届かぬ願い
拙い文章で申し訳ありません。
街から脱出してどれだけ経っただろうか。
あの後、私とお嬢様は追っ手から逃れるために、街の南に広がる森の中へと逃げ込んだ。
平原は見通しがよく、すぐに見つかる可能性があったからだ。
それに目的地も定めぬままに逃げ出したため、準備らしい準備もままなっていない。
どこか一息つける場所を探す必要があった。
幸い、逃げ込んだ森はカムリ家の人間が狩りなどでよく出入りする場所ということもあり、道もそれなりに整備されている。
と言っても、街道のように石が敷き詰められたりしているわけではなく、道無き道を伐り開き、何度も何度も通ることで踏みしめられた程度の道だ。
馬で進むにしても、馬にとっては悪路のため、その足並みは平原を進むよりも遅くなる。
条件は追っ手も同じだろうが、あの程度の時間稼ぎでどれだけ余裕ができたかは分からない。
兎にも角にも先を進む必要があったが、夜も深まれば灯り無しで森の中を進むのは危険極まりない。
せめて夜明けまで何処かに身を隠す必要があった。
「確か、こっちに……」
馬上から暗闇の中の道を確認しつつ、私はあるところへと向かう。
ずっと暗がりを進んでいたせいか、目が慣れてきたのだろう。
うっすらとではあるが道が見える。
旦那様に何度となく連れて来られたので、おぼろげながらも見覚えのある道だ。
因みに、旦那様に連れられて何度も足を運んだのは、後ろめたいことではない。
私の乗馬の訓練で悪路走破をするためにこの道を何度も通らされたのだ。
体を求められたことなど、一度もないと断言しておこう。
暗がりの中、お嬢様は私の後ろをピッタリと付いて来られている。
さすが、乗馬を長く嗜んでこられただけのことはある。
私のように、短期間で強制的に身に付けられた付け焼き刃的なものは感じられない、馬の動きを活かした、洗練された乗り方だ。
最も、今のような状況においては、洗練もクソもないだろうが。
しばらく道なりに進むと、ようやく目的地に辿り着いた。
少し森が拓けたその場所に、それはあった。
「……ここは」
お嬢様も見覚えがあるようだ。
私たちが目指していたのは、森の深くにある休憩小屋だった。
簡素とはいえ、木の柱を組み合わせ、外壁は木の板でしっかり覆われている。
ガラス窓も備えられ、一見すると小ぶりな小屋のような形である。
少しの雨風をしのぎ、休息するにはおあつらえ向きと言えるのではないか。
「お嬢様、こちらへ」
私は素早く馬を降りて、小屋横に据えられた屋根の柱に手綱を括り付けると、お嬢様の馬を引いた。
お嬢様の馬の手綱も同様に柱へ括り、周囲を見渡す。
追っ手にはまだ追い付かれていないようだ。
安全を確認してから、お嬢様に馬から降りるよう促した。
「お嬢様、とりあえず中へ。何もなければ、ここで夜明けが来るのを待ちましょう」
「え、えぇ、そうね……」
力なく返事をするお嬢様の手を引いてる、私は小屋の入り口を開けた。
ーー
「驚いた。あなた、魔法が使えたのですね」
「初級だけですが、嗜む程度です」
「ふふ、私の乗馬と同じですわね」
暗がりの中、ロウソクに灯された小さな火の前で、私たちは笑みを交わしていた。
具合良く、小屋の中にロウソクが備えられていたので使わせて貰うことにした。
初級だが、私は火の魔法を使うことができる。
お陰でロウソクに火を点けることができたわけだ。
不思議なもので、柔らかな光が室内を灯すだけで何か安心できる。
「……灯りは外に漏れないでしょうか?」
「ここのカーテンは分厚くなっているそうですから。それに私たちがいるのは納戸です。灯りは漏れないかと」
「そうでしたわね。私ったら、ごめんなさい」
お嬢様はそう仰ると、顔を伏せられた。
小屋の中はお世辞にも広いとは言えない。
入ったすぐの部屋は埃まみれのベッドとテーブルが置かれ、その奥には私たちがいる納戸がある。
かまどや洗い場といった類はなく、風呂はもちろん、トイレすらない。
長い間使われていなかったのは埃の量を見れば一目瞭然。
まぁ、急場をしのぐための簡素な造りだから、贅沢を言ってはいけない。
身を隠せるだけでも十分だ。
ちなみに納戸に窓はなく、外から私たちが見つかる可能性は低いと言える。
こうしてロウソクに火を点けて話すことができるのは、とてもありがたいとことだと思った。
「お嬢様、これからどうなさいますか?」
「それなんですが……」
とお嬢様はゴソゴソとご自身の身体を弄り、一枚の紙を出してきた。
旦那様がお嬢様に託されたものだろうか。
それを見た、お嬢様は下唇をキュッと結んだ。
「こんなことになるのなら、受け取らなければ良かった……」
「ーーお嬢様……」
「ごめんなさい、エリーにはよくして頂いてるのに。弱音はいけませんね」
「いえ……」
「この書面によると、お父様は万が一を考えてお母様のご実家に一報をしているそうです」
「奥方様の……」
お嬢様の母君。
エリーゼ様は拝見したことはなかった。
私が屋敷にやってきた頃にはもう、この世を去られていたから。
お嬢様や旦那様からは、よくお話だけ伺っていた。
とても聡明で、清楚な方であったと。
「確か、奥方様のご実家は隣国にあると伺っていますが」
「おかしな話ですね。国を代表する貴族が、自国ではなく他国から嫁をとるなどと。ですが、そのお陰で隣国であるクロノシア国と良好な関係が保たれていると聞きます」
「互いの国を守るために……、旦那様と奥方様は……」
「上方の考えを思っても仕方がありません。今のことを考えましょう。
お父様は、とにかく隣国を目指せとこの書面で語られています。必要があれば、この印を見せよと、書面に付けて下さいました」
と、お嬢様は片方の手から何かを取り出した。
「ごめんなさい、エリーといえど簡単に印を見せる訳にはいかないのです」
それは印ではなく箱だった。
印が入った小さな木の箱。
それを手に取られていたのである。
「いえ、当然のこと。お気になさらないで下さい」
私の言葉に、お嬢様は力なく微笑んで見せられた。
「この印があれば、国境を越えることができるそうです。クロノシア国とは不可侵条約を結んでおり、国境はあちらの兵士が駐屯しているそうです。それが条件で結ばれた条約だったようですね」
「では、そこまで行けば……」
お嬢様は頷かれた。
どうやら目的地は定まったようだ。
「ですが、私たちだけで国境を目指すのは危険です。どこかで護衛を頼まなければ……」
「そうですね。ですが、ここに留まり続ける訳にも行きません。今は前を進むことと、見つからないことを祈りましょう」
お嬢様のその言葉を最後に、私たちは身体を横にすることにした。
お嬢様は、寝る前に、
「神よ、全能なる神よ。どうか私たちをクロノシア国までお導き下さい」
と祈りを捧げられたいたが、その願いは虚しくも届くことはなかった。
明け方、私たちの小屋は森に入っていた追っ手に発見されてしまったのだ。
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