雨、それはまるで、涙
ここはどこだろう?
暗い。冷たい。寒い……
あぁ、そうか。
ここはあの家だ。
私を奴隷として買い取った、あの忌々しい領主の家。
私を道具としか見なさず、与えられた食事は家畜同然のもののみ。
唯一、一人になれるところと言えば、屋敷のそばにある、隙間風が入りこむような古びた納屋のような小屋がそうだ。
そこで毎日寝起きをしていた。
屋敷での仕事は、当時の私からすれば過酷だった。
朝早くから水汲みをして、夜は遅くまで洗濯や掃除をさせられた。
どれも、誰もやりたがらないような汚れ仕事ばかり。
主人の機嫌が悪いときなんて、腹いせのために何度も叩かれることもあった。
殴られるたびに口の中を何度も切った。
そして床に私の血が落ちると、
「奴隷が、誰の家の床を汚していいと思っとるんだ!?」
と背中を蹴られた。
それも家族が見ているそばで、だ。
皆、クスクス笑いながら私を見ている。
どんな顔をしていたか、分からない。
みな、のっぺらぼうに口だけがついていたから。
その口だけが笑っていた。
私を見て、蔑んで、汚していった。
私は奴らにとって、笑いを得るための道化だった。
私は、こいつらの玩具にされるためにこの屋敷に買われたのかと思うと、悔しさが込み上げてきた。
何も出来ない自分に腹が立ってきた。
そんな毎日を過ごしているうちに、私の体は気が付けば傷だらけになっていた。
それを見て私は思った。
もし将来、生涯の伴侶を得たとして、その人は私の体を見てくれるのだろうか。
この傷を見て、目を逸らすんじゃないだろうか。
それならばいっそ、自分で自分の未来に蓋をした方がいいんじゃないだろうか。
そんなことばかりを考えていた。
そんなある日。
その家が没落した。
そして、私は旦那様に迎えられ、お嬢様に出会った。
そのお嬢様は、旦那様を殺した罪を被せられて、隣国であるクロノシア国に向かわれている。
途中、ラグ殿という護衛を雇われて。
ラグ殿。
ラグ殿ーー。
「ラグ殿!?」
そこで私は目が覚めた。
青い空が眼前に広がっている。
私は体を起こして辺りを見回した。
心なしか、頭がクラクラと揺れる。
なぜこうなったのか?
思い出そうとしてピンと来た。
そうだ。あれだ!
ラグ殿に手渡されたあの呪符だ!
あれを使ったとき、ごっそりと体の中から何かを抜かれたような気がしたのだ。
あれは一体ーー
「目が覚めた。エリー」
声を掛けられ振り返ると、そこにミトがいた。
「ミト……、わ、私はーー」
「呪符に魔力持っていかれた。魔力枯渇で倒れただけ」
な、なるほど……
魔力が枯渇するとどうやら眠ってしまうのか。
し、知らなかった!
「にしても呪符使って倒れるなんて。エリー、ショボい」
「ショボ……? な、なーー!?」
い、言わせておけばこの八歳児が!
何を偉そうにーー
あ、そうだ!
こんな罵り合っている場合ではない!
ラグ殿は!
ラグ殿を探そうとして再度首を振ったとき。
今にも泣きだしてしまいそうな顔のお嬢様と目が合った。
「エリー、気が付いたのですね?」
そして、お嬢様は胸をなでおろすように大きく息を吐き出された。
「良かったぁ……」
「お嬢様、申し訳ありませんでした。ところで、ラグ殿は?」
「ーーラグ様は……」
私がラグ殿の名を口にすると、途端お嬢様は戸惑われたような表情を浮かべられた。
ラグ殿に何かあったのか!?
「ラグ、あそこいる」
「あそこ?」
ミトが指差す方向に、私も視線を向けた。
ーーそこには……
あの魔法使いの女だろうか。
身体中から煙が上がっている?
まるで全身から力が抜けたように立ってーー
あ、危ない! 倒れる!
あ、ラ……
ラグ殿……
ラグ殿がその女を抱きかかえたのだ。
まるで壊れそうなものを扱うが如く、優しげな動きで。
そして、ラグ殿は地面に膝をついた。
女は震える手を何とか持ち上げ、ラグ殿に寄せていこうとする。
が……
その手はラグ殿に届かず、力が抜けたかのように地面へと落ちた。
ラグ殿は、何も言わずにただ、ただ静かに眺めていた……
その横顔が何だか……
ん?
顔にポツっと何か……
あ……
雨……
いつの間に雨雲がやって来たのだろうか?
見あげると、空一面が真っ黒になっていた。
ポツポツとまばらだった雨はやがて本降りとなり、私たちに降り注ぐ。
私たちはすぐそばの木立の下に移動したからそう濡れることはなかったが、ラグ殿はもう動かない女と一緒にこの雨の下にいる。
その様子がとても痛々しくて……
そう、きっと私の目には痛々しく映ったのだろう。
いたたまれなくなった私は、雨に濡れるのも構わずラグ殿を目指した。
足音はザーッという雨音が消していく。
私が近付いていることは分かっているだろうに、ラグ殿はまったく動かない。
やがて雨に濡れるラグ殿まで辿り着いた。
その背中にそっと手を添えようとして、私はあることに気が付いた。
ラグ殿の背中が震えている……?
泣いているのだろうか?
いや、顔が見えるわけじゃなし、嗚咽が漏れているわけじゃなし。
第一、それを確認してどうしようと言うのだ?
私は伸ばした手を静かに引いた。
何だか、触れたらいけないような気がした。
今、目の前にいる二人が、とても神聖なもののように思えたから。
二人の時間の邪魔をしてはいけない。
そう思えたから。
私は踵を返し、静かに元いた場所へと足を向けた。
結局、雨が止むまで、ラグ殿は物言わぬ女の亡骸を抱きかかえていた……。
ここまでお読み下さり、ありがとうございます。
ここで第四章は終了になります。
皆様からの評価、感想は大変励みになっております。
今後もよろしくお願い致します!




