手を罵倒しまくる悪役令嬢ですよそれは。
しかし、男はまだボソボソと続けている。
お嬢様はそのじれったい態度にしびれを切らしたのだろう。
ズンズンと彼に近付き、
「あなたね!」
と怒鳴りながら人差し指を顔に向けて指すと、
「人の心など、とうに捨てた……」
と寂しそうな目で彼はお嬢様にそう言ったのだ。
私にもそれははっきりと聞こえた。
間近でそれを聞いたお嬢様は、その動きを止めてしまった。
「え?」
「分かったら帰れ。俺はお前たちの力になれない」
そう言って彼は踵を返して森の中へと歩いて行ってしまった。
私はお嬢様の側に行き、声を掛けようとすると、
「なんて悲しそうな目……」
とお嬢様は男の背中を眺めながらそう呟いた。
「お嬢様?」
「エリー、やっぱりあの方に護衛を頼みましょう」
「え、あ、いやしかしお嬢様……」
「あの方の目はとても悲しげな目でした。あのような目をするということは、過去に心を大きく傷付けたのでしょう。でなければ、あのような目、できるはずがありません」
と言ってお嬢様は彼の後を追い掛け始めた。
「お、お嬢様?」
「エリー。お父様が言っておられました。本当に優しい人間は人の悲しみを理解できる者だ、と。彼は心に傷を負った。優しくなければ心に傷を負うなどそうそうありません。あの目は、そういう人間の目なのです」
お嬢様はいつになく真剣な目で私にそう仰った。
旦那様。お嬢様は旦那様のお言葉を、しっかりその心に刻み付けておられますよ。
森の中の道を、お嬢様は進んでいく。
私もそれに付いていく。
彼は恐らく気付いているだろうが、その歩みを止めることはない。
やがて森が拓けた場所へと出た。
まるで森の中にポッカリと口が開いているかのように。
薄暗い森から太陽の光が燦々と差し込むその下には、粗末な作りの小屋が佇んでいた。
彼はドアを開けてその中に入って行き、ガチャリと音が聞こえた。
あれは鍵を閉めたな……
「お嬢様……?」
私はお嬢様にチラリと視線を寄せた。
「参りましょう」
お嬢様は気丈な顔立ちで小屋へと近付き、ドアを数回ノックした。
中から反応はない。
もう一度ノックをする。
……静かだ。
その後もノックを続けるが、中からの反応は一切なかった。
やがてお嬢様はノックをするのを止めて、フゥと息を抜いた。
「お嬢様……」
心配げに顔を覗き込む私に、お嬢様は力なく微笑まれた。
「待ちましょう……、きっと話をして下さると信じて」
私たちは小屋から離れると、すぐ側の木立の下に腰を下ろした。
ずっと歩き詰めだったから足が痛い。
座り込んで足を延ばすと、痛気持ちよく筋が伸びた。
ようやく休めると、足が喜んでいるようだ。
お嬢様も同様に足を伸ばされると、ジッと小屋を見つめていた。
彼がいつ出てくるのかは分からない。
もしかしたら、私たちが諦めて立ち去るのを待っているのかもしれない。
先に音を上げた方が負けだ。
今は耐え忍ぶ時。
太陽を見上げれば、既に頭上の上に差し掛かる。
あの酒場に立ち寄ったのは夜が明けてからだったか。
太陽の位置を見ると、もう昼頃にはなるだろう。
私たちはジッと待ち続けた。
ーーどれだけ時間が過ぎたのだろうか。
高かった太陽はすでに傾いている。
辺りは薄暗く、森の中は真っ暗闇になっているのではないか。
小屋は何の変化もなく、私たちの目の前にある。
お嬢様はあれから視線を外すことなく、小屋を見つめ続けていた。
凄いお人だ。
見ず知らずの人間をここまで信じることができるとは。
周囲の人望があるのも頷ける。
これがフェルディナント様なら、とうにしびれを切らして殴り込んでいるところだ。
にしても、一切動きがないということは、少なからず外れということではないだろうか。
今から森の中を動くにしても行動を起こすには時間が経ち過ぎた。
今から森を通るにしては危険過ぎる。
野営するにも道具がない。
枯れ枝を集めて火を熾すことくらいは出来るが……
お嬢様はと言うと変わらず視線は小屋へと注がれている。
とにかく火を熾そうと私が立ち上がろうとした時……
「エリー、待って」
とお嬢様は仰り、立ち上がった。
どうされたのか?
もしや、お嬢様も薪拾いを?
と思っていたら……
お嬢様は私の肩を叩き、小屋を見ろと言う。
私は言われた通り小屋へと視線を向けた。
小屋のドアが開き、あの酔っ払いが姿を現した。
「全く……、何考えてんだか……」
迷惑そうな顔で、彼は私たちに声を掛けてきた。
「入れ、夜の森は危ない」
とだけ言うと、小屋の中へと戻って行った。
ドアはそのままで。
お嬢様と私は互いを見合わせた。
「エリー!」
お嬢様は小さく、しかし嬉しそうな声で仰った。
「機会到来です!」
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